9:カナナスキス [ 43/51 ]


「あ、南だーーー!!」
 夕食の買い出しに街中を歩く。ふと聞き覚えのある声に足を止めると、やはり見慣れた友人の顔があった。
「菊丸!」
 全力の笑顔で走り迫ってくる。人懐こい友人が出会い頭に抱きついてくる癖が脳裏を過ぎり、寸前で僅かに足を後方に逸らしてしまった。
−マズイ!
 不快感を与えてしまったのではないかと不安になる。南の拒否反応を目敏く視覚した菊丸は、指先を首筋のすんでで止めた。そのまま腰元に落ち着かせる。
「・・・・・」
「あの、菊丸・・・」
 黙り込んで見つめてくる視線。大きな猫目が何かをふと悟ったように柔らかく揺らいだ。
「ねぇ南、触ってもいい?」
 ふわ、と猫毛が揺れるように笑って差し出された、両の掌。
「え?・・・あ、あぁ。いいよ」
 見透かされるような視線の強さ。
「俺ね、今携帯買い換えたばっかなんだ。ちょうどいいから番号教えるよ」
 何も問わず子供のように南が携帯を出すのを急かす菊丸。ただニコニコと笑っていた。
「んーと、ねぇ大石。番号の出し方分かんなくなった。教えて」
 まだ使い勝手が飲み込めていないらしく、真っ先に番号を教えただろう恋人に助けを求める。
−いいな・・・
 幸せそうな雰囲気に羨望がまき起こった。自分には二度と手に入らないだろう瞬間。
「しょうがないなぁ。090の・・・」
「ほら、南登録してよ!!」
「あ、うん」
 急かすように駄々をこねだした菊丸を大石がたしなめる。
「英二。腕掴んでたら南がやりにくだろ」
「あ、そっか。そだね」
「別にいいよ」
 笑って柔らかい猫毛を撫でた。菊丸は楽しそうにされるがままで南が自分の意志で止めるのを嫌味なく待っている。
「あ、あとはメアド!えーとね・・・」
「空メしといてくれよ。それで分かる」
「はいほい。ねぇ、南。今度遊びに行こうよ!」
 いつも突然に会話を始める友人に苦笑しながら頷く。掴んだままの腕を振って喜びを表現しだした菊丸の頭をまた撫でると、東方が少し不機嫌そうなのが横目に見てとれた。
「あぁ、いいよ」
−どうしよう・・・
 答えながらも視線が気になって仕方ない。
「東方と大石も一緒にダブルデート!!」
 幼子のようにはしゃぎ回り、南の腕を振り回す。
「英二、声が大きい。それに、いきなりそんなこと言ったら二人が驚くだろ」
「俺達は構わないよ。な、健?」
 大きな手が肩に触れた。見上げると、先程までとは打って代わり、機嫌が良さそうな微笑がある。
−単純バカ・・・
 恐らく『ダブルデート』という言葉が気に入ったのだろう。
「そうだな。菊丸一緒なら楽しそうだし」
−どうして?
「悪いな東方、南。気使わせて。ほら、英二。そろそろ行くぞ」
 柔らかそうな猫毛を形良い指先が、ぶっきらぼうに梳いた。菊丸はくすぐったそうに笑う。大石に見えないように・・・
−どうして?
 ふわふわと、緩やかに笑う。キレイに笑う。
「ほいほ〜い!!」
「またな菊丸」
 大石の元へ行こうとした背に別れの挨拶のため掲げた右手を、細い同型のものが包んだ。
「ねぇ南」
 ほぼ同じ視線の高さで、けれど僅かに低いその位置で大きな瞳が自分を見据えていた。
「何?」
「幸せ?」
「は?」
 冗談めいた問いではあるが、その表情からして本気であることは直ぐさま理解できた。
「幸せ?元気?」
 言葉を濁そうかとも思うが、菊丸の視線は絶対的で逃げの言葉が見つからない。
「あ、と・・・まぁまぁ。かな」
 幸せではある。それなりに元気でもある。でも・・・絶対ではない。真っ白な画用紙に一滴の黒インク。今の幸せはきっとそう。
「ならいいや。またね〜!!」
 真っ直ぐ恋人を追いかけることができる友。
−どうして俺には手に入らないんだ?
 もしかしたら自分の幸せは・・・黒インクの上に浮いてる画用紙なのかもしれない。
 いつか・・・真っ黒に染まって沈んでいく。
 角から徐々に黒に堕ちていく。

 独りで・・・




「健。腹減った・・・」
「もうできる」
「待てない」
 部活を終えてよほど空腹なのか、南の背に張り付いたまま先程からこの会話を繰り返す。
「あ、ソース多めにかけてくれよ」
 何かしら注文を付けて回る恋人に溜息をつきつつ、望み通りに仕上げていく。
「雅美。できたから離せ」
 まだ熱いフライパンを水に浸け、皿を差し出すと、東方が待ちかねたように受け取ってテーブルへと運んでいった。
「いただきます」
「はいどうぞ」
 向かい合わせに座って、早速オムライスを口に運ぶ。
「美味い」
「レトルトなんだから不味くはないだろ」
 ケチャップライスは自分で作ったが、デミグラスソースは市販品に手を加えて自分の好みの味に変えただけ。それでも東方はバカみたいに喜んで食べている。
「やっぱお前要領いいよな」
 感心したような言葉に頬を赤らめながら、それ以上の会話を拒否するように黙々と食べ続けた。



