7:水煙 [ 45/51 ]



 貴方が忌むべきモノを燃やし尽くそう。


「暑いーーーーー!!」
 うだるような真夏の気温と湿度。軽い練習だけで皆汗だくになり、悲鳴をあげる。
−ダリ・・・
 体調が思わしくない南は尚更堪えていた。暑苦しい風が全身にまとわりつき、不快感をこみ上げさせる。
「・・・」
 部長という立場から、早めに切り上げるかどうか悩む。部員達はヘバっているが、体力作りの為にはまだ止めるわけにはいかなかった。
「健。お前はそろそろ休め」
「いや、まだいい」
 何日も休んでいた身でそんな言葉を聞き入れられる筈もなく、頭を振る。
「でもキツイだろ」
「それは皆同じだ」
−甘やかさないでくれ・・・
「いいからダブルス練習やるぞ、東方」
「健・・・」
「大丈夫だから」
 淡く笑んで歩き出す。空いているコートに向かって足を踏み出した途端、衝撃に襲われた。
「くっらえーーーー!!!」
「うわあああああぁぁぁ!!」
「健!?」
 折角東方にセットしてもらった髪が眼前に垂れ下がり、視界を妨げる。
 ポタポタと鼻の頭に落ちる水滴を見て、始めて何が起こったかを理解した。
「何すんだ千石ーーー!!」
「俺じゃないよー!新渡米だもーーん!!」
 バケツを持った新渡米がケタケタと笑う。その横にはホースを持った千石。二人ともすでにびしょ濡れで実に楽しそうだ。
「イナーーーー!!!」
 あまりのコトに怒鳴り狂う南。首謀の二人は怯む様子もなく、また新たに水を汲んでいる。
「こんな暑い日にやってられっか!!いけ千石!」
「まかせとけ!!」
 怒りのあまり走りこんでくる南にホースが向けられた。激しい流水は直線を描き、今度は顔面から南を襲う。
「・・・・・・」
 ユニフォームのキレイな緑は水分で色濃いものに変色し、額や頬に己の髪が張り付いて不快感を沸き起こらせた。
「「あははー南ダセー!!」」
 微妙なハモリがまた勘に触る。
 キッと睨み付けると主犯達は愉快そうに南を見やり、手にした武器から流れ落ちる水が小さな虹を浮かび上がらせていて、そのギャップに怒りが頂点に達した。
「お前ら許さねぇからなーーー!!」
「南がキレたぁーーー!!」
 新渡米から水入りのバケツを取り上げ、二人に向かって浴びせかける。
「やったなぁ!」
「お前らが先に仕掛けてきたんだろうが!うわっ!」
「東方も道連れだ!」
「は?!」
 呆けて様子を黙認していた東方にもホースが向けられた。
「冷てぇ!!」
「うわぁ、東方髪下ろしたら年相応!!」
「うるさい!」
「雅美ちゃーん!可愛い〜!!」
 まき起こる野次に東方の頬が赤くなる。
「お前らーー!!」
 千石が持つホースを取り上げようと、もみ合いになる。力のこもった指が端を押さえ、勢いの増した流れが南の顔面を直撃した。
「健、ゴメン!」
 垂れ下がった前髪を適当に撫でつけ、前を見据える。額には青筋がたっていて、全員がやりすぎたか、と戸惑い始めた瞬間、怒声に似た叫びが響いた。
「1、2年!来い!あーもう!今日は部活になんねぇ!止めた止めた!」
 様子を伺い続けていた下級生達が恐る恐る近寄ってくる。南は素早くホースを手に取り、全員の頭上に水をぶちまけた。
「うわあっ!」
「何だ?!」
 逃げまどう部員達に、いたずらっ子のような笑みを浮かべて腕を組む。
「お前達も道連れだ!今日の部活は水浴び決定!」
「南最高ー!」
 構えていた千石と東方がバケツとホースで頭上から南に水を被せる。それを合図に全員の水掛けが始まった。
「気持ち良いーー!!」
「うわっ!来んなー!」
「ぎゃはははは!!喰らえ〜〜!!」
 幼児のようにただ水で遊ぶ。欲望も、快楽も、憎悪も総て忘れて・・・



