-07-
なまえ side
はぁ…。
昨日の焦凍くんとの会話が頭から離れずあまり寝付けなかった。それでも朝はやってきてしまい、ため息混じりにオフィスに入り、出社ボタンを押してタイムカードを切った。
「あ!!みょうじさん!!」
背後から自分の名を呼ぶ声が聞こえ振り返ると、女子社員3名が此方に向かって来るのが見えた。その勢いと詰め寄ってきた距離の近さには、一歩後退りをしてしまった程だ。先輩2人、後輩が1人。3人の視線からして怒っている雰囲気ではない。何か期待しているようなそんな視線を感じる。
『な、なにか…。』
「何かじゃないわよ!昨日!!会社の前に来てたダイナマイト!!なに??知り合いなの?」
「そうそう!!しかもみょうじさんの名前呼んでたし、2人で並んで歩いて行って!!付き合ってるの!?」
『付き合っ!?そんなのじゃありませんよ…!知り合いというか…。ちょっとした事で顔見知りになった程度で…。それに、昨日あそこにダイナマイトさんがいらしたのには私もびっくりしてて…。』
「みょうじ先輩ってばそういうことは教えてくださいよー!水臭いじゃないですか!私たちがダイナマイトの大っファンなの知ってて!!」
『…そ、そんなにファンだったのね…?』
「そう!!もうダイナマイトの出る番組全部チェック済み!ダイナマイトグッズも買い漁ってるんだけど…。」
『だけど…?』
「「「サインだけが手に入らない!!!!(です!)」」」
3人声を揃えてそう言った。あまりの息のぴったり具合に目を丸くしてしまう。
あ、なんか嫌な予感がする…。
その私の予想は見事に的中してしまい、3枚の色紙を渡された。…用意が周到だ。…ファンってすごい。
「よろしくお願いします。」と3人から頭を下げられるが、私は本当に彼とは顔見知り程度である事を伝えその差し出された色紙を彼女たちに押し返した。
それに爆豪さんはサインなんて嫌がりそうだ。昨日の夜だってファンに囲まれていたのを嫌がっていたし、サイン書いてる所なんて想像がつかない。
−−−−
『はぁぁぁ………。』
「なまえ、ため息じゃなく盛大な声が出ているの気づいてる?(笑)」
午後の業務が終わり退勤前に荷物を纏めている時、隣の同僚に声をかけられた。
盛大なため息が漏れてしまった原因は、カバンの中に入っている3枚の色紙を見てしまったからだ。
…結局朝の3人の押しに負けて受け取ってしまったのだ。いや、押し付けられたと言う方が正しいだろう。
どうして私はいつも断れないんだろう…。焦凍くんが少し前に「嫌なことは断らねぇと」と言ってくれたのを思い出す。たしか私が替え玉見合いに行くと言った時だ。
…焦凍くんのどの言葉を思い出しても、"妹みたいな女"に対してかけてくれた言葉なのだと思うとチクリと胸が痛む。そこに恋愛感情がないと言われているのも同じだからだ。
そう分かっていても、昨日のようにあんなに強く腕を引かれて抱きしめられると期待をしてしまう自分がいる。
…まぁその期待も、"妹みたいな奴が変わっていく寂しさ"から出た行動だと分かれば儚く散ってしまったわけだけど。
もしまたこんなことがあっても期待しちゃダメだ。
自分が辛くなるだけだ。
「なまえ?何か浮かない顔してるね?一杯付き合おうか!」
そう声をかけてくれる同僚に、私はニコリと笑いかけ『ううん、今日はいいや。また今度付き合って!…お疲れ様。』と、カバンを肩にかけてオフィスを後にした。
オフィスの入ったビルの自動ドアをくぐり外に出ると、帽子を被り歩道のガードレールにもたれ掛かってスマホを触る人物が視界に入った。
『!?、ば、!?』
そこにいたのは昨日と同じく爆豪さんだった。昨日と違うのは帽子を被ってくれていること。帽子の効果なのか昨日みたく人集りはできてない。
爆豪さん、と名前を呼んでしまいそうになった口を自分の手で覆った。
私は小さく咳払いを一つして、爆豪さんに近づいた。
近づいていると私の気配に気付いたのか、爆豪さんが手に持っていたスマホから視線を上げた為にその鋭い赤い瞳に捕らえられる。
『こ、こんばんは。昨日ぶり、ですね…?』
「…」
私の挨拶は無視され、爆豪さんは私の手首を掴んで歩き出した。
『!?、あ、の…!手を…!』
「あ?二度もあのスカした野郎に掻っ攫われちまうなんざ腹が立ってしょうがねぇからなァ!!」
『スカ、した…??焦凍くんのことですか?』
「他に誰いンだよ!!!!」
やっぱり爆豪さんは焦凍くんが関わってくると機嫌が悪い気がする。焦凍くんは爆豪さんと友達だと言っていたが、焦凍くんの勘違いだろう。
なんて寂しい勘違い…!
