手放したくない程に


相澤 side

昨日、目瞳に物件を紹介してやると言って今日会う約束をしていた。互いに勤務時間を終えたと連絡をし合ってから、俺は目瞳と待ち合わせをした場所へと迎えに行った。姿を見つけて、目の前に車を止め、助手席の窓を開け顔を見せれば彼女は『お疲れ様です!』と言って車に乗り込んだ。

車を発進させ目的地へと向かう道中に物件の場所や間取りなんかを簡単に口で伝えれば、随分と心を躍らせている様子だった。

俺は横目に目瞳の姿を視界に入れた。
…昔のコイツは助手席に座って外の景色ばかり見て俺に聞かれた時のみしか口を開かなかった。それが今はあの頃とは違い、よく笑うしよく喋る。

しかし不思議なもんだ。出会ったばかりの頃、ただの手のかかる少女だったお前を、いつからこんなにも愛しいと思うようになったんだかな。

俺の反応がない事が気になったのか『先輩聞いてます?』と聞いてくる目瞳に「聞いてるよ。」と言って、しばらくコイツのお喋りに付き合った。



目的地へと着き、目瞳に車を降りるよう促した。着いた場所は3階建てのアパートだった。大屋の部屋のインターホンを鳴らし、内見させてもらう部屋の鍵を開けてもらった。

辺りが暗くなっているというのに大家のお婆さんが嫌な顔ひとつしないのは、事前にこの時間帯を約束していたからだ。前に俺が住んでいたアパートだった為に、この大家さんとは知り合いだったから頼みやすかった。

部屋の中へと入れば目瞳は部屋中を見て回り始める。
一人で部屋を回り始める目瞳を見ていると、大家であるお婆さんが俺に話しかけた。

「あの娘さんはアンタの彼女かい?」
「…いいえ、違いますよ。」
「そうかい。まぁ頑張りな。お似合いだと思うよ。あ、終わったら適当に帰っていいからね。鍵は私がまた閉めにくるから。」

大家さんは「邪魔者は消えるからね。歳を取るとすぐ眠たくなっちまうよ。」と付け足して出ていってしまった。

やれやれ、この間からラーメン屋の店長といい、大家さんといい…あの年代の人には同じようなことを言われる気がしてならんな。

それから目瞳は10分ほど室内を歩き回ったあと、両手を合わせてパンッ_と音を鳴らせた。そして『先輩!決めました、私ここにします!』と目を輝かせていた。

「そうか、それなら大家さんには明日にでも連絡しといてやる。」
『何から何までありがとうございます。』
「ところでお前まだ時間あるか?」
『?ありますよ。』
「ちょっと付き合え。」

目瞳の了承を得たところで、車へと戻り、発進させた。

−−−−

アパートから20分ほど車を走らせ、着いた場所は海だった。
海へと到着し車から降りれば、目瞳は『海ですかー!』と言って砂浜へと駆けて行った。俺もその後ろを歩いて追いかけた。

夜の海はひんやりとしていた。ギラギラと刺すような日がなく、潮の匂いを静かに漂わせるこの感じは悪くないと思った。

目瞳は靴に水がかからないような波打ち際で立ち止まって俺の方に振り返った。夜風で揺れるスカートを手で押さえ、漆黒の髪の毛を耳にかけながら優しく微笑んだ。

『海なんて久しぶりに来ました。ありがとうございます。』
「あぁ付き合ってもらって悪いな。俺も久々に来たよ。」
『静かで落ち着きますよね。…でも少し不安になります。夜の海って黒いし、どんなに遠くを見つめても海と空で真っ暗ですもん。ひとりぼっちになったみたいで少し寂しいです。』

再び海の方を向き直して目瞳はそう言った。
そんなコイツに「寂しくなったらこっちを向けばいい。ちゃんと居てやるから。」と自然にそんな事を言ってしまっていた。目瞳はといえば、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに『はい、そうします。』と微笑んだ。
その返事で急に自分の言ったことに気恥ずかしさが込み上げてきて、俺は視線をはずして「そういえば…」と話を続けた。

