14:忌諱 [ 38/51 ]
『お前がいないと呼吸すら、まともにできない』
伝えてしまえば、たとえ心が向いていなくとも、傍には置いてくれますか?
「何の騒ぎなんだこれは!?」
引き倒された机。入り口付近という、在るべき筈の場を離れた椅子達。グシャグシャのノート。散乱した黄色い球。手当たり次第投げ尽くされた備品の数々。
その光景はまさに荒れ果てたものだった。
「健!どういうことだ?!」
破壊のかぎりを尽くした物体の中央に立ちつくす南の腕を取る。
−五月蠅い。
「俺がやったんだよ!文句あるか?!」
何が君をこうまでさせるのですか?
「健!!」
「五月蠅い!呼ぶな!!」
君を持て余している自分がいます。
「お前っ!いい加減にしろ!!」
振り抜かれた右腕。勢いよく右に逸れた頬。痛みと熱で痺れる。ジーンと衝撃が燻り、希んでもいないのに床を映す視界が水で濡れた。
「何をそんなにヒス起こしてるんだ!備品も滅茶苦茶にして、お前は管理する側だろ!」
−そんなの知るか。
腹立たしさから目を細めると、ピントの合わない顕微鏡のように景色が崩れる。
「怪我人がでたら、どうするつもりだったんだ?!いつからそんなに考え無いことをするようになった!?」
−抱きもしないくせに。
あの日、もたらされたのは・・・暖かさでもなく優しさでもなく・・・
自ら触れることは許されない戒めと、半端な快楽。
欲しいと示せば突き放された。
「今すぐ元通り片づけろ!!健!聞いてるのか?!」
貴方は一体俺をどうしたいのですか?
「・・・っ・・・・」
離れるな。と引き寄せられて、欲しがれば離されて。
「・・・健?」
どうしろと言うのですか?
「健」
もう、俺を呼ばないでください。
離れたくない理由になってしまうから。
固く噛み殺した嗚咽。瞬きをする毎に水分はポタポタと両眼から落ち、その度に視界は歪みを無くしては直ぐさま新しくこみ上げる涙によって再び曇った。その堂々巡りの様は自分の人生に似ていると思う。
「あっ、と・・・ゴメン。言い過ぎた。ついカッとなって、その・・・」
途切れ途切れの声に反応するように、奥歯がギリと口内で鳴った。薄く削れたエナメル質がザラザラと不快な感覚をこみ上げさせ、歯茎が重圧に耐えきれずに痛みを訴える。
「健」
−呼ぶな。聞きたくない。
触れようと伸びてくる速度に合わせて一歩足を後方に身体ごと引く。
それだけで東方の指先は戸惑いを見せた。
「・・・・・」
パタパタと床に落ちる血痕のような泪の跡に沿って歩みを進め、南は新渡米と千石の前に立った。
「ゴメン」
「南・・・」
俯いたままで謝罪の言葉を発す。二人の返事も待たず、今度は錦織と室町の前に立つ。
「悪かった」
そして部室の隅で傍観していた部員達にも謝罪をし、南は一人で片づけを始めた。
−チクショウ。
倒れた机を立たせ、椅子を連れて戻る。
カゴを持ち上げ、罠のように散乱したボールを一つ一つ拾い上げては中に入れた。
−みっともない。
暴れたのは自分。片づけるのは当然。東方の言い分が正しいコトは分かっていた。
それでも泪が作業を邪魔し、足跡のように南の辿った道を残す。幾つもの点の集合。そのうち床全面が濡れてしまうのではないかと思うほど止まらなかった。
−何で俺は戻れない?
過ぎた日々を懐かしく思うのは、齢を重ねたからではなく渇望のせい。今も生々しく残る傷跡がゆえ。
−情けない・・・
いつからこんなに浅はかな人間に成り下がったのだろう?
触れようと伸びてくる恋人の腕からことごとく逃れ、散乱する備品を一つずつ元の位置へと運ぶ。
思考は腹立たしさに根こそぎ持って行かれ、泪が止めどなく落ちていった。
「東方」
「ちょっと顔かしてもらおうか」
南を追いかける形で行動していた東方の両肩に手が触れる。新渡米と千石だった。南に視線を置いたまま、大柄な身体を引きずるようにして部室を出ていく。
「待てって!俺は健に・・・」
「いいから来い!」
東方の申し立ては即座に掻き消され、三人の姿は消えてしまった。
−何でだろう?
