ワンナイトドロップ(前編)


相澤 side

「消太ー、今日夜空いてるかよ。」

仕事の昼休み、職員室で隣の椅子に座るプレゼントマイク…本名、山田ひざしはスマホを眺めながらそう口にした。横目に見ると、オレンジのサングラスに隠されていた目が薄らと見えた。ほんの少しだけ笑っているような、浮かれているような…そんな目だ。。コイツとは腐れ縁だ。高校からの付き合いで、プロヒーロー、高校教師…と、職業まで駄々被りな上に勤務先まで一緒で仕事の席は現在隣同士だ。縁が腐るにも程があるというモンだろう。

コイツからの問いかけに、どうせいつものように酒の誘いだろうと思って「空いてるよ、」と気怠げに答えると「マジ?」とサングラスの奥の目を輝かせたように見えた。

たかが飲みの誘いくらいで…と思ったのに、この男は俺が予想もしてなかった事を口にした。

「じゃあよ、今日合コン付き合ってくんね?」
「は……?」

マイクに睨みを効かせながらそう言うとコイツは「あ、いや違うんだって…!」と慌てた様子を見せた。そして今の今まで目にしていたスマホの画面を俺に見せながら口を開いた。

「俺がやってるラジオあるだろー?その事務所の女の子が合コンセッティングしてくれたんだけどよ…、急に一人女の子側増えたらダメかって来ててさ。ダメとは言えねぇしよ…。」
「知らん。断れよ。そういうのなら俺は行かん。」

ピシャリとそう返すと、山田は「消太ー頼むって…!」と顔の前で両掌を合わせてきた。仕事中には「イレイザー」と、俺のヒーロー名で呼ぶコイツが消太と呼ぶのは休憩時間だけだ。

山田はお人好しだ。人との縁を大事にしているからこそ、どんな誘いも断らない。だから色々な所で付き合いがあって知り合いが多い。狭い世界で生きる俺とは正反対の広い世界を見ている人間だと思う。…その性格は良くも悪くも今まで何度も俺に影響を与えてきた。高校時代の人付き合い、「イレイザーヘッド」というヒーロー名は良い影響のうちに入る。今日みたいな飛び火のようなおおよそ自分には似つかわしくない「合コン」というものの誘いは悪い方だ。初対面の人間と関わりを持つなど面倒極まりない。…ましてや女となると余計に面倒だ。

頑なに拒否をする俺に山田はある条件を出してきた。

「座ってるだけでいい!お前はただ座ってるだけでいい!…今度奢るからさ…!」

その言葉に俺は息を一つ吐き出した。

「…座ってるだけだからな。あと、約束はちゃんと守れよ。」

そう言うと、山田は「おっしゃ…!」と再び目を輝かせながらスマホに視線を戻した。…女から届いていたメッセージに了承の返事でもしてるんだろう。

−−−−

その日の夜_

俺は昼間に誘いを受けた合コンとやらに来て、8人がけテーブルの端で静かに座っていた。山田に言われた通り、ほとんど喋らずただ座ってるだけでもこういう場は好きになれない。メンバーは山田と、山田と事務所が同じの男二人、そして俺。女側の自己紹介など、ほとんど聞いちゃいないが、まぁその関係の女達なんだろう。…さして興味が無かった。だから暇つぶし程度に山田と、もう二人の男の視線を追ってどの女が狙いなのかを観察し始めた。

山田の隣に座る男の狙いは、俺の対角線上に座る化粧の濃いめの女だろう。端に座る男の狙いは俺の真向かいに座る女。…そして山田の狙いもまた、俺の真正面に座る女だろう。この時初めて向かい側に座る女連中の顔をハッキリと見た。真ん中に座る女と、俺と対角線上に座る女からは同じような雰囲気がした。だが、俺の真正面に座る女は三人とは雰囲気が違うように感じた。男に媚びるような胸元の開いた服を纏う二人とは違って、彼女はこの冬の季節に見合った首まで隠れる黒色ニットのタートルネックを纏って、ビールジョッキを片手にしていた。艶のある黒色の髪の毛はきちっと手入れが行き届いているのだろう。真っ直ぐに顔の横に降りたセミロングの一束を耳にかけると、耳たぶの上でキラリと一粒の石が光る。じゃらついた飾りを身につけず、そのさりげない輝きを付けているのが彼女の清廉さを際立たせた。彼女は自ら話題を提供したりなどしないが、話を振られればニコリと笑って答える。彼女に見入っていたのは一目惚れしたとか、そんな甘い響きのモノじゃない。ただ、山田が何故彼女の事をえらく気に入っているのかが気になっただけだ。…彼女を見ているとすぐにその疑問の答えが出た気がした。山田本人はチャラチャラしてる割に、存外“普通の子”を好きになる。そして、決まって芯の強そうな人を。彼女は俺の中で、山田の理想にピタリと当てはまったのだ。

