38:嫌いです [ 14/51 ]
『ねぇ南。知ってた?
あの東方の笑い方。気持ち悪いって言ってたけど・・・
南も時々やるんだよ?
口の端が少し下がって、だらしなくなるヤツ。
自分じゃ気づいてないみたいだけど。
あのさ南。
俺を許して。
って言ったら・・・どうする?』
「室町」
「会話を拒否します」
冗談には聞こえなかった。それでも東方は再び口を開く。
「返事はしなくてもいい。それなら会話じゃないだろ」
「顔も見たくないんですよ。声も嫌です」
ここまで拒絶をされるといっそ清々しいという思いで東方は粘る。
「泣かせないように、努力する」
「・・・・・」
室町の肩が揺れた。
「ゴメンな。健はお前にとっても大事な相手なのに」
−どうして・・・
貴方が気づくのですか?
「泣かせても、いいですよ」
「え?」
これから先、きっと有り得ない話で。
「俺、部長に好きだって言いました」
それでも可能性を信じたくて。
「返事はもらってません。言いたかっただけなんで」
−こう言えば・・・
「貴方が部長を傷つけ続けてくれた方が都合がいいって気づいたんです」
少しだけ。
「嫌われてくれたら、俺にもチャンスができますから。事実貴方は部長を傷つけましたし」
許してください。恋しい人。
僕はどうしても何もせずにはいられなかった。
−嫌われる・・・
自宅に戻っても室町の声が頭から離れなかった。
−健に・・・嫌われる。
呪いのように繰り返し響く。
今まで南に好きだと言われたことはない。キスをするのも自分から。それでも好きだと言えば笑ってくれるし、ヤキモチを妬いてくれたこともある。抱きしめれば腕を回して応えてくれる。
−それでも俺は・・・
言葉を欲している。
「雅美。俺、風呂終わったから入ってこいよ」
「健」
「ん?」
湯上がりの水気を含んだ肌が本能を唆す。
「・・・したい」
直接的な言葉に南の頬には湯によるものとは別の紅さがさした。
「今・・・?」
「今すぐ」
腕の中に抱き込んだ身体は温かい。
「お前、なんか変だぞ。室町に何か言われたのか?」
−室町・・・
気遣いの言葉の中の名前がカンに障った。
「何か言われたのは、健だろ?」
腕の中の身体に力がこもった。
それが益々東方の神経を逆なでする。
「風呂行ってくる。先に寝ていいよ」
「雅美!」
−こんなのは・・・!!
ただの八つ当たり。
分かっていても止まらない。
『嫌われてくれたら、俺にもチャンスができますから』
−俺はいつか・・・
君に手を離されるのかもしれない。
「雅美」
風呂上がり。先に寝ていてほしいと思っていた恋人は起きて自分を待っていた。
「俺、室町と付き合うつもりないから」
それだけを言葉にすると、拗ねたように壁に背を向けて眠ってしまった。
−参ったな。
許しを乞うように背中から腕を回して目を閉じる。
−ずっと・・・
好きでいてほしいと願った。
『南。一つだけ言い訳させて。
俺にもね、理由があったんだ。
それで許してもらえるなんて思ってないけどね』
深夜。南の携帯が鳴った。
特定着信。
「もしもし。どうした?」
『みなみ・・・』
か細く震える声があまりに頼りなくて、思わず隣で寝ぼけている東方の手を掴んだ。
『助けて・・・』
南。
俺はただ、強く在りたかった。
でも俺がそうなろうとすればするほど・・・大石が辛そうな顔するんだ。
どうしてかな?
些細なことだった。
始まりは。
「・・・南のこと、そんなに好きなのか?」
珍しく不機嫌な大石が唐突に呟いた。思わず気の抜けた返事をしてしまう。
「はい?」
それがカンに障ったのか眉間の皺が深くなる。
「急にどしたの?」
「さっきから南の話ばかりだ」
『大石の気持ちを置いてかないでほしい』
「恐がらないでよ」
『英二』
「俺は大石といるよ」
少し前なら、この先を読む言葉に安心できていた。
けれど・・・
「ただ、いるだけじゃないか」
お願いです。
ちゃんと選んでください。
「いつかの逆だな」
独り言。
『大石は、俺をどうしたいの?何が足りないわけ?!』
興味を持っても、関心は持たないと思っていた。
「参ったな」
けれど、確実に貴方は彼と心を関わらせていく。
『大石は、全部を無駄だったって言う俺を好きでいられる?』
「英二・・・」
指先が己の言葉に反応して動いた。
「それでも好きだって言って・・・信じるのか?」
触れてはならない。
そんな過去が確かにあったのだから。
「解らない・・・なんにも」
南にしがみついて菊丸は、ただ繰り返した。
「解らないよ」
泣いてはいなかった。けれど震えながら必死に言葉を紡ぐ様子は痛々しい。
「菊丸、俺は解るけどな」
ゆっくりと顔を上げ、東方の顔を見つめる。
「俺と大石には解らないから」
『ゴメン。俺、汚い』
「思いやることは出来ても。な・・・」
−大石・・・お前も子供だったんだな。
「言い方悪いかもしれないけどさ。お前達二人は近すぎる。だから俺と大石は不安になる。勝手な言い分かもしれないし、俺がしたことや大石の言葉の理由にはならないかもしれないけど」
「傍にいるだけじゃ、足りないってこと?俺も南も自分で決めてるのに」
「そうじゃない。ただ・・…」
『南の心が一番理解できるのは誰?』
「無性に怖くなる時があるんだ」
沈黙が訪れる。三人とも次の言葉を決めかねている時、東方の携帯が振動した。
「悪い。ちょっと」
部屋から出て行く背中を見ながら、突然菊丸が呟いた。
「大石」
「え?」
「大石からだ。今の」
可能性を否定できないが、確信もない。
けれど菊丸のドアへ向けた視線に迷いはない。
「南・・・」
しがみついてくる腕の力が強まる。
「英二」
静かな音だった。ドアの向こうから、菊丸の言葉通り大石の声が響いてくる。
「っ・・・」
「菊丸?」
音に反応するように大きな目から静かに涙が滲んでいる。
「迎えに来たつもりなんだけど、出て来てくれないか?」
「菊丸」
しがみついている腕を揺さぶっても菊丸はガンとして動かない。
「おい。いい加減にしないと大石が困るだろ」
声を掛ければ掛けるほど腕に絡まる力は、より強固になる。
「もういいよ南。俺の顔見たくないんだろうから」
−あれ?
