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なまえ side
あれ、ココはどこ…?…いったぁ…。
目を開けて視界に入ってきたのは薄暗い室内。同時にやってきた頭部への痛み。それを手で押さえようとするが、何故か自由に動かすことができず首を回して自分の手を確認した。
部屋のカーテンの隙間から差し込んだ夕日のお陰でうっすらと見えたのは、後ろ手にガムテープが巻かれている手首。それに縛られているのは手首だけではなく足首もだ。
なんでこんな事に?私、化粧をして会社へ行こうと家を出てから……
朝からの自分の記憶を辿っていくと、職場へ向かっている途中で後ろから誰かに殴られたのを思い出した。その上で今の状況を再度確認する。
窓も扉も閉め切られ、光はカーテンの隙間から漏れ出している夕日だけだ。部屋の中はよく見えないが、おそらく自分の部屋ではないだろう。此処から抜け出そうにも両手両足の自由を奪われた状態では困難だ。たとえ両足が自由だったとしても恐怖で震えたこの体では動けなかったかもしれない。
暗い…怖い…、どこなの此処は。どうしてこんな事になったの?
そんな思いが頭の中をひたすらループしていた。
そんな時ガチャリと扉が開く音がした。その音のする方へ視線を移すと同時に、室内の明かりが付けられた。突然やってきた瞳の奥に光が突き刺さる感覚に目を強く閉じた。そして瞳をその光に慣らすようにゆっくりと瞼を持ち上げていく。
目を開けて視界に飛び込んできた室内の景色に、『…え?』と声を出してしまった。
室内の壁にはポスターや写真、雑誌の切り抜きなんかが沢山張り巡らされていたのだ。私が驚いたのは、そのポスターなどの被写体が全て焦凍くんだったからだ。首を回して部屋一帯を見渡すが、全て焦凍くんの顔で埋め尽くされていた。
「やっと目が覚めた?」
私にそう声をかけてきたのは同い年くらいの女性だった。全く知らない人物だ。『…どなたですか?』と聞けばその女性は呆れたように笑ったあと、タバコに火をつけて私の方へ近づいてきた。そして私の前に腰を落として、フゥーッと息を吐いてタバコの煙を私の顔に吹きかけた。その煙から顔を逸らせば顎を掴まれ、再び正面を向かされる。
「誰って、部屋を見れば分かるでしょ?私はショートのファン。アンタにお願いがあってここに来てもらったの。」
『…お、ねがい…ですか?』
「うん。そう。アンタ、今騒がれてるショートの彼女でしょ?」
『…違います。』
「ハッ…嘘つくの?私見たのよ?アンタが街中でショートとキスしてるところ。」
『…』
「だからアンタの後を付けて家を見つけたの。あぁ、それでお願いってのはね、ショートの前から消えて欲しいの。ショートが誰か他の女のものになるなんて嫌なの。」
『…』
「ねぇ、消えてくれる?約束してくれたらアンタを此処から解放する。どう?」
何言ってるの?そんな条件飲むわけない。
そう言いたいのに怖くて声が出ない。
そう思わせる程に目の前の女性の目は冷酷さを放っていた。そして女性は言葉を続けた。
「いいじゃない。アンタは気付いてなかったけど、私あの日からアンタのこと監視してたのよ。そしたら驚いたわ。アンタ、ダイナマイトの事務所に入っていくわ、アンタの職場の前にダイナマイトが待ってて一緒に帰っていくわ…。」
『…っ』
「…キスもしてた。アンタみたいなふしだらな女、ショートにもダイナマイトにも不釣り合いよ。二人の格を下げないで。…とにかく、ダイナマイトの事は今はいいけど、ショートは駄目、許せない。だからショートの彼女なんてやめてよ。」
見られていた。この女性の言う通りかもしれない。
焦凍くんに好きだと言ってもらえる資格なんてない。焦凍くんだけじゃない、爆豪さんの横を歩くのだって私じゃ駄目なんだ。私みたいな平凡女が隣を歩いていい人達じゃないんだ。
…浮かれていたのかもしれない。優しくされて、好きだと言われて、自分が特別な人間だとでも思っていたんだ。
私が声を出せずにいると、女性は口から煙を吐き出した後「ねぇ、答えてよ。」と先ほどと変わらない、一定の冷たい声のトーンで話しかけてくる。
--♪-♪-
静寂を漂わせていた室内に不釣り合いな楽しげなメロディが鳴り響いた。…私のスマホの着信音だ。
その着信をとる事ができない私の代わりに、女性が私の鞄からスマホを取り出し再び私の前に腰を落とした。そしてスマホの画面を眺めながら口を開く。
「爆豪さん?…あぁ、ダイナマイトか。余計な事喋らないでよ?何事もないようにして適当に電話を終わらせて。アンタがさっきのを約束してくれるまで此処にいてもらわなきゃだから。」
女性はそう言って通話のアイコンをタップして床に置いた。
『もしもし…。』
「もしもしじゃねぇわ、ダチに心配かけさせてんじゃねぇよ。…今どこいんだよ。」
スピーカーにされたスマホから爆豪さんの呆れたような声が聞こえてくる。
『助けて』と言いたい。でもそんなことを言えば目の前にいる女性は私をどうするだろうか。そう思うと恐怖で声は震えてしまう。
落ち着け、落ち着け。なんとかして状況を伝えたい。怖い、ばかり思ってても此処からは出られない。落ち着け私。爆豪さんと会話を続けつつ頭では助かる術を探していた。
"恐怖"…。これだ。
そう思い私は自分を落ち着かせるのをやめ、歌を歌った。声は変わらず震えていた。
その瞬間にスピーカーからはガサッという何かにぶつかったような鈍い音が聞こえてきて、目の前にいる女性は自分の身体を強く抱きしめていた。まずいと思ったのか、女性は通話終了のアイコンをタップし、スマホを投げ飛ばした。投げられたスマホは部屋の壁に当たりガコッと痛々しい音を立てて床に落ちた。
「な…にをしたの!!言いなさい!」
私の胸ぐらに掴みかかって女性は凄まじい形相で問い詰めてきた。
やはりこの女性の反応的に、私の個性までは知られてないようだった。
目の前の女性にも私と同じ感情をトレースしてしまうのは確実だったが、爆豪さんに状況まで伝わるかは賭けだ。
どうか、この歌で助けを求めている事が伝わっていて…。
電話が切られてしまった以上、そう神頼みするしかなかった。
『言いません。』
「…アンタ自分の状況わかってんの!?」
私がもう一度歌を歌えば、女性はヒステリックに叫び、私の口にガムテープを貼ってきた。「少し黙ってて!」そう言って女性は部屋から出て行ってしまった。
と、とりあえずなんとかなった…。
そうはいっても、助かったわけじゃない。爆豪さんが状況を理解していなければ、こんなのはその場凌ぎだ。あの人が帰ってくる前に何か此処から出る策を考えないと。
−−−−
あれから10分ほど経っただろうか。先程の女性はまた部屋へと戻ってきて私と視線の高さを合わせて目の前に腰を落とした。そして同じようにタバコに火をつけたあと、私の口を塞ぐガムテープを剥がした。
「さっきの歌を歌ったらこのタバコの火をアンタに押し付けるから。…一生消えない傷にしてやる。」
『…』
「で、ショートの前から消える気にはなった?」
『…焦凍くんには、』
「やめてくれない?そのショウトくんって呼ぶの。ショートはショートなの。」
『…アナタの言う通り、私が隣にいるなんて不釣り合いです。アナタの言う通りにします。』
「へぇ?意外と素直ね?」
『でも…』
「なによ。」
『ヒーロー:ショートはアナタのものじゃありません。ヒーローだって好きな人くらいできます。だからもし、彼に大切だと言える人が出来たなら、それはファンとして…「うるっさい!」…っ』
「そういう綺麗事、大っ嫌い!本当、ムカつく!」
女性は私の胸の辺りのシャツを掴んで顕になった鎖骨付近に持っていたタバコの火を押し付けようとしてくる。
『…っ!』
私はギュッと強く目を閉じた。
ドカァッッッ_ドンッッ_
『!』
突然の大きな音に体がビクッと跳ねてしまう。閉じていた目を開ければ、ドアのところに爆豪さんが立っていた。部屋の奥からドアまで一直線だったためにその姿はよく見えた。ドアは蹴破ったのだろうか、廊下に倒れている。その床に落ちたドアを踏み倒して此方へと近づいてきた。
『熱ッ…!』
私も女性も突然の大きな音と共に現れた爆豪さんに見入っていた為に、女性の持っているタバコの灰が私の鎖骨あたりに落ちたのに気づかなかった。痛みがそれを知らせてきた。私が自分の身体についた灰を確認していると「きゃっ!」と女性の声が聞こえた。顔を上げれば、既に爆豪さんに捕らえられていて、暴れながら外に連れて行かれていた。
…助かった?
私が状況を整理しているほんの僅かな時間で、外は騒がしくなってくる。遠くからパトカーや救急車の音が聞こえ、段々と音が近くなってきた。
女性と共に外に出た爆豪さんが今度は一人で部屋に戻ってきて無言で私の方へと近づいてきた。
そして強く抱きしめてくれて、「分っかりづれェンだよ…!」と絞り出すように言った。その声を聞いて、一気に安心感がやってきて堪らず涙が溢れた。
『ぅっ…ぁ…ぅわぁああ…!私…こ、わくて…!』
「そんくれぇ、わぁっとるわ…あの歌声でそれだけは確かに伝わった。」
そう言って、爆豪さんは私の両手両足の拘束を解いて、また抱きしめてくれた。安心して再び震えている私を落ち着かせるように、そっと。
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