12:哀惜 [ 40/51 ]

 居間と続きになっている台所で東方が課題をこなす南に声をかけた。
「健。飯できたぞ」
 部屋中に暖かく食欲をそそる匂いが充満し、南はテーブルに広げた問題集を手早く片づける。
「今行く」
 どうしても見慣れないエプロン姿に違和感を感じつつノロノロ向かうと、とても男が作ったとは思えない食事が並んでいた。
−変なとこ器用だよな。
 口には出せない感想を心中述べ、食器棚から取り皿とコップ、そして箸を取り出す。調理担当でない方が、この作業をすることは暗黙の了解となっていた。
「じいさん何の用事だったんだ?」
「明日部活出れないってさ」
 向かいで豪快に箸を進める東方。

−あいつ、何がしたいんだろう?
 微笑さえも見いだせなかった無の表情。

「それだけか?」
「あぁ」

−大したことじゃねぇ。ってやつか。
 そんなものなのかもしれない。


 所詮・・・気にしているのは自分だけ。それが東方に伝染しているだけなのだから・・・




−暑い。
 風呂上がりの素直な感想を抱きつつ、恋人が待つ居間へと向かう。何故だか南が入浴している間、東方は番人のように呼ばれるのを待っていた。
「雅美。あがったぞ」
 まだ滴が垂れる髪をタオルでガシガシと手荒に拭きながら部屋の中へと進む。そこでいつも東方は振り返る。
「ヨシ。上行くか・・・お前まだ髪濡れてるじゃないか」
 タオルを取り上げられ、布越しに筋張った指が髪を解くようにして拭った。
 甘いような、くすぐったいような一時。
「いくら夏だからって、ちゃんとしないと風邪ひくぞ」
 こめかみを伝って頬を辿る水分をタオルで撫でて東方が笑った。
「悪い。気を付ける」
 どうしても素直に慣れることができない雰囲気に、目を合わせないよう俯くだけ。
「分かったなら宜しい。部屋で何か飲むか」
 蒸し暑い廊下と階段を抜けて東方の自室へと手を引かれて向かう。これも日課となっていた。
「そうだな。喉乾いた」
 先を歩く頭一つ大きな身体に笑いかけると、いつも驚く程優しい笑顔が返ってくる。

 疑いたくなる程に・・・

 その笑顔に優しさは含まれていないのじゃないかと思うくらい・・・

−お前はどう思うんだろうな?
 亜久津に会ったと言えば・・・
 段々と冷えていく空気の中で、スポーツドリンクを口に運ぶ。目の前ではブラウン管の中で笑えないバラエティー番組が愉快そうに時を浸食していった。
「健。一口」
 座椅子代わりになって、南の身体を離さない東方が肩口に顎を乗せて飲み物をねだる。
「ん」
 軽く身体を捩って、待ちかまえている口元へボトルの飲み口を差し出す。そのまま斜めに傾けると白濁色の甘い水が飲み下される音がした。
「もういいか?」
 頃合いを見てボトルを下げると、口の端に残った水分を舐めて満足げに頷く。その様子を南は飽きもせずに眺めた。
「健。もう一口」
「は?もういいって・・・」
 ニヤと笑んだ唇に言葉を塞がれる。触れるだけの行為。短く何度も口を合わせる。時々頬に移る感触に安堵を覚えながら微笑んだ。
「美味かった」
「一口じゃねぇじゃん」
「ケチくさいこと言うなよ」
 肩口に顔を埋めて忍び笑いを漏らす東方に呼応するように声を殺して笑う。
−幸せって・・・こんなもんだよな。
 人は、不満を抱えていないと幸せを実感できいのかもしれない。
−幸せなんだよな俺。
 きっと今不安が隣にないと、今の幸せを知れない。

 何と脆く不確かで曖昧。それでいて実体なきもの。

「健・・・」
 腰に回っていた腕に力が篭もった。そのまま抱き直すように強く引かれ、苦しい程に締め付けられる。
「何処にも行かないよな?」
 呻くように、わだかまりを吐き出すように呟かれた声が背中に振動を伝えた。
「・・・何だよ急に?」
「行かないよな?俺といるんだよな?」
−お前が望むなら・・・
「あぁ。そうだよ」
「ちゃんと、行かない。って言えよ」
−お前が俺に飽きるまでは・・・
「行かない。お前といるよ」


 嘘になりきれない嘘をつき続けましょう


 表向きは平穏を取り戻した部内。けれど南の中はいつまでも騒めきが消えない。それでも表面に出すことはなく、責務をこなしていた。
「南、ちょっといいか?」
 背後からの呼びかけに振り向くと、錦織の姿がある。どことなく視線を合わせることを嫌うような表情を、まのあたりにし、よくない話であろうことを予測しながら友の導く方向へ向かった。