「みんなの好きな男のタイプはー?」

実際にはただ一人の答えが聞きたいだけだろうに、山田は他の男共の為にもこの場でそれを聞いた。他の女連中の答えなど興味はなかったが、なんとなく彼女の答えを聞きたくなっている自分がいた。
彼女は自分の答える番がくると、目を細めて寂しく笑ったように見えた。そしてジョッキに口を付けて、中身を一口喉に流すと、笑って答えた。

『かっこいい人、ですかね。』

意外だった。
こういう時って“優しい人”とか“気配りができる人”とか具体的な答えが返ってくるモンだと思ってた。だが彼女の答えはあまりにも抽象的だと思えた。適当に答えてるようにも見えない。
ニコリと笑顔を向けられてそう言われた山田はきっとすっかり彼女に落ちただろうな、なんて思った。

彼女は静かにテーブルの上にジョッキを置くと、腕にしていた時計に視線を向けた。

時刻は22時を回った所だった。この会が開かれて既に2時間が経とうとしていたのか、と俺は単純に驚いたりもした。そんな彼女を見てか、俺の隣に座っていた山田が場の雰囲気を壊さぬよう、いつものように調子良さげに口を開いた。

「そろそろ良い時間じゃねぇかー!お開きとしますか!」

「えー、」と口を尖らせる女連中の中でただ一人だけ、俺の真正面に座る女だけが、『ご馳走さまでした。』と律儀に目の前の酒や食い物に手を合わせていた。それを見て、特に気にいる男が居なかったんだなと思うと同時に山田に同情した。

会計を済ませて帰ろうとすれば、店を出た先でどの男がどの女を送って帰るか、という話になった。…どうでもいいから早く帰らせてくれ。
そう思って山田に「俺はこれで帰るからな。」と言って自宅の方向へと足を進めた。背後で山田が「あっ消太ー!」と叫ぶ声が聞こえた。…辞めてくれ、外で名前を叫ぶなよな…。まったく…。

何もしてないがこういう事はもう御免だ。たかがタダ酒一回の為に安請け合いするモンじゃなかったな…。まぁ、酒は飲めたし、次はアイツの奢りだ。

『あ、あの…!』

背後からそう声をかけられて、名前も呼ばれてないのに自分を呼んでいると分かった。たぶん、その声はつい先ほど耳にした声だったからだ。振り返ると、酒の席で俺の真正面に座っていた女が立っていた。

「…なんでしょう。」
『私もこっちなので、ご一緒にどうかなと思って。』
「…」

ニコリと笑う彼女を見て、一瞬彼女を見ていた同僚のことが頭に過ったが、戻れと言うのも変な話だし、もしかしたら山田は既に誘って断られた後なのかもしれない。
帰路を辿るだけだ、どうってことないだろう…。
そんな思いから彼女には「ご勝手に。」とだけ呟いて前を向き直した。

彼女は俺の横を歩きながら『相澤さん…でしたよね?』と首を傾げて見せた。

「はい。」
『今日はどうして来られたんですか?女性になんて興味なさそうなのに。』
「…人数合わせみたいなモンですよ。」
『あら、それじゃあ私の所為で連れてこられた方ですね?』
「はい?」

聞けば、彼女は今日友人に誘われ急遽参加になった本人だったようだ。まさに彼女こそが俺が参加する羽目になった原因だったのだ。彼女は『ごめんなさい。』と謝ると、何かを考えた後、ちょうど視界に入ったであろうコンビニを指差して『ちょっと寄ってもいいですか?』と言って笑った。…俺に許可を得るところからして、待ってろ、という事だろう。

コンビニの外で数分待っていると、彼女は小さめの袋を持って出てきた。そして今度は向かい側にある公園を指差して『ハシゴしません?わたしの奢りです。』と悪戯っ子のようにニッと笑った。

彼女の言葉の意味は始めこそ意味がわからなかったが、公園のブランコに座らされ、コンビニの袋から出したものを手渡されて、彼女の言った事を理解した。俺の手に渡されたのは缶ビールだった。

隣のブランコに座る彼女はプシュッ_とプルタブを開けて俺の手にある缶と合わせてきた。

『かんぱーい!』
「…なんですかコレは。」
『私の所為で行きたくもない場所に行かせたようなので、そのお詫びですよ。』
「…」

彼女はそう言うと缶ビールを一口呑んで『やっぱり外で呑むビールは最高ね、』と呟いた。心なしか、先程の場よりも楽しそうに呑んでるように見えた。俺はそんな彼女に抱いていた疑問をぶつけた。

「そちらこそ、飛び入り参加の割にあまり男には興味なさそうでしたが?」
『あはは、バレてましたか。相澤さんよりは上手く場に溶け込んだと思ったんですけどね?…ただの傷心飲み会として強引に誘われただけですよ。』
「傷心?」
『先月、付き合ってた彼にフラれたんです。それを今日友人に話したら「恋の傷を癒すのは新しい恋だ」とかなんとかで、いつの間にか参加者になってました。まぁ、彼女には悪いけど、もう恋愛は懲り懲りなのでお酒の席として楽しませてもらいましたけどね。あ…こんな事言ったら飛び火を食らった相澤さんにも悪いですかね?』
「…いえ。…どうしてフラれたんですか?」

