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なまえ side
ふぅ、今日も一日終わったぁ…。
仕事を終えて会社を出る。
私は都内で働くOLだ。
これといって何か取り柄があるわけでもなく、高校卒業後になんとなくで入った会社だ。
大きな仕事を任されてるなんて事もなく、稼ぎはそこそこ、仕事のやりがいなんてものもほとんど感じてない。
ただ、職場に行って与えられた仕事はきっちりこなす。
これでお給料が貰えてるのだから不満はない。
夜風を浴びながらアパートへと向かっていると鞄に入っていたスマホが振動する。
取り出して画面を覗き、"姉"と表示された下の通話のアイコンをタップする。
『…お姉ちゃん、どうかしたの?』
"あ、なまえ、仕事お疲れー。あのさ、一生のお願いがあるの!"
『…』
"私の代わりにお見合いに行って欲しいの!"
『はい!?なんでわたしが!?』
"いやぁ、それがあんまり好みの顔じゃなくてさぁ…。でも向こうは乗り気みたいで。…適当に話して解散してもらって、後でお断りのメール入れとくから!!ほら、私となまえは顔似てるし、写真じゃわかんないし…!"
『めちゃくちゃな事言わないでよ…。』
"あ、じゃあ私これから予定あるからじゃあね!よろしく!"
『あ、ちょ…っ切れちゃった…。』
よろしくって…。勘弁してよ、お見合いの替え玉だなんて…。
虚しい通話終了音だけが耳に届く。
毎度、姉からの無茶苦茶なお願いに頭を抱えている。
そのあと少ししてから再び振動したスマホはメッセージの受信を知らせた。
"来週の日曜日で、場所はまたあとで送るから!御礼は今度する!"
自分勝手もいいところだ。私の予定を考えないのか。
苛立ちながらスマホのカレンダーのアプリを開いて自分のスケジュールを確認する。
…真っ白だった。
ため息を落としてそのメッセージに返事もせずスマホを鞄にしまう。
「随分と疲れてるな。」
前方からそう声をかけられる。声をかけてきた人物を見て、今の今まで苛立っていた事など忘れて、自然と穏やかになっていた。
『焦凍くん…!』
大好きな人の元へ駆け寄ると、焦凍くんは私の頭を撫でてくれた。
彼とは幼馴染だ。彼氏などではない。
私は彼のことが好きだ。もちろん恋愛感情を抱いてる。彼にとっての私はきっと、"3つ歳下の妹"くらいのポジションだろう。
告白なんてした事はない。焦凍くんにその気持ちがないって事は幼い頃から私への接し方の変わらない彼を見ていればなんとなく分かる。
彼がこうして私の帰路に現れるのは珍しくはない。仕事の終わりの時間が合えば迎えにきて送ってくれる。「女がこんな時間に一人で歩くのは危ねぇ…」と言っていた。初めは会社まで迎えに来てくれていたのだが、"プロヒーロー:ショート"の人気は絶大で、一緒に帰った次の日には会社の同僚や先輩からの質問攻めにあった。
その為、会社から少し離れたこの場所に来てもらうようお願いしたのだ。
撫でてくれていた頭から手を下ろされると、私はムスッとした顔を作って見せた。
『もう、いつも子供扱い…。』
「わりぃ。どうもガキの頃からの癖が抜けなくてな…。ところでどうかしたのか?ため息なんか吐いて。」
『あー…うん。お姉ちゃんからお見合いの替え玉頼まれちゃって…。』
「替え玉?」
『自分の気が乗らないからって、顔の似てる私に行けって言うの…。私の予定なんか無視だから酷いと思わない?』
「…それでも、その替え玉でお見合いってのに行くのか?」
『うん、まぁ予定はないし、お礼してくれるみたいだし。お姉ちゃん、お母さんから結婚結婚ってしつこく言われてるからちょっと可哀想だしね。』
「姉貴想いなのはいいが、嫌な事は断らねぇと…。そんでアイツはなまえに色んなことを押し付け過ぎだな。今度会ったら俺から…」
『いいの!…本当に嫌な事は断るから!焦凍くん、心配してくれてありがとう。』
焦凍くんが姉のことを"アイツ"と呼ぶのは、姉と焦凍くんは歳が同じで、小学校や中学校では何度かクラスが一緒だったからだ。そして焦凍くんは少し姉の事が苦手なようだ。
ミーハーな姉は、焦凍くんがプロ入りしてからというもの猛烈なアプローチをしていた。その性格は母親譲りなようで、母もまた焦凍くんに対して「うちのお姉ちゃん、お嫁にどう?」としつこく迫っていたようだ。
姉と母には焦凍くんも参った様子で、出来れば関わりたくないところだろう。
お姉ちゃんの事だ、焦凍くんに話しかけられれば、話の内容関わらず、自分に気があると思い込んで母親に「焦凍は私のこと好きよ、結婚する。」とでも言い出しそうだ。我が姉ながら思うが、自意識過剰でめちゃくちゃな性格なのだ。
『ごめんね。』と小さな声で焦凍くんに一言謝ると、彼は頭にハテナを浮かべた表情をした後に足を止めた。
ふと辺りを見渡すとアパートの前に着いていた。
焦凍くんは私の頭に手を置いてフッと優しく微笑んでくれた。
「無理はするな。…家の鍵、閉め忘れんなよ。」
『っ…、また子供扱い…。』
「わりぃ、お前はどうにもこうして頭を撫でてやりたくなる。」
『子供っていうか、動物扱い??』
「そんな事はねぇが…俺にもよくわからねぇ。なんでだ?」
そこで真剣に悩み始めた焦凍くんが面白くて笑ってしまう。またしても頭の上にハテナを浮かべる彼に『送ってくれてありがとう。』と言って手を振った。
アパートに入り、言われた通り鍵を閉める。
『いつまでも"妹"なんだろうな…。』
玄関で座り込んで、そんな心の声が漏れ出してしまった。涙は出ない。彼への想いを諦めかけている自分がいるから。
ただでさえ、うちの母と姉で困らせているんだ。私まで焦凍くんを困らせちゃダメだ。
どうか、このままこの気持ちが私の中で眠りますように。彼の前で溢れ出しませんように。
今別れたばかりの、あの優しい笑顔を思い出してそう願うばかり。
−−−−
-日曜日-
来てしまったこの日が。
私は姉から伝えられたお食事処に30分も早く着いてしまっていた。
人生初のお見合いとやらに私は朝からソワソワしていた。
というか、お見合いって私のイメージでは親も来て最初は四人でお茶をするという流れだった。それなのに姉からは「仲介人とか無しだから気楽にねー!服とかも普段着でいいからー!」と言われたのだ。
つまり最初から二人きり、ということ。
気楽に…じゃないよお姉ちゃん…。
一応、服装は綺麗めを意識してワンピースを選んできた。
替え玉と言いつつ、今日初めて会う男の人と二人でお話をするのは緊張する。プライベートで男の人と食事をするなんて焦凍くん以外で初めてだ。
しかも自分じゃ来ないような高そうな料亭…!
掃き出しの窓からの眺めなんて最高だ。風情のあるお庭で、歩いたら気持ちが良さそう。
外を眺めているとガララッと部屋の引き戸の開く音がした。
女将さんかな?
そう思い視線をそちらに移して、私は固まってしまった。
え、なんで…?どういうこと?
扉の前に立っているのは、何度も見たことがある顔。
それもテレビの中で。
『大・爆・殺・神 ダイナマ…??えぇ!?本物!?!?あの、お部屋をお間違いでは?』
あのプロヒーローがここにいるはず無い。
そんな思いからそう口にしてしまう。
大・爆・殺・神ダイナマイトと言えば、多くのサイドキックを事務所に抱える超が付くほど有名なヒーローだ。有名な理由は彼の唯我独尊な性格にもありそうだけど…。
…まぁ、プロヒーローとしての人気なら焦凍くんだって負けてないけど…!
なんて変に張り合ってる場合じゃない!
「あ?テメェ今日ここで見合いするっつーやつだろ。」
『そ、ですけど…。』
「んじゃ間違ってねぇよ。」
『え!?いやあの、聞いてないというか…ちょっと思考が追いつかないというか、あれ?…少々お待ちください!』
慌てて鞄からスマホを取り出して姉の連絡先を出す。通話ボタンに手をかけようとしたところで手に持っていたスマホは取り上げられてしまう。
『あの…スマホ、返して下さい…。』
「"姉"…ってこたぁ、もしかしてテメェも替え玉かよ。」
スマホの画面を見たあと私をギロリと睨みながら言われる。視線を合わせることが怖くて下を向いてしまう。
『はい…スミマセ…え?今テメェ"も"と仰いました?』
「あぁ、俺もソレだわ。」
『人の替わりにお見合いに来られるって意外ですね…』
「事務所のやつに頼まれたから来てやっただけだわァ!!」
『ヒィッ…そそ、そうですよね…!』
怖い…!!テレビで見てる時もいつも思うけど本物怖い!!
あれ?でもお姉ちゃんは「向こうが乗り気だから」って言ってなかった?目の前の彼を見ると、「嫌々ながらも来てやった」という様子なのだけど…。とても"乗り気"だったようには思えない。
ううん、そんな事どうでも良いから、お互い替え玉なら早く帰らせて欲しい…。
そう思ったのに彼は私の向かい側に腰を落とした。
しばらく沈黙が続く。
その沈黙を破ったのは彼の方だった。
「…テメェ、名前は。」
『…みょうじなまえと言います。』
「なまえか…。」
有名人に呼び捨てにされてる…!!大ファンならこれ以上にない喜びだろう。しかし、私が彼に抱いてるのは恐怖しかない。しかも男の人と二人きりなんて慣れない事で頭の中は軽くパニックだ。
目も合わせられず下を向いていると、目の前に座っていた筈の彼は私の真横に立ち腕を強く引いてくる。
『!?』
「立て。」
私を見下すその視線が怖くて何も言い返せず言われた通りに立ち上がる。腕を離し「来い。」とだけ言われ、その通り彼の後ろを付いていき、庭へと出される。
うぅ、この威圧感…苦手だぁ。
お願い、もう帰らせて…。
泣きそうになりながらも目の前を歩く彼が怖くて黙って従うしか出来なかった。
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