6:君が為に思う [ 46/51 ]


 ひとたび外に出ると、夏の気温が異質な温度を嫌うように身体にまとわりつき、同化させようと肌を浸食し始める。
−暑・・・
 空調の適温に慣れてしまい、鈍っている己の身体を忌々しく思った。
−バカか俺は。
「健。どうした?具合悪いか?」
 隣を歩いていた東方が覗き込む。その額にはすでに汗が滲んでいた。
「いや、暑いなって思って」
「ま、夏だし当然だろ」
−お前まで・・・

 鈍ってしまったのは、自分だけでない・・・





 校門をくぐると、真夏を告げる季節風が頬をくすぐる。その生温い感触に苛立ちさえ覚えながら東方の問いかけに相づちをうっていた。
「南?!」
 聞き慣れた声に振り返ると、新渡米が喜多と共に走り寄ってくる。
「久しぶり。俺がいない間マジメにやってたか?」
「程々にな。千石がやけに真剣でさ。でもお前がいないとやっぱ締まらねぇよ」
 軽く微笑んで、他愛のない話をしながら部室へと向かう。喜多と新渡米が必死に話題を選んでいるのを僅かに感じ取った。
−もう、大丈夫。
 まだ声に出しては言えない。
 東方はただ隣で微笑みながら話を聞いていた。
「南〜〜〜〜!!」
 走る衝撃のせいで妙なビブラートのかかった声が通る。振り返ると、オレンジの頭と白の制服の組み合わせが悪目立ちする友人が全速力で向かってくるのが見てとれた。
「部活出るんでしょ?!出るよね?!俺さぁ、もう肩こっちゃって大変。段取りとかよく分かんないし、でも自分の練習もしなきゃだしさ、にしても久しぶりだよね。何か嬉しいな。これで堂々とサボれるよ!あー良かった」
 機関銃のごとく言いたいことをペラペラと述べる千石に皆が苦笑する。
「千石、お前一気にしゃべりすぎ。舌噛むぞ」
「南に一票」
「俺もです」
「俺も」
「何だよー!皆ヒドっ!キヨ子泣いちゃうんだからぁーー!」
 ふざけてオカマ走りまで披露する千石に皆が腹痛を訴えた。新渡米は膝をついて笑い転げている。
「キヨ子最高ーーー!!」
「ぎゃはははは!!」
 少し離れたところで振り返る。その足が内股なのにまた全員が爆笑する。
「笑うなんて失礼ね!こんなにキヨ子可愛いのにぃ!」
 シナをつくって投げキッスまで飛ばしてくる千石。完全に調子に乗っている姿に全員が呼吸困難まで起こしかけていた。
「もう止めてくれーーー!!」
「腹いてぇ!!死ぬー!」
 喜多は笑いの行きどころにカバンを叩き、新渡米はそんな後輩の背を殴っている。東方は座り込んで腹を押さえて震え、南は千石を指さして大声で笑っていた。