 ただ夢中で遊戯に狂う・・・


「まさか部長がこんなじ融通きくとは思いませんでしたよ」
「たまにはいいだろ」
 一時休憩を求めて皆の輪から外れ、情景を楽しんでいた南の横に室町が並んだ。呆れたような口調だが、ずぶ濡れなのはお互い様で、南は声に出して笑った。
「室町」
「はい」
「こないだ・・・悪かったな。驚かせちまって」
 僅かな沈黙。
「それを、部長に謝ってほしくはないです」
−貴方が笑っていればいいです。
「そっか・・・」
−例え俺の傍でなくとも・・・
「室町。サンキュ、な」
「いえ・・・」


 ただ、貴方に心穏やかな日々が続くことを・・・


「南!室町!!お前ら逃げてんじゃねー!!」
「イナ?!」
「全員撃てーーー!!」
「室町、逃げろ!!」


 笑っていてください。
 いつまでも、見ていますから。


「あはははは!!お前ら、明日から覚えてろよ!!」


 貴方が、恋しいあの人の傍で笑えますように・・・




「ひゃー!パンツまで濡れてるよ」
「千石、一々言わなくていい」
「健ちゃん、髪下ろしたら可愛いね」
「殴られたいか?」
 コート脇の後始末をするべきか悩んだが、季節柄すぐ乾くだろうと判断し、そのままで放置した。
「部長。お疲れさまでした。またやりましょうね」
「もう、しねぇよ。明日からはシゴくからな」
 部員達は楽しげに南に野次を飛ばし着替えの為に部室へ入っていく。
−・・・・。
 南も足を踏み出そうとするのだが、部活前の失態が脳裏に過ぎり足を止めた。そのまま空を見上げる。長くなった昼の刻はまだ空に青さを残し、時間を忘れさせようとする。
−どうしようか・・・
 しばし悩む。そのうちに部員達は各々身支度を済ませ帰路へと向かっていった。恐らく部室に残っているのはレギュラー陣だけ。
−わざと、だろうな・・・
 彼らは恐らく自分を待っている。一つの壁を乗り越えられるかどうかを見届けようとしているのだろう。
−仕方ねぇ。
 覚悟を決めて一歩踏み出す。その瞬間、明らかに待ちかまえていたタイミングで外気に遊ばせていた利き手を体温が包んだ。
「行こう」
「東方、お前後ろで見張ってただろ」
「半分不正解」
 繋いだ手を子供のようにブラブラさせながら東方が答える。
「ていうか、他に人いないんだから名字で呼ぶなよ」
「学校では『雅美』って呼ばないって言った。ケジメだ」
 鼻を鳴らして強気に見上げてくる視線。その光が僅かに翳りを携えているのは分かる。
「つれない奴」
−何を隠している?
 翳りの理由が複数に思えてならない。
−どうして、言ってくれない?
 見えない理由は、きっとこの数日感じている違和感。その正体が分からない。
−何を・・・?
「うっせ。それより、本当は監視してたんだろ?はぐらかすな」
「好きな奴がいたら、見るのは当然だろ?」
−教えてくれないのか?
「・・・」
「好きだから見てた。で、部室に行こうとしてたから一緒に行こうと思って手繋いだ。それだけだよ」
「要するに監視はしてたんじゃねぇか」
「見つめてたと言ってくれないか?」
「・・・バーカ」

 いつか解りえる時が来ると、誰か約束してください。


「雅美、その・・・部室に入るまで・・・手このままでもいいか?」
 好きです。
「ん?雅美って呼ばないんじゃなかったのか?」
 君が好きです。
「なっ・・・!!もういい!!一人で行く!」
 いまは、それだけでいいです。
「ウソウソ。冗談だって、怒るなよ」
 君が少しでもこの手を欲しがるなら。
「大馬鹿野郎」


 それを信じます。


 鉄臭い扉。あの日と姿形変えず佇む。屈辱の象徴が目の前に近づくにつれて、指先が小刻みに震えているのを自覚した。
 恐らく東方も気づいているだろうが、口には出さずにいてくれる。
−・・・大丈夫。絶対大丈夫。
 ヒドク言い聞かせる。形にならない歪みの残像が脳裏を過ぎり、かろうじて東方の掌の感触だけで意識を保っていた。
−いつまでも女々しいマネしてられっか。
 トアにこびりついた、年期の入ったサビ臭さがまとわりつく。不快感に抗うように意地で蹴って開けた。あの日と同じように・・・
『俺を見ろよ・・・』
−るせぇ!黙れ!!
 刹那。足が止まる。それとほぼ同時に、でも僅かに遅れて手が孤独を訴えた。
−?!
 右半身が外気を感じる。大きな身体は薄暗い空間に吸い込まれてしまった。でもどうしても後を追えない。
−雅美、置いて行かないでくれよ。
 迎えには来てくれない。
−何で?
「健」
 鮮明な低い声音。恐る恐る中を見やると、大きな掌が差し出されていた。
「おいで」
 向けられた淡い笑顔に泣きたくなる。
「健。大丈夫だから、おいで」

