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なまえ side
上鳴さん達とお話をした日から一週間が経った。
あの日以来、正直不安が無くなったわけではないが、以前よりも幾分か心穏やかに過ごせている。
そして今夜は約一 10日ぶりに爆豪さんとお会いする約束をしている。一週間だったはずの遠征期間は3日ほど延期をしてしまったようで、今日此方に戻るとメッセージが入っていた。帰ってきたその日に約束をせずとも、明日は私も彼も休みのようだったから『今日はゆっくり休んでください。明日がお休みであれば、明日お会いするのはどうですか?』と明け方に送っていた。…意外にもその返信はすぐに来た。「今日」と単語だけの返信に、忙しいながらも返してくれたのかな?と思える。そのたった二文字の返信に顔を緩めてしまった。
爆豪さんグループの方々と会った日以降もやはり彼からの電話はなく私からもしていない。メッセージも隔日くらいの頻度で一件、二件と来るくらいだ。彼のその行動に胸が抉られる日もあった。私を弄んでいるだけの行動なのか、それともそこに私と同じように愛情があるのか…一人で考えても仕方のない事に頭を抱えていたのだ。
完全に"心"を奪われてしまっている。
ちらりとパソコンの隅の時刻を確認すれば、もうすぐ退勤時間を迎えようとしていた。会える時間が近づくと無性にソワソワしてしまう。
会ってちゃんと聞かなきゃ言わなきゃ。と、久しぶりに会える喜びよりも不安や緊張の方が勝っていた。
部長が「ハイ、皆さん今日もお疲れ様でした。」と声を張り上げれば、フロア内の空気は一変する。「お疲れ様でしたー!」と早々に連絡部屋を出て行く者もいれば、「今日どこ行く?」と話し始める者もいる。まぁ明日が休日だから今日はいつもよりも皆気分が良いのだろう。
私もデスクを片付け始めた。
と、その時斜めに座る女の子達がキャッキャと話している内容を拾ってしまう。
「ねぇねぇ、さっき営業部の子が話してるの聞いちゃったんだけど、このビルの前にねダイナマイトらしき人がいたんだって!私服で帽子被って!」
「うそー!それいつの話?まだいるかな?」
「20分くらい前!誰か待ってる感じだったって言ってたからワンチャン会えるかも?このビル内に入ってるオフィス、終業時間一緒の所が多いし!」
「えー!急ご急ご!…誰を待ってるのかも気になる!」
「ねー!ダイナマイトの待ち人が自分の知った人だったりしてね!」
……まずい。彼女達よりも…いや、退勤ラッシュでビルの出入り口が人で溢れかえる前に爆豪さんを連れ出さないと。…私の職場での平穏が奪われかねない。
私は目に入るものを乱雑にバッグの中に放り、急いでオフィスを出た。
猛ダッシュでエントラスまで走り、自動ドアを潜れば、いつしかと同じように彼は歩道の端のガードレールにもたれかかっていた。
私は彼を視界に入れるや否や腕を掴み、この場から離れようとその腕を強く引いて足速に歩いた。
それなのにすごい勢いでぐるりと視界が回され、私は爆豪さんと向かい合っているし、私が掴んだはずの腕は離してしまっていて逆に爆豪さんに掴み返されている。しかも私の腕を掴んでない方の手は背中に回され強く抱き寄せられていた。
『あ、の…?どうしました…?』
「補充だわ。だぁってされてろや。」
『そ、そういうワケにもいかなくて…。私の平穏の為にも…。』
「あ?」
『ココ、私の職場の前です…。』
「だからなんだよ。」
『知り合いにこのような現場を見られるのは物凄く恥ずかしいです…。それに私とダイナマイトがそういう仲だということが広まると、別れてしまった後がツラくなるので…。』
「何ワケ分かんねェ事言っとンだ。」
『…"捨てられた哀れな女"のレッテルを貼られて平然と生きていける程強くありませんから。』
どうやって伝えようと思っていた筈の悩みは、あまりにも自然に嫌味ったらしく口から漏れた。しかも前置きもなく唐突に言ってしまったし、ハッキリと伝えてないクセに私は泣きそうになっていた。…あまりにも自分勝手過ぎるし、嫌な女だ。
私が口元を抑えて『今のは…』と訂正しようとすると「オイ、」と言われ身体を少し離された。爆豪さんを見れば、その表情には完全に怒りを宿していた。私はその顔を直視できず下を向こうとした。しかし彼に顎を掴まれ行手を阻まれた。爆豪さんは怒りの篭った赤い瞳に私を写して口を開いた。
「別れを想像してやがンものクソ腹立つけどよォ、なんでてめぇが捨てられる側なんだ?あぁ??」
『…爆豪さんは色んな女性と関係持ってるような話を聞いてしまって…、私も、その……ならいずれ、捨て………のかな…っ、て…』
言いながら耐えきれず涙が出てしまった。後半の言葉は上手く声が出せなくて、彼の耳に届いているのかも怪しい程だ。
言ってしまった以上、「本性がバレたら用済み」と思われていたらもうこれで終わりだ。でも私は彼の口から「モブの言うこと鵜呑みにしてンじゃねぇわ馬鹿か。」と罵倒を含めながら疑念を晴らしてくれると信じていた。
