35:花夢 [ 17/51 ]
二日後のコトだった。
「・・・・?」
深夜。いや、明け方に近い時間。南は不審な音で目を覚ました。
−雅美?
額に浮かぶ玉のような汗。呻くような声。頬が赤みがかっている。嫌な予感と共に触れた。
「・・・・・」
元々体温が高い東方だったが、その温度は異常だった。
−薬何処にあったっけ?
暗闇の中、僅かにカーテンをすり抜ける灯りを頼りにベッドを抜け出す。
−確かリビングのどっかに・・・・
思考を巡らせながら暗闇を進む。目的のモノは想像通りの場所にあった。
−汗・・・かいてたから拭かないと。
風呂場で水とタオルを調達し、部屋へと足早に戻る。
−やっぱ、俺のせいだよな?
熱さとソレによる眩暈のせいで時折呻く東方の頬を恐る恐る撫で、南は途方に暮れた。最初は風邪を疑ったが、咳をしないし鼻をすすったりもしない。
ただただ熱にうなされている。
ほぼ間違いなく過労だ。
ずっと不安定だった自分の傍で神経を張りつめてきた恋人の心労を理解し、南は情けなさで泣きたくなってしまう。
−雅美・・・・
「ゴメンな」
−傍に・・・・
いない方がいいのかもしれない。
クーラーの設定を除湿に変えて、浮き出る汗を拭い続ける。夜明けが近づいてきた。
夏の陽はせっかちで、苛つかされる。
−雅美・・・・
泪が、こみ上げてきた。
−お前も?
こんな途方もない感情でついていてくれていたのですか?
「ありがと、な」
そっと額に口付けて、手を握る。熱い手は触れているだけで火傷をしそうな温度だった。
−熱下がらなかったら、どうしよう。
不安をもたらす程の熱さ。機械から流れ出てくる風の音が響く。
ゆっくりとした時間の流れを思うのと正反対に、夜明けの陽射しは足が早くて気が急いた。
「け、ん?」
「どうした?苦しいのか?」
薄く目を開き、首をコチラへと傾けている。ソレに合わせて球のような汗が額を横切った。
「けん」
「ん?」
返事と共に握る手に力を込める。と、東方は柔らかく笑った。
「よかった・・・・・健だ」
−ゴメン。本当にゴメン・・・・
夢にうなされる程。
−どうして・・・・あんなこと。
その狭間でこの姿を探すほど。
−何で俺・・・・・・
好きでいるために貴方を傷つけるしかなかった。
なぁ、健。
俺・・・・・・後悔してる。
泣かせてばかりで、好きだって気持ちを押しつけてばかりで。
お前は、一度も言ってくれなかったけど。
言って欲しかったのもあるけどさ、俺は・・・・言ってないとお前が離れていきそうで恐かった。
だから、これで良かったと思うんだ。
精一杯だったんだから。
お互いに。
もういいよ。
無理しなくて。
そんなことしなくてもさ。
大好きだよ。
昼近く。やっと東方が意識を覚醒させた。
「けん?」
「寒くないか?吐き気は?何か食うか?いや、無理でも薬飲むのに食わないとな」
病人相手だということを忘れて話しまくる姿に東方は淡く笑う。
「平気だ。ちょっと頭がボーっとするくらい。寝てれば治る」
普段は天井を向いている髪に元気がない。
−何か・・・変。
先程より少し強く笑い直して東方は南の髪に触れた。
「まさみ?」
「大丈夫だよ」
−体温って・・・・
恐らく寝起きのまま、ずっと付いていてくれた南の髪はボサボサで。
−あったかい。
少し笑えてしまった。
忘れかけていた温度。感触。
「けん」
笑った顔。
「ん?」
−・・・・・・・。
「好きだよ」
確かな幸せが在った。
「けん・・・・・」
「何だ?」
「触ってもいいか?」
「もう触ってるだろ」
困ったような、笑ったような。曖昧な表情。
「じゃあさ・・・・」
「ん?」
僕は、君の傍にいてもいいんですよね?