そんな事を聞くなんてどうかしてると思った。彼女も驚いたようで目を丸くして俺を見た。
酒が入ってる所為もあるだろう。だが、なんとなく気になった。見た目に気を使わない俺が言うのもおかしな話だが、彼女の容姿は良い方に入ると思う。それに、興味もない飲み会だと言うのに場の雰囲気を壊さぬように繕って周囲にだって気が使えるし、こうして火の粉が飛んできた俺にまで“お詫び”だと気を遣える。…これに関しては半ば強引だが。とにかく彼女は、女に無頓着な俺の目から見ても素敵な女性の部類に入ると思った。だから気になったんだろう。

何も答えない彼女に「野暮でしたね。」と言うと、
彼女は缶ビールを静かに地面に置いてゆっくりとブランコを漕ぎ始めた。静かな夜にキィっと鉄の錆びれた音が響いた。

『酔っ払いの独り言ですけど…』と言って彼女は話を始めた。

『仕事が恋人なのかって言われたんですよ。大きな契約を任されていたし、もともと仕事は好きだったしで仕事ばかり大事にしてて、彼との時間を作れてなかったんです。その間に彼は社内の同期の女の子と浮気。…漫画みたいで笑っちゃいますよ。』

あはは、と笑う彼女の声は寂し気で、笑ってる顔なんて想像もできなかった。

『恋愛経験の少ない30間近の女は、“仕事してる姿が素敵です”って歳下男子に口説かれるだけでコロッと落ちて、フラれた理由にも仕事が入ってるだなんて、可笑しな話です。それから“セックスがいまいち”とか“キスが下手”だとか浮気相手の女性が変な噂まで流し始めて、私は会社を出ていく羽目にもなるし…ほんと人生どん底ですよ…アハハ…。』
「…被害者である貴女が何故出ていく必要が?戦おうとはしなかったんですか?」
『抗議しましたよ。セクハラ行為とも取れるソレを黙っていられる程、冷静でもありませんでしたし。…でも彼女、大きな取引先の娘さんでしてね。私が上司に宥められる始末です。元彼は彼女にゾッコンで、居場所がどこにもなくなってしまったんですよ…。ハハ、』
「…」
『縁がなかったんですよ。恋愛にも、仕事にも…。またゆっくり何か仕事探します。』

ふう、と息をひとつ吐くと、彼女は缶ビールを手にしてまだ言いたげな愚痴をビールと一緒に身体に流し込むように喉を鳴らした。
月の青白い光を浴びると色の白い彼女の肌はこの夜に溶けてしまいそうな程儚く俺の目に映った。

「…好きだったんでしょう?そんな男でも。」

そんな質問をしてしまう事に自分でも驚いた。彼女は少し間を置いたがすぐにヘラリと笑って『そうですね。』と答えた。

『一番カッコよかったんですよ。うまくいかない時に慰めてくれたり、自分に出来る事なら手伝うと言って助けてくれる彼がかっこいいなぁと思ってました。』

“かっこいい人が好き”
そう言った彼女の声やその時の表情をハッキリと思い出した。抽象的だなと思ったその言葉が、今は具体的だと思えた。
この人は今でもその元彼が好きなのか。

『忘れたいと思うのになかなか上手く行きませんね。…って、私初対面の方になんて話してるんでしょうね?…まぁ今日限りの付き合いなので許してください。』

あはは、と自分の心を誤魔化すみたいに笑う彼女の顔はやっぱり少しだけ寂しそうに見えた。彼女はきっと俺と別れた後にはその元彼を思い出すんだろう。そして俺と酒を呑んだことなど忘れて、明日からも普通に生活をする。
そう思うとなんとなく嫌だなと思うのはきっと俺が酔ってるからだ。
彼女はブランコから立ち上がり『帰ります。』と言って、俺の前を横切った。俺が彼女の手首を掴んで引き留めると、彼女は不思議そうな顔をして俺の顔を覗き込んだ。

『相澤さん?』

…まずい、言葉よりも先に体が勝手に動いてしまっていた。なんと声をかけようか酒が入って思考の働きが鈍い脳を回らせて言葉を口にした。

「…協力しましょうか?その男を忘れる事。」
『え?』

あぁ、ダメだ。相当酔いが回ってるんだろうな。こんな事を口にするなんて。

「こうして友人から参加を強いられた者同士が一緒に酒を飲み交わした縁です。俺でよければ何か手伝いますよ。」

面倒事はごめんだ。
それが俺の性分だ。この日はいつもとは気分が違っただけだ。

彼女は俺の提案に今にも泣いてしまいそうな顔をした。そして下唇を内に折り込んで見せたかと思うと、俺の耳元に唇を寄せて、囁くように返事をした。

『抱いてもらえませんか。今夜限りの付き合いで。』

そう言う彼女の声は、
甘く誘うでもなく、ただ救いを求めているように聞こえた。



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