34:微雨 [ 18/51 ]
二人と一人。自転車一台。
並んで駅までの道を歩いた。
穏やかな時間。
「体調、落ち着いたら連絡ちょうだい」
「え?」
「買い物行きたいって言ったの南じゃんか」
東方は笑って南の髪を撫でた。
轟音をあげて到着した電車に向かう菊丸も微笑んでいた。
「雅美。いいのか?」
「何が?」
「その・・・・・」
−マジでいいのかな?
買い物は諦めるコトも考えていた。結果として、自分がゆき過ぎた駄々をこねたようで嫌だったからだ。
「夕飯までには帰ってくるようにしろよ」
「へ?」
「遅くまで待ってるのは・・・・流石に無理だから」
東方なりの譲歩。
「解った。ありがとうな」
精一杯笑ってみせる。言葉よりもソレが大事なのだと本能的に感じた。
「雅美」
「ん?」
「帰ったらさ・・・・」
「ん」
「お粥食いたい」
「いきなり沢山食ったら胃に悪いぞ」
「だって腹減ったんだから、しゃーねぇだろ」
そうか。と一言だけ呟き、東方は戸惑うように笑った。
君が笑う為の嘘なら、きっと良い嘘。
我慢しなくていい。
それも・・・・間違ってたのかな?
俺には未だによく解らない。
「御馳走様でした」
「お粗末様でした」
キレイに空になった小さな土鍋に水につけながら東方は優しく微笑む。
「あ、俺洗う」
「いいからお前はTVでも見てろ」
折角の申し出は二秒で却下されてしまい、ガチャガチャと水流と食器が協和音を奏でる。その中で東方の大きな背中が不相応のように見えた。
−雅美。
声はかけなかった。特に理由はない。あるとすれば、ただ背中を見ていたかっただけ。
−雅美・・・・・
「好きだよ」
自分の耳ですら聞き取りにくい程の音量で呟く。
−もう、二度としない。
貴方を酷く傷つけた。
−絶対・・・・
貴方が幸せになれるように。
「言いたいな」
東方には聞こえていない。それでいい。
「好きだ」
聞こえないように。それでも音にはしてしまった。
大事な人を陥れない為の自制。
コレはジョーカーだ。
伝えてしまえば、きっと東方は喜んでくれる。
そして唇にキスしたなら、彼はきっと一週間は上機嫌だ。
−解ってんだよ。それぐらい。
どうしようもなく喜んで、極上の笑顔で笑うにきまってる。
東方は本当に嬉しい時は口の端がだらしない笑い方をする。
−ちょっと、キモイとか思っちゃうんだよな、アレ。
それでも、東方は一回してしまえば何度も次を強請るに決まってるから・・・
−しちゃうんだろうな。キモイと解ってても。
ソレは東方にジョーカーのカードを渡すコトになる。
−言いたい・・・キスしたい・・・
でもできない。
鎖でがんじがらめにしてしまう。東方が自分を疎ましく思った瞬間に、そのカードは効力を発揮する。
情の深いこの人は・・・自分を手放すことができなくなる。
−邪魔は嫌なんだ。
自分を好きだと言うこの身体を・・・離せなくなるに違いない。
−無理矢理は絶対嫌だ。
最後の切り札を使ってまで、貴方の傍にいることはしない。
どんなに自分が泣くコトになっても。
−雅美・・・・好きだよ。
本気で好きな貴方が幸せで在る為に。
「健。どうした?気分悪いのか?」
「いいや。そんなんじゃない」
洗い物を終えた東方が南の隣に座った。見つめてくる視線が優しい。
「そうか?ならいいんだけど」
それでも目の奥には小さな火が灯っていて、南にはソレが何なのかが解っていて・・・
−バカ正直。
拒否をするつもりなど無かった。
「雅美」
立ち上がり、両腕を広げ、ゆっくりと東方との距離を詰める。眼下の肩は戸惑うように震えていたが、南は構わずに身体を密着させて背に腕を回し抱き締めた。
「俺、お前のコト恐いなんて思ってない」
恐怖を感じているのは東方の方だった。
傷つけてしまった恋人が自分を怖れてはいやしないか。
恐怖を怖がっている。
「ありがとう。安心した」
大きな右手が頭を撫で、左手はしっかりと背に回る。
南は腕に力を込めた。
−恐くない。
何も恐くはなかった。
−雅美なんだから。
体温に安堵する。
互いに。
「健。そろそろ風呂にしないか?早めに寝た方がいい」