南は大石の声に一瞬の違和感を覚えた。自分が分かったのに菊丸が気づいてないはずはない。
「・・・・・っ」
−どうして・・・
大きな猫目の輪郭がぼやけるほど溜まった涙。
「ほら、大石がせっかく来てくれたんだから」
「英二。俺がいなかったら泣けるんだな」
突然だった。少なくとも隣で聞いていた南には。
「今日は帰るよ」
遠ざかる足音に菊丸の顔が青ざめる。
「追いかけろ!!」
「今は・・・話さない方がいいみたい」
静かに、ゆっくりと。
温かい体が離れた。
その隙間にエアコンの空気が入り込み体温を奪う。
「なんか、疲れちゃった」
涙を止めた双眸が今度は自嘲するように目尻を下げた。
「ゴメンね」
「なんで謝るんだよ・・・」
「謝るとこでしょ」
菊丸は困ったように笑って、そして当然のように、かつ自然に南の膝を枕にして寝そべった。
「南・・・」
「どうした?」
少し、長めの沈黙だった。
「大石、俺のこと嫌いになってないよね?」
−だから追わなかったのか。
「大丈夫だよね?」
初めて見せた戸惑い。
「当たり前だろ。俺は大石がお前をどれだけ好きか知ってる」
『英二と・・・関わらないでくれないか?』
穏やかで、他人に気を使ってばかりの大石が自分に向けた言葉はそれだけ聞くと印象が悪い。
しかし、彼は大事に大事に恋人を守っていた。必死に。
「大石の気持ちを疑うなんて罰当たりだ」
責めたつもりはなかった。けれど菊丸は静かに再び涙を流して、困ったように笑って南の膝に額をすりつける。
「南、それさ・・・」
「ん?」
「なんでもない」
互いに沈黙する。話したいことはたくさんあった。けれど、言葉が上手く繋げずに黙る。南はあやすように菊丸の柔らかい髪の毛を撫で続けた。
あのさ南。
あの時、言えてたら良かったかな。
罰当たりは南もだ。
って。
何か変わったかな?
わかんないや。
扉が開いた。入ってきたのは大石ではなく東方。それは当たり前のことだったが、それでも扉の奥の人影に菊丸は一瞬体を強張らせた。
「途中まで送ってきた」
東方はそれ以上は言葉を発することはなく、ただ菊丸の頭を撫でた。
「んあ?」
−な・・・・!?
恋人である自分より先に東方は菊丸に視線を向け、手を伸ばす。
その行動に南の目が見開く。
−そりゃ、この状況だし。解らなくもないけど。
面白くない。けれど不満を口に出す勇気はない。
東方はまるで南の存在に気づいてないかのように菊丸に触れ続けた。
「東方の手あったかい」
細い指先が東方の手首を捕らえて己の頬に導く。
−・・・っ!!
甘えるように手の平に頬を擦り寄せ、どことなく頼りない目線で東方に笑いかける。
−・・・・・・俺には無理だな。
天性の甘え上手は、どう見ても庇護欲を掻き立てた。
−なんだよ。俺が誰かに触っただけで怒り狂うくせに。
菊丸のことは好き。けれど目の前の光景に東方を取られるような錯覚に陥り、憎らしくなる。
−好きだもんな、可愛い系。
素直に甘えられて嫌な気はしないはずだろう。ただでさえ、自分には可愛いげがない。南は、二人のやり取りを見ることしかできなかった。
「東方、ありがとう。落ち着いた」
菊丸は南が惨めになるほどの笑顔を東方に向けた。つられて東方も笑う。
−・・・・
優しい、笑顔だった。
と同時に涙の跡がないか確かめるように菊丸の頬を親指が優しくなぞった。
−なんだよ、これ。
見つめ合い、微笑み合う姿はこれ以上ないくらい南の心を傷つけていた。自分にはない可愛いげを見せつけられ、恋人はそれを優しく受け入れる。
−どうせ俺は・・・・俺には・・・
「健?」
この声が憎たらしい。菊丸に優しく話しかけて、自分を呼ぶ声はどこまでも『普通』で。優しく呼んでるのかもしれないけれど分からなくて。
自分が『特別』という枠から追い出されたような気がして。
「嫌いだ」
終わるかもしれない。
それは嫌だ。
でも止まらない。
涙も止まらない。
「俺、大石のとこに行く」
「南?!」
「馬鹿なこと言うな」
「嫌いだ」
止まらない。止められない。溢れてくる。嫌なものが。
熱くて意地汚いものが。
「お前なんか・・・だいっ嫌いだ!!」
嫌いです−END−
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