11:かいなで [ 41/51 ]
気紛れでも、はけ口でも、同情でも・・・憐れみでも構わない。
永久不変。お前がそう言うのなら…信じる。
「何かさ、南変じゃね?」
「あー新渡戸もそう思う?」
「どう変なんですか?」
「鈍いな喜多。それが分かんねぇから悩んでるんだろ」
「でも部長のことなら東方さんが何とかするでしょ」
「いや、絶対東方絡みで何かあったね」
「よく分かりますね」
「よし。千石!カマかけてこい!」
「ヤだよ!南怒ったら恐いもん!」
「ラッキーで乗り切れ!」
「無謀だってば!!」
真夏の気温が僅かな冷気すら許さない。総ての温度を上昇させて湿度をもたらす。
「俺、壁打ち行って来る」
片時も傍を離れようとしない恋人に南は、そう告げた。
「俺も行くよ」
「でも東方。お前これから室町と練習試合・・」
「予定変えればいいだろ?」
腕を掴まれ、真上から強い語気で言い放たれては反論もできない。けれど東方が無茶を言っているのも事実。個人のメニューならまだしも、誰かと組んでの予定なら変更は他の部員に示しがつかない。
「でも・・・」
このワガママを聞いてしまえば、また同じ様な身勝手さを口に出す。それを繰り返すわけにはいかない。けれど、東方の手を今振り解くことがどうしてもできなかった。
−何で?
恋人は変わってしまった。ほんの僅かな瞬間も離れさせてくれない。視界から消えることすら許してくれない。それは、あの雨の日。抱こうとしたくせに拒否をしてきた日から、とみに酷くなっている。
−抱いてくれないくせに・・・
この腕の中が心地よかった筈なのに・・・今は息苦しい空間に変わってしまった。
−畜生・・・
暖かさしかなかった掌を今は冷たく感じる。
−我慢するから。
でも離れられない。
一人しか知りたくない。
いつかまた暖かく思えるかもしれないから離れられない。
気紛れでも抱いてくれるかもしれないから拒否できない。
あのヒドク懐かしい関係に戻れるかもしれないから振り解けない。
−好きだ。
それが総ての理由。
「東方さん。何してるんですか?今から俺と試合でしょ」
コートへと向かっていた室町が呼びに来た。時間には正確な東方が先にコートにいなかったことを訝しんでのことだ。
「室町。悪いけど予定は変更だ。俺は健と壁打ちに行くから、誰か他の奴と試合してくれ」
−何で?
「は?バカなこと言わないで下さい。全員決められたメニューがあるんです」
「じゃあ、お前が壁打ちに行ってくれ」
置き去りにされたまま勝手に会話が進んでいく。
「東方さん。暑さのせいでオカシクなったと思っていいんですよね?」
−もう、止めてくれ。
「本気だ」
こんな空間を欲してなんかいない・・・
「自分の言ってること分かってるんですか?!」
珍しく荒い室町の声に部員達の手が止まる。視線が一気に集中してきたのが分かったが、南には止める術が見つからない。
−どうして・・・
何故好きな人の傍が苦しいんだろう?
「俺が承諾したって、そんなワガママ他が納得しませんよ!!団体行動で個人的な我を通すなんて、考えがないにも程がある!!」
−どうして苦痛しか感じないんだ?
「大体、そんなの部長が許可したってなれば他の部員は良い気がしません。部長の立場悪くする気ですか?!」
−いっそ自分の存在が無かったことになればいいのに。
「悪い。俺がどうかしてた・・・」
あっさりすぎる程、すんなり東方は落ち着きを取り戻した。後輩に怒鳴られたのが堪えたのだろう。
「いえ、俺も言い過ぎました。すいません」
律儀に頭を下げる室町の肩を叩いて、南に向き直り苦笑した。
「健。ゴメンな。バカなこと言って」
肩に触れた掌に、身体の温度が上昇する。
「違う。俺が、はっきり言わなかったから・・・ゴメン」
−俺が変わったのが悪いんだ。
「何でお前が謝るんだ?俺が無茶言ったのに」
穢れに苛まれて弱く成り下がってしまった。
「俺・・・」
「そんな顔すんなって。もう言わないから」
−強くなりたいのに・・・
「じゃあ、俺室町と試合してくる。終わったらそっち行くから」
潔く向けられた背。それはあの日と重なる。
−行くなよ。置いて行くなよ。
抱く価値が無いと思い知らされた日。
刹那の快楽だけだった。
「謝るな・・・バカ」
聞こえない。届かない呟き。
重い体を引きずって壁打ち用コートのフェンスを蹴り開けた。苛立ちが加速しただけで、何もすっきりしない。
「やるか・・・」
独り壁の前に立ち、ボールを高く投げ上げて打ち込んだ。跳ね返り、打ち、また跳ね返る。
−静かだ。む
作業にも似た規則的な行動を続けていると、不思議と無心になれる。空も、風も感じない。ガットから伝わる衝撃、壁にぶつかる黄色の無機質な音声。黒く跡のついた高い壁だけが五感を支配していた。
−・・・
いっそこのまま独りでボールを追い続け、何も必要としなくなればいいのに・・・
『健・・・』
「!!」
ボールが頬の細胞を掠めた。フェンスの金属的な音が耳に障り、空を見上げて立ちつくす。
−何も考えたくないのに・・・
空が、風が、意識が総てを取り戻した。
−要らない。
今この瞬間だけは、あの手の力無く、あの声の力を要せず立っていたい。
「ウザってぇなぁ」
冷たくなってしまった恋人の腕を、欲しくないとすら思う時があるのに離れられない。
「情けねぇな・・・」
過去の暖かさに縋っている自分がいる。
−どうして独りで生きたくないんだろう?