さりげなく離される身体。東方の頬は見てとれる程熱を持っている。
久々に触れたコトに対する照れでも、胸の内の不安を見透かされた動揺でもない。
「じゃあ、一緒に入るか?」
彼は欲情している。
「な!冗談キツイぞ」
体勢を変え、ソファに膝をついて東方の頭を胸元に抱え込む。
「別にそんなつもりはないんだけど」
「なお悪い」
「何でだ?」
「・・・・・・」
逃げられないように、しっかりと抱き込めて南は頭上から意地悪く言葉を落とす。
「雅美。どうした?言えないような理由か?」
耳が一気に赤くなってゆく。動揺してるのか観念することを決めたのか、腕の中で段々と俯いてゆく頭の動きが妙に可笑しい。
−ヤバ・・・コイツ可愛い。
自分より二回りも大柄な男を可愛いと思うのは、正直どうかしてるかもしれないが実際東方の行動は南のツボをつくもので、どうしようもない。
「・・・できなくなる」
「ん?聞こえなかった」
半分嘘で半分本当。よく聞き取れはしなかったが、言いたいコトは解っていた。それでも、もう一度言わせてみる。
「・・・・我慢できなくなるんだよ」
滅多とない東方の動揺した赤面に、目を細めて笑いかける。
「いいよ」
−好きでいてくれるなら。
何をされても構わなかった。
この恋しい人になら。
「ダメだ」
好きです。
「どうして?」
好きです。
「解るだろ」
好きです。
「解るけど、認めない」
どうしてもどうしてもどうしても。
「困らせないでくれよ」
貴方が好きです。
「困る必要なんてないだろ。俺は、いい。って言ってるんだ」
東方を自分を好きでいてくれる為であると同時に。
「無茶言うな」
自分は、そうされたいと願っている。
「嫌だね」
いつも太陽に晒されているせいで日焼けしてしまっている額に唇を押しつける。
東方にとって拷問に等しい行為だというコトは解っていた。
「健・・・・!!」
「うっさい」
音をたてて、もう一度唇を額に寄せる。ペロ。と汗ばんだソレは塩の味がした。
「ほんとにダメだ!」
肩を掴まれ、引き剥がされる。南は不満そうな表情をしたが、すぐに消して東方に向き直った。
「じゃあ・・・キスしてくれ。それで我慢する」
灯がともりだした東方の身体はソレだけで済むわけがない。南は総て承知の上で言葉を贈った。
−俺はきっと・・・・狡いんだろうな。
たとえ相手の為であろうとも、今目の前に在る東方の為に自分から唇を寄せるコトをしない。
『いずれ』の東方の為。そして自分の為に。
−すっげぇ久々。
合わせた唇の温度を懐かしく思う。感触も忘れかけていたかのような錯覚に陥る。
目を開けると、必死に理性を保とうとしている東方の表情がアップで飛び込んでくる。
−あー・・・・
貴方はとても・・・
−シたいんだなぁ。
上唇に甘咬みを施すと、予想通りに相手は目を見開いた。
「お前・・・・!!」
「精一杯の誘惑なんだけど」
目を伏せて考え込む。東方が困った時のクセだ。
「・・・・・キツかったら、すぐ言えよ」
「解ってる」
シャツの中に手を差し入れながらの言葉では、説得力に欠けるのではないかと南は思った。
「ん・・・・ぁ、は・・・・・・・っ!!」
甘く掠れた声が漏れる。胸元を撫でられただけで体温が勢い良く上昇し、訳が分からなくなっていった。
「健・・・・」
耳朶を甘咬みされて思わず首にしがみつくと、途端に東方は弱い表情を見せた。
「大丈夫か?」
「平気だから止めるな」
視線を合わせて強く言う。ここで中断されては、たまらないと思った。
「健・・・・・」
熱い手が頬を撫でる。
「好きだ」
−俺もだよ。
笑うしかできなかった。ソレは・・・・いつか貴方が幸せで在る為。
「あ、あっ、あっ、っ・・・・・あ・・・・!!」
身体の中を貫かれる感覚は今でも息が詰まる瞬間がある。
それでもソレを過ぎてしまえば快楽だけで・・・・
奥まで。そう求めてしまう自分をだらしなく感じる。
「健・・・ちょっと待ってくれ」
額に浮き出た汗を拭う余裕すらない東方が快楽を抜いた。
「何でだよ?!」
「その・・・・俺、自信が無い。ヒドクしそうで・・・」
−この・・・・!!
