33:驟雨 [ 19/51 ]

 白い小雨がアスファルトを濡らし、霧のように視界を遮る。
 カーテンのようにも見えた。
−遅い・・・・
 東方は何も手につかず、雑誌を膝の上に広げたまま外を見つめている。
−泣いてたな。
 切り裂くような泣き声は耳に届き、思わず手で聴覚を遮ってしまう程。
 世界を壊されたのではないかと思ってしまうぐらい、泪声を離れて聞くのは辛かった。
−ただ俺は・・・・
 抱き締めていたくて、離したくなくて、自分のモノにしていたくて・・・
−どうしようもなかったんだ。

 ソレはただの言い訳に過ぎないのだろうけど。

 階段を昇る音が響く。きっと菊丸だ。
−健・・・・
 怯えと期待が心を浸食してゆく。
 東方はゆっくりと、瞳を閉ざす時間が長い瞬きをした。



 許してくれますか?



「お待たせ」




 ねぇ、大石。
 朝日はね、よく『希望』だとか『一日の始まり』だとか、そういう風に例えられるけどさ・・・・
 俺にとって日が昇るコトは何の感慨も無いコトなんだよ。
 ただ、今日がまた巡ってきたんだって知る術でしかなかった。
 強いて言うなら『絶望』
 夢の世界から引きずり出す、悪魔のようなモノにしか見えなかった。
 俺は朝日を綺麗だなんて、一度しか思ったことない。

 大石と見た・・・・あの夜明けの陽射し。




「健は・・・・」
「そんなに焦らないでよ」
 縋るような視線が右の頬に突き刺さる。蓋をされた一人前用の土鍋を盆ごと置いて、菊丸は東方を見つめた。
「俺らが思ってるよりさ、南はもっと深いコト考えてたんだね」
「?」
「いや、違うか」

『でも俺は・・・・雅美を好きでいたかった』

 どうすれば、そんなにも真っ直ぐで在れるのですか?

「すんごく、すんごく・・・・」

『でも俺は・・・・雅美を好きでいたかった』

−羨ましいかも。

「東方が大好きなんだね」

 芯が通っていて、真っ直ぐで、それでいて澱みがない。
 側に居たい。好きだ。
 シンプルで直線上の恋心。

「健は、まだ俺を好きでいてくれてるのか?」
『・・・・・・ここにはいないよ雅美は』
「ソコに否定的になったらさ、南が全部を拒絶した意味が無くなるよ?」
『嫌いになりたくなかった!だから俺は・・・・っ、!』
「南が、誰の為に独りで籠城してたか解らないとダメなんだから」
『でも俺は・・・・雅美を好きでいたかった』
「っ・・・!」

 好きでありつづけようとする南。
 好きでいてもらおうとし続けた自分。

 どうして同じ体験をしてこんなにも対極的なのか?


「お前が思ってるよりさ、南はずっと強いよ」

 笑う強さしか持てなかった。

「羨ましい。俺には無かった。あんな気丈さ」

 泣く強さが無かった。

「俺は大石を泣かせてばかりだったのに」


『秀。大好き』

 最後の武器を振りかざしてばかりで、求めてばかりで。

「どうしてなんだろうね」

 抱き締めてやれなかった。

「お前達ってさ。コートの上でなら、お互いのこと何もかも解ってるのにな」
「へ?」
「企業秘密。でもな、大石もお前と同じように後悔してることがあるんだと思うよ。俺が今そうだから」
「・・・・・・東方も意外と深い男だったんだ」
「どういう意味だ、そりゃ」
「気にしないで。でもさ、俺達ガキだから色々間違えたことしちゃうもんだけど・・・・人間にはどうしてもダメな領域があるんだよ?」
 菊丸の視線が東方を捕らえる。追いつめて見透かすようでいて、あえて解っていて引きずり出されるような視線。
−やっぱり・・・
 無理矢理に身体を奪った時間。
−許してくれないのか?
「東方は知ってる?人間ってさ、恋の痛みを忘れるようにできてるんだって」
「いや、初耳だな」
「ま、俺の持論だから知らなくて当然なんだけどねー」
 悪戯を成功させた子供のように菊丸は笑う。
「お前・・・今は真剣な話をだな」
「ちゃんと大事な話だよ」
 声のトーンが一段階低くなる。目線がキツさを含む。
「恋の痛みを忘れなかったら、次の恋ができない。ソレは種の保存に関わるからね。人間は不器用でいて器用な生き物だから、痛みを忘れないウチにでも次の相手を見つけられるけど、大事にされてれば・・・・」

