13:壊乱 [ 39/51 ]
明けない夜はない。止まない雨もない。永遠に続くトンネルもない。
そうは言うけれど、毎日夜はくるし、雨が降らない日なんてそう長くは続かない。
トンネルは、立ち止まってしまったら抜けられないじゃないか。
灯りが無ければ・・・出られないじゃないか。
道が見えなければ・・・外に出れない。
「全員集合!今日の部活は、これで終了だ。各自クールダウンをして一年は片付けにはいれ」
「はい!」
「部長、お先に失礼します」
「おう。買い食いすんなよ」
「それは無理っすよ!」
「腹壊すぞ」
「南部長、お疲れさんです!」
「お疲れ」
口々に別れの挨拶を述べる後輩達に受け答えをしながら、日課となっている部誌にペンを走らせる。
−思い浮かばねぇ・・・
日々こなしている筈の作業がはかどらない。段々と苛立ちに変わる。
−ウザってぇ。
今までできていたことがこなせていない自分がもどかしい。
「健」
肩肘をついて考え込む。散漫な意識の中で急に東方が視界に入ってきた。
「え?!あ、何?」
驚いて咄嗟に顔を後方に逸らす。
−ヤバイ。
東方は一瞬切なげな顔をして、南の肩に恐る恐る触れた。それが痛かった。
「爺さんに荷物運び頼まれたから、ちょっと行って来る。待ってろよ」
トン。と親愛の情を込めて叩かれた肩。
−熱い。
触れられた箇所から性欲が浸食を始める。毒素のように身体をジワジワと痺れさせる。
ゾワゾワと落ち着かない。飢えて、求める感覚。
−雅美・・・
限界だ。
「おい。今の見たかよ・・・」
−?!
ひそめた声が聴覚を突いた。聞き覚えのある声音。
「やっぱなぁ・・・」
−またか・・・
錦織の忠告によって開けた視野は、あまり心地の良いものではなかった。先日耳にした陰口よりも、ずっと多くの不躾な視線が自分には注がれている。
「はぁ・・・」
自然と溜息が口元でグズりだす。
好奇、興味、侮蔑。様々な負の感情のほとんどが自分に向けられていることを南は知った。
−まぁ、仕方ねぇな。
自分が女役であることを皆が感じ取っているからだ。東方には男としての視線が向けられる。けれども南には、どちらとも呼べない感情が届いてくる。
−俺は女じゃねぇよ。
女という性を馬鹿にするわけでなく、自分は恋人であり、友として、男として東方の傍に在りたかった。
−見るな・・・
他人の視線が気になって仕方ない。もしかしたら、亜久津との一件が知られているんじゃないかという疑心暗鬼。
落ち着ける場所がない。
東方の傍ですら息苦しい。
−雅美・・・
助けて・・・
光を・・・
「ねぇ、新渡米。やっぱ南変だよ」
「だよなぁ。ここはいっちょ」
「やりますか」
「やりましょうキヨ子さん」
「そうね、イナ美さん」
「二人とも、気持ち悪いですよ」
「おだまり!イチ江!」
「ダメだ・・・」
「あら、やっだぁー健ちゃんじゃない」
「はぁ?」
隣りに気配を感じ、振り向くとシナを作った千石の姿。
「本当じゃない。最近お店に来てくんないけど、アタシ達のこと忘れたわけじゃないでしょうね?」
反対側には同じく新渡米。
「お前ら、俺は忙しいんだ。オカマバーごっこなら喜多とやってくれ」
前なら、それなりに付き合ってやることもできたが、今の精神状態では苛立ちを増幅させるだけ。南は眉間に皺を寄せて離れることを促したが、それでも二人は両サイドを陣取り、ベラベラとしゃべりだす。
「だって喜多ちゃん最近払いが悪いんだもの。ドンペリ入れてくんないしぃ」
「そうそう。来店数も減ってるしぃ」
−勘弁してくれ。
助けを乞うように部屋の隅に立ちつくしている後輩を横目で見たが、顔の前で右手を左右に振って拒否の姿勢。仕方なく適当にあしらうことにした。
「分かった分かった。今度店に顔出すから」
「本当に?」
机に、の。の字を書きながら覗き込んでくる新渡米に頷いてみせて、また部誌へと視線を向ける。
「ほら、店に帰れ。俺仕事あるから」
肩肘をつきながら無視をきめこんでしまった南の背の上で、千石と新渡米が視線を交わした。どうやら、南が少し相手をしたことに味をしめたらしい。
「健ちゃん。そぉんなこと言って、アタシ知ってんのよ」
−五月蠅い。
「え?何キヨ子。あんた何か知ってんの?」
昔は気にならなかった筈の会話。
「えっとね・・・イナ美には教えてあげない!」
−何で?
「やだ!やだ!教えてよ!」
こんな些細なことに苛立ってしまうのだろう?
「じゃあ、喜多ちゃんアタシにくれる?」
−俺は・・・
「え?あっと・・・マジ?」
東方がいないとバランスが取れない程弱いのだろうか?
「は?素に戻んないでよ新渡米」
−弱くない。
「あら、ゴメンなさい。ねぇ、イジワルしないで教えてよぉ」
たかが、抱かれないだけなのに。それだけなのに。
いつから、こんなに浅ましい躯になったのだろう?