「体育祭の時、悩んでたのはもういいのか?」

今日会う約束をしたのは、物件のこともあるが、なんとなく体育祭の日に何かを悩んでいたコイツが気になったというのもあったからだ。

目瞳は俺に背を向けたまま伸びをして『先輩は、いつも気怠そうなのに真面目ですよね』と言った。

「どういう意味だ?」
『人に興味なさそうなのに、ちゃんと生徒には寄り添うじゃないですか。私みたいな正式な生徒でなくても、自分が面倒みた子のケアはしっかりしてるでしょう?』
「…」


生徒と教師なんて言い始めたのは、恋愛の域に踏み込まない為の建前みたいなもんだ。8つも歳下の少女だったコイツを好きになるなんてあり得ないと思っていたから、勝手にそんな線を引いた。初めて出会った中学一年から高校卒業までの間にどんどん変わっていくコイツを見て、俺の中で"自分が助けた少女"から"愛しい人"へと変化するのは容易かった。
出会ったばかりの頃は、周りから認められなくて反抗期を迎えてるだけの手のかかる少女かと思えば、全くそうではなかった。
ただ、人と関わるのを怯えていた。

泣きながら自分のことを話す13.4の少女の傍にいてやりたいと思った。だんだんと明るくなっていって笑うようになったコイツを見て安心した。怖い夢を見るたびに掛かってきていた着信がなくなったなと思うと、少しの寂しさを感じた。

"生徒が教師の元を離れて行くのは当然だ"
と自分に言い聞かせた。
今思えば、「傍にいてやりたい」「安心」「寂しさ」なんてのが混ざり合わさって"愛情"を生んでいたんだと思う。そんな事に、最近になって気付かされた。
こんなにも一人の少女の事が頭から離れないのに、"恋愛的な好意"意外のなんだと思い込もうとしていたんだか。

…絶対ラーメン屋の店長の言葉に感化されたな。

何も答えないでいる俺に目瞳は静かに話を始めた。

『…私、ずっと好きな人がいました。無愛想だし、いつも私のこと子供扱いする人でした。』
「…」
『今はもう憧れっていうか、尊敬する人なんですけどね。前はドキドキしてた筈なのに、今はなんともありません。』
「お前がそうやって気持ちを整理していたとして、その男がお前を好きだったらどうするんだ?」
『あはは、あり得ませんよ。恋愛対象外だー、みたいなこと言われましたし。』

コイツが名前を伏せて俺のことを言っているのはわかっちゃいた。俺も他人のことを話すようにコイツに合わせた。
恋愛対象外と言われた?…あぁ、「生徒には手を出さん」と言ったアレか。あの時は隠そうとした自分の気持ちを今は打ち明けようとしている事に我ながら呆れる。

…やっぱり店長に感化されたか。

『まぁ私が子供っぽいんでしょうね?5つ以上は離れてますし。』
「13、4ぐらいからお前を知ってる俺から言わせて貰えば…」

俺は言いながら、俺に背を向ける目瞳のすぐ後ろに立った。そして、その体に背後から腕を回して俺の中に閉じ込める。自分よりも低い位置にある肩に頭を乗せると甘い香りがした。鎖骨の下辺りで組まれた俺の手を目瞳が掴んで『いきなり、どうしました…?』と振り解こうとしてくるのに対抗して、俺は自分の腕を離すまいと力を強めた。

「お前は…いい女になったよ。」

_少なくとも今俺が手放したくないと思う程にな。

俺がそう言えば、目瞳が小さく笑うのが聞こえ、俺は腕を離した。

『慰めてくれてます?…ふふ、ありがとうございます。』

少しくらい動揺したらどうだ。
そう思ってしまうほどにコイツはいつもと変わらず、俺に優しく笑いかけた。先ほど自分で言った通り気持ちにはケリをつけてるって事か。
…まぁいい。またその気にさせればいい。お前に別の好きな奴がいようが、彼氏がいようが俺のすることは変わらん。

コイツの言葉を借りるが…
お前が結婚してんなら考えるがな。

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