東方の情の大きさは知っている。それに応えたいと思う。けれど・・・
『ゴメン』
価値が無い。
そう思い知らされたのだから。
肝心なことは何一つ口にしなかった自分に東方は限りなく優しかった。だから、せめて身体を差し出した。希んでそうしていた。今もそうしたい。
−汚い。
中古品なら磨けば見れる。壊れてしまえば修理すればいい。でも・・・
落ちない汚れはどうすればいい?
汚れもの以上に世間から疎まれるモノはない。
「楽に・・・なりてぇ」
総てを否定したくて、思考など欲しくなくて必死にボールへの集中を再開する。
バックハンドに変えると変化するインパクト音。打ち込みの衝撃に合わせて歪む壁の声音。
−何も考えるな!
その半規則的な音声だけに耳を傾けた。心の中に響く声を否定するように。
「・・・?!」
ふいに視界が滲んだ。黄色いボールのラインがぼやけ、大きさすら判断できない程に。
「っ!!」
顔面に向かって飛んできたそれをかろうじて避け、バランスを崩して座り込む。
「何なんだよ!」
わけも分からず誰に言うでもなく怒鳴る。その衝撃で太股に何かがこぼれ落ちた。途端に視界が元の輪郭を取り戻す。
「泣きたくねぇよ!」
ポタポタと白い短パンに染みを作る涙達。水分を受け入れた布地が肌に張り付き不快が訪れる。
「何で泣いてんだよ」
哀しいことを思ったわけでもない。心は、どちらかと言えば静か。涙という単語すら思考の中には無かったというのに、今自分は泣いている。泣きたいなんて思ってなかったのに。
「眼までイカレたか?」
証拠に鼻をすする必要にもかられていないし、嗚咽もこみ上げない。
ただ涙だけが落ち続けていた。
「情けねぇ・・・」
止まらない。
「男のくせに!」
二の腕にキツク爪を立て、痛みで誤魔化そうとするも出来ない。
「クソ!」
コート横のベンチに掛けてあったタオルを手に取り、顔を隠すように頭から被る。そのまま水場へと向った。
−・・・
「最近さ、南部長何か変じゃね?」
自分の名前が聞こえたことに驚いて、顔を上げる。会話が聞こえやすいように蛇口を閉めて声を殺した。
「あー何か女々しいよな」
「そうそう、なよっちい」
声質から察するに二年の補欠組だろう。
「東方先輩とついにヤったんじゃねぇの?付き合ってるらしいし」
「カマ掘られてカマになったってか?!マジでキモイな」
素振りの予定を与えておいた筈だと思い出した。日頃から真面目に部活をしているようにも見えなかった二人だ。
「カマは俺らには関係無いけどさ、部室でイチャつくの止めてほしいよな。最近とみに激しいし」
「確かにな。前は触られただけで怒鳴り散らしてたのが、今じゃ大人しいもんだぜ」
−煩い・・・煩い・・・
「あぁ。にしても、男同士で欲情なんて正気の沙汰じゃねぇよ」
−お前に何が分かる?