 強く在りたい・・・

 震える指先で拳を握り、押さえつけて大きく息をつく。
−俺は弱くない。
 重い足を引きずらないように踏み出す。東方も、他の人間も一切言葉を発しない。視線だけが感じられた。
「・・・・・・」
 身体半分が室内に納まった。
−もう、何も起こらない。
 行かなくては、という使命感ではなく己の意志でくすんだ床に踏み込んだ。
「!!」
 沈黙のまま差し出されていた手が肩を掴み、引き寄せられる。目の前に飛び込んできたのは古い木造の机ではなく暖かい胸。
「・・・良かった」
「死にそうな声出してんじゃねぇよ」
 恋しい腕の中にあるのだと悟る。同時に、己がすでに忌まわしき場所に在ることを自覚した。
 周りから幾つもの安堵の溜息が聞こえる。かなり皆緊張していたらしく、何人か床に座り込む気配が感じられた。
「どうなることかと思った」
 新渡米が、ヘヘと笑い声を漏らすのを合図に、堰をきったように忍び笑いが沸き起こる。

−良かった・・・

 ガラにもなく南は声を潜めて東方の腕の中で笑った。


「じゃあ、そろそろやりますか」
「そうだな」
 しばし笑い声が止まらず、やっと落ち着いたところで千石が立ち上がった。東方と目を合わせ、互いに顔をニヤつかせている。
「何する気だ?」
 南の問いに誰も答えない。皆ゾロゾロと立ち上がり、何事か言葉を待っている。
「南、この机嫌いでしょ?」
 千石が独り言のように呟いた。未だ東方の腕の中に納まったままの身体が一瞬ビクついたのを目敏く見やり、言葉を続ける。