しかし彼は一瞬目の奥の瞳孔を開いたあと、私から手を離し「来い。」とだけ言って歩き出してしまった。
…いつもみたいに涙を拭ってくれなかった。いや、拭おうとした手を引っ込めていたように思う。
私が彼から言われる最後の言葉は一体何なのだろう。
そんなことを思いながら、私は自分の指で涙を拭った。
…
あれから20分ほど沈黙のまま歩いてアパートのすぐ前まできた。爆豪さんはアパートの横にある小さな小道に入って足を止めた。
私も彼の後に続いて足を止めると、爆豪さんは私と向かい合って「さっきの話だがな、」と話し始めた。
「随分前はそんな事もしてたわ。」
そう言われた瞬間に頭を鈍器で殴られたようなショックが身体を貫いた。構えていても苦しかった。
「言い寄ってくる女はめんどくせぇし、一回相手すりゃちったぁ大人しくなるかと思ってンな事してた。」
『…』
「理解しろとは言わねぇよ。付き合ってもねぇ奴と…しかもその気もねぇ女と、なんざ正しい筈がねェからな。…汚らわしいと思われて当然の事だ。もう関わりたくねぇって思うんなら何も言わずに家帰れや。」
『え…?あれ…?』
「あ?ンだよ。」
『えっと…私が選ぶ側ですか?』
「は?」
『いや、私が捨てられるんじゃ……?』
「…まさかてめぇ、自分もその女共と同じ火遊びの中の一人だと思ってたンじゃねぇだろーな?」
『その通りですが…。だってこの一週間ほとんど連絡なんてこなかったし、あんな噂を聞いてしまった後だったから、私てっきり…。』
そう返事をすると爆豪さんは勢いよく私の腕を引いた。そして唇を合わせてきてねっとりと舌を合わせた。この身体を押し返す事は出来ない。だって私は完全に彼に溺れているから。
『ふ…ぁ…』
外だというのにちゅるっと卑猥な水音をさせているなんて異常だ。この状況で彼の胸の辺りに手を置いて服を掴んでいる私はもっと異常だ。ほんの数十秒足らずで唇は離された。そして彼は私から視線を逸らして口を開いた。
「声聞いたら会いたくなっちまうだろーが…!ただでさえ、遠征行く前日に匂いだけ残されて我慢させられてんのによォ!あと、なんでもねぇ女にこんな甘ったるいキスなんかすっかよ!!」
そう言う爆豪さんの耳はほんのり紅く染まっているように見えた。その言葉に私まで顔を赤くしていると、彼は盛大なため息をこぼした後、私の身体に腕を回してぴたりと互いの身体をくっつけた。この距離の近さの所為で爆豪さんの心臓の音をしっかりと感じ取ってしまう。
「もう一度逃げるチャンスをくれてやらァ。俺に触られたくねぇってンなら今すぐ突き飛ばして帰れや。」
『常人では振り解けないくらいの力で抱きしめておいてそれを言いますか?』
「言っとくがハナから手放す気なんざなかったわ。…さっきの時点でそのまま帰りやがったらとっ捕まえるつもりだった。」
『私が貴方を嫌いになってたらどうするんですか…。そんな事したら逆効果でしょう。』
「聞き飽きるくれぇ好きだって言って、俺の頭ン中にてめぇしか居ねェって分からせてやるつもりだったわ。」
そう言われて自分の顔に熱が溜まっていくのがわかった。爆豪さんが顔を近づけてきてあと少しで唇が触れるという距離で私は咄嗟に顔を背けた。勿論彼は表情険しくさせた。
「あ?避けてンじゃねぇわ。」
『っ、…外です…!』
「半分野郎には街中でさせといて俺はダメなんかよ。…それにさっきしてンだろーが!」
『なんで今焦凍くんが出てくるんですか!…とにかく外でこういう事はちょっと…。あ、うちに上がって行きませんか?』
「それは勘弁しろ。」
まさか即答で断られると思っていなかった為に声も出せずに固まってしまった。どうしてですか、と聞こうとすれば、爆豪さんは「今の話の後に襲うのはどうなんだよ。」と言った。私が『襲っ…!?』と素っ頓狂な声を上げると、彼は私の髪の毛を耳にかけてくれ、露わになった耳に唇を寄せた。
そして私にだけ聞こえるよう小さな声で低く呟いた。
「しばらくはキスだけにしといてやらァ…。」
耳元で囁かれただけで身体はゾクゾクとしてしまう。キスだけ、なんて私が耐えられない気がする。だってたった一度で私はあの行為の快楽を知ってしまっているもの。
私が彼の背に腕を回して抱き締めると、「あ?」と先ほどよりも更に低い声を漏らした。
『キスだけは、私が嫌です…。』
「は……」
『頭の中、私しか居ないならちゃんと全部愛して下さい…。』
普段の私ならこんな発言は絶対にしないだろう。今は意地になってる。
爆豪さんの反応が無く、引かれてしまったかな?と不安になって身体を少し離して彼の顔を見れば、「上等だゴラァ…。」としたり顔をしていた。
彼の表情に私の心臓が大きく跳ねた気がする。
私は、力が抜かれていた彼の腕から抜け出して自分の部屋へと案内した。
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