「それがね、健ちゃん最近旦那とラブラブなのよ!」
「やっだ!ショックー!」
会話の内容が閉鎖されていた思考をこじ開けた。一番触れられたくない場所。
「本命ができたからアタシ達のことなんか構ってくれないのよ!!」
『健。ゴメンな・・・』
−止めてくれ・・・
「そんな!アタシの健ちゃん!」
『頭冷やしてくる・・・』
−聞かせないでくれ。思い出させないでくれ・・・
「しかも、ちょっと見てよイナ美!このネックレス。旦那からの誕生日プレゼントなのよ!」
千石が指さしたのは東方から貰ったソレだ。部活中はさすがに身につけられないが、それ以外南は肌身離さず首から下げていた。
「んま!じゃあ、その日はさぞかし・・・」
「燃えたんでしょうねぇ。ちょっと!どうなのよ健ちゃん!」
からかうように新渡米が肘で南の肩をつつく。その瞬間、血の気が引いた。
かと思えば、激怒に形を変えて迫り上がってくる。
「・・・ねぇよ」
−抱いてもらってなんかない。
小さく呟くので精一杯だった。まともに声を出すことも出来ぬ程怒りが強い。
「へ?何?」
−何でだ?
「うるせぇ!!黙れ!!」
憤りのままに木造の机に激しく拳を打ちつける。振動で部誌が僅かに浮く。衝撃が二の腕まで伝わりビリビリと痛んだが、そんなことすら気にならなかった。
「ちょっ、南。冗談じゃん」
宥めようと軽く笑った新渡米を睨み付け、人目はばからず怒声をあげる。
「冗談にも程がある!!」
−こいつらも悪気があるわけじゃないのに。
それは重々承知していた。それでも耐えられない。
−限界だ。
不躾な視線、陰口、抱いてくれない恋人、心なき友の言葉。
屈辱すら感じる。
「ねぇ、南。もしかして・・・」
体中の酸素を使い切り、荒い息をつく南に千石が何の気なしに訪ねた。
「東方と、シてないの?」
この言葉に傷つく権利は、穢れ者にもありますか?
−限界だ。
心がそう叫ぶ。
「黙れっつってんだろうが!クソったれが!!」
−何で今?
この言葉に傷つくのだろうか?
「お前らにシモの世話までされる覚えなんかねぇんだよ!」
椅子を蹴り倒して怒鳴り散らす。咄嗟に千石と新渡米は南から距離を取った。
「南。落ち着いて話しようよ。ね?」
「そうそう俺らも言い過ぎたし」
「うるせぇ!!」
床に無惨に転がっていた椅子を掴んで千石に投げつける。
「うわぁ!!」
いくら距離を取っていたとはいえ、かなり危険な位置での行為だった。
「無神経なんだよお前らは!」
目標物に当たることを許されなかった無機物が、すさまじい音を立てて壁にぶつかった。
「危ねぇ・・・」
南の一連の行動を見ていた新渡米が立ちつくしたまま述べる。千石が相手でなかったら確実にケガをしていただろう。
「てめぇもウゼぇんだよ!!」
「南!待てって!悪かった!!」
「るせえ!」
今度は部誌が新渡米の顔面に向かって飛んでいく。
「うわぁ!喜多!喜多!東方呼んで来い!早く!!」
「その名前を出すな!!」
−何でこんなに苛立つんだろう?
名前の響きですら恋しさを感じてしまう程なのに、今は聞きたくなかった。
「どいつもこいつもクソったればっかりだ!!」
『カマ掘られてカマになったってか?』
「消えちまえ!バカ野郎!!」
−誰か・・・誰か俺を殺してくれ・・・
いっそ気が狂って己を死なせてやることができたらいい。
いっそ・・・あの時殺されていれば良かった。
いっそ・・・あの去ろうとした背を殺してやれば良かった・・・
『健。好きだ』
そうすれば、知らずに済んだ。
−枷は・・・俺だ。
「畜生!!」
部屋中の物を投げつけて回り、思いつく限りの言葉で罵倒し続けた。
自分の過去を・・・
止めようとする錦織や室町の腕までをも振りきって・・・
どさくさに紛れて死ぬ方法は無いかとすら考えていた。
「お前らに何が分かる!!」
気を使ってくれているのは、理解していた。
「南!落ち着けって!!」
でも、それで何が変わる?この傷の存在を思い知らされるだけ。
「俺に触るな!」
それで痛みが消えたとでも思われてるのだろうか?
笑っていたから、忘れたとでも思ってるのだろうか?
「金輪際、俺の身体に触れるな!!」
何も癒えてなんていない。鮮やかな屈辱。
「・・・お前らも・・・・・汚れるぞ・・・・・」
だから、彼の人は・・・
「南!!」
この躯を抱こうとしないのだろうか?
「そんなこと言わないでよ!」
そうだというのならば・・・
「本当のことだ!放っておいてくれ!俺に構うな!!」
それが真実であるのならば・・・
「何やってるんだ?!」
見ないで下さい。
「東方!!」
僕の、この情けなくも愚かで浅ましい醜態・・・
−壊乱−END
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