17:迷走 [ 35/51 ]


 やっぱさ、人間って理屈大事にするクセに、いざとなったら理屈こねたって怖じ気づくもんじゃん?

 俺もそうだったけどね・・・




「あっ、ん・・・」
「健」
 Tシャツの裾から熱い手が滑り込んでくる。目を閉じると、その感覚が強くなるような気がして南は決して目を開けようとはしなかった。
「ぅ、ぁ・・・!」
 肌を撫でられるだけで、こんなにも感じてしまうものだろうか?
「ま、さみ・・・」
 焦らすような触れ方。その先が欲しくて仕方なくて、南はシーツに縋った。決して東方の背に腕を回すことはせず、身体を撫で回す感覚だけに集中する。
「ふ、ぅっ、んぁ、ぁあっ・・・」
 顎を、クイ。と持ち上げられ、貪るように口づけられる。灼けるように熱が上昇する身体をどうにかしてほしくて南は目を開いて東方を見つめた。
−早く・・・
 ソコには閉じた東方の瞼があるだけで、キスがまだ長引くことを悟った南は大人しく受け入れ続ける。
「んぅっ・・・」
 鼻にかかった甘い音。
 東方の興味が自分の身体から逸れないように必死に声を殺さないよう喘ぎ続けた。
「ぁ、はっ・・・・・」
 それでも東方は腰や頬を撫でるだけで先には進まない。焦れて叫びそうになる。
−早く・・・
 遠ざかってしまった唇。もう一度キスが欲しくて見上げると、東方は戸惑うように笑う。
 筋張った指を従えた両の掌が包むように頬に触れた。
「今日は止めておこう。気持ちは嬉しいけど、ここまで。な?」
 額をコツ。と、ぶつけて幼子に諭すような仕草。
−何で?!
 欲しいのに。
−言ったのに!
 ソレできっと曖昧なこの距離が動き出すと思っていた・・・
「ふざけんな!!」
 素早く頭の下にひいてあった枕を掴んで東方の顔面を殴りつける。
「嫌なら嫌って、はっきり言えばいいだろ!!まだるっこしいことしやがって!!」
「嫌なんて思ってない!落ち着けって!」
「るせぇ!!」
 性欲の熱が冷えていき、憤りに姿を変えて体内を駆けめぐった。
−いや、違う・・・
 もどかしさ、哀しみ。
 いや、何か違う。泪すら流れない。
「健!」
「呼ぶな!!」
 声を聞くことすら耐え難く、怒りにまかせて東方のミゾオチに蹴りを入れた。
「ぅ・・・っ!!」
 腹を抱えてうずくまる姿にすら憤りに似た感情がこみ上げる。
−もう、要らない。
「こんなの、生殺しだ!」

 貴方の腕さえあれば、総てを受け入れられるかと思った。
 それが全部じゃなくて、ただ欲しかったのも事実。

「そんなに・・・」
−こんな躯は要らない・・・
「雅美。そんなに・・・そんなに俺は汚いか?」
 抱けない程に?受け入れられない程に?
「健、ちが・・・」
「そんなに嫌なら、あの時放って帰ればよかったんだ!俺の身体洗ったりしなきゃ、床に放ったままで帰ればよかったんだ!お前だって後悔してんだろ!!」
−俺の何が悪いんだろう?
 何でこんなに罪が増幅してるんだろう?
−何で?
 汚れてない。と言うくせに抱かない。

 そんなに、この身体の存在は悪いことなのだろうか?
 希んで亜久津に抱かれたわけではないのに、何故こんな目にあわなければならない?
 何が、この運命を持ってきたのだろう?


「何で抱いてくんねぇんだよ・・・」
 泣き出す一歩手前のか細い声で訴える。
−違う!
「・・・っ!!」
 腹部に受けた衝撃のせいで東方は声が出せない。ただ、南が消えることを恐れて手を伸ばした。
「触るな!!」
 体温を嫌うようにベッドを降りる腕を咄嗟に掴んで引き止める。
「行、くな・・・」
 呻くように流れた言葉は南の動きを一瞬止めただけで、振り返らせる力は持たなかった。
「もう、沢山だ・・・こんなんでお前の傍にいたら辛いだけなんだよ」
 抑揚のない言葉運び。
「ま、て・・・!」
 財布と携帯だけを掴んで出ていく背。
 痛みを堪えて身体を起こすコトはかなったが、その時すでに南の姿は室内に無かった。
「辛い・・・か・・・」
 亜久津との行為にではなく、自分の傍に在ることに対して向けられた言葉を反芻して東方は気力を失った。
−亜久津じゃなくて、俺なのか?
 君を苦しめるのは。
−俺だったのか?
 ずっと君を泣かせていたのは・・・

 君が憎んでいたのは、この身の存在ですか?


 適当に視界に入ったモノ総てを蹴りつけながら夜道を歩く。
−畜生、クソったれ!
 追っても来ない恋人。
−知るか!
 人通りはまばらで、素っ気ない街灯に蛾がまとわりついている。ライトの熱で光に触れるコトはできず、それでも本能で灯りを求めては、また熱さで距離を取る。その無様な姿に自分が重なり、南は泣きたくなった。
−行くとこ・・・ねぇな・・・
 携帯を取り出し、メモリに並ぶ名前をスクロールさせる。
−学校の奴らのトコは、ちょっとな・・・
 どうせなら、私生活が程々に疎遠な人間の傍が恋しかった。何も無かったフリをして笑って時間を過ごしたい。
−イナとか室町は当然無理。千石は問題外。やっぱ他校か・・・最悪錦織だな。
 よくよく考えてみれば、他校に知り合いは少ない。かと言って自宅に帰るのは避けたい。
 行くあてもなくトボトボと歩きながら、大して量が多くないメモリを目で追う。
『東方雅美』
 その文字が視界に入ってしまい反射的に心中読み上げ、舌打ちをした。
−雅美・・・
 恐らく、もう見限られただろう。
−これで、お前も自由だな。

 ただ、貴方の傍で幸せに在りたかったのに・・・
 貴方は、この身体を受け入れることができなかった。

 幸せになりたかったのに。

『ねぇ南。幸せ?』

 そう、自分に問うた人がいた。

「幸せに・・・なりてぇよ」

 冗談めかした言葉。でも目線は真っ直ぐで、そう問うた強くしなやかな人。

「菊丸・・・」

 あの存在の近くにいれば、何か変わるだろうか?
 いや、あの和らかい印象に惹かれている自分がいる。

 通話ボタンを押す指が震えた。


『もしもし?』
「あ、菊丸?南だけど」
『うん。どしたの?』
「夜遅くにゴメンな」
『遅く。って、まだ九時じゃん』
 嫌味なく電話口で笑う声に、張りつめていたものが圧力を低下させた。
「あのさ、無理だったらいいんだけど今から少し会えないか?」
 泪がこぼれそうになって、声が少し震える。菊丸に気づかれないよう必死に明るい音を作った。
『ねぇ、南。俺今から変なこと言うけどさ、違ってたら笑い飛ばしてね。もし正解でも隠せる程度なら隠して。でもダメだったら、そう言ってね』
 菊丸は、不思議なことを言ってのける。思い返すと、いつも会話をする時、唐突なことを言い出すタイプだった。
「あ、っと・・・分かった」
 それでも、バカ。だとか、変。だとか負の印象を与えられたコトは無かった。それは菊丸独自の培ってきた性質だろう。
−何言われるんだろ。泣いてる?とかか?
 携帯を持つ手が震え続けている。泣いてるか?と問われれば、菊丸の進言通り、隠すつもりでいた。


『南は今、痛いの?』


 その言葉が、何の痛みを表しているか知る術は無かったが、充分に心を掻き乱す。
「・・・っ!!」
『南』
 抑揚の無い声で、菊丸が名を呼ぶ。
 それだけで堪えていたものが流れ出しそうになった。
『まだ泣いちゃダメ』
「菊丸。俺・・・」
『泊まりに来なよ。それまで我慢。できるよね?』
 子供に告げる言葉運びにも関わらず、対等な語りで綴る言語にほだされ、南は目尻の泪を己の腕で拭った。
「あぁ、我慢する」
『うん。待ってるよ、おいで』



 その暖かい口調に、何故か東方を想う自分が嫌だった。



『駅出たらコンビニあるから、そこで待ってる』
 電車に揺られている間も、その言葉を思い出すだけで何故か泪が頬を伝いそうで、ずっと下を向いていた。泣かないように思い出す楽しいこともなくて、ただひたすら何も考えないようにした。
−あそこか。
 菊丸が言っていた通り、忙しない雰囲気の灯りが夜道を照らしている。入り口横に備え付けられた公衆電話の傍らに跳ねた髪の毛が顔を覗かせているのを見付け、駆け出した。
「菊丸!」
 声に反応したクセ毛が、ユラ。と揺れて身体ごと南の視界に入る。
「南!」
 クリ。とコチラを向いた菊丸が両腕を差し出した。
「よく我慢できました」

 ただ、東方でない腕に縋りたかったのかもしれない。

「ぅ・・・っく・・・」

 もう、あの腕を欲しがっても無駄だと解ってしまったから・・・

「男が、すぐ泣くなんてカッコ悪いよ」
「ゴメン・・・」
 責めるような言葉を言いながらも、菊丸の口調は何処か笑っているようで、南はその華奢な身体にしがみついて声を殺して泣いた。


 東方の背に回せなかった腕で・・・受け入れてくれる友に縋った。

−何でかな?


 一日にこんなに、がむしゃらに泪を何度も流すなんて、やっぱり神経がイカレてる。そう思った。

「落ち着いた?」
 見上げてくる視線は、やはり労るように笑っていて、南は同じように笑って返す。
「あぁ。悪かったな。急に」
「気にしてないよん」
 子供のように笑って南の手を取り菊丸は歩き出した。かと思うと、突然立ち止まる。
「大石。先帰って風呂沸かしといて。それと、アレの準備ヨロシク」
 近くの電柱の陰に話しかける菊丸。姿を現した大石に面食らって南は呆然と歩みを止めた。
「分かった。すぐ戻るんだぞ」
「ほいほい」
 夜道に同化していってしまった後ろ姿を、ただただ見送って南は恐る恐る口を開く。
「菊丸。もしかして・・・」
「そう。俺今日大石のトコに泊まりなんだ」
 繋いだ手をブラブラとさせて菊丸が、ほわ。と笑った。
「あっと、俺・・・帰った方がいいな。ゴメン邪魔して」
 部活に精を出しているからには、二人きりで過ごす時間は少ない。それを分かっているからこそ、南は頭を下げた。
「いいんだよ。南の痛いの治す方が優先」
「でも大石が・・・」
「怒らないよ。そんなダメな奴と付き合わないから俺」
 まるで大石の心を総て理解しているような口振りで菊丸は頬笑む。自信。というよりは、絶対的な信頼関係を感じた。
−いいな・・・

 自分たちにはそんな関係があったのだろうか?

 それすら思い出せない。

「んーでも、南の痛いの治すのは俺には無理かな」
「へ?」
 繋いでいない空いた左手で、菊丸が肩に触れる。
「だってさ、俺が治せる程度の痛いなら、さっき泣いたので治ってるじゃん?つまりは、そういうこと」
−わけ分かんね。
 この友は何故だか、よく笑う。嫌味は無く、支離滅裂だけれどもヒドク印象に残る言葉。
「俺には、お前の言葉は難しいな」
「何だよー!ヒド!・・・まあ、いいや。コンビニ寄ってこうよ。南着替え無いでしょ?服なら貸せるけどパンツは貸せないからね。買って帰ろう!」
「デカイ声で、パンツって言うなよ・・・」
「いいじゃん!皆穿いてるもんだしさ!」
 大声で笑う菊丸に苦笑しながら、硝子張りの扉の前に立った。



「大石。ただいまー!」
「お邪魔します」
 家主の返事を待たずに靴を脱いでパタパタと走り出す菊丸。戸惑っている南を察し、ヒラヒラと手招きをした。
「おかえり。用意できてるぞ」
 台所で何か作業をしていた大石が振り向いて柔らかく微笑む。菊丸は迷わず駆け寄って抱きついた。
−俺には無理だ。
 素直な情の表現。自分が最も苦手とする行為を目の当たりにし、南は俯いた。
−少しはしてたら良かったのかな。
 そうすれば、東方との関係も多少は違うものになっていたのだろうか?
−今更だな。
 もう、言えないし触れられない。そんな関係を作ってしまったのは自分なのだから・・・
「英二。南を風呂場に案内してやってくれ」
「ほいほーい」
 何処までも自分の言葉で話す友。その佇まいにヒドク憧れる自分がいた。

「南。さっぱりした?」
「あぁ」
 濡れた髪を掻き上げながら台所へ戻ると、菊丸がすぐさま駆け寄って来る。
「大石。風呂ありがとう。それと、パジャマ借りて悪いな」
「構わないよ。サイズが合って良かった」
 袖を通した借り物のパジャマからは太陽の匂いがしていた。まるでそれを知っているかのように菊丸が袖口に頬を摺り寄せてくる。外見と比例した猫のような行動に南は小さく笑って赤めの髪を撫でた。
「南。部屋に行こうよ」
 無邪気に笑って手を引いてくる。
−平気だ・・・
 あれ以来東方以外に触れられることは、正直多少の違和感を感じていた。けれども菊丸はそれを感じさせずに自然に触れてくる。
−雅美・・・


 これは、裏切りではないですよね?


 階段を上ると、真正面の部屋がまず視界に入る。それは手招きをするように扉が浅く開いていて、目的地なのだと何故か理解した。
「適当に座ってて。すぐ戻るから」
 背もたれの代わりだ。と手近にあったクッションを渡し、友人は階下へと向かう。
 パタパタと忙しない足音が聞こえてきて、ソレが聴覚から消えるまで南は動けずにいた。
−アクアリウム・・・
 手持ちぶさたで辺りを見回すと、大石の所有物であろう水槽が目に入る。
−キレイだな。
 持ち主の几帳面さを顕わすように丁寧に管理されている水中の様子を眺めた。
−でも、狭い世界だ・・・
 小さな水の中でしか生きられない。けれど、何の不都合も感じていないのだろう。

 目の前の世界しか知らないのだから・・・

−俺もそれで良かったのに。

 あの腕以外、欲しくなかった。

−今更だ。

 小さな小さなキレイな世界。表情が無い筈の住民達が笑っているような錯覚すら覚える。
「大石で良かったな。お前達」
 嫌味半分、本気半分で訴え視線を外した。
−・・・。
 かろうじて持ち出してきた携帯のディスプレイを開く。変わりない待ち受け表示を続ける画面を見て小さく笑った。
−これで、良かったか?
 それでも僕は、貴方の腕の中の小さな世界に在りたかった・・・


 水槽の水が、小さく揺れて音をたてた。
 嘲笑うかのように・・・


「南。おまたへ!」
 ボーッと水を眺めている間に菊丸は戻ってきていて、南の傍へ座った。
「ソレ、何だ?」
「菊丸特製ホットサンド!」
 満面の笑顔で差し出された皿の上には、チーズがとろけた見るからに美味しそうなサンドが二つ。
「お腹空いたでしょ?食べなよ」
−アレ。って、コレのことか。
 コンビニの前での二人の会話と、台所で作業をしていた大石の姿を反芻し、ようやく意味が合点した。
「泣いたらお腹空くもんね。はい、アーン」
「いいって。自分で食べるって!」
「照れてるぅ。可愛い南〜」
 心地よい空間。東方の隣では久しく手に入れてなかった雰囲気に、泣きたくなった。
「南。男が泣くなんてカッコ悪いよ」
「へ?」
 泣きたいだけかと思っていたが、涙腺は感情に敏感だったらしく、意志とは裏腹に泪を落とし続けている。
「ゴメン。情けないな俺」

『健・・・』

−雅美・・・
 泪を拭ってくれる腕は、もう遠い。
 今、貴方は楽になっていますか?

「ねぇ、南。さっきの電話で言ったコトと同じ要領。OK?」

『俺今から変なこと言うけどさ、違ってたら笑い飛ばしてね。もし正解でも隠せる程度なら隠して。でもダメだったら、そう言ってね』

「あぁ。分かった」
「東方じゃない腕は、痛かった?冷たかった?それとも、熱くて気持ち悪かった?」
−?!
「東方じゃない身体知ったから、知りたくもないのに知ったから・・・南は痛いんだよね?」
「菊丸・・・」
「ココ。痛いんだよね?だから泪出るんだよね?」
 南の心臓の部分に触れて、菊丸は穏やかに笑った。
「幸せが、怪我したんだよね?痛いんでしょ?」
 端から聞けば意味が分からないだろう言語の羅列。けれども、会話を成す二人の思うことが合点していれば通じる言葉運びで菊丸は語った。
「何で・・・分かったんだ?」
 胸元に触れる掌に自分の同型を被せるようにして南は俯く。
「俺はね、冷たくて気持ち悪かった」
「?」
「冷たかったクセに段々熱くなっていって、大石じゃない体温は嫌で仕方なくて・・・でも、どうしようもなくて・・・大石じゃないのが、何でこんなにダメなんだろう?って思った」
 戸惑う南の胸元に頬を摺り寄せ、菊丸は長い息継ぎをするように溜息をこぼした。
「でも、南は平気。触ったって大丈夫。だって俺と同じだから・・・」
 体重を預けるように移動した菊丸の身体を、無言のまま抱き締める。
「おんなじ痛い。だから・・・南は平気。恐くない。だから・・・南も俺を恐がんないで。哀しくなるから」
 甘えるように抱きついてくる背を撫でて、南は菊丸の肩口に顔を埋めた。
 与える言葉が見つからない代わりに・・・

−雅美・・・
 あなたもこの感情を抱いて、抱き締めてくれていたのですか?


−迷走−END

[*prev] [next#]





「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -