41:花崩 [ 11/51 ]

 子供のように眠る身体を抱き締め、覆い被さる重さに苦笑しながら汗ばんだ髪にキスをしていると、不機嫌そうな東方が部屋に入ってきた。
「なにを・・・してるんだ?」
 これ以上ない程の低音で言葉を放ち、睨みつけてくる。
「お前が虐めたから泣いたんだよ。南が起きたらその顔やめてね」
「泣き疲れて寝るほど泣いたってことは、お前も何か言ったんじゃないか?」
「せいかーい。でも、八割は東方が原因」
 嘘はついていない。だからこそ苛立った東方は獣のような殺気をまといながら、眠る南の腕を掴んだ。
「みーなみー。東方がお怒りですよー」
 挑発するように微笑んで、菊丸は涙で濡れた頬を指で撫で、汗ばんだ額に口付けた。
「っ!!」
 東方の顔が激怒で更に揺れる。勢いよく南の腕を引き寄せ、激しさに任せて抱き寄せた。
「へっ!?」
 衝撃に驚いた南が間抜けな悲鳴をあげて目を見開く。
「お姫様が王子様に奪還されちゃった」
「誰が姫だ!」
 寝起きにもかかわらず茶化す表現に噛みついてくる 南。しかし、ヘラヘラ笑って取り合わずにいると、自分が東方の腕の中にいることに気づき、不思議そうにしている。
「なに?どうしたんだよ」
 事情が飲み込めない南は、東方の腕の中で戸惑うばかり。
「無防備すぎる!!」
「ご、ごめん・・・」
「俺の南イジメないでよね〜」
−こいつ!!
 挑発と解っていても、東方は菊丸の態度がカンに触った。
 苛立ちをどうにかしたくて、当て付けるように南にキスをする。
「激しいね、東方」
 キスを受けながら、羞恥心でもがく南のうなじに甘咬みすると、南ごしに東方と目が合った。
「ゴメン。南のうなじがエロかったから。腰もエロイよね」
 Tシャツの上から、腰のラインをなぞるように指を這わせると、南は菊丸から逃れようと東方にしがみつく。
「南、可愛い」
 うなじから曲線に合わせて舌を這わせ、今度は耳を舐める。
「いや、だ!やっ!」
「健、俺以外の奴に舐められて感じるんだ?」
「ちが・・・!!」
「でも、勃ってる。お仕置きしないとな」
Tシャツをたくしあげ、東方は胸の突起に吸い付く。
「あっ・・・やめ・・・」
 背中は菊丸に押さえられ、前は東方。逃げ場を無くした南は両方から与えられる快感に身体をよじるしか抵抗する術がない。
−コイツら、楽しんでる!
 上半身の性感帯を二人がかりで舐め回され、撫で回される。
「やめ・・・ほんと・・・いや、だ」
 喘いでしまいそうなのを必死にこらえて拒否を口にするが、二人が聞いてくれる様子はない。
「ちょっ・・・なに!?」
 突然下半身を引かれ、抵抗する間もなく仰向けにされた。背中は変わらず菊丸が支えていて、足元では東方が衣服を脱がせようとしている。
「やめろ!怒るぞ!」
「大人しくして南。ね?」
 耳の中まで舌を入れられ、滑った感触に肩がすくむ。その間に東方は南の下半身を剥き出しにしていて、勃ちかけている半身を口に含んだ。
「あっ!ん・・・ぅ、や、ぁ・・・ぁ、ぁ」
「南、可愛い」
 菊丸の手が胸元に伸びる。東方の唾液で濡れている突起を指で弄り、南の反応を楽しんでいる。
 羞恥心と全身に与えられる愛撫で一気に追い上げられる。射精感から逃れるように腰を捩って逃げようにも、東方の頭が邪魔でそれもままならない。
−嫌だ!
 どんどん半身に意識が集まる。
「南、イキそう?」
 頬に舌の感触。
「や、め・・・」
 楽しそうに自分の顔を覗きこむ菊丸と目が合った瞬間、南の中のある想いが弾けた。

−嫌だ!それだけは!

 護り抜いたものがあった。

「嫌だ!離せ!嫌だ!絶対嫌だ!」

 貴方だけと誓った。

 足をバタつかせ、腕に力を込めて本気で暴れだした南に、二人は困惑して手を止める。
「健、どうし・・・」
「イキたく・・・ない!離せ!」

 貴方だけのものだと・・・

「そっか・・・そうだね。ゴメンね南」
 叫びのような訴えに、菊丸はあっさり南の身体を解放した。
「え?どういうことだ?」
 東方は理解していない。南は心底苛立ち、涙が出そうだった。
「・・・なんで?」

 護り抜いた意味は・・・なかったのだろうか?

