42:雨霖鈴曲 [ 10/51 ]

ねぇ南。俺は卑怯だよ。
南があんな目にあったの、俺のせいだって本当は分かってた。
気づかないふりして一緒にいたんだ。
そうして、立ち直れる手助けできたら許されるんじゃないかって。
でも、俺は南に本当のこと言えないから、だから・・・

何も知らないで俺と友達でいてよ。







 鈴のようにコロコロと雨粒が唄い、曲がった雨どいを流れ落ちる。
 やがて激しさをともない、ドラムロールのような雨声の中。


 これより私は貴方の恋心を疑います。







 純度の高い裏切りだと言われれば、それまでで。
 けれど、そんなつもりは勿論無くて。
 なぁ雅美。
 今なら言える。
 俺に、お前を裏切る度胸なんて無かった。
 そんなもん、持ち合わせて無かったんだよ。


 俺、やっぱ雨が嫌いだわ。




「俺に、何か言うことないか?」
 目線が合わないなか、唸るような声で東方に問われた。南は身に覚えがない。しかし、東方は怒りを剥き出しにしている。理由も無くそんな感情を向けてくるわけがない。
 南は必死に考えた。
「分かんない?罪悪感もないのかよ」
 答えを待つこともせず畳み掛けてくる東方にただただ困惑するが、言葉が出ない。しかし迂闊なことを口にしてしまえば更に逆鱗に触れることは容易に想像できた。
−どうしよう。
 視線を巡らせ記憶の中にナニカを探す。
 帰る道中、痛いほど握られ続けていた腕をさすりながら。
「亜久津と、何回会ったんだ?」
−っ・・・!
 考える時間すら許さない言葉に目を見開くと、東方は小さく息をついて納得したような素振りを見せた。
「に、かい・・・」
 隠すことはもうできない。一番知られたくなかった事実を白状すると、揶揄するような笑顔で見つめられて南は背中が緊張するのを感じた。
「やっぱり、一回じゃなかったんだな」
 どうして。そんな思いが過るが、 今問題とするのはそこではない。明らかに誤解をしている。まるで南が亜久津と何度も逢瀬を重ねていたかのような口ぶり。背中に脂汗が滲むのを感じながら拳を握りしめた。
「たまたま出くわしただけなんだ。別に待ち合わせたわけじゃない」
「そんなのは当たり前だ!!」
−こんなのは!
 純粋な裏切りでしかない。
「どうして黙ってた!?」
 言葉が、怒りが、悪意が、哀しみが止まらない。
 ぶつけてはいけないのに。
 溢れて、こぼれて。

 止まらない。止められない。

「心配・・・かけたくなくて」
 決して嘘ではない。それでも言い訳でしかなくて、東方は歯が痛くなるほど食いしばって一度は耐えた。けれど、飲み込むことはできなかった憤りに支配されていた。
「俺に心配かけなかったら、傷つけてもいいのか!?」
−苦しい。痛い。頭が変だ。
「ゴメン。でも、そんなつもりじゃなかったんだ」
「じゃあ、どんなつもりだ!!?」
 これ以上はいけない。分かっているのに止められない。

 怒りが悪意に変わってしまう。


−ついに、来たかな。
 怒り狂う東方を目の前にして、南は心が静かになってゆくことに違和感を感じていた。けれど、握ることすらままならない拳は神経が通っていないのではないかと思うほど震えている。
−いつか、こんな日が来ると思ってたけど。
 東方から突き離される日がきたら、死んでしまうのではないかと思っていた。
 しかし、何度もシミュレーションしては覚悟を決めていたせいなのか。
−もう、麻痺してんのかな。
 心と身体が切り離されているかのように真逆な反応をしている。
「なんとか言えよ!!」
 小さなナニカが頬を掠めて壁に、ガチン!という派手な金属音をたててぶつかり落ちた。
−指輪・・・
 東方の誕生日に南が贈った指輪が足元に転がっている。
「出て行け!」
 それまで、モヤがかかったように上手く認識できずにいた東方の責める言葉が急にクリアになり、肩がブルっと震えた。
「そんなに俺といるのが嫌なら出て行け!何処へでも行っちまえ!!」
−本気・・・だ。
 目頭の血管が収縮して痛む。涙腺が感情に刺激されて涙を流そうとしている。
−駄目だ・・・決めただろ。

 貴方がこの身を必要としなくなったら、潔く切り捨てられよう。

−その為に、言わなかったんだろ。
 好きだと、誰よりも大事に想っていると。

 この日の為に言わずにきた。

 何も言わない南に怒りが頂点に達したのか、顔も見たくないという意思表示だというように東方は背を向けて座ってしまった。
 荒い息遣いを聞きながら、南は祈りを込めて渡した指輪をただ無感情に拾い上げた。
−これぐらい、いいよな。

 少しでも永く一緒にいられますように。

 願いを込めたあの日はもう戻らない。
 永遠などない。けれど、一生を。ずっと。を望んだ。


 叶わなかっただけだ。


 そっと恋しい背に寄り添い、首筋に腕を回す。
 赦しを乞うかのような仕草。しかし・・・
「今まで、ありがとう」

 別れの為に。

−え?
 違和感に思わず振り返る。既に南は立ち上がり、スポーツバッグを肩に掛けていた。
「ゴメンな」
 歪んだ笑顔。




「ウソ・・・だろ」


独りきりの部屋に独り言が響く。
『今まで、ありがとう』
「ウソだ・・・!!」
玄関を飛び出すと、外は豪雨で視界は大きな雨粒に閉ざされている。
「け・・・ん・・・・・・」
『ゴメンな』


君は泣くように笑って。
『雅美』


大きな荷物と消えました。






 どれくらいそこにいたのか、玄関のドアを開け放ったまま座り込んで、ただただ呆然と前を見つめていた。
 身体は重く、指先は真夏だというのに妙に冷えていて感覚がない。
「健?」
 斜めに降り込んだ雨がしっとりと前髪を濡らしていて、いつの間にかポタポタと雫を落としている。
−探さなきゃ。
 ゆっくりと立ち上がる。足は麻痺しているかのように言うことをきかない。
−行かなきゃ。きっとあそこだ。
 心当たりは一つしかない。きっとそこにいる。
 そう信じて東方は傘も持たずに雨の中を歩き出した。
−気づかなかったな。
 南は毎日律儀に荷物をまとめていた。夜寝る前には、必ず南の私物はスポーツバッグにおさまり、1ヶ月以上東方の家に滞在するというのに一度も無雑作に置かれていたことなどなかった。
−いつでも、出ていけるようにしてたってことか・・・
 笑いが込み上げてくる。
 大事にしていた恋人が、実は常にこちらの気持ちを疑っていた事実がどうしようもなく滑稽で。
−俺、棄てられたってこと?
「はは・・・・なんだよ、それ・・・」
 事実が指し示す結論に思わず足が止まる。
−どうしよう・・・でも、行かなきゃ。
 先を見通せない道のりを、東方はまた歩き出した。




 チャイムの音が響く。こんな日の来訪者は業者ぐらいしか思いつかない。大石は、玄関で丁寧に声をかけた。
「どちら様ですか?」
 返事がない。子供の悪戯だろうかとも思ったが、大雨の夜更けに考えにくい。警戒しながらそっとドアを開けると、びしょ濡れの東方がそこにいて、大石は異常を察して落ち着いて声をかけた。
「どうしたんだ?傘は?」
「いるんだろ?」
「へ?誰が?」
「健、ここに来てるんだろ!会わせてくれ!!」
 濡れた手に掴みかかられ、Tシャツの肩口が濡れる。
「落ち着け東方。南は来てない。なにがあったんだ?」
「・・・出てった」
 小さく呟いた絶望の言葉。
−あの日と・・・同じだな。
「とにかく入れ。それから風呂。その間に英二に連絡してみるから」



 雅美。俺、怖くなかったから笑ってた。
 確かにそうなんだ。
 だって、お前に捨てられたんだ。
 それ以上なんてあるわけない。




「英二のとこにもいないらしい。今こっちに向かってるから、後で英二に電話かけさせてみよう」
−そんなバカな。
 温かい紅茶が喉を下る。真夏とはいえ、雨に打たれながら歩き続けた身体は冷え切っていたようで、内側から温められていくのを感じる。
−俺、かっこ悪い。
「大石・・・ゴメン」
雨の夜に突然やってきて取り乱した自分を、落ち着いて迎えてくれた相手に申し訳なさしかなく、東方は目を伏せて謝罪を口にした。
「東方。お前・・・・・」

『大石・・・いいよ。大石になら』

「南を、拒絶したな」
確信を持って口にした言葉に、東方の肩が大きく揺れた。
やっぱりな。と独り言のように呟いて、大石は過去の自分に思考を巡らせる。
−俺もたいがいみっともなかったしな。
間違いを犯した過去がある。
貴方を傷つけた過去がある。

「英二も、拒絶したらいなくなったことがある・・・」
「へ?」
「だから、お前達にはそうなってほしくなかった」
「ゴメン」


『殺されてあげる』


雨の音がやかましく響く。
紅茶がなくなる頃、チャイムが鳴った。




なあ雅美。
お前は、俺が笑ってたって泣いたけどさ・・・
俺、本当はずっと泣いてた。
逢いたくて。帰りたくて。
寂しくて。



石つぶてような雨だった。
バチバチと頬を撃たれながら、南はただただ歩いていた。
行くあてなどない。
菊丸のところ、自宅に帰ること。室町。千石。
どこにも行くつもりは無かった。
東方の考えの及ぶところには行けない。
―来てくれなかったら・・・本当にもう・・・


棄てられたと改めて認識するのは嫌だった。
―行かなきゃ。
東方に見つからない場所。そして・・・


総ての始まりの元へ。





「チッ」
雨と季節のもたらす湿度のせいで、火のつきが悪いタバコに苛立ち、舌打ちをする。
「胸クソわりぃ」
煙を飲み込み、吐き出す。雨の音が五月蝿い。


『まさ・・・み・・・・』


「クソ」
半分も吸いきっていないタバコを灰皿に押し付け、肺に残った煙を押し出すように吐く。
その時だった。
来訪者を告げる電子音が室内に響く。
母親は数日は帰って来ない予定のはずだ。
―誰だ?
雨の夜更けに訪れた相手。
亜久津は、迷いながらもドアを開けた。
「南・・・」
ずぶ濡れで特徴のある髪が下りていたせいで、一瞬分からなかったが、そこにいたのは見るも哀れな姿の南だった。
「約束だ・・・」
小さく呟かれた言葉の意味が分からない。亜久津は返す言葉が無く、次を待つ。
「しね」
南が持っていた大きなスポーツバッグを振り回したせいだと、背中から倒れこんで気づいた。
頬に激しい痛み。突然の出来事に亜久津は反応できなかった。
「お前さえ!!お前さえいなきゃ!!」
憎しみに顔を歪めた南の手が首に回る。雨の中を傘も差さずに歩いてきたのであろう指先はとても冷たい。
「ぐっ・・・・う・・・・・」

『悔しけりゃ・・・殺しにこい』

そう言い放ったのは確かに自分で、南はソレを果たしにきたのだと朦朧とした意識の中で悟った。
切れ長の目を見開き、ただただ憎しみだけで手に力を込めている。
喉仏がギシギシと鳴る。口を開いても酸素はこない。
それどころか口が渇いて更に苦しみが増す。
―そうか・・・やっとか・・・
朧げな視界の中で、はっきりと視線が出会った。
憎悪の籠ったソレを、心地良く感じている。

―やっと・・・俺を見たか・・・

本当なら、この手を振りほどくことなど容易い。
それでも、どうしてもそれをする気にはなれず、亜久津は静かに両手を投げ出した。


「死ねよ!!お前なんか!死ねばいい!!」
思考というものは、どこかに行ってしまっていた。
ただただ、死ね。と罵倒しながら両手で白い首筋を締め上げる。

『出て行け!』

あの雨の日さえ無ければ、綺麗なままでいられたら・・・・きっとこんな未来は無かった。
恋しい人と、笑って、ふざけあって、時々喧嘩をしながらも一緒にいられた。
この長い夏休みは、中学最後の最高の思い出になるはずだった。
「なんで・・・なんで・・・!!お前のせいで!!」
眼下で、亜久津の唇が震えながら開く。喉を締め付けているせいで舌が飛び出していた。
「苦しめ!死ね!」
濡れた髪から水滴がポタポタと落ち、亜久津の頬を濡らす。
―もうちょっとだ。
我を失った南は、更に体重を掛ける為に手首を支点にして身体を前に出す。

シャラン

Tシャツの襟元を、何かが滑った。
「あ・・・・」
シルバー細工の菱形と、丸いリングがぶつかり合って揺れる。

『健』

「あ、あ・・・・ぁ・・・」

―雅美・・・・


戻れなくなる。


「ひっ・・・!あ、俺・・・ぁ・・・ぁ!」
自分のしたことが恐ろしくなり、弾かれたように手を離すと、かはっ。と大きく咳き込んだ亜久津が喉を押さえて呻く。
その様子を見ながら、南はへたへたと冷たい床に崩れ落ちた。
頬を涙が伝っている。
亜久津は、痛み、上手く唾を飲み込みことすらできない喉を撫でた。
−結局、東方か。
指輪を認識した瞬間に我に返った南。
どう考えても、東方が贈ったもの。
「さっさと、来い」
「へ?」
間抜けな声を出した南に、今度は顎で促す。
「風呂に行け、後で床拭けよ」
自分でも酔狂なことをしている自覚はあった。
それでも・・・

−面白いことになるかもな。
吸いかけのタバコに火をつけ、浴室へと向かう南の背を見つめた。






身体を温め、落ち着きを取り戻した南は浴槽の中で、自分の状況を受け入れられないでいた。
−なんで、亜久津は俺を家に入れたんだ?
いくら理由があるとはいえ、殺意を向けた相手を罵倒することなく風呂まで提供している。
−また、性欲処理にでもする気かな・・・
それならつじつまが合う。
−もう、なんでもいいや。
身体を開けば、ここを今夜の宿ぐらいにはできるだろうという自暴自棄な考えが過る。
−どうせ、行くとこないし。
涙が、溢れた。
「雅美・・・ゴメン」
傷つけてしまった。誰よりも自分を大事にしてくれていた人を。
−会いたい・・・
叶わぬ願いを口に出す勇気すらなくて、南は全てを諦めた。



なぁ、健。
後悔なら死ぬほどした。
何処へだって行くつもりだった。
お前がいるなら。
でも・・・それはあんまりだろ。


雨霖鈴曲 END


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