「俺も、コレ嫌いだよ」

 その言葉を合図に喜多が外へ駆け出した。
「何なんだ?!」
「東方、あとはよろしくね〜」
 今度は残りの三人が動き出す。それを確認して東方は南の腕を引いた。
「ちょっ、どういうことだよ東方!!」
「まぁまぁ、黙ってついて来い」
 そのまま外に引きずり出され、グランドの方へ歩かされる。振り返ると、千石がヒラヒラと手を振っていた。
 訳も分からず 、ましてや誰かが教えてくれる様子もない。仕方なく南は仏頂面で東方の横を歩いた。
「健。すぐ分かるから、そんな顔するな」
「・・・煩い」
 東方が苦笑したのを。また腹立たしく感じ、自然と仏頂面になる。
 それでもしばらく大人しく歩いていると、人だかりが視界に入った。
「喜多、なんであんなとこにいるんだ?」
 白いユニフォーム、野球帽にスパイクを身に纏った集団の中に後輩の姿を見つけ、ますます疑問が大きくなる。
「あ、部長!東方さん!こっちですよ!!」
 手を振る後輩に駆け寄ると、野球部の部長と目が合った。
「南、千石の奴とんでもないな」
「はぁ?」
 よく日焼けした褐色の肌を隠すように帽子を被った野球部部長が南に心底呆れた表情を向ける。
「俺達、今年の予算で新しいの買って、これ捨てる予定で運んでたんだよ。そしたら千石が『これくれ』って言い出して、まとわりついて離れなくてさ」
「?・・・??」
 まったくなんの話をしているか分からず、相槌もうちようがない。
「仕方ないから、持って行けって言ったら『もうしばらく、ココに置いといて。南が風邪治ったら挨拶がてら取りに行くから』って。無茶苦茶だよ。廃棄の手続き顧問に頼んでたのに」
 一体、なんの取引が行われたのだろうか?千石がまた問題を起こしたんじゃないかと思うと、南は気が気ではない。
「ま、風邪治ったんだろ?さっさと引き取ってくれ。部室が狭くて仕方ない」
「悪い。なんの話か分かんないだ。千石、なにしたんだ?」
 内容が掴めないので正直に伝える。東方と喜多っを睨んでみても、視線を逸らしたまま教えてくれる気配はない。
「お前聞いてなかったのか?まぁ、千石らしいっちゃらしいな」
 千石と同じクラスの彼は、千石の気質を見知っているせいか、南が責められることはない。
「迷惑かけたみたいで、悪いな」
 彼は笑って自分の後方を指さす。
「気にすんな。そうそう、アレだよアレ。早いとこ持ってってくれ」
−嘘だろ・・・マジかよ・・・
「あぁ・・・ありがとう・・・」
 地面の上に無造作に置かれていたのは、古びた机。
 野球部の部室に納まっていたものだと先程の会話をはんすうし、確信した。
「南、この貸しは高くつくぞ。夏休み明けの数学のテスト、ヤマはっといてくれな」
「分かった・・・」
 千石に責任を戻す言葉も思いつかないまま、ただ頷く。野球部員達は大きな荷物が無くなったことに清々した様子で部室へと帰っていった。
「東方、喜多・・・」
 驚きも度が過ぎれば怒りに変わる。今の南には、そんな表現がよく似合った。
「健・・・ここは一つ穏便に・・・」
「できるわけねぇだろ!!!ふざけんな!うちの部室に二つも机が入るわけないだろうが!!何考えてんだ!!」
 怒りの赴くままに叫び、荒く息をつく。
 ある程度南の反応を予測していた東方は冷静だが、免疫の無い喜多は今にも走って逃げだしそうな勢いだ。
「それはちゃんと考えてあるから」
「るっせぇ!黙れ!!」
 元々が癇癪持ちなので、一度タガが外れると抑えが効かない。いまにも殴りそうな勢いで怒鳴り続ける。
「あの、部長・・・本当に大丈夫なんで・・・」
「お前は口出すな!!」
「は、はい!」
−あーあー・・・予想以上だ。
 頭を抱えて対策を巡らす。方法が無いわけではないが、かなりリスクの高い賭をしなければならない。
−下手したら別れるって騒ぎだすな・・・
 濡れたままの髪を掻き、考え込む。
−どうか、そうなりませんように。
 決意を固め、未だ怒鳴り続ける南の腕を引いた。
「何しやが・・・っ?!」
 触れるだけのキス。すさまじい勢いで頬が赤くなっていくのが容易に見てとれた。
「腹立つのは分かるけど、怒鳴ってもどうしようもないだろ?」
「お前っ、今っ、な、何・・・!!」
「さっさと運ぶぞ。喜多!来い!」
 二の句を繋げなくなってしまった南の手を引いて放置された机に向かって歩き出す。しばし大人しくしていた南だったが、急に我に返ってまた大声をあげだした。
「東方、人前でこういうことすんなって言ってあっただろうが!!」
「次、怒鳴ったら今度は舌入れるぞ」
 真上からすごまれては、南に言い返す言葉はない。
−畜生。
 昔なら『別れてやる』と騒ぎ立てただろうが、今そんな度胸はない。
−何だよ・・・
 東方が『そうか』と言う確率の方が高い。南は東方の心情とは裏腹にそう感じていた。
−・・・情けねぇ。
 東方の言葉を何よりも恐れている自分が腹立たしい。
「健。ふてくされんなって」

 この優しさを失うことが恐い。


 仕方なく南は二人と共に机運びに参加した。
 散々騒いだあとの重労働はかなり堪える。テニス部の部室が見え始めた頃には汗が背を滴り始め、息があがっていた。
「遅かったねぇ、お疲れさん」
 千石、新渡米、室町、壇の出迎えに一瞥しただけで南は言葉を発さない。
「あらら、やっぱり怒った?」
「だから言ったんですよ。先に説明した方がいいって」
「室町、今更それは言いっこなしだ」
 呑気なやり取りに怒鳴る気力も起こらない。帰りたくて仕方がなかった。久々の運動と怒鳴り散らしたことで思った異常に疲労していてダルイ。
「健。いい加減に機嫌直せ」
 東方の窘めに反論するのもおっくう。
「仕方ないよ。怒られるようなことしたんだもん」
「ま、そりゃそうだ。さっさと始めようぜ」
「じゃあ、準備してくるです!」
 壇がそれを聞いて部室へと走り去った。まだ何かあるのかと思うと、南はうんざりした。
「悪いようにはしないから」
 東方の手が肩に触れる。