 洗い物をする東方の気配を背中に感じながら、テレビをつける。流行の音楽チャートが馴染み無く響く。
 右から入って左に抜けるような、つまらない音に集中する気も起きなかった。
−来年には芸能界にいないだろうな。コイツら。
 普通に可愛い女の子を集めたアイドル集団。衣装だけで気をひくバンド。タイアップの力だけで歌姫と騒がれている女性アーティスト。
−そのうち消えるんだよなぁ。
 人の記憶程曖昧なモノはない。感情程一時的なモノはない。

 永久なんてないのだから・・・

 瞬間的な人気に縋って調子に乗る。
 僅かな時間だけでも『好きだ』と言われたくて愛想笑いを振りまく。

 それは自分にも当てはまるのかもしれない。

−女々しいな・・・

 小さく溜息をつくと、後方の水音が止まっていることに気づいた。肩越しに振り向くと、東方が手を拭きながら歩み寄ってくるのが見える。
「お疲れ」
 小さく労いの言葉を伝えて、興味も湧かない番組に視線を向ける。迷い無く隣に座る体温を感じながら溜息を押し込んだ。
「菊丸と・・・結構仲良いんだな」
 独り言のように呟いて手を握る。南は抵抗せず、けれども言い訳もせず黙ってされるがまま。
「一緒に出かけたりしてるのか?」
「何回か」
「知り合ったの、去年の都大会だったよな?」
「あぁ」
 まるで尋問のような言葉の嵐に簡潔に答える。あえて東方の表情が視界に入らないようにテレビに集中しているフリをした。
「楽しそうだったな」
 寂しげに、でも少し不満げな呟き。
「嫌か?俺と菊丸が会うの」
 ここで初めて南が東方と目を合わせた。何かを訴えるように、でもその何かを言うつもりはない視線。
「友達として会うのも、ダメなのかよ?」
 怒りの色は無い。ただ許可を求めた。
−気に入るようにするから・・・

 疎ましくないように。

「そういうんじゃない。ただ、ちょっと妬けるな、って」
−待てるから・・・
 貴方の気紛れを。
「そっか・・・」
−一度でいいんだ。
 言うことはできない。
「なぁ、健。言いにくいんだけど」
「何?」
−言えるわけないよな。
 こんな躯さげて。
「明後日ちょっと家空けるから、留守番しててくれないか?室町達に来てくれるように頼んであるから」
−お前も嫌だろ?
 こんな躯・・・
「・・・分かった」
−気が向いたらでいいから。
「夏休みの課題、教えてほしいって言ってたぞ」
「はは、そりゃ面倒くせぇな」


 いつかの憧れ『××××』
 お膝の上の『・・・・・』


「雨の音がする・・・」
 東方は優しく触れるだけのキスをして南の身体を自分の膝に落ち着かせた。
「降り出したみたいだな」


 雨の匂いがすると・・・気が狂いそうになる・・・




 予定していた通り、東方は身支度を終え玄関先で客人達を待つ。
 南もその横で東方を見送るために立った。
「お邪魔しまーっす」
「すっげぇ良い家住んでんな東方」
 差し入れのお菓子を抱えた四人と一人が連れ立って歩いてくる。
 東方の自宅に来たことがあるのは千石だけで、それ以外は初めて見る東方家に興味津々だった。
「じゃあ、雅美ちゃん行こうか」
「ああ」
 Gパンに黒のTシャツ姿の東方が南の頭を撫でた。
「健、行って来る。五時には帰るから」
「・・・ん」
−行かないで・・・
「行ってらっしゃい。ぐらい言えよ」
「・・・バカか。さっさと行け」
 手を振って歩き出す背。その横にはオレンジの髪。見えなくなるのも待たず、南はさっさと玄関の戸を開けた。



「なぁ南。今日千石と東方二人っきりで出かけたのか?」
「だと思う」
 薄い曇り硝子のグラスをテーブルの上に置く南に新渡米が問うた。
「何それ。聞いてないのか?」
「別に聞くほどのことじゃねぇし、あいつも気分転換したほうがいいだろ。毎日俺と一緒じゃ嫌んなるだろうし」
『まぁ、キツイな』
−俺だってキツイ。
「東方さんにかぎってそれは無いと思いますけど」
 横から口を出してきた室町の頭を軽く小突いて黙らせた。
「さ、いいから始めるぞ」
 だって貴方は・・・

