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なまえ side
あの監禁事件のあと、私は救急車で運ばれて総合病院にて検査入院することとなった。
たった数時間といえど、閉じ込められていた為に心理カウンセリングも受けた。あとは一応の精密検査なんかだ。
事件のことを耳にした焦凍くんは、その日の夜に病院に駆けつけてくれた。そして病院のベッドに座る私をずっと抱きしめてくれていた。ずっと「傍に居てやれなくてわりぃ」と謝りながら。
『焦凍くんの所為じゃないから大丈夫。それに、ちゃんと助かったから、そんな顔しないで?』
「事件の種を撒いたのも俺だ…。」
『ううん、私がいけないの…。私がどっちつかずだったから。…ねぇ焦凍くん。』
「なんだ?」
『…ううん、何でもない。』
「…」
(別れましょう)とそう言おうとした。けれど、あまりに悲しそうに顔を歪めた焦凍くんの顔を見ると、言えなくなってしまった。
いつもこうだ。言いたいことを言うチャンスを逃してしまう。一度頭を冷静にするために眠ろうと思っていると病室の引き戸が勢いよく開いた。驚いて顔を上げれば、目の前には爆豪さんが立っていた。
「チッ、いたんかよ半分野郎…。」
「あぁ。爆豪今日はなまえのこと助けてくれてありがとな。」
「ケッ…テメェに礼言われる筋はねェ。俺は俺の仕事をしたまでだわ。」
「そうか。」
「…検査は終わったンか。」
『…はい。』
「ならいい。」
そう言って出て行こうとする爆豪さんを引き留める為に『…あの!』と声をかけた。すると爆豪さんは立ち止まって此方に視線を送った。『お二人にお話があります。』というと爆豪さんと焦凍くんはほぼ同時に「あ?」「なんだ?」と言って私を見ていた。そんな二人を視界に入れて私は口を開いた。
「もう、私には関わらないでください。」
「は?」
「なまえ、どうしたんだ突然。」
『私を監禁してた女性は焦凍くんのファンだったの。…私ね、すごく怖かった。』
「なまえ、それは本当に悪かった…」
『謝らないでよ!…弱くて、一人じゃ何も出来なかった自分が情けなくて嫌なの…っ。ただ、助けを待つことしかできなかった!…だからもうこれ以上優しくしないでよ。どんどん自分が惨めになる。』
ここまで話した内容は本当の気持ちだ。私は一呼吸置いて、目から涙が溢れそうになるのを堪えて話を続けた。
『これ以上、私を惨めな気持ちにしないでください。…だからもう私にはもう構わないで!』
私がそう言えば、少しの間病室内には沈黙が流れた。
責任転嫁もいいところだ。勝手に自分の弱さを二人の所為にして。
だけど、焦凍くんの気持ちにも、爆豪さんの気持ちにも応えられない優柔不断な自分を戒める為には、こう言うしか思いつかなかったのだ。
結局、何も悪くない二人を傷つける事しか出来ていない。だけどこれでいいの。
私は二人の顔を見ることができなかった。下を向いて涙に濡れた顔を見られぬよう両手で顔を覆った。
病院の個室は静かだった。空が黒く染まっている為に、外からの音も無しだ。その沈黙を破ったのは爆豪さんの舌打ちだった。静寂さを放つこの空間に爆豪さんのそれはよく響いた。そして私の座るベッドのすぐ横に来る気配がしたと思ったら、私の腕を取り、勢いよく顔から手を引き剥がされた。
爆豪さんと視線がぶつかる。
「テメェなぁ、嘘付くンならもっと上手くやりやがれ!」
『…嘘、なんか…。』
「じゃあ今ここで個性使えや。」
『え…?』
「今のが本心だってんなら、歌で届く感情は恐怖、怒り、悲しみ、あとは俺らへの嫌悪ってところか?だが、その歌で少しでも寂しさや、後ろめたさを感じ取れりゃ、テメェの嘘は立証されんだろーが!」
「爆豪落ち着け。」
焦凍くんが爆豪さんに声をかけるが、「るせぇわ!俺は落ち着いてんだよ!」と爆豪さんは更に声を荒げた。
爆豪さんの言った言葉で私の頭の中で何かが切れる音がして、私は息を吸って二人の間に流れる険悪な空気に割って入った。
『…私にだって!!!』
「あ?」「なまえ?」
『隠したい感情ぐらいあります…っ!!どうして貴方はいつもそうなんですか!いつも強引で、私の気持ちも聞いてくれないし、隠したい気持ちも言い当ててきて…!少しは心の中で留めてくださいよ!』
「なまえも落ち着け…。」
