40:水面花 [ 12/51 ]




 大石。ほら、これ見てよ。
 ミシマバイカモって花。


 南の花だよ。




 改札口を出て、大石を見つけた。腕を組み、視線を下げて壁に寄りかかり立つ。その横には誰もいない。
「大石!」
 ゆっくりとした反応。視線が出会い、柔らかな笑顔がこちらを向く。しかし、その表情に南が知りたい情報はなかった。
「菊丸は?」
 大石の瞼が小さく反応する。
「一緒じゃないのか?なんで?」
 大石は、真っ直ぐ南の顔を見つめてから笑いなおした。
「東方の家で待ってるよ」
 どこかスッキリしたような、納得したような笑顔は、なぜか悲しくも見えた。
「南」
 語尾上がりの呼び掛け。次の言葉を待つ
「大丈夫だった?」
−なんで…………



『好きで好きで仕方ないのは、南だけの責任じゃないよ』



「めちゃくちゃ大丈夫だった」
「そうか………良かったな」
 また優しく笑ってから、大石は静かに自分達を見ていた東方に鍵を差し出す。
「これ、ありがとう」
「お互いさまだろ。それより、菊丸と話できたのか?」
「あぁ。二人で話して、それで決めたから大丈夫。じゃ、俺もう行くよ」
 夏の陽射しを浴びる横顔に思わず手が伸びた。大石の腕を掴む。なぜかそれだけで泣いてしまいそうだった。
「南、どうした?」
「大石は?」
 上手く言葉が出ない。感情を言葉が押さえつける。
「俺も大丈夫だったよ」
どうしてこんなにも敏い二人の心がすれ違うのか?
 南には不思議でたまらない。
「昨日の夜………」
『大石、俺のこと嫌いになってないよね?』
 強い人が見せた不安。
「泣いてた。あいつは大丈夫じゃなかった!」
『大丈夫だよね?』
 怯えていた。
「俺は!俺は…………っ」
『南、一つだけ教えて』
 でも、それでも………
『英二は、ちゃんと泣けてた?』
 両方の想いを知っているのに、上手く言葉を繋げない。立ち回れない。

 なにもできない。

 そのくせ、腹が立つ。なにもできないくせに悔しくて手が震える。
「菊丸は………っ……菊丸の、好き。を疑わないでほしい」
 震えに、しなやかな指が添えられた。
「ありがとう、南」
 大石が穏やかに笑う。それだけで伝わった気がした。
 今度こそ大石を見送って家へと急ぐ。
−ん?あれ?
 半分の道のりを過ぎたところで東方が後方にいることに気づいた。
「雅美?」
 この上なく不機嫌な表情で睨むように視線を向けてくる。
「やっと俺のこと見た」
−………しまった。
 大石と菊丸のことで東方は視界にすら入っていなかった。
「ごめん。悪かった」
 返事がない。かなり怒っている。なにか言いたいという思いはあるが、次の言葉が見つからない。けれども顔を伏せては逆効果なのも解っていて、代わりに東方との距離を詰めた。
「ゆうべ、大石となにかあったのか?」