何故こんなにも巧くいかない?
−こんなことしたいんじゃない。
言いたかったわけじゃない。
−判ってる。
してほしいことがある。言いたい言葉がある。したいことがある。言って欲しい言葉がある。
−無理だ。
口に出すことは許されない。自ら腕を伸ばすことは許されていない。
感情のバインダーに綴られていくばかりの不満。
もう一杯だと解っているのにファイルは増えていくばかりで、新しいページがかさむ度に留め具がギシギシと不機嫌さを表現した。
−error−
バインダーの管理シグナルが限界点を告げる。
脳信号はバグばかり。
もう、ダメですか?
その答えは委ねてある。
ただ一人。欲しいと思える人に。
想っている人に。
「止めてくれ。俺がやるから」
部屋のあちこちに散乱してしまったボールを集めて回る為に抱えていたカゴに、第三者の手から落ちた球体が一つ、二つ。
「手伝いますよ。一人でやったんじゃ、なかなか終わりませんから」
足元の球を、また一つ拾い上げて室町は無表情のまま。
「俺がやったんだから責任持って片づける」
言い張る南を無視するように室町が椅子の位置を整えた。
「止めろって室町」
「南、俺も手伝うよ」
横倒しにされた長椅子を起こしながら錦織までもが告げてきた。
−止めてくれ。
自分のバカバカしさ、子供っぽさを思い知らされる。好き放題暴言を吐いたうえに暴れ散らしたのだから、無視されても仕方ない状況なのに彼らは南を気遣おうとする。
『いい加減にしろ!』
「止めてくれって言ってるだろ!俺がしたんだ!俺が片づけないと!でないと・・・」
『健。好きだよ』
言ってもらえない・・・
「頼むから!!」
ヒステリックに叫ぶと、二人の手が止まった。
「また・・・また・・・っ」
声にならない言葉。東方以外に隠し通せる程大人ではない自分。
−笑わない・・・
殴られたことより、怒鳴られたことより・・・
自分を見て顔を曇らせ、笑わないことが何より辛い。
傍にいられる執行猶予は、あとどれくらい残っているのだろう?
泣かなければ何日増えるだろう?
ワガママを我慢すればどれだけ増えるだろう?
笑えば少しは伸びるだろうか?
何をすれば永久になるだろう?
この泪で、どれほど減りましたか?
もう何も解らない。
「部長。ここにあるのは部員全員の為の備品です」
「だから!」
「黙って聞いて下さい」
サングラスというフィルターの奥で室町が静かに視線を泳がせた。
「誰か一人が散らかしてしまったとしても、皆で片づけてはいけない理由はありません。全員の為の物なんですから。荒らした理由が何であれ」
静かに説き伏せるような口調に南は言葉を失う。
「それに、東方さんが戻って来る前に片付いてた方がいいですよ。手伝ってもらったからといって怒るような人じゃないですしね」
「そうそう。もしそれでお前を責めるようなら俺が蹴りつけてやるよ」
冗談とも本気ともつかない笑顔で錦織が笑う。
その表情に、また南は泣きたくなった。
−いつからだろう?
いつから、こんなにも東方を恐れるようになったのだろう?