『落ち着けないよ!…では思ってる事正直に言いますけど、私が貴方を嫌いになれるように悲しませて下さいよ!私は貴方のことが…!』
「なまえ!!」
爆豪さんに対して声を荒げていた私を静止させたのは焦凍くんが私の名を叫ぶ声だった。焦凍くんはため息を一つ落として爆豪さんに「すまねぇが席を外してくれるか?たぶん爆豪がいるとなまえがこの調子でおかしくなっちまう。」と言った。そう言ってくれて助かった。焦凍くんの言う通り本当に気がおかしくなりそうだったから。
焦凍くんにそう言われると、爆豪さんは「指図すんじゃねェ!勝手に出てくわァッ!」と叫んで部屋から出て行った。
勢いよく閉められた引き戸は壁にバウンドして隙間を開けたり閉じたりしていた。
少しして焦凍くんもパイプ椅子から腰を上げて「飲み物買ってくる」と言って部屋を出て行ってしまった。
一人になった部屋で私は口元を手で覆った。
私いま、爆豪さんに…。
"私は貴方のことが気になって仕方ないのに"
言おうとしていた事を口から出さぬよう、ゴクリと飲み込んだ。完全に考えなしに発言しようとしていた。しかも焦凍くんのいる前で。ついカッとなってしまって言葉が脳を経由していなかった。感情に身を任せる事ほど危険なものはない。
事件に巻き込まれた所為で気が動転してるんだ。
私は自分を落ち着けるように胸に手を当ててゆっくりと深呼吸をした。
5分も経てば病室のドアが開き、焦凍くんが帰ってきた。ベッド横の台にペットボトルの水を置いてくれて彼はパイプ椅子に腰を下ろした。そしてやんわりとした表情を私に向けて「少し落ち着いたか?」と聞いてくれた。
『うん…さっきはごめんなさい。』
「いや、俺もデカい声出して悪かった。」
『ううん、いいの。変なこと言いそうだったから止めてくれて助かったよ。ありがとう。』
「…爆豪の前ではいつもあんな感じなのか?」
『あんな感じって??』
「…あんなに取り乱すなまえを初めて見た。」
『違うよ?今までの事が積りに積もって、この度はつい…。』
「仲がいいんだな。」
そう言った焦凍くんの表情は、優しくて寂しそうだった。私が何も言えずにいると彼は私の頭を撫でてくれた。
…久しぶりに撫でられた気がする。考えたら恋人という関係になってからは頭を撫でられる事は無くなっていたように思う。抱きしめられたり、キスをしたりに変わっていた。あぁそっか。前に言ってたっけ。触れたくても撫でるだけで精一杯だったって…。それはつまり、今はもう抱きしめたりキスは出来ないということなの?
「さっきなまえが俺たちに言ったこと、半分は本音だろ?けど、自分が弱ェのを俺たちの所為にしたのは思ってもない事だった。当たってるか?」
『…』
「ただ俺たちを遠ざける為に言ったことだろ?ついでに爆豪に言ったことは本音だった。」
『…答え合わせしようとしないで。』
「ガキの頃からずっとなまえの事見てきたから分かる。なまえが嘘ついてんのも、何か隠してんのも全部。」
『私に癖があるの?』
「それはわかんねぇけど、これはずっとなまえの隣を歩いてきた俺だけに分かるモンだって思ってる。たぶん…感覚だ。」
『ふふ、なにそれ?』
「不思議だよな?…だからなまえが爆豪の事が気になってんのも気づいてた。」
『…!そんな、私は…』
「わかるさ、ずっとお前だけ見てたから。」
『私だってずっと焦凍くんのこと…。』
「あぁ、ずっと両思いだった。替え玉見合いとかで別の男に嫉妬して、初めて自分の気持ちに気付かされた。なまえが俺に向ける視線を他の奴に向けて欲しくねぇって思った。だけど、気づいたら俺が欲しかったなまえの視線は爆豪に向き始めてた。」
『…』
「さっきみてぇに、なりふり構わず思ってる事ちゃんと言えてるなまえ…俺は結構好きだ。…俺に遠慮なんかせず、アイツが好きだって素直になればいい。」
ずるいよ…。そんな言い方。
嫌いにならせて、なんて言えなくなる。
『遠慮するなって言いながら、好きだなんて言わないでよ。』
「フッ…最後の悪あがきみてぇなもんだ。そのくらいさせてくれ。」
彼はやんわりと笑って私の頭を撫でてくれた。
抱きしめる事もキスもしないのは、"恋人関係の終わり"、"元通りの幼馴染の関係の始まり"を意味していた。
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