『本当に寝起きが悪いな』

 しがみついて眠ってしまったことへの罪悪感で一瞬言葉が詰まる。
「お前が心配するようなことはなかったよ」
「でも俺が嫌だって思うことはあったよな、絶対」
 吐き捨てるような口調に反射的に肩がすくむ。
「その、お前と間違えて……大石に……しがみついて寝てた………らしい」
「俺と間違えて?なにそれ?」
 口調が冷たい。不快感丸出しの表情。
「泣き疲れて………寝たみたいで。その…寝惚けてお前と大石を…………間違えた…………らしい」
「そもそも、さっきから連呼されてる、らしい。って何?」
「覚えて………ないんだ……ゴメン」
 刺々しさを増してゆく口調に上手く言葉が繋げない。
−なんだよ、これ………
 息が詰まる。やっと自分の気持ちに素直になれたのに、これでは意味がない。
「で?俺のことなんか視界にも入らない。存在すら忘れるくらい二人のことが気になって仕方ないんだな?」
 逃げ道を塞ぐような言葉に泣きたくなる。喧嘩なら今まで何度もしてきたが、ここまで酷い言われ方をされたことはない。
「………ごめんなさい」
「謝るってことは俺より二人が大事って認めるわけ?いや、二人じゃなくて大石?」
「違う………」
「じゃあなに?俺が怒ってるからとりあえず謝ってるだけ?」
 冷たい口調で追い詰められる。何を行ってもキツイ言葉を返される。逃げ出したくなるほどの圧迫感。
「違う、そんなんじゃ……」
「違う。ばっかりじゃ解らない」
 大きな溜め息と反らされた視線。それだけで全てを否定されたような気持ちになって、涙がこみ上げた。
−泣くな。泣いたらうやむやになる。
「昨日の夜、俺がお前と仲直りできるように大石が話聞いてくれて。本当は自分だって菊丸のこと聞きたかったはずなのに。それでも俺のことばっかで」
 東方の視線が戻ってくる。
−大丈夫。絶対大丈夫。
「それで、俺達は仲直りできたけど、大石達はまだちゃんと仲直りできてない。だから……」

『好きで好きでしょうがないのは南だけの責任じゃないよ』

「せっかく仲直りできたのに……また喧嘩したくない」
−言えた。泣かずに言えた。
 東方は渋い顔をして考えている。
「俺だって喧嘩なんかしたくない」
 口調はまだ冷たい。たまらなくなって涙がこらえきれなくなり、声を噛み潰して泣いた。
「泣くなよ。ズルいぞ」
 ため息と共に責める言葉が降ってくる。
 泣いてしまえば困らせるだけなのは分かっていたのに、止まらない。
「とにかく帰ってゆっくり話そう。な?」
 小さく頷いて横に並ぶ。
 帰りつくまで互いに視線を交わさず、何も言わなかった。


「お帰り」
 扉を開けると、人懐こい笑顔が出迎えてくれた。しかし、東方と南の雰囲気を察して笑顔は苦笑へと変わる。
「仲直り………してないの?」
「した」
 苛立ちながら靴を脱ぐ東方は、つっけんどんに答えると、さっさと部屋に向かう。
「あ、東方待って」
 菊丸の呼び止めに返事もせず、不機嫌な表情でただ振り返る。
「俺、南と二人で話したいから部屋貸して」
 東方の負のオーラを、ものともせずに菊丸は言ってのけた。
−菊丸………凄い。
 傍観していた南は、ヒヤヒヤしながら東方の反応を待つ。
「……15分」
「はいよ。南、行こう」
 苛立ちを隠さない東方に睨まれながら、菊丸はあっさりと南の手を引いて部屋へと向かった。


−雅美、本気で機嫌悪くしてたな。
 部屋に入って菊丸と向き合っても、南は階下の東方が気になって仕方ない。
「南、謝りたいから聞いてくんないかな?」
「へっ?!あ、ゴメン!」
「どんだけ東方が好きなんだよ」
 菊丸は呆れたように笑って頭を掻く。
「いや、普通気になるだろ。あんだけ機嫌悪いのに」
「そんなの、抱きついてキスして泪目で、許して。って言えば即直るよ」
 あっけらかんと言う菊丸に、今度は南が呆れる番だった。
「お前、結構小悪魔だな」
「でも、そうでしょ?」
−まぁそうなんだけど。
「そんなことより南」
 頬に、しなやかな指が添えられて優しく撫でられる。
「ゴメンね。嫌な思いさせて」
 子供特有の高い体温に包まれ、頬に挨拶のようなキスをされる。東方ではないのに不思議と不快感はない。
「許してくれる?」
 泣きそうに潤んだ瞳に見つめられて、思わず南の頬が弛んだ。
「いや、俺こそ。みっともないことした。ゴメン」


「ね?許しちゃうでしょ?」


「はぁっ!?」
 いたずらが成功した子供のようにケラケラと笑う姿に、小さな悔しさが沸き上がる。
「菊丸!お前…!!」
 抱きついてきた身体をギュウギュウと締め上げて密着する。暑さと苦しさで菊丸は笑いながら小さく暴れた。
「ちょっ!暑い!苦しい!あはははは!やめてよ!」
「うるさい!黙って喰らえ!」
「あーつーいー!」
 じゃれあいながら攻防を繰り返す。
「ちゃんと謝れ!この小悪魔!」
「ゴメン!ゴメン!ゴメンってば!……よっ!」
「うわっ!!」
 いきなり肩を引かれ、前のめりに倒れる。咄嗟に手をついた先には、見上げてくる菊丸の視線。
「ねぇ、南」
「なに?」
 先ほどまでの、ふざけた色はなく、穏やかで強い表情。
−本当にコロコロ雰囲気が変わる奴だなぁ。
 再び、しなやかな指が頬に添えられた。


「約束して。いつか東方に、大好き。って言うって」


−え?
 叶わぬと諦めたはずのもの。
「なんだよ急に?」
 今さら、こんな身体をぶら下げて伝えられるわけはないと。
「約束。して」

 諦めつくしたもの。

「できるわけないだろ………」
 絞り出すように言葉を紡ぐ。息苦しい。本当は、言いたい。けれど……
「言えねぇし、できねぇよ」
 横たわる菊丸の身体に、許しを乞うようにすがり付いて呻く。
−雅美。
「できねぇんだよ」
 自分で確かめる為に口にする。と、菊丸の手が優しく頭を撫でてくれる。
「ミシマバイカモ」
 呪文のように菊丸が呟いた。
「それ、なんなんだ?大石はお前に教えてもらえって言ってた」
 菊丸は曖昧な表情で微笑み、真っ直ぐに南を見つめた。怖いほどに真っ直ぐに。

「綺麗な水面に咲く花」

−花?俺が花に似てる?
『ミシマバイカモみたいなんだと。南の東方への想いは』
 大石の昨夜の言葉を思い起こす。意味を考えてみると、南自身が花に似てるわけではなく、感情を表したものなのだろう。しかし、ますます解らなくなり、南は首を傾げつつも菊丸の次の言葉を待った。

「綺麗な水の中に群生する花」

−まったく意味が解らない。
 聞けば聞くほど理解できない。水面に咲くのに水中に群生するというイメージが解らない。

「綺麗な湖の中にね、びっしり生えてるんだ。葉が底を覆い尽くすほど繁っていて、そこから細い茎が水面に向かって伸びて、小さな白い花を咲かせる」
−こっそりと、ひっそりと。
「南の花だよ」
「よく、解らないんだけど」
 困惑の表情を向けても菊丸はただ微笑む。
 憐れんでいるようにも見えた。
「見えないとこで、好きで好きで仕方ないくせに、時々思い出したように小さく好きって態度に表すだけ」
「っ!」
「我ながら上手い例えだと思う。南はミシマバイカモみたい」
 痛いところを突かれた。指先が汗ばむ。
「水の底の葉は、募った気持ち。小さな花は、東方に見せる好きの態度」
「あ……」
「約束して。いつか東方に水の中を見せるって」
 いつか。
 自分は大好きだと伝えられるのだろうか?
 そんな夢を見てもいいのだろうか?
「もう、勘弁してくれ……」
 しがみついて懇願する。
「駄目」
 咄嗟に逃げようと身体を起こそうとするも、腕を引かれ戻された。さらに頭を抱き込まれ、菊丸は南の逃げを許さない。
「解ってくれよ。言えるわけないんだよ……」
「今すぐじゃないよ、いつか。だからちゃんと約束して」
 ついに南は小さな悲鳴のような声をあげて泣き出した。
 仕方なく菊丸は黙って南の背中を撫でて抱きしめ、小さな溜め息をつく
 しばらくすると、やがて悲鳴は更に小さくなり、消えた。
「……いくじなし」
 逃げるように眠ってしまった南に、菊丸はもう一度呟いた。

「南のいくじなし」

END

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