それでも貴方が好きです。
「東方。単刀直入に聞きたいんだけど」
「何だ?」
一刻も早く南の処へ戻りたい一心で東方は焦り、落ち着きを無くしていた。
「ちゃんと答えろよ?」
焦れて視線をあちこちに外す東方の目の前では新渡米が壁に足を掛け通せんぼをし、その隣で千石が進路を塞いでいる。
「分かった。だから早くしてくれ」
たまりかねてか、両手を上げて降参の姿勢。
それを確認し、千石が口を開いた。
「南と、シてないわけ?」
僅かな沈黙。それは肯定を示していた。
「あぁ。一度も抱いてない」
はっきりと答える。
「バカじゃないの?!何考えてんだよ!そんな」
「千石。そこは俺達が口出すとこじゃない」
新渡米が言葉だけで千石を止める。不服そうに引き下がった千石は東方を睨み付けた。
「俺達が悪いんだ。南のこよからかったから」
「何を言ったんだ?」
また、君を泣かせました。
「最悪だ」
自分が知らなかった状況を聞かされて東方は一言だけ呟いた。
「俺達はてっきり・・・なぁ」
「うん。してるもんだと思って」
「できるわけないだろ!・・・未だに毎晩うなされてるんだぞ!」
『・・・っ!・・・・・!!』
引き絞るようなシーツの擦れる音。バサリ。と掛け布団が浮き、独り起きあがる身体。
『畜生・・・』
荒い呼吸。呟く声音。静かにベッドから降りて汗ばんだ己の身体を縮める姿。
見過ごすしかない自分。
『何でだよ・・・何で・・・』
押し殺した呻き声。
『何で俺だったんだよ?』
すすり泣き。
「あれから何日も経つのに!部室に入るだけで、あいつがどれだけ苦労したと思ってるんだ!知ってるだろ?!」
抱き締めてやりたい。独りこぼす、すすり泣きを止めてやりたい。不安はないと、うなされる度に教えてやりたい。それでも・・・
−貴方が不安定になれば必ず部長に影響します。
起きあがって、抱き上げて、キスをして、共に眠りに落ちるのは簡単。でもそれをすれば・・・
『俺下の居間で寝る』
南が負い目を感じてしまう。
『雅美、お前寝てるのか?』
自分の傷より、東方の顔色や一挙一動を気にしてまわる姿。
「泣かせたくないんだ・・・」
身体を落ち着かせることはしてやれる。けれどもソレは南の心の負担になる。
『・・・雅美・・・』
いつも独りすすり泣いては、ベッドに戻る瞬間東方が起きていないか確認を始める、いじらしさ。寝たフリをしてやり過ごすしかない己の無力さ。
−もうたくさんだ。
東方の衣服の裾を掴んで眠りにつく。寝入ったのを確かめると、そこにはいつも眉間に皺を寄せた寝顔があった。
−どうして、そんな顔をする?
せめて、その寝顔が穏やかなものに変わるまでは・・・
「抱けるわけないだろ・・・」
抱いて滅茶苦茶に。そのヒドク簡単な行為を行えば、好意の果てだとしても自分は亜久津と同じになってしまう。
たとえ君が僕を恐れることを恐れているのを隠す為のキレイごとだとしても、理由の一端に想う気持ちがあって・・・それは嘘じゃない。
「まだ無理だ。できない」
君が、この腕の中で悲鳴をあげるかもしれない。それを恐れている自分もいます。
君が静かに眠れるまで待ちたい自分もいます。
抱きたい自分もいます。
守りたいけれど、君はそれを希まない。
独り立とうとする背を、この腕で囲うことはできない。希まれていないから。
対等でいたがる君を守るなんて、おこがましく在りたくない。
ただ、揺れる瞬間を支えていたい。
そう・・・在りたい。
「東方。これはあくまで俺の考えなんだけど」
間違ってますか?
「抱かれる側の人間。特に同性の場合は・・・」
正しいのですか?
「欲しがられなくなったら、お終いだ」
教えて下さい。君が僕に教えて下さい。
「俺は・・・間違ったことを言ってるか?なぁ東方」
それが世間とは違っていても、君と僕の答えなら何でもいいから。
何故、僕の存在を恐れるのですか?
「まさか新渡米に説教されるとは思ってなかったな」
誤魔化すように笑った東方に新渡米は諦めの溜息をもらした。
「お前のそういうとこに惚れたんだったら、南の奴間違いなく騙されてるぞ」
「キヨ子もイナ美に賛成しまーっす!」
「キヨ子ったら・・・状況見て話せ!お前はもう!!何でいつもそうなんだ!!」
「新渡米!いひゃい!いひゃいって!!」
両頬をねじ上げられ、涙目で訴える。
その光景に、ほんの少しの幸福を感じて東方は微笑んだ。
「お前ら本当にいい奴だよな」
「そうでもねぇよ。俺返答次第によっちゃあ、お前を殴り倒すつもりだったから」
「新渡米も思ってたんだ?実は俺も」
思いがけない物騒な言葉にも関わらず、二人はニヤ、と笑って続ける。
「お前が南とシないのに、ちゃんとした理由があったから殴らなかった」
「そうそう。何となく。とかだったら、ぶっ倒したけどね」
「あぁ、そう」
幸せってどんなもの?
「ま、問題は南がどう受け止めてるかだよな」
君の幸せは、僕が作れますか?
「それは言わないでくれ・・・ちゃんと、どうにかするから」
幸せになりたいですか?
「南に捨てられないようにな」
僕と一緒に・・・
−忌諱−END
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