 菊丸の全てを察したような手が、南の髪を撫でる。そして、耳元で東方に聞こえない音量である言葉を発した。

「・・・は、・・・ね」

「ぅ・・・っ・・・」
−なんで菊丸は分かるのに、お前は解らないんだよ。
「なに?菊丸、今なんて言ったんだよ?」
「雅美・・・覚えてない・・・のか」
「え?」

 死に物狂いで護り、捧げたものは何の意味も成していなかった。

「嫌いだ・・・お前なんか!大っ嫌いだ!」
 涙が零れる。情けないほど、ボタボタと流れる。
 こんな、衣服が乱れて下半身は何も身に付けていない状態で泣きじゃくる自分が不細工で惨めでしかたない。
「俺、帰るよ。南、本当にゴメンね」
「菊丸待ってくれ!」
「東方も南に謝りなよ」
−嘘だろ・・・
 あっさり出ていってしまった菊丸。
!泣きじゃくる南と部屋に残され、東方はどうしていいか分からない。
「健、あの・・・ゴメン。調子に乗りすぎた。それと・・・なんか大事なこと忘れてるんだよな。ゴメン」
 どれだけ謝罪の言葉を並べても南の表情は変わらず、唇を引き結んだまま衣服を整えている。東方と目を合わせることもなく。
「風呂に行く。ベタベタして気持ち悪い」
「なんだよ、もう・・・」
 南が消えた扉を見つめ、どうしたものかと頭を掻いて悩む。
 確かに調子に乗りすぎた。けれど、自分が何を忘れてしまっているのか解らない今、これ以上は謝りようがない。それでも、南をひどく傷つけたことは分かった。
「機嫌、取るしかないよな」
 大きくため息をつき、東方は南を追って浴室へ向かった。



ーどうでもいいことだったのか。
 シャワーに混じって涙が溢れた。
ー馬鹿みたいだな、俺・・・本当に好かれてんのか?
 それを東方に確かめる勇気はない。大事にしてくれているのは嫌というほど分かっている。それでも、必死になって東方だけだと護ってきたものが、あっさり菊丸に晒されるところだったという事実は許したくない。
「雅美の・・・馬鹿」
 また涙が溢れた。


ーさて、どう入ればいいんでしょうか?
 シャワー音に隠れるようにして、鼻をすする音が聞こえてくる。
ー俺、何を忘れてんだろう?
 考えても考えても思い出せない。けれど思い出したフリをするのは最低で、それだけはしたくない。
ーもう、殴られるの覚悟で行くしかない!
「入るぞ」
 黙って怒りをまといながらシャワーを一心に浴びる背中は、あからさまに東方を歓迎していない。
ーこれはマズイ。
「健」
 恐る恐るもう一度呼びかけるが、やはり返事はない。聞こえていないはずはなく、南の怒りが深いことが伺い知れる。
「ゴメンな。本当にゴメン。反省してる」
「・・・もういい」
ー全然、よくないわけね。
 苛立ちの理由が、菊丸と悪ふざけをしたことではなく、東方が忘れてしまっていることなのは分かる。けれど、どうしても思い出せない。
「ね、俺が何を忘れてるのか教えて。二度と忘れないから」
 背中から抱きしめて、素肌を合わせる。が、腕の中の身体は緊張で固まっている。まったく許す気がない証拠だ。
「大したことじゃないから、いい」
「大事なことだから、お前そんなに怒ってんだろ?」
 南の身体が、僅かに離れた。付き合いの長さで分かってしまう。これは拒否の合図だ。


「俺には大事だけど。お前にとって、大したことじゃない。ってことだ」


 シャワーで冷水を顔面に食らったのではないかと錯覚するほど、東方にはショックだった。確かに自分が悪い。けれど、謝りたいし、許して欲しい。
 そして何より、南がここまで腹を立てるほど大事なことを忘れてしまっている自分に戸惑っていた。
 南の言葉を、自分に向けてくれる情を大事にしてきたつもりだった。
 それを、この愛情表現が下手な恋人が理解してくれていると思っていた。
 それが勘違いだと言われたような気がして、東方は情けないやら悲しいやら、何より腹が立ってしかたがない。
「分かったよ、じゃあもう聞かないし、絶対に。二度と。思い出さないようにする」
 背中が小さく震え始めた。分かっていて手離し、浴室を出る。
 身体を拭いていると、小さくしゃくりあげる声がしたが、聞かなかったことにした。それだけ傷ついたことを南に分かってほしくてそうした。

なぁ、健。
お前が大事に抱えてたもの、俺は全然分かってなかった。
お前はずっと俺に差し出してくれてたのに、受け取らないでいたんだって。
俺は・・・何度お前に許しを乞えばいいのかな?


