ただいま (1/2)
今日もここ、ヘルサレムズ・ロットは、異界と現世が交わり、事件に事故に小競り合いと、非常に騒がしい。
胸焼けしそうなほどに、非日常が日常過ぎて──
「ザップ以外で、ここに倒れてる人間を見るのは久しぶりだなぁ」
そんな危うい世界の均衡を保つべく、超人秘密結社“ライブラ”は存在し、日々暗躍している。
「ふひーふふほ、はへふ?」
「いや、いいよ。これは君の為に買ってきたから」
外の喧騒に反し、ライブラの事務所はとても静かだった。
関係者以外立ち入り禁止――まず“ドア”の前に立つことすら不可能――なその部屋は、今は一組の男女しか居なかった。
「……っはあ……助かったー! 早く戻りたくて、飲まず食わずで来ちゃったから」
「ハハハ、相変わらずだな」
そんな秘密基地たる事務所のローテーブルには、カラフルなドーナツが幾つも広げられている。
一人がけのソファに座しているのは、目元に傷がある男――スティーブン・A・スターフェイズ。この組織の副官的存在である。
そして向かいのソファで、五個目のドーナツに手を伸ばしているのは、ここでは最近見ない顔の女だ。
「それにしても遅いねぇ」
もぐ、とチョコスプレーがかかったドーナツをかじりつつ、扉の方に目をやる。
「任務は既に完了報告がきているし、そろそろみんな戻る頃だろう。君の帰りを喜ぶと思うよ」
目を細めたスティーブンの言葉に、女はドーナツを頬張ったまま、エヘヘと笑んで応えた。
そのほんの数分後。
複数の気配が浮上して、二人は同時に顔を上げる。
「だーかーらー! 今度ソニックをトラップ確認に使ったら、マンホールに突き落としますからね!?」
「やってみろよ陰毛頭ァ、畜生猿なんざ囮に使ってナンボなんだよ」
「わあ、この人の肋骨5本くらい折れないかなー」
ワイワイと掴み合い、扉から入ってきたのは、銀髪褐色肌の青年――ザップ・レンフロ、そして糸目の少年――レオナルド・ウォッチ。
ザップの態度に憤慨していたレオナルドだが、すぐに二人に気付き、律儀に会釈をする。
「スティーブンさん、お疲れ様です……と、その人は――」
レオナルドの糸目が僅かに見開かれ、義眼が“その人”を映したと同時に、風のようにすぐ脇を過ぎるドーナツの甘い香り。
「クラウスさんッッ!!!」
女はそう叫ぶと、二人の後ろ、続いて入ってきた巨躯の男に、思い切り飛びかかっていった。
「――ッ!?」
事務所で唐突に攻撃を仕掛けられることはあれど、抱きつかれる状況には未だ遭ったことはない。
緑の光る眼を極限まで丸くし、この組織のリーダー、クラウス・V・ラインヘルツは動揺をあらわに硬直している。
「こらこら、お嬢。クラウスが固まってる」
その様子に吹き出したスティーブンの言葉で、クラウスはハッと胸元を見下ろした。
「……◆、なのかね、……!?」
「……っ――はい、ミスタ・クラウス」
その名は貴方が呼ぶためにある。
この場の皆に“それ”が分かるような、真に柔らかで幸福なる返事。
◆と呼ばれた女は、しがみついていた手を放し、一歩下がる。そして恭しくその場に跪いた。
「貴方の忠実な部下、◆です。――今、帰還いたしました」
彼女によって作られた、洗練された空気に息を飲む、と。
「一時間くらい前にはここに居た、と云うか倒れてたんだけどな、お嬢」
懐かしい光景だったとスティーブンに云われ、眉を下げた◆は再びエヘヘと笑う。
「無事で何よりだ、◆……!」
クラウスはそう云うと少し屈み、今度は自分から彼女を抱擁する。それは、彼の普段を知る者からすれば少々驚くべきことだったが、レオナルド以外のメンバーは分かりきったように肩をすくめていた。
「一年で随分と見違えたものだ」
すぐに気付けず、とクラウスはその腕を強める。
「ふふ。クラウスさんも男前度がマシマシです」
一番落ち着く場所に戻ってこられたことを実感し、◆はその胸に頬を寄せた。
「……――おかえり、◆」
「ただいま、クラウスさん」
――ライブラにお嬢が帰ってきた!
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