一難去って (1/2)

 個人任務についての報告書――その提出指示が本部より出てから六日の間。事務所では、◆の姿を全く見掛けなかった。
 早朝のバイトを終えたレオは、ジャック&ロケッツでブランチを買ってからライブラへ向かう。
「篭るって云ってたしなあ……」
 ◆が自分の執務室へ消えてからも、ライブラは通常運転だった。
 血界の眷属の出現こそ無かったものの、捜査局から出動要請が出たり、闇取引されるドラッグの流通ルートを探ったりと忙しく。
 だから◆の姿が見えないことも、慌ただしさの中では特に気にならなかった。
 それに、事務所にはシャワー室も仮眠室もキッチンもある。徹夜などスティーブンはよくしているし、生活出来る場所ではあるので、そのあたりの心配は無用だ。
「――あれ、クラウスさん」
 そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、前から見覚えのある姿が、少し慌てた様子で近付いてくる。
「おはよう、レオナルド君」
 路地裏へ入る前で足を止めたクラウスは、小さな紙袋を抱えている。
「アルバイト上がりかね」
「はいっ、おはようございます。クラウスさんはそれを買いに?」
 クラウスはいつもギルベルトの車で来ているし、今から出勤と云うわけではなさそうだ。手に持っているのは、彼にはあまり似つかわしくない、ファンキーなドーナツの紙袋である。
「ギルベルトは少し遠くのマーケットに行ってしまったのだ。この店はすぐそこだから頼むまでもないかとね」
 そう云って、クラウスは路地裏をやや大股で進むので、レオは小走りでついていく。
「だが、そろそろ◆が出てくる頃だ。その時、一人にさせるのはまずい」
「え、そうなんですか?」
 レオは“そろそろ出てくること”、“一人にさせたらまずいこと”、の両方に対して訊ねる。
「今日が期限だから彼女はきっと仕上げて出てくるはずだ。それに、私はここ六日間、◆の姿をまるで見ていない……おそらくほぼ何も食べていないだろうし、少々気がかりだ」
 ライブラの“門”である怪しい店を抜けながら、レオはエッ、と声を上げた。
「クラウスさんも◆さんにずっと会ってないんですか」
「“構うな”と云われれば私も――ギルベルトさえも世話を焼くことは出来なくてね」
(確かにこの人なら、そう云われたら何も出来ないかもしれないけど……ギルベルトさんまでって……)
 軽食やコーヒーの差し入れなどで顔を出しているのかと思いきや、それすらないとは。どれだけ鬼気迫る状況なのだと、レオは冷や汗を感じた。
「彼女はこの店のドーナツを特に気に入っているので、出てくる前に買ってこようと思ったのだが――」
 二人は建物の隙間を通ると、奥まったドアの中へ入る。
「向かうのが少し遅かったかもしれない」
 クラウスが四辺に迫る扉の一つに触れると、キィと音を立てて開くはライブラの――
「◆さんっ!!?」
 重厚な扉の前には、◆がうつ伏せで倒れていた。
 急いでレオは駆け寄るが、一応息はしているようで、少しヨレた白シャツの背中が深く上下している。
「クラウスさん……!」
 ◆の傍にしゃがみこんだレオは事務所へ入ってきたクラウスを見上げるが、我がリーダーに狼狽えた様子はなく、ただ少し肩を落としたように見えた。
「すまない、◆。間に合わなかったようだ」
 レオの隣へしゃがみ込み、気を失っている◆が握った小さな紙を抜き取る。
「それって……」
「領収書だ。“運び屋”へディスクを渡したのだろう」
 安心したように息を吐いたクラウスは、ドーナツの紙袋を持ったまま、そっと◆を抱き上げた。
「FAXも動いている……期限は今日の24時までと云うのに、午前中に提出してしまったのだ。さすがだ、◆」
 云われてみれば、とレオは顔を上げ、スティーブンの執務机にあるFAX機に目をやった。事務所に入ってからずっと機械音が響いていたが、“それ”が原因らしく、大量の紙を次々に飲み込んでいる。

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