15:哀絶 [ 37/51 ]

「部長・・・」
「顔洗ってくる」
 部室内の片づけを終え、皆を帰らせる。横目で様子を伺う後輩達に笑顔で気遣うこともできず、南はシャワールームへと消えた。
「俺じゃ・・・・」
 聞こえぬことは分かっている。
「駄目ですよね・・・部長」


 ただ一人の手しか欲しがらない貴方・・・



「室町。健は何処だ?」
 静かに開いた扉から東方が入ってくる。大柄な身体は室町の視界の中で不快の象徴となり、視線を向けることなく答えた。
「顔を洗いに行ってます」
「そうか・・・」
 うなだれるように俯いた東方を一瞥して、また視線を外し、室町は軽蔑の言葉を発す。
「今、貴方は最低の人間ですよ」
 自分だったら泣かせずに済むのだろうか?
「だろうな。分かってる」
−いや・・・
「だったら余計に救いようがありませんね」
 たとえ自分の腕の中でも、彼の人は泣いていただろう・・・
「そこまで言われると気持ちがいいよ逆に」
 仮定の域を出ない例え話でしかないけれど・・・
「じゃあ、ついでに言わせてもらいます」
 あの手が自分を欲しがらないことは知っている。
「・・・俺だったら泣かせたりしません」
 多少引っかき回すことぐらいは許されるだろう。
「まぁ、そうだろうな」
 だらしなく腰から机に寄りかかり、室町より僅かに高い視点から言葉が繰り出された。
「健は、お前の為に泣いたりしない」
『雅美・・・』
−嫌というほど知っていた。
「お前の名前を呼んで泣いたりしない」


 この男しか欲しがられない・・・


「・・・!!」
 気づけば身体が動いていた。白い布地を掴んで、いつもより低い位置にある視線を引き寄せる。
「随分と自信があるんですね」
「事実を述べただけだ」
「貴方の態度。一発ぶん殴ってやりたいくらいですよ」
「健が泣いてもいいならやれよ」
−この・・・!!
「うわぁ!室町!!何やってんだ?!止めろって!!」
 腕を振りかぶった瞬間に扉が開いた。と同時に新渡米と千石が慌てて駆け寄ってくる。
「どうしたの室町くん!?」
「・・・」
 忌々しそうに掴んでいた手を離す。その表情は読み取りにくかったが、僅かに憤りともどかしさが感じられた。
「二人とも気にするな。俺が挑発したんだ」
 力の抜けた嘲笑を浮かべながら襟元を整える東方。
−健・・・

−誰か・・・逃げ道を教えてやってくれ。

 自分の腕で導いても南は来ない。
 誰だったら巧く教えてやれるのだろう?


 もう、分からない。分かりたいのに・・・




「!!」
 ジャリ。とシューズのゴム底が砂を擦る僅かな音に、東方は過剰なまでの反応を見せた。
 振り向けば濡れて落ちてきた前髪を、鬱陶しそうに指でいじっている南の姿。
「健!!」
 風で飛んだ紙切れを追うかのように必死になる。その中に、先程まで室町に向けていた攻撃的な姿勢は微塵も感じられなかった。
「・・・」
 だが、南は東方に一切視線をくれずに鞄の方へと歩いていく。
「健。待ってくれ!」
 前方に回り込んで移動を阻止する。
そんな姿に南は迷惑そうに顔をしかめただけで言葉を発そうとはしなかった。完全な拒否の姿勢に東方は困ったように南の顔を覗き込む。
「あのな、さっき新渡米と千石から事情聞いたんだ」
 東方の言葉に一々眉間の皺を深くしながら押し黙る。
「からかわれたんだってな。ゴメン。いきなり殴ったりして・・・」
 赤く腫れている頬に触れようと手を伸ばすも、自分がやってしまったという負い目から震えてしまう指先。
「・・・」
−触るな。
「・・・・!」
 容赦なく無言で振り払われる。できてしまった隙間を縫うようにして去ろうとする背。
「健!」
 逃げにくいように腰を掴んで引き寄せた。そのまま肩口に顔を埋め、強く抱き締める。
「ゴメン。本当にゴメン」
−どうして分かってもらえない?

 こんなこと謝ってもらったって仕方ない。
 ただ身体の繋がりが欲しい。
 抱き締めてもらうだけじゃ意味がない。



「離せよ!!」

 そんなにも・・・いけないことですか?

「健!話聞いてくれ!!」

 SEXって・・・そんなに浅ましいですか?

「うるさい!!」

 何で・・・自分を汚いと今思うんだろう?

「聞けって!頼むから!!」

 世の中には売春やってる奴らがいるじゃないか。

 そいつらの方が穢れてる。自分の方がキレイだ。

「触るな!お前に触られたくない!」

 何で、亜久津だから汚れてるんだろう?
 何故、東方だったら平気なんだろうか?

「健・・・」

−何で俺・・・汚いんだろ?

−何でSEXしてくれないんだろ?


 あぁ、そうか・・・



「汚れる。お前まで汚れる!!」


−ずっと・・・言われてたんだ・・・





−汚れ物−




 だから抱いてくれない。
 だからキスしかしてくれない。
 だからあの日突き放した。
 だから・・・邪魔?


 穢れてるから。
 唯一キレイな場所だから。
 東方だって汚れを移されたくないに決まってる。
 ・・・もう、不要物になった。

「バカなことを言うな!」
 だってSEXを求めない。
 この身体に欲を感じないからだ。

「バカじゃねぇよ!お前だって思ってんだろ!」
「思ってない!何処が汚いって言うんだ?!」

 貴方は無言で言い続けていたじゃないですか。

「全部だ・・・全部汚ねぇよ」

 汚れてるから抱かないのだと。

 全身で表現し続けてたじゃないですか。


 俺が自分から消えるのを待っているんですか?


「そんなに言うんだったら汚せ。俺を汚せばいいだろ!」
 息継ぎも出来ぬ程、恋しい身体に締め付けられる。
「健。お前に触れなくなるぐらないなら、汚れる方がマシだ」


−キレイな身体の人間に、汚れた痛みが分かるもんか。

「ふざけるな!クソったれ!」
 東方にそうされたように、平手で思い切り殴りつける。
「汚れる方がマシなんて無神経にも程がある!」
 言葉を間違えたことを悟ったのか、その表情は固い。
「どうせ邪魔だって思ってんだろ!」
「・・・・・」
 だが、弁解の言葉は無い。
「俺の面倒なんか嫌気さしてんだろ!」
 今度は拳で顔面を殴りつける。それでも東方は言葉を発さなかった。
「離せ!触るな!!お前だって触りたくもないんだろうが!!」
 首筋に爪を立てて引っ掻きまわしても、膝を蹴っても、髪の毛を引っ張ってみても、東方は無表情のまま腰に回した手だけに力を入れて拘束し、後は南の好きなようにさせるだけ。
「どうせ汚れ物だ!泣いてばっかの役立たずだもんなあ!!」
 踵で思い切り東方の足を踏みつけた。それでも眉一つ動かない無表情。無言。
「離せって言ってんだろ!俺の相手なんか嫌なんだろ!離せ!離せ!!離せぇ!!」
 地団駄を踏んでヒスを起こす南の姿にも動じず、ただ収まるのを待つ姿に憤りが募る。
−止めないと・・・
 でないと棄てられる。
「子守にウンザリしてんだろ!それとも慈善事業のつもりか?!迷惑だ!!」
−もういい、好きにしてくれ・・・
 疲れてしまった。
「同情か?!それとも一回面倒見た責任か?!んなもん要らねぇよ!!」
 何故怒らない?怒り狂ってくれたらいい。
「いっそ殺せ!!殺せばいいだろ!!」
 怒りのあまり勢い余って殺意を抱いてくれればいい。
−お前にだったら・・・
 殺されてやる。
−お前の顔を見ながら死ねるなら本望だ。
 理性を失って、この頭を床に叩きつければいい。簡単だ。それで終わる。
「そしたらお前も楽になれるだろ!殺れよ!」


 求められるコトを待ち続けて、泪を押し込んで、言いたいことも選ぶようになってしまった己。



 楽にしてください。



「できねぇのか!ヘタレが!!離せ!望み通り消えてやるよ!!お前なんか要らない!!」
 東方の頬は紅く腫れ始めていた。首筋の引っ掻き傷からも血が滲んでいる。衣服の下も、やがて痣になるだろう・・・

 それでも東方は無言で耐え、受け入れていた。
 甘んじてそうされているようにすら見える。


「そんなに俺が可哀相か?!同情か!」
 この身体を抱けば、彼も汚れますか?


「偽善者のクソッタレが!」
 神様・・・お願いします。



 この人を汚さないで下さい。



 この身体とのSEXで・・・彼が汚れないようにして下さい。
 それなら抱いてもらえるかもしれない。
 その分の汚らしさは、総てこの身に。
 それならいいでしょう?ねぇ?


 ダメですか・・・じゃあ・・・


「お前の顔なんか見たくない!お前なんかいなくても生きていける!」


 もう、一生恋ができません。


「喜んで別・・・・っ!」
 喉の奥に本能が詰まったように言葉を繋げない。
「どうした?続きは?」
 ここでやっと東方が口を開いて問うた。


 俺は離れたく・・・ないのに・・・


「絶対に別・・・っ、れ・・・」
 最後は声にならなかった。いくら心で思っても身体が拒否をする。東方と別れたくないと言葉を紡ぐことを拒絶していた。
「・・・っ、ん・・・・」
 唇に暖かい温度が触れる。静かに、和らげるようなソレに泪が溢れた。
−好きなのに・・・
 言えない。

 好きです。好きです。
 決して言えはしないけど・・・好きなんです。

「健。それ以上言ったら・・・怒るぞ」
「もう、キレてるじゃねぇか!」

−何でこんなに辛いんだろう?
 恋ってもっと楽しいんじゃないんですか?

