32:白痴 [ 20/51 ]



 何処に在るのですか?
 何処へ行けば逢えますか?
 もう何も解りません。
 貴方に巡り会う術が在りません。
 追いかける術が無いのです。
 僕は、走れません。
 もう歩くコトすら、ままならないのです。





 南。俺さ、大人になりたくなかったんだ。子供みたいにキレイなままでいたくて足掻いてた。
 ヤルことやってて虫のいい話だよね。やっぱ無理だったよ。半端でしかなかった。
 ガキならではの残酷さと大人の理屈。中間地点をフラフラしながら、大人よりになってみたり、子供みたいになってみたり・・・
 あの頃、何を失ったんだろね?
 多すぎて、もう分からないや。




 君の手を引いて、僕は極彩色へ行こう。





『英二なら、今横にいるから替わるよ』
 東方。という短い一言の後、一拍置いて高めの声が鼓膜に響いた。
『もしもし。南に何をしたの?』
 総て解り得ている人。
 本当は、彼の方が自分の大事な人にはふさわしいのかもしれない。
 それでも・・・
「俺・・・俺・・・・・・」
 自分が傍に在りたいと思うのは愚かで浅ましく、罪深い行為なのでしょうか?

『怒ってるわけじゃないから、ゆっくり言ってみな。もう充分反省してるんでしょ?』


 恋しい人の心を潰してしまったというのに。


「菊丸・・・・助けてくれ・・・・健が、健が・・・・・」
『南が?』



「俺のせいで死ぬかもしれない」



 後から聞けば、大げさな。と笑えることかもしれない。
 元はと言えば、菊丸と南の接触を怖れた自分が原因なのに。と、罵られるかもしれない。
 それでも、頑なに心を閉ざした彼を連れて戻って来れるのは、この強く笑う友人しか思いつかなかった。


『東方は、どうしてそう思うわけ?』


 何をどういう順番で説明したか記憶はあやふやで、それでも自分がしてはいけないことをしたというのは言えていて、菊丸はどんなに話の内容が自身の記憶をえぐるモノに変わっても単調に
『うん』
と応えてみせた。
 決して音の表情を変えなかった。
 今思えば、ソレが話すことを可能にしたのかもしれない。
 人形に独り言を語るような感覚が、そうさせたのかもしれない。

『東方は、亜久津とは違うから大丈夫だよ』

 何が違うのだろう?
 してしまったことは大差ない。
 いや、それ以上かもしれないのに。

「でも、俺は・・・」
『南の心が一番理解できるのは誰?』
 年齢より少し高めの声音が、ゆるく揺さぶりをかけてくる。
 ゆるりゆるりと・・・強張ったものを解してくれる。
『俺でしょ?』
「あぁ」
−きっとコレだ・・・

 恋人が縋ったものは。
 この緩やかな音の波。

『東方と亜久津は、立ち位置から既に違ってるんだから』

 何処までも淡々と、そして優しい音。
 自分に足りなかったこの。
 大石と菊丸は持ち得ていて、且つ自分ができなかったこと。

−俺は・・・ただ縛り付けていただけだ。

 この腕という手綱の中で南を縛り上げ、息もできない程がんじがらめにした結果。
 それがもたらしたのは、心を潰して走ることのできなくなった恋しい人の屍のような姿。

「菊丸」
『ん?』
「健に許してもらえなくてもいい」

 貴方が呼吸をする術まで奪ってしまう前に。

「でも、健がこれ以上弱っていくのを見てるのは耐えられない」

 せめてもう一度名前を呼んでもらえれば、それだけで。

「助けてくれ。俺じゃ無理なんだ」

 僕はきっと君の手を離すことができる。



『本当にそう思ってる?』


 この言葉は、東方の頭を殴った。そんな衝撃だった。
『南に許してもらえなくていいんだ?そんなもんだったんだ、東方が南を好きってのは』
「違う!俺は・・・・そんなんじゃない」
『どうしたいわけ?本当のこと言わないと俺は動かない』

 もう一度・・・・・

「大事にしたい。健のこと大事にしたい」
『そう。それでいいんだよ』

−俺は・・・

「健が、好きなんだ。傷つけようと思ったわけじゃない」
『それが、東方と亜久津の違いなんだよ』

 張りつめてきたものを解かれてゆく感覚と、止まった筈の泪が頬を伝う感触。

『明日、昼飯に合わせて行くよ。朝は南、寝起きが悪いからね』


 泣かないで待ってて。

 そう言って途切れた通話。
−明日になれば・・・
 きっと、今と状況が変わる筈。

 東方は久々に穏やかな心境で眠りに墜ちた。




 この罪をどうにかできるのなら、命を捧げても惜しくはないとすら思っていた。
 けれど、自分の罪が根本的に認識違いだなんて・・・笑い話にもならない。
 なぁ、健。
 俺を・・・・本当に許せてるのか?




−またきた・・・

 日が昇れば、ここへ来る東方のようでいて東方でない男。
 不思議なことに彼の造り出す音は恋しい人のものによく似ていた。
 ドアノブを回すタイミング、そして開けてから置く一拍の沈黙。
 食器を落としかけて焦って響く声すら・・・・不快なのに心地よい音の流れが鼓膜を刺激して覚醒へと意識が動き出す。
 これは良くも悪くも現実だ。

−いない・・・・・

 東方はいない。代わりにいる誰か。自分を傷つけるもの。
 大事な人の心を代弁した男。
 それでも、彼の持つ空気は皮肉にも東方と酷似していて、何度も安堵に引き込まれそうになった。
 大事な人として、恋しい名前で呼んでしまいそうになる。

−雅美・・・・

 彼はいない。彼は来ない。彼は自分の手の届く範囲に在りはしない。
 名前を呼ばない。触れてくれない。キスしてくれない。抱いてくれない。

 顔すら見せてくれない。


『健。好きだよ』


 その言葉は、既に忘却のうちに消えてしまいそうな不安。
 毎日当たり前のように恋しい人は、好きだ。と、言葉をくれていた。
 それはもう無い。

 これを裏切りと呼ばずして何と言うのでしょうか?


−俺の・・・・・


 何がいけなかったのでしょうか?


「お邪魔します」
 緊張、悲壮、疲労。
 そんな表情の中で東方は菊丸を出迎えた。
 それでも、彼に期待を見いだした東方はどことなく安堵を携え、菊丸は笑って返す。
−こりゃ、失敗できませんな。
 昼食に作られたお粥を受け取って早々に東方を自室へと追いやった。
 ベッドの上には籠城を続ける南の姿。


『英二。お前は俺を・・・・・』


 過去が過ぎる。しかし、この南の状況を自分に当てはめるのは間違っていた。
−秀・・・・

 大丈夫。

「大石秀一郎」

 呪文のように。いや、実際心を落ち着かせる為の儀式だった。
 小さく、菊丸は大事な人の名を紡いだ。




 心を、薄い壁で閉ざしているように見えた。
 薄手の夏布団の中で拒絶を続ける姿。
−俺もなぁ・・・・・

 これぐらいできていたら、違う今が在ったかもしれない。

「南。俺だよ」
 小さく反応があった。もぞもぞとバリケードの中で声の認証をしているらしい。
「南」
 もう一度呼びかける。反応はあるが、やはり出て来ない。
「俺と話したくない?汚いのがうつる?南より俺のが汚い部分多いもんね」
 卑怯なやり口だった。それは自覚しているが、他に方法が見つからなかったのだ。
 先程までとは違う動きで布団が揺れ、南が不機嫌そうな顔で菊丸の前に姿を現した。
「狡いぞ、お前」
「解っててやったもんね」
 子供のように菊丸は笑う。


 心の傷を感じさせない笑顔。
 それでもお前は何処か透明度があって、気が付けばいなくなってしまうんじゃないかと思う。

 きっと・・・・・大石はソレが恐かったんじゃないかな?

 俺はそう思うよ菊丸。





「何日食べてないの?」
「さぁ?解んねぇ」
 素っ気ないというよりは、無関心な返事だった。
「東方が心配してるよ」
「・・・・・・ここにはいないよ雅美は」
「じゃあ、誰がいるっての?東方じゃないなら南を大事にしている、あの人は誰なわけ?」
 強張った表情に色が移る。眉間に寄った皺。不快そうに動く口元。
 それに合わせるように指先がピクリと僅かに震えた。
「知らない。雅美じゃない誰か。よく似てるけど違う」
−秀・・・・

 誰かの為に心を壊せるコトを羨ましいと思ってしまった。

−俺は・・・・
 大石の為にソレができるだろうか?
 いや、きっとできはしない。
『英二・・・・』
 
 貴方が、幸せで在る為に。


−違うか。
 目の前の人は『為に』ではなく『せいで』で心を歪めた。
 でも、ソレがきっと・・・・
−東方。
 大事な人を想い続ける手段だからこそ『為に』に見えるのだろう。


「とりあえずさ、飯にしない?」
「要らない」
 即答。南は何処までも拒絶を続けた。力は無くしている筈なのに、眼光の鋭さは衰えていない。
 力が入らないだろう。思考は途切れがちだろう。
 それでも彼はきっちりと拒否をする。
「じゃあさ、食べなくもいいから見て匂いだけでも味わって。じゃないと、折角作ってくれたのに失礼すぎる」
 渋いというよりは苦めの表情で南は無言を貫く。
 言葉が無いことを肯定と受け取って菊丸は小さな一人前用の土鍋の蓋を開けた。
−東方料理巧いじゃん。
 昆布出汁の香りが鼻と空腹を刺激する。具は入っていないシンプルなお粥。
「俺も料理するから解るけどさ、こういう簡単に作れるものに手間掛けるってスゴク大変だよね」
「・・・・・」
「コレを作った人は、南のことすごく好きで、大事にしてると思わない?」
 取り皿に置かれている殻のままの生卵を取り上げる。
「食べる直前に割って入れてくれって言われたんだ。きっと、トロトロ卵が美味しいよ」
 視線を反らす南の肩は震えていた。
「ねぇ、これを作ったのは東方だよね?」



 貴方に・・・・恋をし続けたかった。


「辛かった。って言われた・・・・」
 ずっと、貴方は優しかった。
「どんな気持ちでいたか解ってないだろ。って」
 触れる手は温かくて。
「あんな思いは二度と御免だ。って、怒鳴られた」
 とてもとても暖かくて。
「俺が泣きだしたら、汚くない。汚れてない。って言ってくれてたのに・・・」

 とてもとても恋をしていた。

「なのに・・・」

 貴方が心を向けてくれる間、絶対に大事にすると決めた。


「ボロ雑巾みたいに薄汚れて汚かったって・・・!!」

 その言葉を受け入れてしまえば、過去の貴方は偽りになる。

「どっちが本当の雅美の気持ちなのか解んなくなった。何も考えたくなかったんだ!」


 優しい貴方が欲しかった。
 だから拒絶した。
 過去に浸って逃げた。

 たとえ、今傍らに在る貴方を苦しめる結果になってしまっても・・・・


「でも俺は・・・・雅美を好きでいたかった」


 大事に慈しんでくれた貴方に恋をしていたかったんです。


「嫌いになりたくなかった!だから俺は・・・っ、!」
 流れ落ちる泪を拭うのは自分の役目ではない。けれど・・・彼の代わりに今ソレを成すことは許されますか?
「うん。大丈夫だよ。東方解ってくれる。責めて、怒ってあげたらいいよ。東方はそうされたがってる。だから・・・大丈夫」
 巧く言葉を見繕うことができなかった。菊丸の予想とは違うところに南の思うところがあったからだ。
 ただ、ボタボタと容赦なく流れ落ちる泪を指先で拭き、その背に腕を回す。
「南。我慢しなくていいんだよ?泣いていいから」
 悲鳴のような、怒号のような、叫びに似た泣き声が家中に響く。きっと東方の耳にも届いているだろう。
 そして、彼はきっと罪悪と安堵の狭間で最後の苦しみを味わう。
 外に出るコトの無かった哀しみが今声になって身体から飛び出している。

 心を・・・・取り戻した証拠。


「お腹空いたでしょ?泣きやんで食べようね」
 腕で顔を拭う南に苦笑を向けて、菊丸はお粥を口に入れてやった。
 ムグムグと噛み砕いて飲み下すのを見届けて、また笑いかける。
「・・・美味い」
 言葉と同時に、グー。と胃が空洞を満たす為に訴える音が鳴った。
「あはは!南最高!緊張感無し!」
「うるせぇ!もういい自分で食える!!」
 菊丸の手から器とスプーンを引ったくって黙々と食べだす姿。

 とてもとても・・・南在るのだと思った。




「じゃあ、東方にコレ見せてくるから」
 見事たいらげられた食事。空の器一式をお盆ごと持ち上げて菊丸は立ち上がった。
「きっと、泣いて喜ぶよ」
「・・・・・」
「南?」
 急激に表情が固くなる。
「東方のこと、恐いと思う?」
「解らない」
 ソレはきっと偽り一つ無い言葉。
 戸惑い、不安、嫌悪に似た・・・・慕情。
「あのね、南。人の心はね、ラジオの電波みたいなもんなんだよ。言葉を拾っちゃうんだ。大事な人の言葉ほど強い電波」
「・・・・・?」
「好きな人専用のチャンネルがあってね、ソコに良い言葉も悪い言葉も記憶しちゃって・・・」
 心の中の、大石秀一郎のチャンネルが今も過去を傍受して呼び起こされる記憶。
『英二。お前は俺を・・・・』
 指先は触れることなく、首を掠めただけ。
『それで・・・いいんだよ、大石』
 この人の腕の中で死ねれば。
 そう思っていた。

「時々ね、とんでもないところで出てきちゃうんだよ」


 その果てに、貴方が狂えばいいと。


「南さ、ずっと東方の前で自分を、汚い。って言ってたんじゃない?ソレをね、東方は覚えてたんだよ。南。怒り。哀しみ。この三つのチャンネルの電波が合っちゃっただけ。大好きな人の言葉を覚えてしまってただけなんだよ」
−口に出してなくても聞こえてしまう言葉だってあったんだから。
「間違えないで。南の言葉でもあったんだよ?」
 音にしてしまえば、当然聞こえてしまう。
 伝わってしまう。
「俺の言ってること、間違ってる?」
 ス。と背筋が伸びてゆく。受け入れる準備のように。
「菊丸。お前の説明ってさ、やっぱ難しいわ」
 南が笑う。困ったように。
 それでいい。そう思った。
「じゃあ、今度は分かり易くできるように頑張る。じゃ、今度こそ行ってくるよ」


 貴方は追いかける術を置いていかなかった。
 ソレを拒絶だと思っていた。
 でも、ただ必要無いから手に入らなかっただけで・・・・


 貴方は傍にいた。
 追いかけなくても良かった。
 ただ、ソレが解らなかっただけ。
 拒絶していただけ。
 見ていなかっただけ。

 心を遠ざけてしまって、ゴメンなさい。

 許して。どうか許して。

 貴方の言葉を、怖がってしまっていたから・・・
 だから耳を塞ぎ、口を閉ざし、目を背け、心を壊した。

 あの日の言葉は・・・・全部嘘だと言って。



−白痴−END

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