「で?どんな用件だ?」
 嫌なことは早々に終わらせてしまうのが良いと判断し、本題に入ることを促す。
「あのさ・・・言いにくいんだけど」
「分かってるから、さっさと言えよ」
 やや強い語気の南に錦織はたじろぐ。そんな様を気にもとめず、南は言葉を待った。長引けば東方が自分を探しだす。それは避けたいことだった。
「後輩に相談されたんだけど、東方と部室で抱き合ったりするのを止めてほしいって。結構陰口とか叩かれてるらしいし、俺達も引退が近いから部員が減るのは勘弁したいだろ?」
 予測していた範疇の話だった。
「やっぱ俺達から見れば普通の恋人同士がいるのとは訳が違うし、悪いとかじゃなくてさ。控えてほしいってのがあるんだよ」
 自分たちの恋が異常だと言われているようなものだ。
「分かった。話はそれだけか?」
−マズイ!
 僅かに声が上擦ってしまったのを自覚し、錦織がそのまま見過ごしてくれることを願ったが、話していた内容が内容なだけに南の言葉に集中していた相手が気づかぬ筈がなかった。
「南。俺・・・」
「触るなよ」
 伸ばされた手を声音だけで制して、南は錦織の目をまっすぐ見つめた。
−手頃だな。
「錦織、お前も思ってるんだろ?」
 このままでは東方の前で、従順なフリをしていることが限界に近い。
「ホモなんて変態で異常だってな」
 八つ当たりだった。亜久津との一件を知らない錦織は、キツイ言葉を投げかけるのに適材。苛立ちをぶつけるのに適していた。
「お前!そんな言い方・・・」
「否定はしないんだな」
 東方に伝えられない淀んだわだかまりや痼りが形を変えて口から流れ出す。
「別にどう思われててもいいけどな」
 男のくせに抱かれたがっている自分が異常なのだから。
「でも、部内に配慮が足りなかったのは謝る。悪かった。気を付けるようにする。でもな、錦織・・・」
 あの日以来、東方は決して自分の衣服に手をかけることをせず、キスすら触れるだけで深くはならない。
「ただ会話をしているだけで、俺達は変な目で見られる。それだけは覚えておいてくれ」


 これが恋と呼べますか?




「健。そういえば今日いなかった時、何処行ってたんだ?」
「水飲みに行ってた」
 東方の要望で作った中華丼を白飯の上に盛りながら、南は適当に返事をした。
「本当か?」

『南。俺・・・』

「そうだよ」

『やっぱ俺達から見れば普通の恋人同士がいるのとは訳が違うし』
−五月蠅い。
「雅美。ほら、飯できたぞ」
 ソファの上でこちらに背を向けたまま、いっこうに動こうとはしない東方を見かねて紺色のエプロンを椅子の背もたれに投げるように掛け、居間に続く敷居を跨いだ。
「なぁ、食わないのか?」
 東方の正面に回り込むようにして歩みを進める。
 もう少しで表情が見えそうな位置まで辿り着いたとき、突如勢い良く伸びてきた腕に腰を捕まれた。
「え?うあ!っと・・・」
 咄嗟のことにまともにバランスが取れず、ソファの背もたれに手をついて身体を支えた。
「どうしたんだよ?飯冷めるぞ」
 前のめりで中途半端な体勢のところに抱きつかれ、恋人の表情を見ることすら容易にできない状況で南は東方の身体に手を伸ばすことができずにいた。
「俺から見えない所に行くときは、一言言え」
−雅美・・・

 あの日、腕を絡めたコトで崩れたバランス。
「・・・・・・・」
『ゴメン。俺どうかしてた。恐かったよな?』
 もしも、あの時自分から触れなかったら・・・
「雅美・・・ゴメン」
 抱いてもらえただろうか?

−好きだよ。

「泣いてんのか?なぁ、雅美?」
 震えを堪えるように、背中を覆うシャツをキツク掴む逞しい腕。
「悪かったって。もうしないから・・・」
「泣いてなんかない」
 胸元に額を押しつけられ子供が甘えるような仕草で、また強く引き寄せられた。
−どうしてだろう?
 欲しがってるモノは与えてるのに・・・

 この震える背を撫でてやれば、貴方の不安は消えますか?

 触れたがる時には身体を差しだし、戻れと言われれば帰って・・・

 行くな。と訴えられれば、行かない。と答えて。

「雅美、お前どうしたいんだよ?」

 それでも貴方は抱いてくれない・・・


 哀しい顔をさせたくなくて、泪を捨てて、笑って。
 気遣わせたくなくて、下らない隠し事は総て嘘で消して・・・

「お前のいいようにするから・・・」

 邪魔にならにように必死で立ち位置を探して。
 貴方が希むことは総て叶えているのに。


 どうして、行くな。と不安がるのですか?


「雅美。なぁ・・・俺どうしたらいい?」

 出会った視線の表面には、本当に涙は浮かんでいなかった。
 そのまま流れに沿うように唇を合わせて・・・それだけ。
「どうしたんだよ?俺・・・何すればいいんだ?どうしたら、お前がそんな風にならない?教えてくれよ」
「何処にも行かない。って約束してくれ。絶対・・・ずっと一緒にいるって言ってくれ」
「約束なら何回もしたじゃねぇか。あれ嘘に聞こえたのか?」
「そういうんじゃない」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「健。言ってくれ。頼むから」
「ここにいる。絶対何処にも行かない。一緒にいる。ずっと、ずっといるから」

 抱き締められながら、ずっと一緒だと譫言のように戯言のように繰り返した。
 いつか消えてしまうだろうと思う約束を、一瞬の本気で口に出していた。
 
 震える背を抱き返すことはできぬまま・・・


「雅美、ずっと一緒にいる」
 いつか、近い将来・・・消えていく真実。
「健。健・・・好きだよ」
 事実になりきれない誓いを一瞬の真実で現実に持ち込む。
「なぁ、俺のせいなのか雅美?」
「今日お前がいないって気づいた時、頭がどうにかなるかと思った」
 傍に置いてもらえる間は、笑っていよう。
「このまま、帰って来ないんじゃないかって・・・恐かった」
「ゴメン。そこまで悪いことしたなんて思ってなかった」
 貴方が不安にならぬよう。
「帰ってきて良かった。もう一人でどっか行ったりしないでくれ」
 偽りですら受け入れよう。
「分かった。絶対しない」
「本当だな?」
「あぁ、何処にも行かない。お前といる」



 貴方が嘘だと言えば、虚偽にしましょう。
 貴方が本当だと言えば揺るぎなきモノにしましょう。


 それで貴方が救われるというのならば・・・

−哀惜−END

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