 空は否応なしに笑声を吸い込んで、ただ青い。

「ていうか皆笑いすぎ。俺こういうキャラじゃないのに」
 千石が拗ねたように四人を見下ろす。顔を見ただけでまだ笑いがこみ上げるらしく、全員立ち上がることができない。
「千石万歳だな。就職先はオカマバー決定」
「新渡米!ヒドイ!!」
「もう勘弁してくれーー!!」
 目尻に浮かんだ涙を指先で拭う南。その姿に全員が静かに微笑したのを南は気づかなかった。
「さあ、そろそろ行こう。いい加減他の奴も来る」
 東方の声を合図にノロノロと立ち上がる。間の空いた千石は南の前に立ち、右手を掲げた。
「千石清純ダッシュ一本行きまーっす!!」
 言葉の意味が掴めず呆然と口を開けた南に、千石がニヤリと笑んだ。
−なるほど。
「ディーッ、ゴー!!」
 かけ声と共に手をパン!と打ち鳴らす。と、千石は遠くに見える部室目掛けて駆け出した。
「元気だな」
 そう東方が呟く。皆頷いて千石の後を追うように歩き出した。けれど、南だけ動けない。
−部室・・・
 視覚された場所。あの日以来初めて目にした。
−行かなきゃ。
 そう思うのに膝が小刻みに震えだし、その場に座り込んでしまいそうになる。先程まで笑っていた自分は他人のような気がして、目の前の景色が陽炎のように揺らいだ。
「健?」
 数歩先で振り返った恋人が手を取る。その感触さえ曖昧で、声にも反応できない。
「どうした?気分悪いのか?」
−逃げるな。
「いや、笑いすぎて腹筋痛くなっただけ」
 不自然な笑顔だったと自覚した。眼前の双貌が何かを読み取っている。証拠に手に力が強くこもる。
「やっぱり帰るか?」
「いや、行く」
 東方の表情が翳る。突如現れた雲のせいか、己のせいなのか南には分からない。
「南、俺部室の鍵忘れた・・・」
 いつの間に戻ってきたのか千石がすまなそうに東方の横に並んでいた。
−俺の場所・・・
「バカだなぁ、俺いなかったらヤバかったぞ」
 指先が触れないように無意識に気を付けて薄黒いそれを手渡す。
−俺の・・・
「バカって言うなよ・・・ヒドイなぁ」
 拗ねたように千石の手が南の肩に触れた。その瞬間、背筋を憎悪が駆け巡る。
「っ・・・!!」
 すさまじい勢いで払いのける。皮膚がぶつかる音が鮮明に響いて、その衝撃にまた身体が怯えた。
「あ・・・」
−何で?
 知っていた筈。今触れようとした意味は親愛。友がかつてのように情を示しただけ。
「ゴメン。俺が鈍感だった」
 潔く頭を下げるその姿に泣きたくなる。悪いのは千石じゃない。
「千石・・・」
−こんな筈じゃなかったのに・・・
「キヨ子さん。踊り子には手を触れないでください」
 項に回った熱い手に引き寄せられた。目の前には白い学ランが薄黒い日陰をつくりだして、オレンジの髪が色を無くす。
「え〜っ!!キヨ子、健ちゃんにチップあげようと思っただけなのにぃ!!」
 間抜けな会話に身体の奥の苛立ちの火が小さくなった。
「困りますよ。チップは持たせないのが店の方針ですから」
「雅美ちゃんたら、良い男。キヨ子惚れちゃいそう!」
 しばし二人の会話を聞き、先程の遊びの続きだと知る。しかも今度は東方まで付き合っている。
「じゃあ、今度は指名してくださいね」
「え〜、だって雅美ちゃん指名料高いんだものー!」
 打ち合わせもなくポンポンと交わされる軽快かつ愉快な会話に、冷えてしまった笑いの熱が身体の内を走り回った。
「はは・・もう、いい・・・また笑い止まんなくなるから」
 肩を震わせながら東方の胸元に額を押しつけて身体を支える。
−ありがとう。
 嬉し涙とこみ上げる笑いのせめぎ合いの中で南は顔を上げた。
「南・・・」
 太陽の光の中で千石は南を見上げる。オレンジの髪が透けるようにキラキラして、単純にキレイだと感想を持った。同時に羨望がまき起こる。
「ゴメンね」
 二度と手に入らぬ頃。幾日か前。傷無き肌心。
−遠い・・・
 遠く遠い過去の残影すら完全に見失った己。
「俺もゴメン」
 それでも歩きたい。
 例え自我を陰に突き落とすコトになろうとも・・・


 お前が笑うなら。



「さ、行こうぜ。喜多と新渡米が待ちくたびれてる」
 ふわり、と笑って歩き出す恋人の背。潔い佇まい。東方は見ているだけで眩暈を起こしそうになった。
「千石、東方・・・その、ありがとうな」
 照れたように笑って南は目を細める。
−健?
 朝過ぎった違和感が音をたてて存在を示す。
−違う。
 それでも、少なくとも今目の前に在る笑顔にこの違和感は当てはまらない。


 もう大丈夫。貴方が手を引いてくれるならきっと・・・


「お前ら遅せぇーーーー!!」

 部室の扉の前では喜多と新渡米が不満そうに座り込んでいた。
「悪い悪い」
 三人揃って平謝り。
「早く開けろよ。時間無くなる」
「はいよ」
 千石が古めかしい鍵穴をこじ開けるように手荒く開けた。そのままドアを蹴って鍵当番の日課を果たす。
「今日のメニュー何だっけ?」
「あー忘れた」
 皆何も気にすることなく室内に足を運ぶ。当然のこと。恐れているのは南だけ。
−大丈夫。入れる。
 地面に泳がせていた視線をゆっくりと上げる。隣には東方の気配。
−何ともない。何も起こらない。
 必死に表情を殺しながら前を向く。開け放たれたドアの奥を見やると・・・木造の机が視界に入った。
 あの日のままの姿で・・・
−クソったれ!!
 生来の負けず嫌い。意地で足を踏み出す。
 掴まれているように重い。鉛でも付けられているように歩きにくい。
−思い出すな!!
 心中叫ぶ。遠い時がたったような気がするが、まだ一歩しか踏み出せていない。舌打ちをしたい気分だった。
『悔しければ、殺しに来い』


−うるさい!!


 情けなく押しつぶされた躯。屈してしまった恥辱。己への嫌悪。
「・・・っ、っ!!ーーーっ!!」
 喉に違和感が詰まる。その正体は己の舌だった。死体のように喉の奥に落ち込み、気道を塞ぐ。慌ててみても言うことを聞いてくれない。たまらず身体を折った。
「健?!」
 東方が身体を支えてくれる。必死に心中命令を下すが、拒否されて尚更焦り、異物感に吐き気がこみ上げる。慌てて口を手で押さえ、やり過ごそうとしてみても嘔吐を求める衝動で背中が大きく揺れた。
−苦しい!!死にたくない!!
 意識を失いそうになるが、吐き気の衝撃で引き戻される。
−畜生!!
「健!吐け!!」
 事情が分かってない東方は吐き気を堪えているだけだと思っているが、できるものなら、やっている。南は息苦しさを訴えようと必死で頭を振った。
「健!!クソっ!」
 伝わらなかった。
−大丈夫だと思ったのに・・・
 貴方さえ傍にいてくれれば何でもないことだと・・・
「南!!」
「部長!!」
「南!!」
 三人が同時に叫ぶ。その声に後押しされるように東方は南の身体を抱えて走り出した。



 水飲み場で勢い良く蛇口をひねる。一気に流水が始まり、水道水独特の臭いが鼻をついた。
−苦しい・・・
「健!吐けって!!」
−やれるならやってる!!
 頭が回らない。鼻で息をしようと試みるが、気道が塞がれているせいでソレもままならない。
「早く吐け!!」
 痺れを切らした東方が背中をドンと叩いた。鈍い衝撃に頭中がクリアになる。

『悔しいなら、殺しに来い』

−煩い!!

 思い切って口の中に指を突っ込み、舌を押さえる。開いた気道から嘔吐を開始した。
「うっ、ぁ・・・かはっ!は・・・!うっ!!」
 消化しきれていない胃の内容物がコンクリ造りの上を流れる。生ゴミのような臭いにまた吐いた。
 東方の手が背中をさすっているのがヒドク鮮明で涙がこみ上げる。
−クソったれ・・・

 誰がこんな醜態を晒せと言った?

「もう、いいか?」
 吐くモノは残っていない。そう確信して南は問いかけに頷き、口をすすいだ。サビの味と、吐いた後味に舌打ちをする。
「臭ぇ・・・」
 心底忌々しそうに呟いて流しに水を撒く。その指先は震えていた。
「・・・卵焼き」
「は?」
 最後の作業に手を流水にかざし、ポツリと南が言葉を発した。その脈絡の無さに思わず問い返す東方。
「勿体ないことした」
 己を嘲笑する南の姿にたまらず手を伸ばして抱き締める。
「バカか、お前は。そんなのまた作るから」
 力が籠もった腕に体重を預け目を閉じる。先程までの不快感は消えていて、心地よい暖かさに身体が揺れた。
「そっか・・・」

 いつになれば消えるでしょうか?
 いつになれば心から笑えるでしょうか?
 いつになれば貴方は・・・

「雅美、ゴメン。また心配させた」
「謝るな。お前は悪くないんだから」

−俺が変わって、お前も変わった・・・

 貴方は変わってしまいました。
−どうして昔のように・・・

「健。今日は帰ろう。休んだほうがいい」
「もう平気だから出る」
「でもお前!!」
「雅美。頼む」
 強く凛とした視線が見上げてくる。
「・・・無理だと思ったら言えよ」
「ん・・・」
 抱き締めた手を緩く振り解いて歩き出す南。ふとまた過ぎる違和感。

「雅美・・・」

−好きだよ。

「ありがと、な」

 言えません。どうしても言えません。

「・・・健。好きだよ」

 貴方は呪文はくれるのに、魔法をかけてはくれません。

「噛み合ってねぇ会話」

 呪文だけでは、何も起こらない。

「好きだ」

 魔法はまだですか?

「着替えよう」

 魔法をかけてはくれませんか?

「健・・・ずっと傍にいる」


 君が為に思う・・・


 笑っていようと・・・


 君が為に思う・・・


「あぁ」


 気紛れを待とうと・・・


 いつになれば・・・?


−君が為に思う−END

[*prev] [next#]





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -