29:わくらば [ 23/51 ]


 世界は既に動き出している時間だった。
−・・・・何時だ?
 SEXの疲労感は眠りから覚めた後にやってくる。経験が知っていた。
−あー・・・・もうこんな時間か。


 外は雨の世界。


−風呂に入れてやらないと・・・

「え?」
 抱き締めて眠った筈の身体を求めて布団の中を探る。
「健!!」
 南が眠っていた場所には無駄な空間だけ。
−?!・・・・っ!
 最悪の結末に似た考えが過ぎる。


 君が目の前からいなくなるということ。


−落ち着け。大丈夫だ。
 遠くへ行けない程に痛めつけている確信。
−大丈夫。
 
鳥の羽ばたく術。
花の咲く術。
太陽が輝く術。
大地が実る術。
心が育む術。

 それと同等のモノを一時的に奪った自信があった。

 それでも気づけなかった。

 人が笑う術。
 人が生きる術。

 それに似たモノすら奪ってしまったということ。


 教えて下さい・・・・


 君はあの時何を想って僕を待っていてくれたのですか?


 視線通わせることすら拒否した世界の中。
 君は一体・・・どんな僕を想っていたのですか?
 どの時代の僕が見えていましたか?

 それが知れるなら、きっと僕はその頃の自分に戻ろうと努力するんだ。

 何もかもを拒絶した世界の中でも、君は僕の姿に縋っていてくれたのだから。
 でもそれは、きっと・・・今の自分とは違う頃。


 だから・・・・戻りたいんだ。


 君を大事にできてた頃の自分に。
 君が鮮やかに思う僕に。



 浴室。トイレ。
 家の中を手当たり次第に確かめる。
 血液の流動音がやけに身体の中で存在を誇示する。
−健・・・・
 玄関に背を向けて廊下の左側。
 ベッドにもできる大きなソファが在る空間。

『雅美、今日俺下の居間で寝る』

 あの時と変わらぬ場所にタオルケットにくるまった身体が一つ。
−良かった。
 あの頃と変わらぬ仕草で東方はソファの横に座り込む。
−やること変わってないな。
 顔は見えない。頭からすっぽり被ったタオル地のせい。


 それも変わっていない。


『助けて』

−布団。持ってこないと。
 エアコンのスイッチをオンにして東方は自室へと向かった。


『傍にてくれて・・・ありがとう』


 あの頃の君を思い出せば、こんな迷いは無かった。


『泣かせたくないんだ・・・』

 あの自分を覚えていさえすれば。

『お前だって、俺の考えてること全部分かるわけじゃないだろ?!俺だって知らねぇよ!分かるもんなら分かりてぇよ!!』


 何も分からなかったのは僕の方。
 君はあんなにも許すことに必死でいてくれたのに。

 これだけは分かってください。

 あの頃、大事にしすぎて抱けずにいて君を苦しめた僕も。
 今、君に許しを乞う僕も・・・・

 本質は何も変わってないんだ。


 君を好きで、失いたくなくて。

 君が僕を見てくれないだけで死んでしまいたい程、大好きで。

 どっちも・・・同じ

 どちらも君が恋をした僕です。
 本当だよ。
 嘘じゃない。


「健。起きて。昼飯作ったから」
 置物のように微動だにしない身体に声をかける。
「卵焼きあるぞ。好きだろ?」
−寝てるのか?
 小さい盆に食事を乗せ、冷ましてから丁寧にラップをかけてテーブルに置く。
「腹減ったら呼んでくれ。温めるから」
 自分がいては南も大人しく思うようにはなってくれないと判断してその場を離れた。

 どうして?

−昨日の今日だしな。

 なんで?

−ちゃんと食べてくれるといいんだけど。

 その理由は?



 その腕。






 夜になっても、次の朝がやってきても、南は食事に手をつけず、東方の呼びかけにも反応しない。
−もう丸一日だぞ。
 薄い布団をバリケードに南は姿すら見せない。じっと何かを待つように息を殺している。
「健。食べないと身体に悪いから」
 揺さぶっても無駄だった。
−健・・・だよな?
 不安。
−バカな。健以外誰がいるんだ?
 鼓動の促進。
−そういや、寝返りもしない。
 焦り。


 何故そう思う?


「健!!」
 やはり反応はない。
−息・・・・してるよな?


 どうしてそんなことを考える必要性がある?


 君が命を繋いでいるかの不安を。


「健!健!」


 裏切り。


 君が命を絶ってもオカシクないことをした。
 分かってなかったんだ。
 最もしてはいけないこと。

−そうだ。これは当然の反応だ。
 気づいてもいなかった。謝りもしなかった。
「健・・・」
 頭から身体全体を包み込んでいる布団を軽く引っ張る。
−あ・・・
 引き戻すような力の反発。
−良かった。
 君が呼吸をし、動いている。
 それだけで安心するなんて。
 そんなことにすら焦りをおぼえなればならない程の罪を犯してしまった。

「健。ゴメンな。ゴメン。俺が悪い。ゴメン・・・」

 自分ならば、許される。
 そんな傲慢が罪へとこの足を加速させた。
 許されない。
 今やっと分かった。


「健・・・・・許して」




 声がする。
−五月蠅い。
 か細くて弱々しい声。
−煩い。
 とても不快な音。
−・・・似てる。
 懐かしいような、知っている気がするような音。
−雅美?
 思考が考えることを拒否する。
−違う。雅美じゃない。

「健。健・・・・」

−こんな奴雅美じゃない。

「・・・・・・健」

−雅美。何処行った?


 貴方ならこの痛みを消してくれる。
 ねぇ、何処にいるんですか?


−助けて雅美・・・



 貴方さえいてくれれば、きっと何も恐くない。
 お願いだから迎えに来て。

 もう歩けない。

 人が歩む術が自分には無い。
 追いかけられない。
 探せない。


 何処にいるんですか?恋しい人。




「健・・・・好きなんだ。嘘じゃない」
 手を・・・離すことは無くとも振り解かれる。きっと。
「何で・・・あんなことしたんだ俺は?」

 君の翼を手折る為。
 翼無くとも、その腕で君は僕を拒絶する。



 恋人の為に作る食事は、通常のものからお粥へと変えた。
 まるで病人に与えるかのような・・・
 虚しさ。

 あの腕は今どれだけ細くなっただろう?

 それすら自分には知ることができない。


「一口でいいから食べてくれないか?」
 ソファの横に座り込んで話しかける。返答はない。一日三回の日課のようなもの。
「健・・・」
 焦りが苛立ちへと変わり始める。自分がこの腕をもう一度伸ばせば、きっと・・・
−恐い。
 君を失う。それでも・・・
−どうにかしないと。
 感情と理屈が反発しあう。

 君を傍に置く。
 君を生かす。

−俺のせいなんだから、ケジメつけないと。
 南の為に用意した食事をスプーンですくって、自らの口に含んだ。
−これでいいんだ。
 無言で勢いよく布団を引き剥がす。驚いた南が取り戻そうと伸ばした手を逆に掴んで押し倒し、無理矢理に唇を合わせた。
「〜〜〜っ!!」
 暴れ狂う身体を押さえつけて口を開かせ、流し込む。
「なっ!!!??」
 これで大人しく飲み込んでくれる筈だった。
 しかし、こともあろうに南はフローリングの床に向かって吐き出してしまった。

 総て。


 感情が逆流して頭に血が昇る。
「ふざけるな!死にたいのか?!」

−ダメだ。いけない。

 手が、制止を聞かずに振り下ろされる。あの日のように。頬を打つ。
−っ!!
 痛み在る頬をさすることもしない南。
−何で俺は・・・・

 君を傷つけることしかできないのでしょうか?

 ゆらり。と南の身体が動く。ソファの横に置いていた自らのカバンを掴んで足早に玄関へと向かう。
 それで総てが終わる筈だった。
 解放してやれる。
 きっと家へ戻るだろう。
 家族の元へ行けば総て解決する。
 菊丸に縋るだろう。
 きっと彼なら笑う術を与えてくれる。

 ただ自分が大事な人を失うだけ。

−止めてくれ!!それだけは!


「待ってくれ!!」
 靴を履こうとしていた南を裸足のまま追い抜いて道を塞ぐようにドアに背中を押しつける。ダン!と背中に固い人工物の衝撃が押し寄せた。
−顔・・・見れない。
 何て情けない姿だろう。
「出て行くのだけは止めてくれ!!頼むから!!」
 南は何も答えない。
「もうしない。お前が嫌ならしない!だから・・・だから!!」

−バカだ。覚悟を決めたじゃないか。

「独りにしないでくれ・・・・お願いだから・・・行かないでくれ・・・・」


 結局この身は大事な人の身体よりも自分の感情が大事で。
 ほんの少し自分に向けて残されている貴方の優しさに縋って。
 また貴方を悪夢の中に放り込んでしまう。

 許されなくても、嫌われても、憎まれても・・・・君が『在る』ということを優先させなければいけないのに・・・

 恐怖に勝てない。


「行かないで。止めてくれ。止めてくれ。行くな」


 君が背を向け、去ることへの。


「健・・・嫌だ・・・・嫌なんだ」

「・・・・・・」
 言葉は無い。
 理解も応答も拒絶も。

 何も無い。

 カタン。

「健?」
 来た道を戻る背。大きなバッグを邪魔くさそうに居間の扉を開けている。
「・・・・・はぁ」
 閉まる音を聞き届けて冷たいコンクリ造りの上に膝を落とし、詰めていた息を思う存分解放してやりながら東方は頭を抱えた。
「『嫌だ』なんて・・・俺はバカか?」

『い、やだぁ・・・・!!』

 自分は一切耳を傾けなかった言葉を使うなんて、ワガママを通り越している。

「どうすればいいんだ?」


 刻々と時は過ぎる。
 恐る恐る置いた食事。投げつけられることも覚悟したが、南はまた沈黙を保った。


 罵倒するコトも、責めるコトも、泣くことも無く、その顔すら見るコトを許してくれない。


 これは罰だ。


 君の身体を無理矢理に開いたコトへの。



 次の朝が巡った頃、東方は階下へと進む。
 恐らく置いたままにされている食事を片づける為。そして新しい食事を用意する為に。
「健」
 小さく声を掛ける。人形のように反応を示さない身体を視界に入れる為に顔を向けた。
「・・・・・・?!健?!」
 キレイに畳まれた布団だけがソファの上に存在している。そこに在るべき筈の姿は無い。
−・・・・・どうしよう。何処行った?どうしようどうしよう!!
 心臓が殴られたように跳ねる。体温の上昇に反して血管が、キュウと収縮を続け、血流がこめかみの辺りでガンガンと脳を揺さぶる。
 息が上がっていく。

 恐い。恐い。

 覚悟はしていた筈なのに。

 上手く継げないまま浅く荒い息を必死に繰り返す。思考がまとまらない。
 恐怖だけが迫り上がる。

「け・・・・・ん・・・・・」
 か細い糸を伝う水滴は、やがて総て地に落ちる。
 その流れは今の東方の声に似ていて・・・それと違いやたらと煩い血液の音を消してしまえればと思う。
−煩い。
 
 声が・・・聞き取れない。


 ピリリリリリ。


 自室から携帯の着信音が響いてきた。
−菊丸!
 つんのめりながら階段を駆け上がり、二つ折りのそれを開くと、

 千石清純。

「もしもし」
『東方?!何してんの!南が部活来てんだけど、様子がオカシイんだよね。ちょっと東方聞いてんの?』



 健。ずっと、お前一度も俺に「好きだ」って言ってくれなかった。
 付き合いだした頃から。
 照れくさいからってのは分かってたんだ。
 そして、理由はその身に受けた傷のせいに変わった。
 不満が無かったわけじゃない。
 言って欲しかったよ、ずっとずっと。

 でもな、今はこう思うんだ。
 アレで良かったんじゃないかって。
 あの頃は。
 感謝してる。
 
 無理矢理に身体を繋いだあの日、お前がその言葉を武器にしなかったこと。
 それでも俺は止まらなかっただろうから。
 死んでしまいたい程の後悔以上。
 自分を憎んでただろうって。





 ありがとう。






 俺を好きでいてくれて。




わくらば−ENDー

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