 人は忘れるコトで歩み出せる。

「癒えるんじゃなくて、忘れてしまうんだよ」

 大石の傍で笑い続けるコトができたなら、ソレを成すことができるのだと思っている。
「だから、東方がこれから南を大事にし続けるコトができるなら・・・大丈夫だよ。俺はそう思う」
「するよ。俺はアイツを大事にしたい」
 澱みの無い言葉、表情。
−ほんと、羨ましいよ。

『秀がいないと、俺どうにかなっちゃうよ』

「じゃあ、まず東方の間違ったトコからなおそうか」

 贖罪。
 ソレは貴方を引き上げること。

「無理矢理ヤっちゃったのは、全然って言ったら違うけど・・・東方が思ってる程問題じゃないよ」
「え・・・・・?なんで?」

 どうして貴方は世界を閉ざしたのですか?

「辛かった」
『俺だって・・・・・辛かった』
「どんな気持ちでいたか解ってない」
『お前は自分のコトで手一杯で解らなかっただろうけどな!俺がどんな気持ちでいたか解ってるのか?!』
「あんな思いは二度と御免だ」
『お前は、誰だよ?俺の知ってる雅美じゃない!!』
「泣いてたら、汚くない。汚れてない。って言ってくれたのに」
『お前なんか雅美じゃない!!』
「ボロ雑巾みたいに薄汚れて汚かった」
『薄汚れて、小汚いボロ雑巾みたいになって転がってるお前を見せられて!』
「どっちが本当の気持ちなのか解んなくなった。何も考えたくなかった」
『嫌だ!離、せ・・・・・っ!!雅美!雅美!!』

「自分が何を間違えたのか、もう解るよね?」
 貴方以外に抱かれた、あの痛みよりも、辛さよりも、恐怖よりも・・・・

「南が閉じこもったのは、お前の言葉のせいだよ。それと同時に・・・」
 貴方に辛い思いをさせ、それを解らずに自分のことだけで・・・

「東方雅美を嫌いになりたくなかったからだよ」

 そんな自分が疎ましく、嫌いで。
 そんな自分を貴方が好きでいてくれる筈もない。
 恐かった。ただ理由も無く恐怖に支配されて・・・


「一番言っちゃいけない言葉だよ」


 それでも好きでいたかった。
 大事にされていた頃に在りたかった。

「ねぇ、南が望んで亜久津に抱かれたわけじゃないって解ってるよね?」

 あの優しい腕の中に在りたかった。

「東方を裏切ろうとしたことなんか無いよね?」
「・・・ただの、嫉妬だったんだ」
 俯き項垂れ、東方が心中を語りだす。
「お前に、健を取られるような気がして。それと同時に、目の届かない所に行くことが恐くて!」
 自分の知らない場所で貴方が自分以外と笑い、語り・・・・
「あの日、傍にいたら・・・・健はあんな目に合わなかったんだ」
 そして、もしも・・・・あの痛み在る出来事がまた降りかかったとしたら。
「健の為でもあったけど・・・」
 耐えられる筈がない。
「俺が健を何処へもやりたくなかった!」
 この身が。
「やり方を間違えたのは解ってる!最低なこと言ったのも解ってる!それでも・・・」
 この心が。
「怖かったんだ・・・・・」

 自分を止められなかった。
 それと同時に・・・あの無理矢理に組み敷いた日。
 支配欲を満たそうとする自分がいた。

「南は、ちゃんと東方を許す段階に入ったよ」
 細い、けれど確かに筋張った指先が鍋の蓋を掴む。
「許すというより・・・受け入れる。かな?」
 空になった中身。菊丸は笑ってみせる。
『南。ごめん一つ大事なこと聞き忘れてた』
『何だよ?』
「南がね、言ってた」
『今、一番食べたい東方の手料理は?』
「食べたいモノ。何だと思う?」

