【相澤】ワンナイトドロップ(後編@)


相澤side

あれから数ヶ月が過ぎた。
寒かった冬を終えて、職員室から見える木の枝には桃色の花が付き初めていた。
あの日以来、彼女とは会っていない。

当たり前だ。彼女について俺は何も知らない。
連絡先も、勤務地も…。彼女がみょうじなまえという名であると言う事以外何も知らなかった。

「やぁみんなおはよう。」

職員室で各々朝の業務をこなしていた教師たちは、その声の主の方へと体を向け挨拶を返す。朝礼は校長が来ればいつも自然と始まる。今日もいつものようにこのまま朝礼が始まった。



「さぁ新年度が始まって大忙しだね。…No. 1ヒーローであるオールマイトが就任してからメディアの対応も増えてしまって申し訳ない。実は少し遅くなったけどもう一人ここに勤務する教員がいるんだ。」

校長はそう言うと職員室の外に待機させていたであろう人物に「どうぞ入って。」と声をかける。マイクが一歩立ち位置をずらして俺の隣に来ると、ポツリ「クラスの転入生みたいな紹介だな?」と声を漏らした。

マイクの言葉に特に返事はしなかった。…いや、する事ができなかった。
校長に呼ばれて職員室に入ってきたのは、自分がここ数ヶ月間探し求めていた人物だったからだ。
以前会った時には降ろされていた黒色のセミロングの髪の毛は今日はきっちりと後ろで一つに纏められているし、前回は眼鏡などかけてなかった筈だ。だが、その容姿は彼女に違いなかった。

「んえっ!?なまえちゃん!?」

今のは俺の声じゃない。マイクの声だ。「おっと…sorry…」と口を押さえた時にはもう遅かった。突然のちゃん付け呼びに職員室内に居た者全員の視線がマイクに集まっていた。彼女もまたマイクの姿を視界に入れていた。気まずそうに笑って軽く会釈をする。そして、その隣に立つ俺を見てバツが悪そうに視線を泳がせた。

校長は彼女とマイクを交互に見て口を開いた。

「マイクとみょうじ先生は顔見知りのようだね?」
「あーいや、俺だけじゃなくてイレイザーもで…。」
「そうなのかい?」

彼女は校長に尋ねられると笑って言葉を濁しているようだった。

「彼女にはリカバリーガールの補佐についてもらおうと思ってるんだ。…二人が知り合いだというならどちらか一人、彼女に校内の案内を頼めないかい?僕はこれから会議があるから。」
「そういうことなら俺が…。」
「…マイク、お前午前中は全部授業入ってるだろ。校長、案内は俺が引き受けます。」
「Oh Shit…!そうだったぜ…。…てかイレイザー!いつになく積極的じゃねぇか!?」
「…仕方ないだろ。お前が空いてないんだから。」
「なまえちゃ、おっと…、みょうじセンセー、イレイザーで悪い!」
『あ、いえ……。』

マイクに言葉の意味を問いただしたくなる気持ちを抑え、彼女に視線を移すと目が合った。…彼女は視線を泳がせ俺を視界から外した。

「それじゃあ皆んな、今日も一日よろしく。」

校長のその一言で朝の職員会議は終わるのがいつもだ。そして各々自分の仕事へと戻る。
俺も受け持ったクラスのホームルームの為に教室へと向かおうとした。その際に彼女の目の前で立ち止まり口を開いた。なるべく冷静に、平常心を保って。

「ホームルーム終わったら戻るんで、此処で待ってて下さい。」
『……』

彼女は俺と目を合わせる事はなかった。かなりの間をあけたあと、小さな声で『はい。』と返事をした。その返事を聞いて彼女の横を通り過ぎる。

「あの日みたいに逃げたら許さんからな。」
『…っ!?』

通り過ぎ様、彼女にだけ聞こえるようにそう声をかけると、彼女は今まで俯かせていた顔を勢いよく上げて俺を見た。

…そんな顔をされちゃ期待してしまうだろう。
彼女が頬を赤く染めるのを横目に確認して、職員室を後にした。



クラスでのホームルームを終えて(と言ってもほぼクラス委員長が進めた)職員室へと戻れば、彼女は俺の言いつけ通り自分の机の前に座って書類に目を通していた。

何気なくその横顔を眺めてやっぱり綺麗だな、なんて思う。彼女と話したのは数ヶ月も前のあの一夜だけ。それなのに、どうしてかこんなにも愛しくて欲しくて堪らなくなる。

今思えば、合コンというあの場で初めて彼女を見た時から堕ちてしまっていたのかもしれない。一目惚れをしたなんて柄じゃない。そんなのは自分が一番よく分かってる。だが、一度自分の中に芽生えてしまった感情はどうする事もできなかった。