 ふと、泣きたくなった。

「んじゃ、おっぱじめますか」
「何処に置いたんだ?」
「あーそこの陰」
 千石と東方に挟まれるようにして引きずられる。
「お前ら何する気だよ?」
「えー?破壊活動ってやつ?」
 何が起きてももう怒る気力はないと思いこんでいた南も、これには動揺した。
「はぁっ?!」
 文句を言いたくても、何から怒鳴ればいいのかも分からずにただ連れて行かれるはめになってしまった。
「皆さあ、南が嫌なものは嫌いなんだよ」
 いつの間に先回りしていたのか、新渡米が待ちかまえていた。飄々と笑いながら、後方を指さす。
「・・・これ・・・・・」
 そこには今しがた自分が運んできたものと同型のそれがあった。
 でも、それは元々テニス部の部室にあったもの。

「ぶっ壊そう」


 東方が呟いた。
−バカだらけだ・・・
「おっしゃあー!やっちまえ!!」
 追いついてきた喜多と室町も加わって、ぐるりと机をとり囲む。
「やっぱ一発目は雅美ちゃんでしょ!」
 手を振り東方を呼びつける面々。
「健。ここで見てるか?」
 小さく頷いて繋いだ手を離した。
「壊せ壊せ!!」
「いくぞ!!」
 すさまじい打撃音を上げて古びた机はいとも簡単に二つに割れた。
「ひょ〜!!馬鹿力!!」
−バカだ、こいつら・・・
 形を分けた木片が叩き壊されていくのを、ただただ見守る。
−情けねぇな俺。
 先程まで怒り狂っていた自分が恥ずかしくなり、俯く。
 自分がどれだけ己しか見えてなかったかを思い知らされた。
−・・・ありがとう。
 皆笑顔で欠片を蹴飛ばし、粉々に近い形になるまで破壊を続ける。

 気づけば・・・南も笑って皆を煽っていた。


「あー面白かった」
「そうそうできることじゃないもんな」
「いいストレス解消ですね」
「壇、まだか?」
「そろそろだと思います」
 離れて見守っていた南を迎えに皆ぞろぞろと歩み寄ってくる。背景には不気味なオブジェのように破壊の限りをつくされ、無造作に積み上げられた木の集合。
「遅くなってゴメンなさいです!持ってきました!!」
 壇の声がした方を全員で見やる。そこには確かに小柄な後輩が両手を塞がれた状態で立っていた。
「ご苦労さん。じゃあ、最後のシメやるか」
 プラスチックのボトルに小さな缶のような物体。そして廃棄予定だったテニスボールが一つ東方に手渡された。
「今度は何だ?アレで終わりじゃないのか?」
「やっぱ最後は部長に後始末してもらわないとな」
 皆顔を合わせてニヤつくばかり。とんでもないことをさせられるだろうと覚悟した。
「千石。お前の担当だ」
 白いボトルが投げ渡される。それを余裕で受け取り、千石は南の前に立ち塞がった。
 大きく息を吸って、伝言のように言の葉を繋ぐ。
「南の嫌な思い出は、俺らにも最低なんだよ」
「千石」
「キヨ子いきま〜す!」
 ボトルを掲げて走り出すオレンジの髪が、夕焼けに同化していった。
「気休めにしかならないかもしれませんけど、俺達ができるのはこれぐらいですから」
「室町・・・」
「先に行きます」
 淡く笑って歩き出した背な。
「部長・・・」
「喜多。さっき・・・悪かった。怒鳴ったりして」
「俺、辛気くさい部長より、東方さん殴りつけてる部長の方が好きです!」
「どういう意味だ・・・」
「言葉の通りでーす!」
 怒鳴られる前に、と勢いよく駆け出す後ろ姿。
「ま、泣いてばっかの南なんて皆見たくないってことだよ」
「イナ!誰が泣いてばっかだ!」
「そうそう、それでこそ南」
 心から笑う友。
「皆、部長のこと大好きですから!!」
「壇」
 忌まわしき思い出の象徴の前で千石が手にしていたボトルを傾げる。中には液体が入っていたらしく、小さな飛沫が木を覆うのが見て取れた。
「健・・・皆待ってる」
「雅美、俺・・・」
 言いたいです。
「気にすんな。お前が怒るの覚悟で計画したんだから」
「俺、めちゃくちゃ嬉しい」
−好きだよ。
 貴方の傍にいれて嬉しいのだと・・・
「あいつらにも言ってやれ」
「そだな。雅美・・・」
 誰よりも好きなのだと・・・
「ん?」
「・・・ありがとう、な」

 いつか心から言えますように。


「行こう」


 渡せない言の葉の代わりに、自分から手を繋いでみた。


「南!東方!さっさと来ーーい!!」
 新渡米の怒声に空いた左手を掲げて応え、利き手は東方に預けたまま歩き出した。
「で?俺は何すればいいんだ?」
 円陣を組んで待つ部員達に問いかける。
「健。これ持って」
 手渡されたのは、古びて変色したテニスボール。その上から東方が缶に入っていた液体をかけた。その人工物の臭いに南は顔をしかめる。
「これジッポオイルじゃないか!千石!お前のだろ!タバコは止めろっつっただろうが!!」
「止めたから余ってんじゃん!」
−怪しい。絶対嘘だ。
「今はそんなこといいの!それより!東方、ほれ!」
 拗ねた口調の中投げられた小さな金属が東方の掌に納まる。
「健。気をつけないと火傷するぞ」
「待て。もしかして・・・」
「燃やすんだよ。この机」
 やっぱりか、と溜息をつく。しかし、ここまで来たらヤケクソにも近く、南はオイル臭いボールをさし出した。
「キャンドルサービス始まりまぁ〜す!!」
−神様、今だけ忘れさせて下さい。
「誰がだ!!」
−明日になれば、また自覚しますから。
「いいからいいから。火つけるぞ」
「ったく・・・」
−今だけ心から笑わせて下さい。
 気遣ってくれる友に、恋人に・・・

−心から笑い掛けたいんです。

 この身体が穢れていることは覚えています。忘れていませんから。

−今だけ、昔に戻らせて下さい。許して下さい。


「点火!!」
 燃えるボールを投げ込むと予想以上の炎が辺りを照らし始め、黒煙が立ち昇る。
「オイ。千石、さっきこれに掛けてたボトルの中身言ってみろ」
「あーあれね、アルコール。理科準備室から、かっぱらってきた」
 ボトルのラベルを確認すると、確かにそれは千石の言葉通りのものだった。
「お前!何すんだ!!」
「あはは〜証拠隠滅〜〜」
 半透明のボトルは紅い炎の中に溶け消えた。
「健。皆に言うことがあるだろ?」
 繋いだ手を引かれ、思い出す。東方は笑って生乾きの南の髪を撫で、頬に触れた。
「あぁ、そうだったな」
 火に向かって黙り込んでいた部員達に向き直り、大きく息を吸う。
「皆・・・ありがとう。すげぇ嬉しい」
 全員何も言わず、照れくさそうに笑って右手を掲げた。
 東方に抱き締められ、南も幸せそうに笑っていた。
「じゃあ、折角キャンドルサービスしたことだし、誓いのキスをしてもらいましょう!!」
「それ賛成!!」
 突然の提案にこれ以上無いほど顔を真っ赤にして怒鳴る。
「それとこれとは話が違う!!」
 皆の耳にその怒声は届かず、はやしたてる笑声が炎にこだました。
「健。こっち向いて」
「嫌だ!!」
 顔を背け精一杯の抵抗を示していたが、握られた手の力が催促をするように強くなり、諦めて恋人の顔を見上げる。
「目閉じて」
−神様。今だけ、あの頃に戻れるのだと勘違いさせてください。
「分かったよ。やればいいんだろ」
−ちゃんと、覚えていますから・・・あの屈辱を。
「健。好きだよ」
−お前が好きだ。
「・・・・・」
−ウソツキ・・・
 触れるだけ。けれど静かに永く唇を合わせた。

「ひょ〜〜!!暑苦しいね!!」
 一つだけ、お礼を言わせて下さい。
「お前らがやれっつったんだろうが!!」
−こいつらに出逢わせてくれて・・・ありがとうございます。

 この運命を突きつけられたことは死ぬほど憎んでいます。
 けれど・・・

−今ここにいるのが、こいつらで良かった。

「俺達幸せになりまーす!」
「ふざけんな!バカ東方!!」
「夫婦ゲンカは犬も食わないって言いますよね」
「今なんつった室町!!?」


 ささやかに流れた何気ない時・・・

 今だけ心から笑え。今だけ・・・

 忘れるコトが許された・・・


 いつの間にか紅を失い黒く燻った木片が転がり落ちた。


 僅かな光を嘲るかのように・・・

−水煙−END

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