「まったくだ。脱がしてみたらナニが起ってました。なんてゲロ吐きもんだ」
「ぎゃははは!生々しいな!しかもカマになるオプション付きだぜ!」
「東方先輩も頭オカシイよな。男にツッコミたがるなんてさ」
飛び出して怒鳴りつけようかとも思う。けれど、今問題を起こすわけにはいかない。自分にも足りない箇所があるのだから。
「案外処女としてるみたいでイイとか?」
所構わず触れたがる東方の腕を振り解けなくなった弱さ。休み続けた部活。あげく後輩である室町にまで気を使わせて・・・
「止めてくれ。胸くそ悪くなる・・・」
自分が変わってしまったことで総てに歪みが生じ、成すべきことを遂行できていないのだ。陰口は多少仕方がないのかもしれない。
「オイ。そろそろ行こうぜ。バレたらヤバイからな」
それでも、今耳に入ってくるそれは耐えられる言葉ではない。
「あぁ」
殴りつけてしまえば、少しはスッキリするのかもしれない。けど、そうしてしまえば東方の笑顔がまた曇るだけ。
−クソ野郎どもが。
負担になるわけにはいかない。何も聞かなかったことにすればいい。忘れればいい。
−何ともない。平気だ。
あの手を失ったら独りで立てなくなる。
−俺は弱くない。
捨てられても平気にならなくてはいけないのに。
東方が躊躇わず行ってしまえるようにならなければいけないのに。
−雅美・・・
でないと、恋人は自由になれない。
−好きだよ・・・
神様。他に何も欲しがりません。だから・・・
「もうちょっとだけ。な?」
あの人をください。
その為に自らがうち立てた誓い。
泣かない。
怒らない。
ワガママを言わない。
負担にならない。
好きだと言わない。
それが・・・恋人の傍に在る為の誓約。
「南。伴爺が呼んでるよ」
部活を終えて帰り支度を始めた頃、部室へと戻ってきた千石に告げられた。
「あぁ、今行く」
白い制服のファスナーを上げながら急いで顧問の元へ走り出そうとした時、突如生まれた反力で足が止まる。
「東方・・・?」
裾を掴んでいる大きな手。
「えっと・・・」
言葉を発そうとはしない唇。けれども確かに視線が訴えていた。
「東方、その・・・すぐ戻るから」
少し前なら簡単に振り解けていた腕を、どうしても払えない。
「先生、呼んでるし」
東方の機嫌を損ねないように慎重に言葉を選んで伝えても、手の力が緩まなかった。
「その、東方?うわっ!!」
突如手荒く引き寄せられ、東方の胸元に倒れ込むようにして抱きすくめられる。
−ヤバイ・・・
気になったのは視線。まだ部室内にはレギュラー以外の人間もいる。こっそり部屋の隅を見ると、陰口をたたいていた二年生の姿。
−見るな・・・
自然と身体が固くなる。身を捩ることもできぬまま耐えていると、耳元で低い声が響いた。
「寄り道するなよ」
解放された身体。ふと過ぎる感情。
−あぁ、雅美だ。
心からそう思う。今この瞬間、確かに昔の東方の面影と声音がある。
−だから・・・
離れられない。この僅かな過去の幻影に繋がれて逃げられない。いや・・・
何処にも行きたくない。
心より、そう思った。
「分かった。行ってくる」
後ろ髪を引かれる心境の中、南はトタン造りの扉を静かに開ける。何気なく振り返ると東方が見守るように自分の背を眺めていた。
「じゃ、後で」
返すように微笑んで・・・心から微笑んで南は歩を進める。外は夏独特の蒸し暑さと陽射し。その中を一人で歩いた。
傍らの気配を絶たれたまま。
「それじゃあ、明日は所用で部活の方には顔を出せませんから、頼みますよ南君」
「はい。分かりました」
伴田の用件は大した事ではなかった。
「体調が良くないらしいですが、君以外に任せられる人材が乏しいので、しっかりお願いしますよ」
部の指導を一日休む。その旨を伝える為、そして簡単な注意事項の為だけだった。
「もう平気です。部活動に支障はありません。失礼します」
校内で唯一空調のきいた部屋を名残惜しく思いつつも、一礼をして退室する。
−暑・・・
僅かの間に冷やされた身体に不快な外気温は堪えた。
−何だかな・・・
この身体は自分の心情と同じに違いない。
居心地の良い空間に慣れてしまった。
「弱いなぁ」
自嘲するように呟いて階段を駆け下りる。遅くなれば東方の機嫌が悪くなる。それは避けたいことだった。
「よっ!」
踊り場手前の数段を飛び越して着地する。僅かに崩れた体勢を直ぐさま立て直し走り出そうとした時だった。
「・・・・・」
見間違える筈のない銀髪。
あの日、己の身体に染みついたのと同じ匂いのする制服。
あり得ないこと。無理なことだと分かっていても、二度と会いたくなかった。
肩が触れるか触れないかのギリギリの位置。
「・・・・・・・」
動きと共に思考が静止する。
「・・・・・・」
ずっと目が合っている。
−嫌だ!!