頭に血が昇った。東方が躊躇する原因の一端は自分にもあるコトは承知していたが、だからこそ構わないと腕を広げたのに東方はまだ怖じ気づいている。
「うわっ!イテ・・・・」
思い切り突き飛ばし、東方が仰向けに倒れた。すばやく馬乗りになる。
「健?!何を・・・・・っ、あ!!」
準備などもう必要ないほどに身体は焦れていた。半ば無理矢理に挿入を開始した南に東方は必死に訴える。
「ちょっ・・・!!待ってくれ!・・・・ぅ・・・・・・!!」
陽に焼けた首が仰け反る。禁欲的な日々からの解放。南は恋人の訴えを無言で退けて腰を沈める。呻くような声をあげながら。
−絶対に離さない。離してなんかやらない。
今だけは・・・・必要無いと切り離される時までは・・・・
−コイツは俺のだ。
半分ほどまでをおさめて息をつく。それから先は一気に肌がぶつかるまで身体を落とす。
「ぅっ・・・・!!」
「は?」
内壁に温かい液体がぶつかったところで南は我に返った。眼下では東方が生物学を超えた赤面を実現している。
「だから・・・・待てって言ったんだ・・・・・どうしてくれるんだよ」
「・・・・・・・・ごめん」
「謝るな!余計に惨めだろ!」
腕で顔を覆いながら東方は必死に怒って見せる。だが、ソレは照れ隠し以外のなにものでも無かった。
「雅美?」
「うるさい!」
どうにも言葉が見つからない互いが気まずい空間。
「お前、今けっこう可愛いぞ」
南なりに気を使って言った本音だったが、東方には逆効果だったらしく、顔が益々赤くなってゆくのが解った。
「可愛い。なんて、親にも言われたコトない」
ポツリと吐き出された言葉。かつて見たことがないほど恥ずかしがっている様子。
たまらないモノが溢れてくる。
「まさみ」
上体を前に倒して、東方を抱き締める。
−好きだ。
自分しか見たことのない表情。事実。
−めちゃくちゃ好きだ。
「まさみ。可愛い」
今、後悔をしていた。
−好きだ。
言っても許される過去があった。
もう失くした時間。
−言っておけば良かった。
もうできない。
「自分が言われたら怒るコトを何度も言うな」
「そうだな」
−大好きだ。ずっと好きだよ。
墓場まで持ってゆく。
とまでは言えないだろう。いつか永い時間の果てに道を分かつのだから・・・・
違う場所でまた出逢い直して、普通の友に戻り・・・・そして自分は言うのだ。
『お前のコト、ちゃんと好きだったよ』
切り離される時がきても、決して憎んだりはしない。
そう確信しているから・・・・
だからそう思える。
「雅美、続きできるか?」
「小馬鹿にしてるだろ俺を」
「まさか、お前のシツコさは身に沁みてるからな」
−どうやったら・・・ずっと一緒にいられるのかな?
「雅美・・・・あ・・・ん!っ・・・・ぅ!!」
皮膚のぶつかる音が断続的に響く。
粘膜が擦れる度に狂ったように名を呼ぶだけ。
馬乗りになってしがみついて、突き飛ばされるような衝撃に耐える。
「健・・・・好きだ」
「あ、も・・・・・っあ!!」
「く・・・!!」
果てた瞬間、眉間に寄る皺。その苦しげにも見える表情が大好きで仕方ない。
−好きだよ。
言ってしまえたら、どんなにいいだろう?
どれだけ、貴方は喜ぶのだろう?
−ちゃんと、大好きなんだぞ。
どれだけ僕は嬉しいでしょうか?
解り得ない。伝えるコトは許されない。
−ちゃんと、大事にするからな。お前のこと。
「健・・・・・・・」
抱き締める腕を優しく解いて上体を起こす。見下ろすカタチで恋人の顔を見つめる。
「・・・・・・?」
今・・・・戒めを解いて好きだと伝えるのは卑怯ですよね?
−健?
とても曖昧な表情が東方の目に飛び込む。
哀しげで、それでいてとても・・・・満ち足りていて。
君は何処へも行きませんよね?
「どうした?」
その問いに答えは見つからなかった。
ふいに。それだけの理由で東方は南の腕を掴んでいた。
「・・・・何でもない」
−・・・・やばい。
突如沸き上がってくる、ただただ泣くコトを求める感情。
「雅美?」
空いている右手が、柔らかい髪を掻き上げる。
−何でだ?
泣き出してしまいそうだ。
−泣きそうだ。
「大丈夫。泣いてない」
「ほんとか?」
喜びという感情に間違いは無かった。大事な恋人の身体を抱き締めるコトを諦めかけていた自分にとって、今この瞬間は幸福でしかない。
でも・・・・・何か何処か違う自分がいた。
−透けて・・・・
消えてしまい、夢だったという終末を思ってしまった。
−しまうんじゃないかと思った。
貴方がいれば、何も恐くない。
よく見かける文面だ。
でもな、健。
俺は・・・・お前がいなくなったら、恐いモノなんて無かったんだ。
一番恐いのは・・・・・ソレだから。
だからいつも脅えてた。
−微雨−END
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