 ロクに会話もしないまま夜がきた。
 同じ部屋にはいるが、東方はひたすら本を読み耽り、南はただテレビを見ていた。
 夕飯の時も互いに黙々と咀嚼し、味気ないひとときを過ごす。
 南は食器の片付けを申し出たが、東方は事務的な話し方で断り、南はますます押し黙った。
 そんな小さな歩みよりにすら東方は苛立った。


===

ー風呂行くか。
 南は昼間入った。外に出ていないのでもう入る必要はない。自分だけだ。シャワーで済ませようと浴室へ向かうためにドアを開ける。
「っ!」
 置き去りにされた子供のような表情をむけられ、思わず足が止まった。
「風呂に入ってくるだけだから」
 あまりに悲しげな顔に、無視していたことを忘れて声をかけてしまう。
「ん・・・」
ー今、抱きしめそうになった。
 衝動を抑えて部屋を後にした。

 仲直りしたい気持ちはある。
 自分が悪いのも承知している。
 それでも。意地があるのかなんなのか、すんなり折れたくない自分がいた。
 部屋に戻ると、南はベッドの中にいた。壁際に寄って、東方の為の場所が開けてある。南の精一杯の歩みよりだということは分かっていたが、どうしてもその背中を抱きしめて眠る気にはなれなかった。
ー明日謝ろう。
 客用布団を広げ、潜り込む。
 きっと南は傷つくだろう。
 総てを遮断するように東方は頭まで布団を被った。


 なぁ東方。俺は言ったはずだぞ。
 受け入れてやれって。
 馬鹿だな。死ぬほど後悔するぞ。
 俺は、死ぬほど後悔して泣いた。



 夢を見た。海の中で泣いている南。手を掴んで引き上げようとしても、顔を覆って泣きじゃくり、ついには東方の腕を振りほどいて海の底へと沈んで行く。必死に追いかけて泳いでも泳いでも届かなくて、どうしようもなくて、ただ小さくなっていく南を見つめるしかできなかった。
ー・・・タイムリーで夢見が悪すぎるだろ。
 布団の中で、ぼんやりと天井を見上げる。いつもより遠い気がして、昨夜はベッドで寝なかったことを思い出した。寝惚けた思考と視界でベッドの上に南がいるか確認する。
ー良かった・・・いる。
 頭から布団を被り、壁際にピタリとくっついて寝ている。自分の為の場所が朝になっても在ったことに心が痛んだ。
ーまだ、寝てるかな?
 静かにベッドに近づく。起こさないように気をつけながら耳を近づけると、ほんの僅かだが南の身体が揺れた。
「健、起きてるのか?」
 指先が冷える。南はただベッドの中にいるだけなのに嫌な記憶が蘇る。

『雅美・・・寂しい』

「健!」
 拒絶したのは自分で、歩み寄った南を突き放したのも自分。
 それでも、嫌な記憶が蘇れば腕を引かずにはいられない。
 どうしようもない人間だと思われても仕方ない。
ー・・・うわ。
 抵抗する隙も与えず一気に布団を引き剥がす。そこには、枕を抱きしめて泣いている恋人の姿があった。
ーグチャグチャだ。
 腕の中の枕はカバーが変色するほど濡れていて、髪も額にベッタリと張り付いてしまっている。汗と涙を流しながら泣き声を我慢している姿は、東方の心を傷つけるほど哀れだった。
「け、ん・・・ゴメンな。やりすぎた」
 恐る恐る手を伸ばす。身体を引かれることも覚悟していたが、南はただジッと東方の腕を見つめている。触れられることを待ちわびるかのように。けれど、焦点が合っていないように見えた。
ーあれ?
 よく見ると、まぶたが腫れている。というより顔全体が赤い。しかし、目元にはうっすらクマができていて、疲労の痕跡があった。
「お前・・・もしかして一晩中泣いてたのか?」
 唇だけがやけに乾いている。脱水症状を起こしているのかもしれない。
ー水分!
 慌てて室内にある小さな冷蔵庫に向かおうとすると、腕を引く力に遮られた。
「え?あ・・・」
 抱きしめていた枕を放り出し、縋り付くように東方の腕を掴む南。予想していなかった行動に戸惑っていると、その表情を悪い方に受け取ったのか、切れ長の瞳からポロポロと涙が零れ落ちる。
「飲み物取るだけだから。何処にもいかない。大丈夫」
 額に口付けて宥めると、ゆっくりと手が離れる。東方は冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出すと、狭い部屋の中を大股で歩いてベッドへ戻った。
「のど乾いてるだろ?」
 泣き疲れて疲弊している身体を背中から抱き寄せて腕の中に納め、ペットボトルのキャップを開けて南の手に渡す。
「ありが、とう」
 枯れた声で返事をしたかと思うと、一気にボトルを傾けた。喉が鳴り、潤う音が響く。その勢いの良さに東方が安堵するほど、あっという間に飲み干してしまった。
 ぷは。と小さな息が漏れる。警戒心を解いた反応が嬉しくて汗で濡れた髪に口付けた。
「雅美」
 汗と涙で濡れる目元に唇を這わせ、ん?と呼びかけに答えると、南はゆっくりと表情を確かめるように東方を見つめ、か細い声で鳴くように言葉を発した。
「触っても・・・いい?」
 じわりと薄く涙が浮かんでくる目元に、たまらない気持ちになる。無神経なことをしてしまったのは東方で、それに怒りを抱いていたのは南なのに、背中を向けられたことに酷く怯えている。
「いいよ」
 汗ばんだ髪に頬を寄せ、東方が精一杯の笑顔を見せると待ちわびたように腕が伸びてきた。首にしっかりと回された感触に喜びを感じながら抱きしめることで返すと、安心したような小さなため息が肩口をくすぐる。
「少し、寝よう。一睡もしてないだろ?」
 呼吸を合わせ、背中をさすりながら何度もキスを降らせるうちに腕の中の身体が意識を手放した。
−ゴメンな。
 形良い額に口付けて、東方は南の寝顔を見守った。
 幸福に苛まれながら。


 なぁ大石。
 俺、言い訳かもしれないけど・・・多分解ってなかった。
 受け入れるって意味そのものを。




 いつものように部活をした。大好きなお前が作った夕飯を食べて、一緒にTV観て。明日もそんな一日が来るって信じてた。
 酷いじゃないか。


「最近、南の調子どうよ?」
 オレンジの髪を揺らして千石が東方を見上げた。
「うん、まぁぼちぼち」
 昨日酷く泣かせてしまったことは伏せて言葉を濁す。その歯切れの悪さに何か察したのかは分からないが、追及はなかった。
「まぁ、そうなっちゃいますよね」
 含みのある言い回しが耳につく。東方は南が判田のところへ向かうのを確かめてから改めて千石に視線を移した。
「どういう意味だ?」
 抜け落ちている大事な記憶があるのを知った。その手掛かりになるのかもしれない。そんな単純な思考で質問する。
 千石は流れ落ちる汗を拭いながら、小さくなる南の背中が校舎に消えるのを待ってから口を開いた。
「むし返すみたいだから聞かないでおこうかと思ったんだけどさ」
 強い視線に嫌な予感がした。
「少し前に南が飯食わないでオカシクなったじゃん?あれはお前がやらかしたせいってのは分かってんだけど」
 一瞬だけ怯んだが、後に続いた言葉は東方の思考を沸騰させるものだった。

「お前がそうしちゃったのって、こないだ南と亜久津が出くわしたのが原因なわけ?」

−健と亜久津が?なんだそれ?
 まったくもって予想していなかったことに脳の処理が追いつかない。
「健が、亜久津と・・・出くわした?」
 上手く認識できずに口に出してみるが、現実として受け入れきれないままセリフのように舌の上を滑り落ちる。
「東方・・・知らなかったの?」
 千石の顔にはハッキリと、マズイ。と書いてあって、それが何よりも東方に自覚させた。
「部室の戸締り頼んだぞ」
 地を這うような、ただただ純粋に怒りに満ちた音。指先どころか睫毛の先まで激昂で震えている。
−どうしよう・・・!
 東方を宥める術が思いつかない。そうこうしているうちに、東方は部室へ向かう。呼び止めることすらできない自分を、千石はただただ情けなく思った。
「南・・・」
 人でも殺してしまいそうな雰囲気をまとった東方が、部室から二人分の荷物を持って出てくる。そのまま校舎へと大股で向かう背を、千石は見つめるしかできない。
「ゴメン南・・・」

『てめぇと・・・』

 東方に乱暴に腕を引かれて連れて行かれる南の姿に涙が出そうになる。


『同じ理屈だ』


「全部、俺だ・・・」



 西日が体に突き刺さるように襲ってくる。
 土の匂いと草の匂いが身体を包む。
 雨の前兆。
 南が恐れ忌み嫌う雨が降る。


「・・・・・・許して」


花崩−END−

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