動揺を悟られまいと、不自然でない程度の早歩きで残りの階段を下りた。亜久津から確実に見えない位置まで辿り着くと、恐る恐る後ろを振り返る。
誰もいない。
ー亜久津・・・亜久津だった。
不自然なほどに背景から浮きあがる銀髪。獣のような佇まい。
そして、異様なまでに無感情な視線。
道端に打ち捨てられたゴミに向けるような、無機質な表情。
ーあいつ、表情すら変えなかった!
無。果てしない無。
ーなんとも思ってない。ってか。クソが。
忌々しさに舌打ちをしながら、逆立った感情を整える為に中庭へ向かう。
こんな状態で東方に会えるわけがない。
ー雅美・・・いなくて良かった。
傍にいたなら、きっと・・・・
殺そうとしただろう。
「うおぁっ!」
物騒な想像はポケットに入れていた携帯の振動で打ち切られた。
相手はひとりしか思いつかない。
『まだかかりそうか?遅いぞ』
「うるせぇよ」
小さく呟いて返信をしようとボタンを押し始める。
『もう少しかから』
−違う。
『もう少しかかるかり』
−まただ。
『もう少しかかるから、待ってと』
−また違う。
『もう少しかかるから、待っててくら』
−また間違えた。
いつもなら数秒で打ち上がる文字に倍以上の時間を費やしている。
『もう少しかかるから、待っててくれ。悪いに』
「・・・・っ!」
−何で震えるんだよ!
利き手をキツク握り込んで、振動を押さえる。何とか最後の一文字を打ち込み送信を終えると、ヒドイ疲労感に襲われた。
−情けねぇ・・・
涙すら流れない。
「・・・」
再び携帯が揺れた。
『分かった。飲み物買って待ってる』
ディスプレイに表示されたメッセージを無表情のまま見つめて、携帯ごと腕を投げ出す。
「言えねぇよな・・・」
東方の記憶が鮮やかになってしまう。
そうなれば、もう抱いてもらえない。
「色情狂か、俺は」
自分の中でさえも記憶にモヤがかかりかけていた。それなのに、亜久津の姿を見たことで記憶どころか不快感まで蘇ってしまった。
「いや、病気だな」
東方というフィルターの内で消去されかけていた情景。
恋人は自分以上に気に病んでいるというのに今、亜久津というキーワードで思い出させるわけにはいかない。
「メールで良かった」
声を聞かずにすんだ。声を聞かれずにすんだ。
「何ともない。これぐらい・・・」
何事も無かったように自分は東方の横で笑っていればいい。
『ハチミツレモンでいいよな?』
また携帯が電動音を鳴らした。
『サンキュ』
短い返答を送って溜息をつく。
「雅美」
あの腕に触れられたい。
「雅美・・・」
声が聞きたい。
−まだかかりそうか?−
「っ!!」
送られてきた言葉が頭中で響いた。独特の低い音。居心地の良い声音の反響が繰り返される。
「雅美・・・まさ・・・っ・・・・」
携帯という媒介が無くとも、声を覚えてしまっている。
−健。好きだよ−
過去の声すら鮮やかにこだまする。
「もう、止めてくれよぉ・・・」
−ずっと好きだよ−
「嘘つき・・・大嘘つき・・・」
意味のない昼間の照明。掌サイズの、その光に雨粒のような水が混ざりきれずに地面に流れ落ちた。
お願いです。抱いて下さい。
「健。遅かったな」
「あぁ、悪い」
−亜久津がいたんだ・・・
「ほら、ハチミツレモン。好きだろ?」
「ありがとう」
−会いたくなかったんだ。
「帰ろうか。今日の晩飯何にする?」
「そうだな・・・」
−あいつ俺見て笑いもしなかったんだ。バカにした顔すらしなかったんだ・・・
「何でもいいぞ。言ってみろ」
汚れ物の分際で身体を求められたいと思うのは罪ですか?
「お前が食いたいモノでいいよ」
ほんの少し欲しいモノをお前がたくさんくれたら、一番に勝てるだろうか?
二番を二つ、三番を三つ。
そうやって有り余るほど貰えたら、一番を手に入れる以上に満たされたらいいのに・・・
−抱けないのなら、キスでもいいから今すぐ欲しい。
泣けない代わりに笑いましょう・・・
抱いてはもらえぬ抱きぐるみ。
涙は出ないいつも同じ。
ずっと笑う抱きぐるみ・・・
−かいなで−END
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