25:未必の故意 [ 27/51 ]


『未必の故意』



=罪となる事実発生を望んだわけではないまま、可能性があっても仕方ないと行動する心理状態。


 いつかこんな時が来るかもしれない。
 分かっていた。
 自分が持ち得ている罪の総ての果ては・・・この身の存在だったのかもしれない。




『健。寝よう。おいで』
 君は戸惑いがちだった。
『・・・いいのか?』
 その笑顔が哀しげだったことに、どうして気づけずにいれたのだろう?


 うだるような暑さ。その陽射しにさらされるコートは照り返しを生みだして人を焼く。狂気に晒されているかのような熱気。靴という仲介がなければ焼け焦げていたかもしれない。
 それでも蒸し焼きにされているのは間違いなかった。身体の内からジワジワと熱を吸って意識が虚ろになっていく。
 それでも互いの触れ合いが確かなことに安堵を覚えていた。
「健。身体大丈夫か?」
「何ともない」
「そうか。安心した」
 永い息をつく。
「部長。東方先輩。ちょっといいですか?」
 会話のバランスを崩す声音。
 振り返ると、新手の二年生が一人佇んでいた。先の二人とは違い、真面目な後輩だ。
「何だ?」
 

 足下が揺れた気がした。
 でも・・・ただ心が揺れているだけだった。
 心と躰は連鎖してるのだと思い知った。


「今回部長が試合して結果を出したことには賛同してます。あいつらの普段の言い草は俺も好きじゃなかったんで。でも、部長と東方先輩の最近の状態も、どうかと思うんです。気をつけてもらえるんですよね?錦織先輩に一言お願いしてたんですが」

−マズイ!!

 指先が震えた、東方に総てを知られてしまう恐怖。その先にある怒りと激情。
 大きくこめかみが脈を打つ。

「前はこんなにケジメの無いマネしなかったじゃないですか!」

−止めてくれ。

 傍らで無言のままの東方。顔が見れない。


 そうだ。自分が悪いんだ。
 この身体が悪いんだ・・・


 自分の立場より、大好きなテニスより、皆と共に誓った全国という夢より・・・

 恋しい人の傍に在ることを優先させてしまった自分がいけない。
 決して東方を選んだわけじゃない。
 ただ・・・ほんの少し。優先順位を違えてしまっただけなんだ。


 もう、眠りたくて仕方がない。


「健?!」
「南!!」
「「部長!!」」
 意識を手放すのは簡単だった。
 考えることを強く否定すればいい。
 立つことを、見ることを、聞くことを・・・そして言葉を否定すればいいだけだ。

 人間は辛いと眠りに逃げるんだってね。知ってた?南。
 眠ることと死ぬことは、とてもよく似てるんだよ。
 眠るように死に、死んだように人は眠るんだ。

 人間には・・・逃げるように眠る。ってのが合ってるんだと俺は思うんだけどね。





「配慮ができてなかった。悪かった。こいつ、ずっと体調崩してて、つい過保護になってたんだ。気を付けるよ」
 覚醒を手放した南の身体を抱き留めて東方は言葉を繋いだ。
 確信と疑問の中で・・・

 怯えという確信。理由という疑問。

 何故貴方はそんなにも頑なに僕を失うことを恐れるのですか?
 そんな必要ないと・・・言ってきたじゃないですか。

 傍に在ることを・・・たとえいつか背を向ける互いかもしれないけど・・・けれど今思う永久不変を誓ったじゃないですか。
 そんなにも・・・今は見えない『いつか』を恐れるのですか?


 だから・・・目覚めて呼ぶ名は・・・この身につく名前なのですか?
 ただ求めているだけではなく、恐れて呼ぶのですか?


 だったらもう・・・呼ばれたくなんてない。



「・・・・・・雅美」
 見慣れた天井。もう何度この下で目を覚ましたか分からない。恋人の匂い。安堵をくれる。
「雅美?」
 ベッドから身を起こすと、テレビを見ていた背が振り返った。
「起きたか。無茶するからだぞ。本調子じゃないってのに」
「ゴメン」
−どうして?
 
 いつもだったら・・・

−いや、これは我が侭だ。


 何度も倒れ続ける状況に慣れてきているのかもしれない。
 弱い自分が悪いのだ。


 東方だって慣れてしまうに決まってる。


「雅美」
−触って・・・くれ・・・
「どうした?」
−言えない。


 疎ましさの可能性を生みだしてはいけない。
 ここに居られなくなる。


「何でもない」


『泣くな』
 そう何度も訴えられた。だから泪を消した。
 それの何が悪い?
 ただ・・・強くなりたかっただけなんだ。
 恋しい腕を、心を・・・煩わせないだけの強さが欲しかった。
 総てに耐えうる強固な佇まいは、まだできないから。
 手に入れるには、まだ時間が足りないから。
 せめて先に欲しかった。
 座り込んで俯いても、あの手の力を借りずに立ち上がれる自分が。



「健」
 心なしか低く聞こえた声音。
「明日、部活休みだからさ・・・」
 じっと黙って東方の言葉に耳を傾ける。一言も逃さぬように。最良の返答を探す為に。
「何処か出かけよう。行きたいとこある?」


 お前が笑う為なら。
 お前が顔を曇らせない為なら。
 どんな嘘でもついてやる。
 どれだけ痛くても笑ってやる。
 それで安堵を与えられるのなら。
 この身の泪で、お前がどれだけ痛んだかを知っているから。
 辛くなんてない。
 幸福だ。


「お前と二人なんだろ?だったら、何処でもいい。俺は嬉しいよ」


 下らないか?似合わないか?


 構わないよ。



「じゃあ、海でも見に行こうか」


 俺はまた間違ってない。
 なぁ、そうだろ?




「キレイだな」
「あぁ。ここにして正解だった」
 夕焼けが建物の隙間から淡い色合いと光独自の強さを放つ。
 点々と並ぶ屋台では、甘い匂いやタレの匂いが垂れ流しで、軽食を済ませた胃に堪えた。
「喉乾かないか?」
「じゃあ、俺何か買ってくる。健は海側に行ってろ。すぐ追いつくから」
「分かった」
 駆けて行く背を見送って歩みを始める。
 本当は二人でゆっくり海辺まで歩きたかったが、東方が望んでいない気がして口には出さなかった。
「波が・・・穏やかだ」
 遠くを水上バスが流れてゆくのが見える。時折耳に届く子供がはしゃいでいる声。
−何か、一人で歩くの久々かもしれない。
 ずっと東方が居た。自分の横を当たり前のように共に進んでいてくれた。
−つまりはこういうことだよな。
 いつか来る日。
 独りで行く日。
−練習だな、これも。
 東方と在る日々と今。その違いを必死に探す。
−雑音。
 波の音が急に聞こえだした。
−遠くが見える。
 視界が広がる。海まで続く道のりはこんなにも横幅があっただろうか?
−風・・・・
 東方の前髪は揺れていた。けれど先程までは風が吹いていることなんて気づかなかった。
−匂い。
 潮の香り。その奥に、まるでノイズのように腐食した海水の匂いが滑り込み、すぐさま消えていく。

−こんなにも違うのか。

 五感が、まるで生を吹き込まれたかのように軽やかに総てを感知する。けれども・・・


 淋しい。


 隣に、お前がいない。どうしようもなく空っぽ。


−いつか・・・
 こんな風に独りで帰る時が来る。



 恐い。


「健。お待たせ」
 備え付けのベンチに並んで座る。肩が触れる距離。
「零すなよ」
「ガキ扱いすんな」
 子供のように笑う。これがずっと続けばいい。こんな風に笑う時が続けばいい。心から思った。
−え?
 渡された缶のラベルを見つめる。
−知ってる・・・筈だよな。
 南が好んではいない飲み物だった。どちらかと言えば苦手だが、無理をすれば飲めないこともない。何より東方がわざわざ買ってきてくれたのに嫌な顔をするわけにはいかなかった。
「いただきます」
 プルタブを引くと、ピシ。と封鎖されていた空間が外気と繋がる音がした。そのまま一口。
「健。いつまで、そうやってるつもりなんだ?何でだ?」
「は?」
 液体は舌を滑る寸前で恋人の手に缶ごと制された。




「お前、ソレ嫌いだったよな?」




 嘘って・・・いつかバレるものだった。
 隠し通せるわけないって、何となく分かってたんだ。
 それでも、隠し続ける時間に縋るしかなくて。
 それが・・・傍に在る為の可能性だと思ってたから。
 お前の為。なんて都合のいいこと言う気はない。
 自分の為にそうしたんだ。
 お前の側にいたい自分の為。
 嘘じゃない。




「折角買ってきてくれたのに飲まないなんて失礼だと思って」
「取り替えてくれって言えば済む話だろ」
「・・・別に飲めない程嫌いなわけじゃなかったからだ」
「ずっと、そうやって俺の言いなりだったな」
「!!」
「最近、何食べたい?とか聞いても、何でもいい。そればっかだよな」
「本当に何でも良かったんだ」
「SEXも嫌がらなかった」
「したかったんだよ」
「自分から俺のモノを口に銜えこんで、上に乗って自分で動いて。それもしたくてしたのか?」
「・・・」
「そんなに淫乱に仕込んだ覚え無いんだけどな」
「っ・・・!!」
「健。お前どうしたいんだ?」

 言葉が、豪雨のように痛ましく降り撃つ。
 まるで用意していたかのような攻撃。

−どうしよう・・・

「俺はな、恋人の南健太郎が欲しいんだ。奴隷を求めたつもりはない」

 静かな怒りの放出だった。螺旋を描き、東方の回りで弧を描いて南に突き刺さる。


「下らないことするな。誰も頼んでない」
−下らない?
 価値が無いのだろうか?意味を持ち得なかったのだろうか?

 ただ、傍に在る為にしてきた総てが。

 下らないのだろうか?つまらないことなのだろうか?

「・・・らなくない」
「?」
「下らなくなんてない」

 泪が流れた。

 静かに頬を伝った。

「下らなくない」


 緩やかに音もなく。体内から水分が溢れ出た。
 水を注ぎすぎたコップのように。溜め込みすぎた水分に似た『耐え』が表面を伝う。容量を超えてしまったカタチが頬の先で輪郭を辿って流れ落ち続けた。

「お前が泣くの、久しぶりに見た」



 何処か安堵した表情で東方が苦笑する。

「家に帰ってから、ゆっくり話そう」
 手を引かれて歩き出す。
−ずっと・・・

 お願いです。ずっとこうしていさせてください。



 人通りがある場所に近づくと、自然と解かれた手。

 止まらない泪を隠すように、東方は被っていたキャップ帽を恋人に被せた。

−雅美の匂い・・・

 それでも手は繋がれない。


 これが僕たちの恋のカタチ。

−未必の故意−END

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