声を荒げた所為か少しだけ早かった彼の歩くスピードは十数メートルも歩けば落ち着いたようで、ペースを落として私の歩幅に合わせて歩いてくれるようになった。
焦凍くんに連絡をしておかなければ、また2人が鉢合わせてしまうし、昨日のようなことになると爆豪さんに悪い。私は焦凍くんの名前を出さぬよう『一本だけメッセージを入れさせて欲しい』と言って爆豪さんに掴まれていた手首を離してもらった。
メッセージを打ち終わり、スマホを鞄にしまうと再び手首を掴まれドキリとしてしまう。
…昨日焦凍くんと鉢合わせてからの出来事は余程爆豪さんの癇に障ったのだろう。爆豪さんにとって、この手を掴むという行為は、焦凍くんへの対抗心なのだろうけど、異性と話すことさえもあまり慣れない私にとっては戸惑いを隠せない。…異性に触れられる事などもっと慣れていないことだ。
きっと掴まれた手首から脈が速くなっているのが伝わっているだろう。そこから彼の意識を遠ざける為に私は話を振った。
『あの…お願いがありまして。』
「あ?」
『できれば私に御用がある際、職場の前で待つのを辞めていただきたくて…。』
「あ゛??」
『ええっと…!しょ、職場の人に聞かれてしまうんです…!ダイナマイトと知り合いなの?って…。爆豪さん、うちの職場内で結構人気でして…。』
「それが何か困ンのかよ。」
『!、…私はあまり目立ちたくありませんし、変な勘違いされる方もいると思います。…それに、爆豪さんのサインなんて頼まれちゃうし…。』
「変な勘違いだァ??」
『…付き合ってるの、とか…!』
「…ンなモン、勝手に言わせときゃいいだろーが。」
『そういうワケには…』と言うと、爆豪さんは掴んでいた私の手首を離し足を止めた。私も彼の隣で足を止め声をかけた。
『爆豪さん…?』
「それとも、勘違いされたくねぇ奴でもいるンかよ。」
『……そんなんじゃ。』
「あのスカした半分野郎かよ。」
『…』
「ケッ…アイツはテメェを幼馴染以上に思ってねぇってところか?」
最後の言葉だけは言わないで欲しかった。
爆豪さんは聴いただけだから悪くない。
私が否定しなきゃいけなかった、隠さなければならなかった。
そう思っても心の中に押し込み続けているこの想いを"言葉"で否定することを咄嗟に拒んでしまったのだ。
昨日焦凍くんは爆豪さんの前で「妹みたいなものだ」とハッキリ言っていた筈だ。その上で爆豪さんは、私が焦凍くんに抱く気持ちを知ってしまった。
惨めだ。
濡れた瞳を見られぬよう下を向いていると、頭に重みを感じる。たぶん爆豪さんの掌だ。
『!…っ、』
「チッ…やめちまえばいいだろ。あんな野郎。」
『…』
簡単に言わないでよ。10年以上も続く片想いをどうしたら辞められるのか教えてよ。優しい彼を嫌いになんてなれない。今更"ただの幼馴染の優しいお兄ちゃん"なんて存在にすることもできない。そのくらい焦凍くんのことが大好きだ。
「テメェがアイツに向けてやがる感情全部、俺に向けてみろや。」
『は…ぃ?』
思わぬ発言に顔を上げた。その拍子に目に溜まっていた涙が頬に一筋の線を作った。
爆豪さんは私の頭から手を下ろし、頬に手を添え親指でその涙を拭ってくれる。
「アイツに対するその気持ちを、…この俺が、いつか思い出すようにしてやるっつっとんだ。」
『…そう出来たらいいですね。』
口にするのは簡単だった。だけど、焦凍くん以外の人に恋愛的感情を抱くなんて想像もつかなかった。
私が笑って答えると、爆豪さんは私の手を取って「帰ンぞ。」と言って歩き出した。…今度は手首ではなく手を握られていた。
私はその手を握り返すことが出来ず、ただ目の前を歩く彼に付いて帰路を辿った。
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