彼女がこちらを見つめる眼差しは、変わらない。あの頃と比べて遥かに柔らかさを滲ませた瞳も、目と目が合えばたちまちにすう、と細められて温度を下げる。
その相変わらずの反応に、今更戸惑いや苦笑いも出たりはしない。
けれど、どこか少しだけ安堵に似たものを感じているような気がする、などと私が口にしたならば、きっと彼女は手元のコースターを目にも止まらぬ速さで投げつけてくることだろう。
肩の上で切り揃えられた黒髪は、絡まる視線がふいと外された先を追うようにサラリとすげなく左右に揺れた。
いつかの傷んだ茶色の、ギラギラとした輝きはそこに何の面影も残してはいない。
(ああ、)
あの頃はあんなにも、黒髪の方が彼女に似合うはずだと思っていたのに、不思議と懐かしむ脳裏には彼女の長く明るい髪の色が蘇り、少しばかり感傷的な気分になってしまう。
今になってもなお彼女に抱く曖昧な感情は、ひどく自然に形を結ばぬまま、私の中をゆらゆらと体内遊覧しているようで。
けれど。硝子片を更に砕いて、粉々にして、静かに瞬く、突き放すような目で世界を見ていた彼女を私は、苦く不透明な思いに浸りながら、いつからか決め込んだ不干渉の距離から様子を伺い、じっと横目で見ているだけで。
手は伸ばさない。
もういいだろうとは、口にしない。
彼女が積み上げた拙いプライドは、いつだって不安定なジェンガを彷彿とさせたから。
せめて、それが崩れてしまわないようにと願うだけで。
あるいはいっそ、早く崩れてその雪でもなく、氷でもない、いつかは溶けて形を変えるものと似て非なる彼女の強がりな冷たさが、どうしようもなく温かなものに覆われてしまえばいいのだと思っている。
だって、あの、彼女が私を見つめる眼差しの温度。
それが変わらず低くて痛いことに私が確かな安堵を感じてしまうのは、どうしようもなく、彼女を抱き締める腕を持っているのは自分ではないのだという確信が、私の中にあるからなのである。
数式で証明することだって出来るだろう、その、確固たる自信。
それは無性に体のどこかをしくしくと締め付けて、なのに柔らかく撫でて行き、今すぐにでも手放したいのに、身動きが取れなくなってしまうようなそれは、それの、それの名は、
(あ あ、)
(なんて、無色、)
ぼんやり、イメージしようとすれば、途端に色をなくして霧散してしまう。
昔からそうだ、
未だに、何か分からない。
だけれどそれは、痛みにも似た感覚で。
だから私は、思い描く。
いつか、嫌になって、だけど逃げ出せなってしまうくらいの幸せに、彼女が足を取られてしまえばいいのだと。
逃げ場所すら無くなって、ただただ幸せに成り下がるしかなくなるだけの、そんな不幸せに見舞われてしまえばいいのだと。
そう、思う。
心の底から、思っている。
なあ、だってそうすれば、きっと。
こんな、苦く苦くこびりついて、いとおしくもあるような思いだって、蝶々結びを解くようにするすると、間違いやその形を正すみたいに、再び真っ直ぐに戻っていくはずなのだ。
きっと。
きっと。
いつの日にか、拾い上げられた彼女の破片を横目に見ながら私は、やっと胸の支えが取れたと短い息を吐き出して、彼女の脆く危なげな虚勢に耳を塞ぐフリをすることなどなくなるのだ。
だから、私はゆるやかに思う。
密やかに、願っている。
彼女の幸せを。
恋とは近く、相反して遠い、皮肉で憎らしい色をした感情の隣で。
自身の醜く鮮やかなエゴを、憂鬱めいた祈りにそっと一匙ばかり孕ませながら。

私は彼女の幸せを、それでも確かに、願っている。










20110131






「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -