5:あえか [ 47/51 ]


 深い闇が支配する夜の時。東方は身を起こした。蒸し暑い階段を下り、居間の扉を開ける。
「・・・」
 ソファの横に腰を下ろし、寝ている南の顔を覗き込んだ。
−またか・・・
 額に滲んだ汗。それでも肩は小刻みに震えている。決して暑いわけでも寒いわけでもない。
−何を気にしてる?
 頬に触れてやると、途端に落ち着いた寝息が規則的に響く。
−俺は頼りないか?
 甘えられることぐらい何でもないのに。
「おやすみ・・・」




 早朝。おぼろげな意識の片隅で、控えめな足音を聞いた。
−もう朝か・・・
 陶器が重なり合う音。火が点される。
−眠い・・・
 それだけで良い。東方が近くにいれば何も恐くない。本能がそう知っていた。
−情けねぇ・・・
 音が止んだかと思えば、額に暖かい肌が触れた。

−ゴメン。


 いつになれば、許されますか?


 独りで眠れますか?


 いつになれば・・・

−雅美、何でだ?


 だって、貴方は・・・・



−ウソツキ・・・


 日が変わり、就寝を告げて独り眠る。
 たったそれだけが・・・どうしても上手にできない。


「二時か」
 テーブルの上に放置していた携帯を開いた。闇に慣れてしまった目に人工的な光は痛く、眉をしかめる。

−眠れねぇ。


 手探りでリモコンを探し、冷風の送り出しを止めた。
 省エネと言えば聞こえはいいが、恐らく自分は貧乏性なのだろう。
−他人の家だしな。
 居間から出ると、蒸し暑い空気が身体を包み下がった体温を浸食する。そのまま階上へと歩む。ヒタヒタと素足にフローリングの床がまとわりつき、それすら不快に感じた。
 木製の扉を用心して開けると、見慣れた壁紙が視界に入る。月明かりと不躾な街灯の光とがカーテンを無視して射し込み、窓際のベッドが照らされていた。
−良かった。寝てる。
 起こさないように座り込む。頭だけをベッドに乗せ、目を閉じた。
−好きだよ。
 届かない言の葉。決して口に出したりはしない。
 伝えてしまえば、縛り付けることになる。
−ちゃんと、逃げ道あるから。
 いつか、きっと遠くはない未来、東方は嫌気がさす。こんな自分に。
−もう少しだけ・・・
『好き』そう口に出したことは一度もない。だから、それを理由にすればいい。
 でも・・・
−まだ、覚悟はできてないから。


 少しだけ待って下さい。


 汚れ物。きっと東方はそうは言わない。言えない。


−ちゃんと、理由作ってるから。

 離れたいと思えば、
『言葉が足りない』
『好かれてる自信が持てない』
『面倒見させるために利用した』
 いいように罵ってくれればいい。気持ちを確かな言葉にしていないコトを武器にしてくれて構わない。突き放してくれていい。
 でも・・・


−好きだって言ったら、お前逃げられないもんな。


 願わくば・・・


 嫌わないで下さい・・・


−準備できたら、いつでもいいよ。


 要らないのだと、棄ててください・・


−疲れただろ?


 泣いて縋ったりなどしないから。
 そんなこと、絶対しない。
 分かってるから。
 自分が負担なことぐらい。


−イヤだろ?


 独りで寝ることすらできない、愚かな自分。


−でも、戻れたら・・・言ってもいいか?


 貴方が恋した自分に、またなれたら・・・


−捨てないで。って言っていいよな?


 戻りたいと願い、歩むから・・・


−ダメだったら・・・逃げていいから。




 貴方を傷つける自分を忌む程・・・
 どうしようもなく・・・


−好きだから、逃げさせてやるよ。


 どうしようもなく好きです。




−だって、お前言わないもんな?


・・・・。




「ん?」
 指先に冷たいものが触れた。
 無機質でないことは感覚で分かる。
−健?
 反射的に身を起こすと、生乾きの黒髪が薄明かりに照らされて浮かび上がった。
 よく眠っている。利き手で布団の端を掴んで、幼子が話途中で寝てしまう。そんな情景が思い浮かんだ。
「健」
 肩に触れると、薄い布地はこれ以上無いほど冷えていて、半袖から伸びた腕はもっと冷たい。夏場とはいえ、空調のきいた部屋で掛けるもの無く寝ていたのだから当然だった。
−バカ!
 その低すぎる温度に驚いて肩を引き上げ、抱きかかえた時・・・
「・・・?」
 柔らかかった身体に力がこもった。
「ゴメ・・・っ、俺!!ゴメン!!」
 勢い良く振り解き、部屋を出ようと背を向けた。東方は慌てて腰を掴んで南の身体を引き寄せる。
「謝らなくていいから」
 強制的に布団に引きずり込む。頭まで布地を被せ、少しでも早く暖まるように身体をさすってやった。
「完全に身体冷えてるじゃないか。いつからいたんだ?眠れないなら起こせばいいだろ」
 責めるように呟いて身体をくっつける。
「ゴメ・・・もう下行くから」
「ダメだ」
「大丈夫だって」
「ダメだ。こんなことされたら俺が気になって寝れない」
「・・・ゴメン」
 結局、自分は弱くなってしまった。
「ゴメ・・・起こすつもりなんか無くて、ちょっと・・・っ・・・」
 こみ上げてくるものに耐えようとキツク唇を噛み締める。
「もう、しないから・・・ゴメン」
 喉に引っかかるモノを押し退けながら、ただそう告げた。
「俺はそんなに頼りないか?」
「?」
 掌が躊躇うように頬に触れた。
−あったかい・・・
「こんな時までお前が気使わなきゃいけない程、俺はダメか?」
「違う。そうじゃなくて!」
−分かんねぇよ。
 また、何か間違ってしまった。
「俺、そんなこと思ってねぇよ」
 堪らず、涙が零れ出す。唇を噛み締め、せめて声を押し殺していると、大きな手が髪を梳いた。
「ゴメンな、健」
 東方に髪を撫でられるのは、とても気持ちいい。
その反面、どうしようもなく泣きたくなる。
「うっ・・・・・うぅ・・・」
「泣くな。な?今日からまた一緒に寝よう。何か、お前がいないと熟睡できないんだよ」
 言葉を返すことが出来ず、ただ小さく頷いて東方のパジャマの袖を掴んだ。
 離れないように・・・
 今だけでも離れないで済むように・・・
「バ、カ・・・やろぉ・・・・」


 弱さなど欲しくなかった。

 甘んじたりなどしたくなかった。

 対等でありたかった。

 昔のままで。それで良かった。


「健。好きだよ」


「雅美・・・・」


−好きだよ。


 これが負い目というものですか?


−もう、泣かないから・・・


 もしかしたら、この想いは愛に成り下がったのかもしれない・・・





 一度濁った清水は、人の手では戻らない・・・
 どれだけ情を込めたって・・・無駄なこと・・・




 季節のせいだが、陽が高くなるのが早い。まだ九時だというのに、カーテンをすり抜けた光が意識を引いた。
「雅美、腹減った。飯」
 傍らで眠りこけている身体を揺さぶると、ヒドク緩慢な動きが返事をする。
「なぁ、朝飯・・・うわっ!!」
 寝起きのくせに何処にそんな力があるのか急に南の身体を押し上げ、幼子にするように己の身体の上に乗せる。東方の胸元で額を打ちつけ、南はうなり声を漏らした。
「起きろよ雅美」
 腹部に跨り座り込んで体重を掛けると、流石に苦しいらしく、腹筋が揺れる。その動きにバランスを崩し手をつくと、狙い澄ましたように伸びた腕に引かれた。
「ちょ・・・っ!!」
 シーツの上を掌が滑って倒れ込む。
「ん・・・っぅ、ん・・・・・」
 身体を起こそうとする前に肩ごと抱き寄せられ、舌を絡め取られる。
 突然のことに息継ぎを忘れてしまい、苦しくなったところで唇が離れた。
「ゴチソーさん。朝飯終わり」
 プッと粘液に空気が混ざる音がして、深く呼吸を呼ぶ。濡れた唇を拭った指先ごと東方は目を閉じたまま、だらしなく腕を投げ出した。
「オヤジかお前は・・・」
 困ったように笑って、ゆっくりと腕の力を抜いて体重を預ける。鼓動と呼吸の動きが頬にくすぐったく、小さく身体を捩った。
「何食う?」
 言語に合わせて不規則に揺れた胸元。南は小さく声をあげて笑いながら目を閉じる。
「卵焼き」
 寝癖で不自然にボサボサになってしまった髪に筋張った指が絡む。そのまま整えるように撫でられて、瞼がトロンと重くなった。
 眠気を振り払うように腕を突っ張り、上半身だけを浮かせると東方が自分を見つめている。
「よし降りろ。重い」
「ん・・・」


 食卓には少し焦げ目のついたウインナーや味噌汁やらが並び、食欲をそそる。南は好物の卵焼きを口いっぱいに頬ばっていた。
「お前それ好きだな」
 満足そうに笑いながらコクコクと頷く。
「美味いもん」
「あ!それ俺のだろ!!」
 東方の皿の卵焼きめがけて箸を突き刺す。すでに自分の分は食べてしまっていた。
「返せ!意地汚いぞ!!」
「ケチケチすんなよ!!」
 腕を掴まれ、もう少しなのに口に届かない。必死に抵抗していたが、東方が身を乗り出す方が早かった。持ち主の口に入ってしまった好物を恨めしそうに見つめて唸る。
「ケチ・・・」
 ふてくされてしまった恋人の姿に溜息をついて、東方は仕方なく皿を南の前に置いた。
「分かったよ。食っていいから」
「マジ?!やった!」
 幸せそうに口を動かす南を見つめながら、自然と笑顔が零れる。この数日で南が本当に笑っているのを見たのは初めてだった。
−この感じはなんだろう?
 ふと、何かが東方の中を過ぎる。
−どうして?
「雅美。今日の部活昼からだったよな?」
 下りた長めの前髪が邪魔をして表情を伺うことはできなかったが、少し翳りがあるのを感じた。
−これで、いいよな?
「あぁ」
 何も聞くことはせず、東方はただ短く受け入れて味噌汁をすすった。
 そのまま、どちらかが『行こう』と言ったわけでもなく、自然と支度を始める。ジャージに袖を通して肌を隠した。
「健。ほら来い。髪やるから」
 南の愛用のワックスを手で揉みながら東方が歩み寄る。クシャ、と髪が解れる音がして視界が明るくなった。
「お前髪硬いよな」
 太めのゴワゴワしたそれをいつものように立たせて整える。
−このままずっと・・・
 滅多なことでは南は自分の髪のセットを恋人にさせない。東方はたまにお許しの出るこの行為をヒドク楽しんでいた。意識はしてないのだろうが、口元が緩んでいるのが上目に見て取れる。
「気にしてんだから言うな」
「そうだったな。悪い」
 目が合うと悪戯を見つかったように笑って、出来上がり。と小さく告げた。
「健、俺のもやってくれよ」
 ワックスを台の上に置き、今度は自分のムースを差し出す。ベッドに座り、急かすように手招きをした。
「仕方ねぇなあ」
 シャワ、と泡が掌に質量を持つ。両手に分けて始めようとした瞬間、腰を引かれてバランスを崩した。両手が使えないのがヒドク不安定で、仕方なく東方の腕に体重を預ける。
「雅美、ガキの悪戯みたいなことすんなよ」
「悪い。つい、な」
 南は両手で勢い良く東方の頭を掴み、引き剥がした。折角準備していた泡は側頭部の髪に吸い込まれ、ジュ、という小さな音がして手の上には何一つ残っていない。
 そのままぶっきらぼうに髪を撫でつけたが、不満そうな視線に気づき手を止めた。
「何だよ?」
 ポンプを押し、クリーム状の泡を掌いっぱいに広げながら言葉を待つ。
「・・・健。あの、さ・・・」
「はっきり言えよ。大丈夫だから」
−コレは、何なのだろう?
「何処にも行くなよ」
 違和感が生じる。離れない。触れているのに恐い。今すぐにでも泣きだしてしまいそうで・・・
「はっ、何言ってんだよ?俺はお前のペットじゃねぇのに」
−何を恐れる?
「行くなよ」
−何を求める?
「雅、っ!痛いって・・・腕離せよ!」
「行くな」
−何でそんな目をする?
「・・・分かった。何処にも行かない。約束する」
「本当だな?」
「あぁ、本当。ほら、いい加減腕離せ馬鹿力」
 紅く形のついた腕を大して気に止めた様子もなく、南は東方の髪を後ろに撫でつけた。跳ねてしまっている部分を、しっかりと押さえて終了を告げる。
「終わったぞ」
「ありがとな。その、腕ゴメン。痛くないか?」
「これぐらい何ともねぇよ」
 貴方になら構わないんです。
「それにしても雅美。お前髪柔らかいな。将来ハゲるぞ」
 傷つけて下さい。
「マジ?!」
 所有物でいいんです。
「絶対ハゲ」
 モノでいいです。
「健はハゲ嫌いなのか?」
 縛りつけて下さい。
「似合ってればいいんじゃねぇの?」
 逃げられないように・・・
「俺は似合うと思うか?」
 独りで歩けないようにしてください。
「さぁな。剃ってみれば分かるだろ」



 貴方を追いかけられないように・・・





−あえか−END

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