同棲中:ホークスと仲直り


なまえ side

繁華街から外れた静かな通り、その狭くて暗い路地裏の端で私は一人体を丸めて座り込んでいた。人通りの少ないこの場所は、暗闇と静けさで不気味に感じてもおかしくない筈なのに、今の私にはこの不気味な程の静寂は心地が良く、自らの乱れた心を落ち着けるのに丁度よかった。

私は啓悟を置いて家を出ていた。

女性の匂いを連れ帰ってきた啓悟が悪い。
私は仕事から帰ってきて、彼に喜んで貰えるように夕飯を作って待っていたのに、いつもより遅く帰ってきた彼は女物の香水の香りを体に纏っていた。
…甘ったる過ぎずほんのりと柑橘系の爽やかな香りを隠したイイ女の匂いだったから余計に腹が立ったし、悲しくもなった。

帰宅して私の体を抱きしめ「ただいま。」と言ってくる啓悟に一瞬だけ感じたときめきは、その香りの所為で一気に嫉妬心へと変わった。

『…随分と魅力的な女性と会ってきたようで?』

嫌味ったらしくそう言うと、彼は「勘弁してくださいよ。なまえさんしか居ませんよ、そんな人。」とヘラリと笑って見せた。啓悟はいつもこうだ。ヘラヘラと笑っている所為で本心が分からない。
…ヒーロー活動の中で救助した女性の香りかもしれない、そう思うようにしても自分の中に湧く黒い感情は収まることを知らなかった。彼はかっこいいし、No.2ヒーローだ。かなりモテるし、私なんかじゃ釣り合わないこともよくわかってる。だからこそ、このフローラル系の香りの女性となら釣り合うのかな?と考えてしまう自分がいる。

私は彼の腕から抜け出して『先にシャワー浴びてくる?』とお風呂場へと促した。啓悟でも自分のものでもないこの甘い香りにいつまでも包まれているのは気分が良くない。

そして彼が私の言った通りにシャワーを浴びている間に、私は気分転換にと外の空気を吸いに行ったというワケだ。

そろそろ帰らないと心配をかけてしまう。だけど帰ったらなんて言おう。あの香りの存在を問い詰めるべきか、何でもないフリをするか…。

考え始めると腰は上がらなくなってしまう。ため息を一つ落とし、またその場で体を丸め込んだ。

「なまえさん見ーっけ!」

聞き慣れた声が聞こえる。そして顔を上げると同時に腕を引かれ、私の体は抱き止められた。

あ…いつもの啓悟の匂いだ。

先程までの女性の香りは消えて、すっかりいつもの啓悟の匂いに戻っていた。…落ち着く。その胸に顔を埋めると、私の体に回された腕の力は強くなる。

「…勝手に居なくならないでもらえます?」
『…』
「好きな人が突然居なくなる辛さ分かんないでしょ。」

そう言う啓悟の声はいつになく余裕はなさげでヘラヘラと笑ってる顔なんて想像がつかなかった。力なく「俺の前から消えた理由を教えてくれません?」と言う啓悟に私は『貴方が連れて帰ってきた香りが憎らしかっただけ。』と呟いた。

「…気に入りませんでした?あの匂い。」
『当たり前でしょう。上品な香りに敗北感しか湧かなかった。』
「あれ?上品な香りってことは気に入ってくれてます?」
『…怒るよ。』
「怒らないでください?話は最後まで。」
『…』
「なまえさんに似合いそうな香りだなと思ってプレゼントに買ってきたんですけど。」
『プレゼン、ト…?』

記念日はまだ先だし、私の誕生日はもう済んだし…

彼は私の体を離してクスと笑ったあと、そんな私の考えを見透かしたかのように「好きな人にはいつでも贈り物をしたくなるモンですよ。」と言った。そして「ちなみに…」と言葉を続けた。

「香りを贈る行為ってどんな意味を持つかご存知です?」
『ううん、知らない。』

私がそう答えると、彼は再び私の体を抱き寄せた。

「"独占欲"」

私の耳元で囁くようにそう言うものだから、心臓は高鳴った。耳に息がかかると体はピクっと跳ねてしまう。きっと私の体に腕を回す啓悟にそれはバレていただろう。そして私の耳から顔を離した啓悟はニコリと笑って「帰りましょうか。」と言って私の体を抱えて紅の翼を羽ばたかせた。

−−−−

帰宅して夕飯を食べた後、私はシャワーを浴びた。お風呂から上がるとソファに座っていた啓悟に手招きをされ、彼の膝の上に座るように促された。頭の上に疑問符を浮かべながらも言われるがままに膝の上に腰を落とすと、彼は私の背中にピタリとくっついてきて私の体を包み込んだ。そして「お風呂上がりの匂い消しちゃうの勿体ないけど…」と言いながら、帰宅後に手渡された香水を手に取り、箱から出し始めた。

『ねぇ、啓悟?お風呂出たのになんで香水なんて。』
「なまえさんには明日からこの香りで俺のこと思い出して欲しいんで!」
『…言ってる意味がよく分からないのだけど…?』

全身を綺麗に湯で流したというのに、啓悟は私の手首の内側に香水を垂らして両手首に馴染ませたあと耳の後ろへと当てさせた。彼に両手を掴まれ、されるがままに操られる様はまるで子供のようだ。

それにしても、あとは眠るだけだというのに香水なんて付けて何がしたいんだろうか?私は彼の行動の意図が分からずにいた。

耳の裏にも香りがつくと、手を下ろしても鼻腔を甘く上品な香りが掠める。こんなに素敵な香りを啓悟が自分のために選んでくれたのだと思うと口元が弛んでしまうのを抑えきれない。その顔を見られぬよう口元を掌で覆っていると、突然自分の身体が宙に浮かされる。

気づけば啓悟に抱えられていて、寝室へと運ばれてしまう。優しくベッドの上に下ろされると彼は覆いかぶさってきて、私の逃げ場をなくした。

そしてちゅっと触れるだけの口づけを落としたあと、ニヤリと意地悪く笑って口を開いた。

「この香り付けて俺にどんな事されたか、明日から付ける度に思い出して下さいね?なまえさん。」

…獲物を捕らえたかのような彼の視線から逃げるなんて私には到底出来っこない。

fin..



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