【轟】宝石の涙


(プロヒ設定)
轟 side

『死んでしまいたい。』

俺の目の前で身体を三角に折り曲げて女性ははそう言って涙を流した。普通涙が床に落ちても音なんかしないのに、彼女の涙はコロン_と音を立てて床に落ちた。

【自身の涙を宝石にする】これが彼女の個性だった。彼女の涙は、自分の持つ感情によってその宝石の色を変える。
悲しみの涙ならば、深い海の色をしたサファイア、寂しさの涙ならば、空のような色をしたアクアマリン、怒りのこもった涙ならば血のような色のルビー…とまぁ、こんな感じで様々な宝石を生成するようだ。とても綺麗な個性だが、俺と出会ってからブルーのサファイアばかりをその瞳から落とす彼女を見ていると、綺麗だ、という感情だけでは済ませることが出来なかった。



そもそも俺と彼女が出会ったのは2週間前だ。この日は事務所に届いた依頼の為に"裏オークション"会場に来ていた。なんでも、あるビルの地下で秘密裏に行われているオークションでは人身売買がされているという。今回課せられたミッションは、その全貌を暴き主催者やその関係者も含め一網打尽にせよという内容だった。裏社会に繋がりのある犯罪者リストを手当たり次第にあたり、会場への入り方や直近の開催日時を聞き出し潜入に成功した。

まずは情報を得る為、参加者数人からこのオークションについて話を聞いた。しかし大した情報は得られなかった。そこで、俺がオークションで一人の人間を買えば裏事情も探れるんじゃねぇか?という考えに至った。自分がとんでもない事をしようとしているのは分かっている。だが、それが一番手っ取り早く、この場の誰からも怪しまれる事なくスムーズに解決への糸口を掴めると思ったのだ。

ピエロの面を被ったなんとも怪しげな司会者がステージに登壇して始まったオークション。競にかけられるのは事前に聞いていた通り、珍しい個性持ちの人間ばかりだった。鉄格子の中に入れられた人間がステージ上に置かれ、値段が付けられては退場し、また次の人間の入った鉄格子が置かれる。鉄格子の中に入った人間の表情に生気がないのに反して、ピエロの面を被った司会者の男は興奮状態にあるのが、なんとも異様で胸糞悪い気さえした。

たった今落札された人間がステージから退場させられ、次の人間が運び込まれた。ステージ中央に置かれた鉄の檻に入っていたブロンドヘアの女性のグレーの瞳と目が合ったような気がした。俺よりも少し若いくらいの年齢だろうか。

「さぁさぁ、この子を買って貴方も億万長者に!彼女の瞳から溢れる涙は宝石になりますよ!」

ピエロの男がそう言って、彼女に値段が付き始めると、彼女はそっと目を閉じた。この世の全てに絶望したような彼女達をこれ以上この場から見る事は俺にはできない。

そんな思いから彼女に多額の値段をつけて、俺は彼女を"買った"。



主催者から彼女を引き渡され、俺は家へと連れ帰った。家に帰る車の中でも、家についてからも彼女は口を開かなかった。畳の上に座り込む彼女の前に腰を落として、「俺はヒーローだ。キミを助けるから安心してくれ。」と言うと、彼女は初めて俺をその瞳に映した。そして軽蔑するような目をして口を開いた。

『ヒーローなんて大嫌い。』

そう言って目から溢れ出た涙をブルーの宝石へと変えポト、ポト_と畳の上に落とした。「なんで嫌いなんだ?」と聞けば、彼女はどこに仕込んでいたのか、カッターナイフを手にしてその刃先を俺に向けて口を開いた。

『私は貴方達ヒーローに助けてもらえた事なんて一度もないもの。私は金の欲に塗れた人間の為に泣いて、私を売り飛ばしてまた金にして、私は何度もあのオークションに賭けられた。貴方のようなプロヒーローは、オモテ社会では英雄と持て囃されてようが、ウラ社会では無能よ。』
「今から助ける。」
『だから、これまで一度も…!』
「悪かった、気付けなくて…。」