 恋って何ですか?
 これでも恋なんですか?
 愛じゃなくて恋なんですか?



 神様・・・この人だけは取り上げないで下さい。



「もう・・・怒ってるだろ!」
 怒鳴りすぎで頭がクラクラして腕すら動かない。しがみつくこともできない。ただ涙腺だけが過剰なまで機能し、相乗するように激しく嗚咽がこぼれた。
「・・・健。本当に俺は要らないか?」
 腰に回っていた手が緩やかに意志のもと解かれ、泪と体温の上昇でグシャグシャになった頬に触れた。
「俺はお前がいなくても平気な奴だと思ってるのか?」
 水分を拭うでもなく、ただ宥め方を忘れてしまった腕のように・・・そっと触れるだけ。
「俺は・・・そんなに邪魔か?」

 泣く僕を疎ましく思わないのですか?

「・・・・っ・・・!」
 首を横に振るだけで精一杯の南の背に腕を回し、東方は安心したように息をついた。
「良かった・・・ゴメンな」
「っ、う・・・」

−どうしよう・・・
 誓約が・・・戒めを・・・破ってしまった。
−傍にいられる時間が減ってしまった。
 泣かないと、我が侭を言わないと、困らせないと・・・
−決めたのに。


−棄てられる。謝らないと。今のうちにこのシガラミを取り除かないと。

 独りになる準備がまだできていない。


「雅美・・・ゴメ、ン・・・俺っ、俺・・・!!」
「どうしたんだ?」
 明らかに先程までと泣き方が変わってしまった南の姿に驚いて、東方は恐る恐る背をあやした。
「俺、思ってっ、・・・ない・・・言う、つもり、な・・・っ、・・・」
−棄てないで。棄てないで。
 要らなくしないで。棄てないで。
「何だ?落ち着けって」
−もういい。抱いてくれなくてもいい。だから・・・
 疎まないで下さい。
「こんなこと、する・・・っ気なく・・・ゴメ、ゴメン・・・」
 傍に置いて下さい。
「怒らないでくれ・・・頼むから・・・」


 ねえ神様。

 たとえ愛に成り下がる感情だとしても・・・
 この腕が欲しいです。
 獣欲の為だけでも構わない。
 この熱を感じるコトが恋しいです。

「怒るって、何言ってるんだ?」

 東方雅美という存在が、今どうしようもなく欲しいです。
 恋しいです。好きです。大切です。離せません。

「嫌われるのは・・・嫌だ」

 ねぇ神様?
 僕は大事なモノを奪われました。
 だから・・・

「何でもするから!なぁ!だから!!」

 永久をください。

「嫌われたくない・・・何でも言うこと聞く。何でもする」

 この腕の中に永久をください。

 この恋しい人の傍に在る為の永久をください。

「邪魔なら帰るし、煩いなら黙る。もう殴ったりしないから!」

 これから先のどんな幸福を奪われてもいいです。
 この人と別れる運命の果てに、どんな大きな幸せがあっても要りません。

「だから、だから!雅美・・・」

 貴方にあげます。だから・・・

「何でもするから!嫌われるのは嫌だ!!」

 この人が欲しいんです。永久に欲しいんです。

「嫌いにならないでくれ。それだけは・・・」

 こんな男一人ぐらい、くれたっていいじゃないですか。
 あんたには大した価値ないでしょ?

「健、お前何を言ってるんだ?」

 あぁ・・・やっぱりそういうオチ?


「興ざめだな」

 解かれた腕。互いの身体にできた隙間に開いた扉から送られてくる風が熱を奪った。

−何を間違えたんだろう?

 優しい腕が僕を置いて行きました。

−終わりだ・・・

 これで貴方は自由になれますね。

−棄てられた・・・


 この泪に心を揺さぶられることも、この身体を抱いて眠ることもしないですむ。

−棄てないで・・・

 もう一日だけでもダメですか?

−雅美。好きだよ・・・


 夏の陽射しに溶け込んでいく背。追うこともできず南はその場に座り込んだ。

−もう少し。もう少し。

 聞こえてしまえば、戻ってくるかもしれない。

−ダメだ。

 大声をあげて泣き叫べば戻ってきてくれるかもしれない。

−せめて・・・

 そんな、みっともないことできやしない。

「う・・・っ・・・・」

 小さく呻き声がこぼれたところで我慢の限界がきた。
 もう、止まらない。

「まさ・・・雅美・・・雅美・・・っ!!」



 これで・・・貴方は幸せになれますか?

−哀絶−END

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