「みょうじセンセイ…。お待たせしました。…行きましょうか。」

椅子に座る彼女ほ傍に立ってそう告げると、彼女は静かに立ち上がって『…はい、お願いします。』と答えた。彼女の返答を聞いて職員室を出て適当に校内を連れて歩いた。

授業で使うような教室なんかは生活していくうちに覚えるだろうから特に案内はしてない。職員が会議で使う部屋や、物品の置き場所、避難経路や立ち入り禁止区域なんかを教えながら歩いた。
初めは俺を警戒していた彼女だったが、一緒に歩いているうちにその警戒心は薄れていったように思う。…単に仕事のスイッチが入っただけなのかもしれんが…。
一通り案内を終えた俺は、彼女を空いている教室へ入るよう促した。後ろ手で教室の鍵をかけると彼女は『何故カギを…?』と顔つきを曇らせた。

今は1限目の授業中だ。使われてない空き教室に誰かが入ってくる事はないし、廊下を歩く人間もいないだろう。鍵をかけたのは今度こそ彼女を簡単には逃さない為だ。

何も言わず彼女との距離を詰める俺を見て、彼女は後ろへ一歩、また一歩と下がって行く。彼女の背中が窓ガラスに当たり逃げ場をなくしたところで、俺は窓ガラスに掌をついた。彼女の身体は俺と窓ガラスに挟まれて身動きが取れなくなった様子だ。

『あ、相澤先生…?』

俺の事を知らないフリをしてそんな呼び方をする彼女に苛立ちを覚える。
あの晩、散々甘い声で『消太さん』と呼んでおいてそれはないだろう。あの日の彼女の声が忘れられなくて、もう一度聞きたくて堪らなかったというのに。

「いつまで知らないフリをするつもりだ?」
『……何のことでしょうか。』

俺の問いかけに、彼女はバツが悪そうな顔をしてシラを切った。俺から視線を逸らす彼女の事が気に入らず、腰を折って自分より背の低い彼女と目線の位置を合わせて口を開いた。

「あの日、どうして何も言わずに俺の前から消えたんだ?そのクセ、何故今現れる気になったんだ?…俺とマイクが雄英の教師をしてるのは合コンで話題になったんだから知っていただろう。」
『…』
「貴女がこのまま黙秘を貫くつもりでも、答えを聞くまで逃がしてはやらんぞ。」
『…っ、一夜限りの関係だった筈です。』

黙ったままでは逃がしてもらえないと理解した彼女は観念したように口を開いた。

『ですから、あの日の事は全てなかった事にしてください。』
「…浮気をした例の男とヨリでも戻ったか?」
『馬鹿にしないでください。会社を辞める原因を作った男と復縁をする程落ちぶれてませんよ。…あの翌朝、あなたの前から消えた理由は自分がとんでもない過ちを犯したと思ったからです。貴方が雄英に勤務している事は確かに存じておりました。ですが、忘れていたんですよ。』
「はい?」

彼女はハァッ_とため息を落として言葉を続けた。

『貴方には申し訳ありませんが、此処に来て貴方の顔を拝見するまで、貴方が雄英で勤務している事もあの晩のことも忘れていたんです。』
「…」
『…お願いですから、あの晩の事は忘れてください。いいですか?私と貴方は今日初めて二人きりで話しました。そういう事にしてください。』

息継ぎもほぼ無しにペラペラと言葉を並べる彼女に、俺は返事をする事さえも許されなかった。全てを話し終えた彼女は、固まっている俺の腕からすり抜けて名残惜しさの欠片も出さず教室のドアの方へと向かって行った。

強気な言葉とは裏腹に、彼女は今にも泣いてしまいそうな顔をしていた。彼女が何を思っているのか、何と声をかけるべきなのか…、自分の横を通り過ぎて行く女の引き留め方すらも俺は分からなかった。

「都合が良すぎるんじゃないか?」

俺はキミを忘れられずにこの数ヶ月を過ごしたというのに。

伝えたかった本心は、黒い感情を纏って嫌味のような口調で口から出てきた。

『…そうですね。ごめんなさい。』

彼女は小さな声でそう吐き出して教室を出て行ってしまった。

一人残された教室で吐き出した溜め息は、一限目の終了を告げるチャイムの音に掻き消さされた。



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