ひたすらブルーの宝石を目から溢す彼女に近づけば、彼女はカッターナイフを滅茶苦茶に振り回した。それに構わず彼女を抱きしめると、彼女は手にしていた凶器をポトっと畳の上に落とした。
どれほど辛かっただろうか。たった今俺の頬に付けられた傷の痛みなんて比にならない程、彼女の心はズタズタだろう。俺の腕の中で彼女は嗚咽を始めた。そして『助けてくれるんだよね、』と俺に確認してくる彼女に対して俺は「あぁ、勿論だ。」と返事をした。彼女は俺に縋りついたまま、ひたすら畳の上にはブルーの宝石を落とし続け、ゴクリと息を呑んで震える声で言葉を発した。

『私を、殺して…。それで私は助かるから。』

−−−−

あの日以来、彼女は俺の家に居る。最初の頃はほとんど口を開かず、たまに口を開けば、『殺して』や『死んでしまいたい』と言う。彼女にその言葉のワケを尋ねれば、彼女のこれまでの人生は、人に買われて、暴力で泣かされて、ある時は攫われてまた売られるという悲惨なものだったと言う。それを思い出す度に心が蝕まれるのだと。だから生涯を閉じたいのだと言う。

俺の家に連れてきてからというもの、彼女が俺に見せる涙の宝石はいつもブルーのサファイアだ。だんだんと俺への警戒心も薄れてきたのか、時にはぎこちなくだが、穏やかな表情を見せてくれるようになった。裏オークションの全貌を明らかにする為に連れ帰った筈なのに、いつしか俺は彼女に楽しい思い出を作ってやろうと思い始めていた。『死にたい。』ではなく『生きたい。』と思って欲しかった。勿論、依頼の件も忘れてなんかない。ただ、今の彼女に裏オークションの事を聞くのは酷だろう。

「なまえ、今日は早く帰ると思うから、帰ったら美味いモノでも食いに行こう。」
『…』
「蕎麦好きか?」
『……』

彼女は何も言わなかったが、コクリと頷いてみせた。布団の上に座り込んで、その身体に余る程の大きさの俺の服を纏っている彼女に「約束だ。」と言って自宅を出た。
こんな風に毎日を共に過ごして、出かける時には約束をするなんて事をしていると彼女が恋人にでもなったのかと錯覚に陥る。彼女の寂しさに寄り添っているうちに、時折見せる穏やかな表情に安心感を覚え、気付けば俺の中に愛情を生んでいた。共に過ごす日々は苦しかったが、同時に彼女が愛しくもあった。



仕事を終えて自宅に戻ると、扉を開けた瞬間に嫌な予感がした。家に帰ってきて室内が真っ暗なんてのは当たり前だった筈なのに、なまえがここに来てからというもの、必ず俺が帰ってくる時間は電気が付いていた。それなのに今日は全ての部屋の電気が付いておらず、ブレーカーでも落ちたのかと思わせるほど、室内は静かに感じた。

いつもなまえが過ごす部屋へと入れば、窓が開いていて夜風が室内に吹き込んでいる。風の所為にするには荒れすぎた室内を見渡し、なまえの姿がない事で一気に全身の血の気が引いたような気さえした。

慌てて窓に近寄り外を見れば、大きな袋を肩に担いだ男が視界に入った。

アイツか…!

俺は考えるまでもなく、その男を追いかけた。追いかける最中、どうかなまえが無事であってくれ、と切に願っていた。自分が買った女性だから責任を持って…とかそんな責任感なんてものは一切無くて、ただ、俺の知らないところで悲しい涙を流して、人間の欲に怯えて体を震わせていると思うと胸が痛かった。

逃げる男に追いついて足場から体全てを凍らせて男の動きを封じた。男が担いでいた袋は凍らせないように調整して。
男から袋を取り上げ中を確認すれば、そこには思った通り眠った状態のなまえが入っていた。

ホッと安堵しながら、警察に連絡していると、彼女を攫った男は「まさか、プロヒーローに買われていたとは…」と観念したように大きなため息を落とした。

警察が駆けつけて、男の身柄を引き渡し、今日のところは帰らせてもらうことにした。攫われた本人も眠っちまってる以上、事情聴取なんてのは無理だからだ。それにしても逃げ足の速い男で、家からはだいぶ離れちまったな、なんて思った。

俺の背に乗って規則正しく寝息を立てているなまえの体をあまり揺らさねぇように注意しながらゆっくりと帰路を辿った。



『嘘つき…。』

家について、目を覚ましたなまえは俺を睨みつけながらそんな言葉を口にした。

「すまねぇ、助けるって約束したのに危険な目に遭わせたな。」

俺を睨み付けてくる彼女に対して素直にそう詫びた。だが、彼女は首を横に振った。

何が違うというのだろうか。危険な目に遭わせた事以外に、彼女の瞳から青と赤の宝石が次から次へと溢れ出る理由が俺には見当もつかない。「何が違うんだ?」と問えば、彼女は自分の目の前に置かれたコンビニの袋を指差した。そこには、俺が夕飯にと思って買ってきた数種類のむすびやパンなんかが入っていた。彼女が何を言いたいのか分からず「食べたいのがないのか…?」と更に聞くと、彼女はゆっくりと口を開いた。

『美味しいモノ、食べるって約束しました。蕎麦、食べるって。』

俺はてっきり、助けると約束をしたのに、また怖い思いをさせちまったから、彼女は出会った日のように『無能だ』と俺を罵ると思っていた。だから全く予想もしてなかった彼女の発言に俺は拍子を抜かした。
「悪い…。店閉まっちまってたんだ。」と謝罪をするが、彼女は俺を睨みつけたままだった。そんな彼女に俺はフッと笑いを漏らしながら口を開いた。

「ちゃんと我儘が言えるんだな。」
『…我儘なんて言ってませんよ。私は"嘘つきさん"に嘘つきと言っただけです。…あの、何がそんなに可笑しいんですか?』
「いや、すまねぇ。そうやって我儘を言ってくれる方が要求が分かりやすくて助かる。…明日こそ、蕎麦食いに行こう。約束だ。」
『……』

彼女はいつものように瞳を伏せて何も言いはしない。

彼女がその瞳から青色や水色の涙を溢す理由も
それと同時に下唇をキュッと強く噛む理由も
…俺には分からなかった。



その晩、さぁ今日はもう寝ようという時だ。
いつも俺とは別室で眠らせていた彼女が枕を持って俺の元へと来た。その身にはいつものように俺の服を纏って。先ほどの事もあってか、一人で眠るのが怖くて仕方ないという様子だったから俺の手首を縛るという条件で隣で眠ることにした。『助けてもらった方を縛るなんて…』となまえは躊躇った。だが、俺は男でなまえは女だ。俺が彼女にそんな気を起こさないという保証はどこにもない。…少しずつ彼女の心に惹かれている自分がいるのも事実だった。だから「いや、俺から頼みたい。」と彼女を説得し、なまえは『ごめんなさい。』と謝りながら俺の両手首を縛った。

最初はなんとも思っていなかったが、なまえに自分の服を着せたのは失敗した、と今なら思う。意中の相手がその身に余るほどの自分の服を着ているというのは、それだけで彼女を自分色に染めているようで支配欲が刺激される。

服、買ってやらねぇとな…。
と、今更ながらそんな事に気づく。

なまえに俺の手首を縛らせ、背を向けて目を閉じた。すると、少ししてシーツの擦れる音がしたかと思えば、背中に温もりを感じる。「眠れないのか。」と言って体を反転させようとしたが、彼女が俺の背にピタリと体をくっつけている為にそれは制された。

『……ピエロ。』

彼女は確かにそう呟いた。

ピエロ…?なんのことだ?
そう考えていると、彼女は更に静かに言葉を続けた。

『あの裏オークションに関係する人間はみんなピエロのお面を着けてました。司会者だけじゃなくて、みんな。…何度あのオークションに出品されても、それだけは変わらないから覚えています。』
「…っ、…なんで今それを話そうと思ったんだ?」
『この家に一人でいる間に、貴方の仕事部屋で捜査資料と書きかけの報告書を見ました。……私を"買った"理由も知りました。』
「…」
『……裏オークションを組織ごと潰して、蕎麦を食べる約束を果たしたら?…私は、何処に行けばいいんでしょうか?』

言葉を詰まらせながら、でもハッキリと彼女は俺にそう尋ねた。

『私は小さい頃からあのオークションと誰かの家の往復なので、残念ながら私の帰る場所はありません。…皮肉にもあの裏オークションが私のホーム、と言わざるを得ないのが現実です。』

彼女の口から出る残酷な言葉に、あのオークション会場で感じた憎悪感や嫌悪感が再び俺を襲った。

そしてこの言葉で、初めて彼女の本心が垣間見えたような気がした。

俺が彼女に歩み寄る度に、彼女が涙を流す理由も、
『生きていたくない』という理由も
下唇を強く噛む理由も
少しだけわかった気がした。

一人になるのが怖くなって、帰るべき安心できる場所がなくて、でもそれを誰の所為にしていいかも分からず悔しくて…。

彼女の言葉があまりにも重く、悲しくて、「彼女に触れない」なんてのは到底無理で、自分から頼んで手を縛らせた事など忘れて自らの手首をキツく縛っていた部分を個性で凍らせて力任せに壊した。そして彼女と体を向かい合わせて小さな体を強く抱きしめた。抱きしめた体は思っていたよりもずっと小さくて細くてすっぽりと俺の体に収まった。

『…っ、手首…。』
「悪ィ…。けど、こうしとかねぇとお前がどっかいっちまいそうだったから。」
『…』
「俺は、お前を罪人を捕える道具だなんて思ってない。…初めて見た時は、あのステージに置かれたお前達を助けたいと思った。あの会場でお前の目が助けを求めているように見えたから"買った"のは事実だ。でも今は助けたいって気持ちだけじゃねぇ。」
『…』
「お前にちゃんと生きたいと思わせてぇし、笑って欲しい。お前が苦しんできた分…沢山悲しい涙を流してきた分、笑わせてやりてぇ。だからずっとここに居ればいい。」

辛い記憶ばかりの彼女に「生きたいと思え」など、酷な事を言っているなと自分でも思う。これは完全に俺のエゴだ。それでも、伝えたかったし、彼女のツラいも悲しいも、楽しいも共有していきたいと思った。
俺がそう言うと、なまえは顔を胸に埋めたまま『…今日みたいな面倒事が起きますよ。』と言った。その言葉に俺が迷いもなく「それなら余計に俺から離れねぇで欲しい。その方が助けやすい。」と返せばなまえは俺から体を離した。そして穏やかで、少し困ったような顔を見せて口を開いた。

『それは、ヒーローとして言ってますか?』
「ヒーローとして…いや、俺の私的感情も挟んでるか…?」
『私的感情って…。』
「とにかくお前の帰る場所は此処でどうだ?俺は歓迎する。」

彼女はまた、いつも通り瞳を伏せた。
だけど、その閉じた目から溢れた宝石は、いつもの青色や水色ではなくて
雪の結晶のように優しく煌めくダイヤモンドだった。

涙が流れたかと目を疑うほどに、透き通った輝きをポロポロと溢す光景があまりにも綺麗で、『はい。』という彼女の言葉を聞き届けると同時に、俺は彼女の目元に唇を落とした。

彼女が"幸せの涙"を沢山流せますようにと強く願って。
fin..



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