−一番欲しいモノをくれない。




 順調に課題を終え、時計は五時を示した。
「南部長、東方先輩遅いです」
 お菓子を口に運びながら壇が時計を指さした。確かに約束の時間を過ぎている。
「あくまで予定だしな。どっか寄り道してんだろ」
 氷だけになってしまったグラスにリンゴジュースを入れてやり、差し出す。
「ま、迷子になるような歳でもないしな」
「見かけはもっと老けてますけどね」
「そりゃ言える。あ、南。俺にもジュース!」
 グラスの中で溶けかけの氷がカラ、と鳴った。
 存在を誇示するように・・・
「そういえば、壇。早めに帰らなきゃなんなかったよな?」
 喜多が思い出したように壇に問う。
「え?あ・・・大丈夫です!」
「何か用事があるんだろ?気使わなくていいぞ」
「本当に平気です!」
 苦笑して、壇の前にしゃがみ込む。小さな身体に視線を合わせて頭を撫でてやると、観念したように、
「ゴメンなさいです」
 とだけ呟いた。
「謝ることじゃない。俺こそ悪かったな。折角の休みに呼び出したりして」
「そんなことないです!僕、楽しかったです!勉強も教えてもらったし、ありがとうございました!!」
「そっか。それなら良かった」
 そのまま玄関まで壇を連れていき、見送る。元気良く挨拶をして帰っていった後輩に続いて室町が身支度を整えて姿を現した。
「部長、すいません。俺もちょっと帰らないと」
「いや、いいよ遅くまで引き止めて悪かったな」
「失礼します」
 扉が閉まるのを待って戻る。と、喜多の泣きそうな声が耳に入ってきた。
「新渡米さん、映画始まっちゃいますよ」
「細かいこと言うな!南一人にして帰れるわけないだろ」
「そんなぁ・・・」
 よく考えてみれば、夏休みの合間に予定が無いわけがない。
−マジで悪いことしたな。
 ただでさえ大会を前にして休みは少ない。皆それぞれ自分の時間が欲しかっただろう。
−余裕ねぇな俺。
 それぐらい気づくべきだったのだ。
「イナ、喜多。お前らもデートの予定ぐらいあるだろ?」
−どうして?
 前みたいにできない。
「んなもん、ねぇよ!!」
−気遣われてばかりは嫌なんだ。
 怪我人じゃないんだから。
「照れるなって。なぁ喜多?」
−俺は病人じゃない。
 独りで歩ける。そうありたい。
「部長・・・」
−俺は傷ついてなんかない。


 そんなに弱くない。



「じゃあ俺達帰るけど。南、一人で平気か?」
「ガキじゃあるまいし、何言ってんだよ。晩飯の支度でもしてれば帰ってくるよ、あのバカも」
−どうすれば、手に入るだろう?
「そだな。じゃ、また」
「お邪魔しました」
 笑っていればいいんです。
「今日はありがとな。楽しかった」
 ほんの少し薄い仮面を被ればいいんでしょう?
「またな・・・」


『一番』が、どうしても手に入らない・・・


 いつかの憧れ『××××』
 お膝の上の『×××××』



 時計は七時近くを指さしている。それでも扉は開かない。
「一雨きそうだな」
 一人ごちて南は東方の部屋へと向かった。
−雨の匂いがする。
 本能でもう分かるようになってしまった。それはいつからだったろうか?
『ケツに突っ込まれて喘いでる奴が偉そうにしてんじゃねぇよ』
「るせぇんだよ!!」
 頭を抱えて座り込む。叱られた子供がするように膝を抱いて小さく身体を畳んだ。
「お前なんか知るか!忘れたんだ!消えろ!!」
 形作られていない黒髪を無造作に引っ張り、理性を保たせる。
−痛い・・・
 口に出すことにすら気力が起きない。
−痛い、汚い!!
「もう、イヤだ・・・」
『いい度胸だ』
「黙れ!ちきしょう…!!」
 半狂乱で叫ぶ自分に気づいて、南はふと動きを止めた。
「はは・・・バカだ。大バカだ・・・はは」
 もどかしい、歯がゆい、苛々する。
「クソ・・・」
 二の腕に思い切り爪を立てる。血が流れないように気をつけながら力を込めた。

 泣きたい・・・

『もう泣くな』
「分かってる。誰が泣くか。分かってるんだよ、それぐらい!!」

 扉は開かない。
 チャイムは鳴らない。ただいま。も聞こえない・・・啼くのは雨音だけ。狂ったように唄う雨だけ・・・
「笑ってればいいんだろ!それぐらいできる!!」

『汚れてなんかない』
「嘘ツキ・・・」

『ああ、約束』
「嘘ツキ、嘘ツキ・・・」

『好きだよ』
「大嘘ツキ!!」

『健。好きだ。それだけは、大丈夫だから』
「雅美・・・全部大嘘じゃねぇか!!」

『おいで』
「行けねぇよ・・・」

「嘘ツキ野郎!!」

 笑ってばかりの愛玩人形
 笑い声は嘘っぱち

 焦がれて憧れ愛玩人形
 指を銜えた抱きぐるみ

 泣けもせずに転がり回って
 ハサミで縫い糸切ってみた

「バカ野郎・・・」

『幸せ?』
「幸せって何だよ、菊丸」

『好きなんだ』
「大嘘だ。全部嘘だ・・・」

「好きだ。って言ってるくせに」

−カナナスキス−END

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