「『・・・・・卵焼き』」

「ご名答。合格だよ」
 東方の目がこれ以上はない程見開く。と同時に、慌ててつんのめりながら階下へとバタバタと走って行ってしまった。

「秀・・・・羨ましいと思うのは、ダメかな?」


 あんな風に思い切り欲しがるコトができてれば良かったのにね。
 真っ直ぐに、単純に、高みをキープしながら、ただただ好きで在ることが一番難しいのだから。

「健!!」
 扉を開けながら叫ぶ。呼んだ相手は今までと変わらず布団の中から顔を出さない。
 それでも東方は横に膝をつき、ゆっくりと声をかけた。
「あの・・・・・」
 言いたいことは山ほどあった。
 けれど、それらのほとんどは過去にも伝えてきていて・・・
−・・・・・えっと。
「卵焼き・・・・すぐ作るから」
−俺今最高に格好悪い。
 所詮中学生レベルである自分のボキャブラリーを憎たらしく思った。
 台所に立ち、フライパンに火を入れる。ガタン。と換気扇の音が響く中、東方は自分の頬が緩んでしまうのを止められずにいた。
−ヤバイ。感動してきた。
 ふんわりと上出来のソレを食べやすいサイズに切り分けて運ぶ。既に菊丸が南の前を陣取っていた。
「南。出ておいで。卵焼きできたってよ」
 まだ籠城中の南。菊丸が焦れたように布団を引き剥がしにかかっている。
「南!怒るよ!!」
「・・・・・」
 不満げに起き上がった南は東方からは視線を背け、眉間に皺を寄せていた。
「ほら、東方」
 南の横を指差し、菊丸が手招きをする。

 こわい

 震える指先で箸を操り、一口大の卵焼きを南の方へと向けた。
「健」
 こうして意識ある彼に向かって呼びかけるのは、どれくらいぶりだろうか?
「一番好きな、出汁入りのにしたから」
 南は振り向いてくれない。行き場を無くしてしまった黄色が宙で止まったまま。
−ダメか・・・
 自分が傍にいては、いけないのかもしれない。
 そんな考えが過ぎり、鼻の奥がツンと痛くなる。
−出てきただけでもマシか・・・・
「自分が食べたいって言ったんじゃんか!!」
 ゴン。と鈍い音がした。と同時に南は頭をさすりながら拳を握りしめた菊丸を睨み付けている。
「菊丸。そんな無理矢理じゃなくても」
「甘やかすな!!」
 一喝されて東方は、はい。と小さく返事をして再び南へと視線を向ける。相変わらず機嫌が悪そうな彼は忌々しそうに、やっと渋々と口を開いた。
「ガキじゃねぇんだから自分で食える」
−喋った・・・
 自分に向けて言葉が発せられた。それだけで涙腺が疼く。
「そっか・・・そうだよな。じゃあ俺、上に行ってるから」
 東方にとっては十分すぎる結果だった。それ以上を諦めて自室へと向かおうと卵焼きを皿に戻そうとすると、菊丸が静かに視線だけで制す。
「南」
 とても静かな音だった。それでも威力は絶大で、向けられた相手に確実に影響を与えていた。
 南はついに観念し、おもむろに東方の腕を掴む。そのまま、卵焼きを口に放り込んだ。
「次」
 ブスッ。とした表情と視線。それでも確かに南は東方と目を合わせて言葉を発した。
「・・・・・っ!!」
 二本対の棒が落下する。地面に付く前に、東方の腕は南の背に回り、キツク力を込めていた。
「健・・・・名前・・・・・」
「何だよ?」
「呼んでくれ・・・・」
 声も腕も、どこもかしこも震えている東方の懇願。南は戸惑う。
「・・・・・健」
 泪声ではなかったが、確実に可能性は持っている。
「雅美・・・・ゴメンな」
 言うべき言葉は、それしか思いつかなかった。
「違う!俺が全部悪いんだ!だから・・・・」
 

 貴方を過去へ追いやってしまった。


「だから謝るな。そんなことしなくていい。頼むから・・・」

 過去の自分の元へと。

「健。ゴメンな。大事にしたいのに、いつもできない」
「俺、充分大事にしてもらってる。だから謝った」
 どうしていつも道を間違うのでしょうか?
「大事にできてないのは、俺の方だ。ゴメンな雅美」
−あぁ、この腕だ。
 自分をいつも労ってくれていたのは。
 触れようとしてくれていたのは。
−ゴメンな。
 それなのにどうして・・・・


 違う。
 などと思えたのだろう?



 なぁ雅美。
 俺、やり直せるなら・・・もっと前から。

 そしたら・・・きっともっと・・・
 一緒にいられた。


驟雨−END−

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