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あれから数日が経ち、私は無事に退院し仕事にも復帰した。
『はぁああーー…』
「…なまえ、またしても声が出てるけど大丈夫?」
仕事終わり、荷物をまとめていた同僚からそう声をかけられる。デジャブか?こんな会話を前にもしたような…。
体調は良好、仕事にも復帰して、事務処理の進捗の遅れも取り戻せた。焦凍くんと話せたおかげで少しだけ自分の気持ちも整理できた。
それなのにこんなにも気持ちが沈んでいる。その理由はただ一つ。
あぁあ、爆豪さんに酷い言い方をしてしまったかな?…私は次に会った時に殺される?
随分と怒って帰っていったようだったし、絶対にまずい…!
謝ろうにも、メッセージではそれで終わってしまうような気がして、お昼のうちに電話をしてみたのだが、スマホの受話口から聞こえたのは虚しい留守番電話の機会音声。
やはり怒っているのだろうか。
…病室で言ったことを後悔しているわけではない。ただ理性を失いかけて口から勝手に言葉が出てしまっていたから、とんでもない言い方をしていたのかもしれないと思った。…そう、実はあまり覚えてないのだ。
心配してくれている同僚に『今日飲みに行かない?』と誘うと二つ返事でOKしてくれた。
−−−−
いつもの居酒屋に着いてからというもの、私は同僚に爆豪さんとのことを打ち明けた。実はよく仕事終わりに送ってもらっていたことや、彼を気になっていることを話した。彼女は「いつの間にダイナマイトと…」と言いながらも「あの事件の日の慌てぶり…もしやダイナマイトも…」とブツブツと言っていた。『彼にとんでもなく失礼な言い方をしてしまった気がする…』と本題に入ろうとすると、たまたまスマホを見た同僚が「ちょっと待って…!」と私の肩を叩いてきた。
『どうかしたの?』
「ショート!例の彼女と別れたって!ウェブニュース出てる!」
『…あぁー…それは私、です。』
「ワタシ?…んえ!?彼女ってなまえだったの!?」
『ごめん、言い出せなくて…。』
私が謝ると彼女はお酒が入っている事もあってか、声のボリュームを最大まで上げて「えぇえー!言ってよー!!」と私の肩を掴んで揺らしてきた。
『お、落ち着いて…!』
「え!?てことは、両思いだったと?」
『…ソウデス。』
「きゃーー!あ…でも別れちゃったんだよね。ごめん…。」
『ううん、いいの。』
「…どうして?ずっと好きだったよね?」
私は彼女からのその質問にすぐ答える事ができなかった。…焦凍くんが見せた優しくて寂しい笑顔を思い出してしまったから。病室で焦凍くんと話した後、私は彼に『中途半端な気持ちで付き合えないから、恋人関係を解消して欲しい。』と言った。そんな私の身勝手を焦凍くんは了承してくれたのだ。
『私が焦凍くんを、沢山傷つけたの。』
それだけ言うと、彼女はカウンター席で隣同士に座った状態のまま、私のことを抱きしめてくれた。「みょうじくん、今度からは事後報告じゃなくて経過報告するように!…じゃなきゃ一緒に悩めないよ。終わってしまったことなら、なまえの事抱きしめるくらいしかできないもん。」と言ってくれた。私は彼女の腕から抜けて笑って見せた。
『うん、ありがとう。』
「うむ、わかれば良い!」
−−−−
ー翌日ー
いつも通り仕事を終えてオフィスの入ったビルのエントランスから外へと出れば、見知った顔が視界へと入る。
『…焦凍くん、どうしたの?』
ビルの前に立っていたのは帽子を被った焦凍くんだった。彼の元へと駆け寄ると、私を見て優しく笑いかけてくれた。
「迎えにきた。」
『…もう恋人じゃないでしょう?』
「俺はまだなまえが好きだ。また片想いから努力する。それに付き合う前から一緒に帰ってたろ。」
『焦凍くん…。』
「行こう。…帰る前に寄りてぇ所があるんだが、いいか?」
『?、うん、いいよ。』
行き先を告げられぬままに焦凍くんは歩き始めてしまうから、私も小走りで焦凍くんの隣を付いて歩いた。
…どこに行くんだろう。
10分程歩いただろうか。「あったな。」と言う焦凍くんの視線の先を見れば、キラキラと光る街並みが見えた。
『イルミネーション?』
「あぁ、今日から点灯だって聞いたからな。なまえと歩きたかった。」
『…』
「ガキの頃、一緒に見にきたのが懐かしいな。」
『そう、だね…。』
「…俺はガキの頃からお前のことずっと好きだったんだと思う。お母さんが入院して親父のことを恨んでばかりだった。そんな時になまえと出会って、お前のその歌で心が軽くなった。」
『…でも私の個性はその時限りでしょう?私が歌ってる間しか感情は誤魔化せないよ。』
「その一時に俺は救われたんだ。たった一度その個性にかかってから、何度でもお前の声を聞きたくなっちまってた。…心が綺麗ななまえだからこそ、その個性に何度でもかかりたいと思った。」
『…』
「なまえは病院で、自分は何もできない、惨めだっつってたけど、そんなことねぇと思う。いつも歌から"俺を助けたい"って気持ちは伝わってる。人を助けるヒーローを救ってるんだから、お前は凄いよ。」
歩きながらそう言われ、頭にポンっと掌を置かれる。焦凍くんの言ってくれた言葉が嬉しくて涙が出てしまいそうになった。それを堪えて『ありがとう。』と笑って見せた。すると焦凍くんは「思ってることを言っただけだ」と表情を和らげた。
キラキラとしたイルミネーションの中で見せられるその顔は王子様みたいで、綺麗で、直視出来ずにすぐに目を逸らしてしまった。
進行方向に視線を戻してすぐに足を止めた。
止めたというより、動かなくなってしまったと言う方が正しいかもしれない。焦凍くんに「なまえ?どうかしたのか?」と声をかけられるが胸が苦しくなって言葉を出すことが出来なかった。
私の視線の先にいたのは爆豪さんだった。
後ろ姿だけど、見間違えるはずがない。あの背丈、威圧的なヒーローコスチューム、ツンツンの金髪。道ゆく人が「ダイナマイトだぁ。」と言っているのも、あの後ろ姿が彼だと肯定する。
爆豪さんであってくれるな、と願う理由は、隣に女性がいたから。爆豪さんは前方を見ていて、彼の表情こそ見えないが、隣を歩く女性は爆豪さんにニコニコと笑いかけているのが見えてしまった。
胸が、痛い。
私…爆豪さんのことが好きなんだ。
私にしたように、その女性にも優しくするの?
その女性を強く優しく抱きしめるの?
その女性の唇を奪うの?
嫌だ。そんなの見たくない。
目に涙が溜まっていくのが分かる。…涙を堪えられない。このままじゃここで泣いてしまう。こんなに煌びやかな夜の中では隠せないのに。
_もう貴方は、私の涙を拭ってはくれないの?
前には進まなかった足は、後ろになら動いた。いつだって私は弱いんだ。逃げることしか出来ない臆病者だった。
小さく二歩下がったところで、突然視界は暗闇に閉ざされた。
「…見るな。」
『しょ、うとくん…。』
私の目は焦凍くんの掌で覆われていた。
煌めく世界からシャットアウトされた、焦凍くんの作り出してくれた暗闇の中で、私はゆっくりと目を閉じて涙を溢した。
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