幸せな思い出には貴方がいる


石 side

イヤな夢を見た。
それは小さい頃の自分の記憶だった。

みんなが自分から離れていく夢だった。
私が手を伸ばしても、向こうからは手を伸ばしてくれる事はなくて、ただ人影が遠ざかっていく。

いつしか私は手を伸ばす事を辞めた。

−−−−

目を開けるとまだ室内は暗かった。スマホで時間を確認すれば深夜3時だ。
深くため息を吐いて、再び目を閉じたが、あんな夢を見た後に落ち着いて眠りにつけるワケもなく、身体を起こした。

いつぶりだろうか、あんな夢を見るのは。
頭の奥深くに眠っていた筈の古い記憶が、数時間前に焦凍くんに話して、取り出しやすいところに出てきてしまったんだろうか。

スマホを手に取り、電源を入れ、連絡先を開きある人物の名前をタップした。

"相澤消太"

画面が切り替わり、大きくその名前が表示され、電話番号が表示される。「090-xx…」と青い文字で表記された番号をタップしようとして止めた。

いつまでも甘えてられないかな。

先輩と出会ってから、こんな夢を見るといつも先輩に連絡をしていた。「何かあったら連絡しろ。」と言って私のスマホに連絡先を半ば強制的に自分の連絡先を登録したあの日以来、ずっと彼を頼っていた。私はあの頃から先輩の事が好きだった。人としても男性としても。
…でもどれ程私が強くなってヒーローになったところで、先輩が私を女性として見てくれる事はなかったんだと思う。所詮私は彼にとって、「面倒を見てやらなければならない生徒の一人」くらいの存在だという事に気付かされた。いつしか怖い夢を見ることも無くなって、連絡する口実がなくなれば、なんと連絡して良いかも分からず、私と先輩の関係の浅さを思い知った。

あの夢を見る事がなくなれば、自然と疎遠になってしまって、いつしか先輩に対して抱いていた恋心を忘れようとし始めた。「尊敬する恩師」として私の脳内に認識させたのだ。

あの頃より私は強くなったし、ヒーローにだってなれた。ちゃんと仕事をして、人と普通に接することも出来るし、友達だってできた。彼氏だって何度かいた事はある。

_大丈夫。私は変われてる。昔とは違う。過去のことで先輩に甘えるのは辞めて前に進まなきゃ。

そう自分に言い聞かせ、無理やり目を閉じた。

−−−−

「石ちゃんおはよー」

あれからあまり寝付けず朝を迎え、台所へと向かえば朝食の準備をしていた冬美ちゃんがいた。
私は『手伝うよ。』と声をかけて隣に立った。

一緒に準備をしていると「おはよー。」と欠伸をしながら冬美ちゃんの弟、焦凍くんの兄である夏雄くんが来た。

『おはよう夏くん。』
「石ちゃん、早いね。俺代わるよ。ゆっくりしてて。」
『ううん、泊まらせてもらってる身だもん、お手伝いさせて。』
「石ちゃんはコーヒーでいいよね?ブラックだっけ?」
『うん、ありがとう冬美ちゃん。』
「そういえば、私が石ちゃんと仲良くなったきっかけもブラックコーヒーだったよね。」
『あはは、そうそう。』

冬美ちゃんの口から出た昔話の一部分に夏くんは「なにそれ?」と首を傾げた。冬美ちゃんはにっこりと笑って「石ちゃんね…」と夏くんに話し始めた。

「私たち中ニのとき同じクラスになったんだけどね、学校帰りに一人で歩いてた石ちゃん見かけて「クラスの子だー」と思って声をかけたの。」

冬美ちゃんの話に「うんうん」と興味津々の夏くん。

「そしたらさ、石ちゃんてば手に缶コーヒー持ってたの。しかもブラック。「好きなの?」って私が聞いたら『コーヒーは得意じゃないけど、好き』ってよく分からないこと言ってたんだー。」
「なにそれ?(笑)」
「ね?夏もそう思うでしょ?石ちゃん、あれってどう言う意味だったの?」

昔の自分の話をされ急に恥ずかしくなる。冬美ちゃんは、片手を顔に当て自分の表情を隠した私にそう質問してきた。その質問に、顔を覆っていた手を下ろし、注がれていたコーヒーに視線を移した。

まったく…友人との出会いを思い出す時にでも、私の記憶には貴方がいるんですね。

『好きな人がブラックコーヒーを飲んでたから、その人に近づきたかっただけだよ。あとは、その人がいつも私に甘いコーヒーをくれてたのが子供扱いされてるみたいで気に入らなかったから。…あ、もうこんな時間?コーヒーだけ飲んで出るね!』

私が急いでコーヒーを飲んでいると、冬美ちゃんが「あ!」と声を出した。私はそんな彼女に視線だけを移した。

「今日職場の飲み会があるから遅くなるの。だからみんなで夕飯食べてて!」
「あ、俺も今日は夕飯食って帰るから…」
「夏くんもかぁ…。それじゃあ悪いけど石ちゃんと焦凍で夕飯食べててくれる?」

両掌を合わせてそう言う冬美ちゃんにOKの返事をしキッチンを使わせてもらう許可を得た。

−−−−

事務所へと着いていつも通り仕事をする。お昼の休憩時間にスマホを開けばメッセージが一件来ていた。

"時間が空いたら連絡しろ 相澤"

何かあったんだろうか?
そう思い、先輩の電話番号にかけスマホを耳に当てた。

3つ目のコール音で音は途切れ「もしもし。」となんとも気怠げな声が聞こえた。

『あ、目瞳です。メッセージ見ましたけど、何かありました?』
「あぁ。まだ轟の家にいるのか?」
『えぇ。』
「それなら一つ物件を紹介してやれるから、必要なら内見できるようにこっちで話を通しておいてやる。」
『わぁ是非。家探してるんですけど、なかなか此処!っていうのが見つからなくて。』
「分かった。大家が古い知り合いだから夜でも大丈夫だと言っていた。仕事終わりの時間でもいいから空いてる日が分かったらまた連絡くれ。」
『わかりました。ありがとうございます。』

通話を終え、スケジュールアプリを開いた。
職場体験が始まったら、エンデヴァーさんの仕事は多少なりサイドキックに流れるだろう。忙しくなる前に家は見ておきたい。…となると明日か…。

先輩にメッセージを送り、スマホをポケットにしまった。そして自分の胸に手を当てた。

大丈夫。ドキドキしてない。私はちゃんと、先輩を尊敬できる師として見てる。先輩と私が抱いてる想いは一緒だ…。

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