たとえ、この腕がまた君を傷つけるコトになるかもしれなくても。
「キス・・・・してくれないか?」
泣きそうな顔をさせてしまうと解っていても、言わずにはいられなかった。
「健は、俺のコト好きでいてくれてるんだろ?」
核弾頭を突きつけているようなものだと解っていても。
「けん」
恐る恐る額に触れる感触。唇の温度。欲しい場所にキスは降りてこない。
それでも良かった。
「うん。ありがとう」
許しを乞うような表情。
聞こえた気がした。
『これで勘弁してくれ』
『信じてるとは思いますよ。部長を怖がらせてるのは・・・負い目です、きっと』
キツク目を閉じて、堅めの髪に触れて引き寄せて・・・・唇にキスを一つ。それだけで君は安心した顔をしてくれる。
精一杯=好き
の方程式。
その為だけに僕は言葉を投げた。
卑怯だと解っていても。
「おいで」
ベッドの中に引きずり込んで、断りの言葉を抱き締めるコトで塞いだ。
「雅美」
「少し寝るから。お前ももう少し寝とけ」
「解った」
キスを落とす。額に、瞼に、頬に、唇に。
「おやすみ」
ウトウトとした寝息ごと、恋人の身体を抱き込んで東方は安堵の溜息をついた。
今、この瞬間の幸福に。
「健」
優しい夢の後、朦朧とした意識の中で覚醒するための寝返りを一つ。
−あれ?
大柄な自分の身体に合わせて購入されたベッドは確かに幅が広い。けれど、横に寝ている恋人も決して小柄ではなく、寝返りなどうとうものなら潰してしまう筈だった。
「?!」
バネのように跳ね起きて辺りを見回す。
−・・・・・・っ!!
求めている姿はソコには無かった。
「嘘だろ?」
自問しても解答は無い。
−嫌だ・・・・嫌だ。
こめかみがガンガンと痛む。息が苦しい。指先が震えて何も考えられない。
独りは嫌だ。
トイレ、浴室、居間、台所。
思いつく総ての部屋の扉を開けて姿を探す。
「けん?」
気配すらなかった。
ひとりは・・・・・とてもこわい
階段を駆け上がって部屋に戻り、南の荷物を確かめる。
大きめのスポーツバッグがソコには在った。
−どうしよう・・・・・どうしたら・・・
何も思いつかない。
「っ!!」
玄関の扉を開く音が階下から響く。
そうであって欲しいという願望と、そうでなかったらという絶望の狭間で東方は今度は階段を駆け下りた。普段はツンツンにセットされている髪がペタンとしているが、間違いなく求める姿。靴を脱ごうとしている右手。そして左手には白いコンビニの袋。
「雅美?お前、何で起きてるんだよ!」
「お前が・・・お前が・・・」
その後は声にならなかった。
「解熱剤とか食い物とか買い出しに行ってたんだ。寝てるうちに帰ってこようと思ったんだけど・・・ゴメン心配かけて」
−そんな話じゃない!
「何で、いつも解ってくれないんだ・・・」
苛立ちが下腹の辺りから全身を浸蝕し始める。
−息が・・・・できなくなるかと思ったのに。
過ぎったビジョン。
一人口に運ぶ食事と動かない背中。
浅黒い肌と生温い床の固さ。
ただ、待っているだけ。
ソレができないほどにに。
人知れず流した涙を貴方は知らない。
「雅美、ゴメン・・・」
お願いです。
「雅美?」
もう・・・・その口で、声で。
「もういい!」
僕を呼ばないで。
「え?」
泣き出してしまいそうな目頭を押さえて隠し、自室へ小走りに向かう。
ベッドの中へ逃げ込むようにして潜り、全てを拒否するように耳を塞いだ。
「・・・・・」
自分が幼い子供のように思えた。
南は自分の為に外に出た。
それでも・・・
−嫌だったんだ。
泣きそうな顔を見られたくはない。布団を引かれたらどうしようかと悩んでいたが、南は物言わず部屋に入り、ガサガサと買ってきた荷物を片付ける音が聞こえた。
「雅美」
優しい声だった。
「プリン買ってきたんだ。これ食べて薬飲んで少し寝たら気分よくなるから」
ぶつけてしまった苛立ちに戸惑うことなく南は穏やかに声をかけてくる。
少し前までなら・・・
−健、変わった。
自分達は、今と逆だった。
「雅美。プリン好きだろ?な?」
−嫌だ。嫌だ!
変わらないで。不安にさせないで。
僕のものでいてください。
「え?うわっ!」
恋しい腕を引いて、ベッドの中に引きずりこむ。南は驚いたようだが予想はしていたらしく、困ったような顔で笑った。
「雅美・・・っ、ん・・・」
こじ開けるようにして唇を開いて貪る。熱のせいなのか性欲のせいなのか、グラグラと揺れる視界の中で輪郭がぼやける恋人の姿にますます不安が増した。
「けん・・・け、ん・・・」
Tシャツの下の肌は汗ばんでいて、南の体臭が混じって下半身に響いた。
「雅美、ダメだって!熱が下がってからに・・・っ、ぁ・・!」
汗を舐めとるように下を這わせる。腹筋の凹凸の窪み。ヘソに向かって伸びた窪み。それらに溜まった汗。
「は、ん・・・ぅ、ぁ」
抑え気味に声が漏れる。
「おい、ダメだって言っ・・・っ!!」
−このっ!
「バカ野郎!!」
「いっ!!!」
振り落とした拳は容赦ない音を立てて東方の頭に衝撃を与えた。
「熱が下がってないんだからダメだ!大人しく薬飲んで寝てろ!」
「うるさい」
怒り、悲しみ、淋しさ。様々な負の感情が体の内側で、トグロを巻いて住み着いている感覚だった。
「雅美?」
訝しいげに見上げてくる視線に苛立つ。
「うるさい!」
逆らおうとする腕を強引に頭上でまとめ、Gパンに手をかける。
「っ!」
恐ろしいほど、南は冷静になっていた。真っすぐで力強い視線。
「雅美、お前は・・・」
指先が語気に押された。視線が痛い。触れている指先が火傷をしそうだった。
「また同じこと繰り返すのか?」
『い、やだぁ・・・・!!』
永い永い悪夢のような夜。
「あ・・・」
『助け、て。嫌だ。もう嫌だ!痛い!!』
貴方は一体・・・
「お、れ・・・」
『・・・・・寂しい。雅美・・・・・寂しい』
僕を『どう』思ったのですか?
「ごめん、な、さ・・・」
震える指先でTシャツを戻すと、タオルケットを頭から被った。
−最低だ、俺……
「雅美、言い過ぎた。ごめん」
背中を優しく撫でられて泣きたくなる。南は何も悪くない。
「ほら、プリン」
甘い香りと穏やかな声。
「口開けて。アーン」
貴方は、僕を・・・『どう』思っていますか?
「ほら、寝るぞ」
プリンと薬を胃の中に押し込んだ東方に満足した南は、ベッドに潜り込み東方の頭を胸元に抱いて柔らかい髪を撫でた。
「健、その・・・」
「いつもと逆だな、俺達」
東方の謝罪と後悔を全て抑えこんで南は汗ばむ額にキスを落とす。
「熱で弱ってる時に、嫌なこと思い出させてゴメンな」
−ヤバイ。泣きそう。
「健、好き・・・」
「うん」
子供のように南の胸にしがみつく。ゆっくりと眠気がやってきて瞼が重くなる。意識が途切れる寸前、南の声を聞いた。
「おやすみ」
次の日の朝。
すっかり下がった熱とスッキリした頭。嬉しそうに笑う南。
「健、そろそろ菊丸に連絡しないとな」
「え?」
「買い物。約束してるだろ?」
心配しなくても留守番できる。
東方は笑っていた。
−花夢−END
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