24:壊れた歯車 [ 28/51 ]
ずっと・・・ずっと一緒だって言ったのに。
信じてたのに・・・
信じきれてなかった・・・
願うのは、穏やかな時と幸福。
暖かい腕・・・
神様、これは何の罰ですか?
俺は・・・何故裁きと報いを受けているのですか?
口に出さずに欲しいものを手に入れようとしたから。
たくさんのものを欲しがったから。
俺が希むのは今は一つだけ。
あの頃を消すこと。
だから願うのを止めたんだ。
その度に記憶が鮮やかになるから。
頭の中でイヤなモノがグルグル回ってる。
こんな光景いらない。欲しくない。止めてくれ。要らないんだから。
もう思い出したくない。
何で人はあんなこと言えるんだろう?
どうして人はあんなことできるんだろう?
何故他人にはあんなに軽く見えるんだろう?
あの日々が消えてしまえば、もっと素直になれたのに。
変わらずにすんだのに・・・
だから俺はまた変わらなきゃいけないんだ。
欲しいモノをくれなくて、代わりに色々なモノを取り上げた神様。
俺、まだ我慢しなきゃなんないのかな?
苦しい。なんて甘ったれたこと言わない。
けど・・・痛いよ。
時を返せなんて言わない。
そんなの奇跡にだってできっこない。
だから・・・・俺が今一番欲しいモノをください。
そしたら・・・また・・・・・
あんたを信じてやってもいい。
神様。貴方が創り、人間に与えた男女の摂理に背いた罰なのでしょうか?
「あっ!ぁ・・・・!!」
「っ!!」
シーツが雲のように揺れる中で、似つかわしくない荒い息をついていた。
「健」
「ん?」
「好きだ」
頬に額に唇に・・・東方の落とす粘着質の雨が降る。
ひとしきり浴びて、雨の合間に恋人を見上げると優しい笑みが浮かんでいた。
「少し、痩せたな」
確かめるように抱き締めてくる東方の背に腕は回さず、南は柔らかい人形のように身体を預ける。
「そうか?」
「痩せたんだよ、お前は」
改めて降る雨を受け止めながら目を閉じた。
キスは雨だ。
同種のモノだ。
甘くもない。苦くもない。
無味無臭の物体。
ただ触れたモノの匂いを、自分の匂いとする。
東方からは・・・雨が降る。
ベッドという箱庭の中で小さく荒く揺れる白いシーツの雲。
恋人から降る雨。
幸せの哀しい雨。
「風呂、どうする?」
「明日・・・眠い」
小雨を受けながら眠りに落ちる。身体に回された暖かい腕を感じながら。
「そうか。おやすみ」
「おやすみ」
小さな寝息を聞きながら、東方は小さく恋人にキスを落とした。
「好きだよ。健」
この言葉を口にすることが単純に好きだった。たとえ南に聞こえていない瞬間でも。
−好きだ。俺のだ・・・
聞こえる瞬間に口にだすのは、もっと好きだった。
耳に届くと、南は照れたように頬を紅くして・・・穏やかに笑うから。
「健。おやすみ」
寝顔に小さく微笑みかけて、背中に回していた腕を横たわった身体の下から引き抜く。
−ん?
少し痺れてしまった腕を肩からさすって血行を良くしようとした瞬間の違和感。
−そういえば・・・
貴方は何を恐れているのですか?
−イライラする・・・
隣に珍しく東方はいない。南は安心して眉間に皺を寄せて溜息をついた。
申し訳程度に解放されている古びたサッシの窓からは、湿気を帯びた校庭の匂いを運ぶ生温い風が吹いてくる。その香りが嫌な記憶を呼び覚ますようで眉間の皺は更に深くなっていった。
−いつまで・・・
こんな生活が続くのだろう?
東方の欲望を満たす為だけに、この身体は在るのではないかという錯覚を起こしそうになる。いや、実際今はそうだ。
−もう・・・
離れた方が良いのかもしれない。
−嫌だ。
自分から別れを告げてしまえば、東方の心に傷が残るかもしれない。それだけは避けたかった。
−せめて・・・
想い出にされる覚悟はできている。いつか彼にとって自分が必要なくなることも理解していた。
それでも・・・せめて恋人として過ごした時を後悔されないようにしたい。
いつか、多くの時の彼方で・・・どうしようもなく、この身を欲しがっていたことを悔やまぬような想い出になりたいです。
想い出であり、鮮やかな記憶になりたいんです。
もう・・・・遅いのかもしれないけれど・・・・・・
壊れた歯車。歯車壊れた。
噛み合わぬ噛み合わぬ。
擦り潰されることすら叶わぬ。
お願い。咬み殺して・・・・
東方は今日も傍にいない。南にとって肩の力を抜ける唯一の時。
けれど・・・
「あの二人別れたのか?」
「んなわけねぇじゃん。あんだけベタベタしてんのに」
「うわっ、キモ」
人の耳はひそめられた声に敏感だ。自分への陰口と分かっているなら尚更。東方という防御壁がないことで雑音は明快に南へ届いていた。
−ウゼ・・・・
いつだったか自分たちの陰口をたたいていた二人だ。彼らは知らない。東方が南を守っているのではなく、南を抑えていたのが東方だということを。
そして今その枷は一時的に無い。
部長という立場。東方が戻ってくるかもしれない恐怖。
どうでもよかった。
ただ苛立ちをどうにかしたかったのだ。
そうすれば、きっとまた上手に笑える。
「よく気づきましたね」
「遅いくらいだ。もっと早く知るべきだった」
ただ理由は、在るべき筈の傷み。
それだけの違和感。
「東方さん。一つだけ言わせてください」
「何だ?」
「手に入ってるのに、恐いだけなんですよ。あの人は」
この腕が欲しい。どうにでもしてくれと君は強請った。
希みは叶えた。
「分かってるさ。あいつは昔からそうだ。でもな室町・・・」
要らないと伝えた筈の代償を君は払おうとしているのですね?
「俺は何度も教えたんだ。それなのに・・・あいつはちっとも分かろうとしてくれない。信じてくれない」
そんなの欲しくはないから、お願いです。傍に居てください。
「信じてるとは思いますよ。部長を怖がらせてるのは・・・負い目です、きっと」
総てを受け止めようと伸ばした腕を君は取った。
けれど背に腕は回らない。
まるで・・・いつでも逃げ出せるのだと嘲笑うかのように。
「本当に好きなんだ」
「分かってます」
「毎日言ってるんだ。ずっと言ってきたんだ。でもな・・・言ってもらったことはないんだよ」
「東方さん・・・」
「あいつは・・・・・健は俺を好きなのか?教えてくれ室町。もう分からないんだ」
恋しい人が恋する人。
分かってあげてください。
僕の想い人は、貴方の為に感情を、欲を棄てました。
分かりますか?
貴方以外を切り棄てたんです。
ずっと隠し通してきた痕がある。
−せめて・・・
この忌々しいものが消えてしまうまでは貴方の傍にいたい。
でないと・・・追いかけてしまう。
貴方がつけたのなら、消えなくて構わない。
つけてくれて構わない。
一生残ってくれていい。
でもこの痕は違う。
人が作り出した最上の熱によってついた痕。
消えてしまうまで・・・隠し通してみせる。
記憶でなく、想い出になりたいから。
「面倒だ。二人まとめて来い」
「南!!」
「騒ぐな千石。殴り合いするわけじゃない」
乱闘などする気はなかった。同じことを繰り返す程愚かじゃない。
「じゃあ一つ確認したいんだけど」
口の端を歪めて千石が笑った。
「勿論勝ちますよね?南部長」
嫌味なほど笑い返して見せると、強い視線と出会った。
「誰に言ってんだ?この試合形式なら、お前にも負けない」
培ってきたものがある。
「オッケー了解。こてんぱんコース宜しく。俺、あいつら嫌いなの」
「まかせろ。錦織、審判頼む」
単純な答えだ。テニスで実力を見せれば皆を納得させられる。
「部長。これで負けても言い訳できますね。二人相手だから負けたんだって」
ニヤニヤとした笑みに向かって挑発的に笑って見せる。
「違うな。俺が勝ってお前達が何も言えなくなるだけだ」
−雅美・・・
強くなりたい。
変われたら、まだ希みがあるかもしれない。
眩しいほどの穏やかなあの時が・・・まだ欲しくて仕方ない。
『東方先輩も、まともに見えて頭悪いよな。男にデレデレになるなんて』
その一言が血液を逆流させた。
『下らない陰口ばっかだな、お前ら』
その後はもう売り言葉に買い言葉。
「錦織。始めてくれ」
−負けたくない。
屈したくない。
−絶対負けない。
自分に。
「ザ・ベストオブ1セットマッチ・・・」
このかけ声を聞くと、どうしようもなく昂揚していく自分がいる。
「壇くん」
「ハイです」
「何で南が、この試合形式を選んだか分かる?」
激しいラリーの応酬。それでもポイントは南が決めていく。
「今の南の体力じゃ、二試合連続はキツイ。それに・・・」
「それに。何です?千石先輩」
「南はダブルスプレイヤーだからね」
何処に打ち込めば陣形が崩れやすいか。
ダブルスに不慣れなペアの何処に穴があるか。
ずっと東方と組み、全国まで行った南だからこそ知り得ていること。
友であり恋人でありパートナーである東方と築き上げてきた確かなものが自分のプレイの中にある。
−負けたくない。負けるわけがない。
共に創り上げた揺るぎなきものが。
「南!決めちゃえーー!!」
「部長ファイトですーーー!」
「健・・・・」
「東方さん。部長、笑ってますね」
「あぁ、楽しそうだな」
貴方を見守る幾つもの視線と友と・・・恋人の姿が・・・
「ゲームセット!」
いつか貴方の世界から恐れを消しますように・・・
「退部だとかそういうことを、お前達に強制する気はない。ただ俺は、ケジメをつけたかっただけだ」
静かな宣告だった。二年生二人は唇を噛み締め、何かを口にする気配すらない。
「今すぐとは言わない。どうしたいか自分で決めろ。ただ一つ、俺が謝らなきゃならないことがある」
謝罪を求めること、浴びせられ続けてきた屈辱の言葉に対する怒りも・・・南は何もぶつけなかった。
冷静であることを選んでいた。
こんな状況で激情が生み出すものは何もないと悟っていた。それどころか・・・
「見たくないものを見せたのは申し訳なかった。俺たちがみっともなかった」
頭を下げた。非は認めて。
「今日はこれで終わりだ!全員片づけに入れ!!」
見守っていた部員達に指示を出し、終わったことに安堵の溜め息をついた。
−やっぱ体力落ちてんな。
利き手で作った拳を握りしめ、自分を戒める。
−間違ってなかったよな。
変わる為に、自分がとった行動を否定したくはなかった。
悔しげに顔を地面に向け、一人が走り出す。それを追うようにして片割れが駆け出す様子に南は目を細めた。
−俺が思ってるように悔しがってるのなら大丈夫だろう。
勝負に負けたことか、屈辱を受けたことか・・・
どちらの悔しさを抱くかによって彼らの道は決まる。そこはもう南が口を出すべきことではなかった。
−俺は明後日から筋トレだな。
個別にシングルスで試合をしていたら、恐らく保たなかっただろう己の体力。取り戻すには時間がかかりそうだ。
−情けない。
「健」
「東方・・・見てたのか?」
穏やかに佇んでいた恋人が安堵を現すように南の肩に額を押しつけて長い息を継ぐ。
僕たちは、多くの言葉を交わしすぎた。
「心臓に悪いことしてくれるな。まだ体調戻ってないってのに無茶して、倒れたらどうしようかと思ってたんだぞ」
「ゴメン・・・」
だからどんな気の利いた言葉も、飾り付けた言葉も、取り繕った言葉も・・・意味は在れども、ただ触れる。という行為に勝てなくなっていたのかもしれない。
「でも良い試合だったな」
「っ・・・・」
泪が・・・流れ落ちるかと思った。
「明後日から筋トレするだろ?」
「え?」
「分かるよ。左右に対する動きが悪かった。体力落ちてる証拠だ」
また・・・泪が零れ落ちるかと思った。
「勝てないな。お前には」
僕たちは、互いの言葉を識りすぎた。
だから、こんな何気なく相手が自分に気づく瞬間に泪するのだろう・・・
世間が決める特別な言葉など要らない。
ただ二人にとって極上の色を特別とし続けているに違いない。
「雅美」
「ん?」
「ありがとう」
気づいてくれたことに最大の感謝を。
「何に対してありがとうなんだか分からない」
「だろうな」
喉の奥で、ククッと互いに笑う。南は、そっと東方の肩に腕を伸ばし、親愛の情をこめて、ポン。と叩いた。
紛れもなく穏やかな時。
それでも心の歯車が僅かにずれていた。
分かっていた。
でも・・・知りたくなかった。
−壊れた歯車−END
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