1:初夏 [ 51/51 ]

腹が立つぐらい、暑い日だった。
腕に張り付く白い布地すら憎たらしい。

十四歳。もうすぐ十五歳。
その狭間で多くのモノを失った・・・
涙を流した。助けて欲しくて・・・いっそ狂いたかった。
せめて十三だったら不吉だって笑えていたのに。
そんな下らないコトに縋りたくなるほど、己を憎んだ。

それでも無様に生きたいと願った・・・

雨の音で眠れない。
身体が冷えていく。
消えない人影、荒い息・・・

もう、誰も俺に触れるな・・・



ひどい、雨の日だった





 時折空を舞う稲光、叩きつけるような重量を持った雨粒。
「明日は部室でミーティングになったから、各クラスに連絡頼むわ」
「あぁ。一年は俺がクラス回るから、お前は二、三年回るんだろ?」
「そだな。千石にはもう言ってあるから・・・」
「室町に伝えれば残り伝達してくれるんじゃないか?」
「そうするか。じゃあ、俺早めに鍵開けとく」
「健。荷物忘れるなよ!!」
 走り去りかけた背に言葉を投げる。
「分かってるよ。お前じゃあるまいし」
 明日から夏休み。東方の家族は海外に旅行。部活があるから一人留守番になってしまった為、南がしばらく泊まることになっていた。
「後でな!」
 ヒラヒラと手を振って見送る。振り返って少しだけ笑う南を見送るのが東方は好きだった。


 君と過ごす幸せの日常を、何の疑いも躊躇いも無く受け入れていた。それはとてもキレイな思い出。

「あちー!!」
 制服の作り上、首回りが暑くて仕方ない。午前中とはいえ夏の陽射しは容赦なく打ちつける。
「早すぎたか」
 建て付けの悪い部室の扉を蹴って言うことを聞かせた。鍵当番の日課。太陽に熱されたドアノブに顔をしかめながら、コンクリートで遮断された空間に身を受け入れさせる。
「ん?」
 普段とは異質な香り。眉をひそめながら発生場所に向かって歩みを進める。
「亜久津、また窓こじ開けたな?」
 白い制服の周りを漂う同系色の煙。その中心でぶっきらぼうに机に座る元部員のタバコを引ったくった。
「ここは喫煙所じゃねぇよ」
 灰皿代わりに置いてあった空き缶の飲み口に、タバコを突っ込む。ジュッと熱が奪われる音と共に、火が消えたコトを告げる白煙がまたも舞った。
「ウゼぇ」
 かったるそうに呟き、こりずに新しいタバコをくわえる。
「吸うなっつってんだろ!!」
 またも取り上げられ、亜久津は小さく舌打ちをした。当の南は窓を全開にし、制服の上着を脱いでバタバタと扇いでいる。
「只でさえ目付けられてるのに、いい度胸だよな」
 透明度を取り戻した室内の空気に満足げな南。上着を脱いだついでに着替えようとカバンを取り出す。その動きに合わせて黒いTシャツの裾が揺れた。
「お前・・・退部したんだってな」
 迷いの表情で亜久津の傍に立つ。
「とり止める気無いか?ウチはシングルスが弱点とも言えるし、お前がいたら」
「うるせぇ」
 言葉少なく遮られ、あからさまに憤りの表情が浮かんだ。
「全国・・・行きたいんだよ」
 押し殺すような、独り言にも似た呟き。
「東方と、か?」
「なっ、関係ねえよ!」
 過剰な反応。気温のせいではない頬の紅潮。
「めでたい野郎だな」
 机の上で片膝を立て、挑むように睨んでくる。一般生徒なら恐れて何も言えなくなる。だが、南は今まで亜久津という人物に恐怖を抱いたことが無かった。
−どうして・・・
「だから東方は関係無いって言ってんだろ!」
「喚くな」
−どうしてコレは・・・
「あーあー悪かったよ」
 拗ねたように脱いだTシャツを放り投げる。露わになる背中。服の上からは華奢に見えるが、しっかりと付いた筋肉。
 元はそれなりに色が白いらしく、両腕は日焼けのせいで淡いグラデーションを描いている。
「ったく、人が頼んでるのに」
「・・・」
 無言で南の背後に立つ。普段は有り余る程の存在感を持つにも関わらず、何故か今は野生の獣のように気配を絶っていた。
「・・・?」
 触れるか触れないかギリギリの所で項に手をかざす。流石に南も気づいたらしく、勢いよく振り返った。
「何なんだ・・・っ!!!」
 言葉の端は衝撃によって遮られた。いきなり正面から机に叩きつけるように押しつけられる。
「痛えな!!離せよ!!」
 何も答えない。
「ふざけんな!!クソ野郎!!」
 何とか身体を捩って逃げようとするが、腕力では適わないうえに武道をやっていただけあって関節をきっちり押さえてくる。
「いっ・・・!!」
 両手首をまとめられ、骨が曲がりそうな程強い握力で締め付けられ、悲鳴が漏れた。
「南。お前見てると苛つくんだよ」
 背中をくすぐっていた風が途切れ、代わりに安っぽい布地の感触が背中を擦る。覆い被さってきた身体。容赦なく体重を掛けてくるそれと机に圧迫され、呼吸もままならない。
「どけ、っ・・・!」
 それでも逃れようとする南。木製の机が大きく揺れ、暴れた拍子に小麦色に日焼けした肌にいくつも青痣が浮かんだ。
「っ・・・うぁっ!!」
 白い布地の中を、手が滑り込んでくる。形を辿るようにゆっくりと擦られ、項には濡れた舌の感触。
「やめっ!触る・・・なぁ!!」
 叫んでも力は弱まらない。手の動きが速まり、僅かな快感を否定するように背筋が粟立った。
「東方には毎日ヤらせてんだろ?今更喚くな」
 奥へと移動した掌がいきなり指をねじ込んだ。慣らされていないソコは挿入を拒むも、力ずくで身体の奥を掻き回される。
「抜け・・・痛いっ!!」
 叫びを無視し、快感の箇所を探る指が内壁の奥の一点を突いた。
「やっ!うぁ、っく!!」
「ケツに突っ込まれて喘いでる奴が偉そうにしてんじゃねぇよ」
 雨音が・・・鳴り響き始める・・・
「クソ・・・っ!!やめろ!!」
 挿入しようとした亜久津の顔面めがけて、振り解いた腕で後ろ手に殴りつける。見事に口元に衝撃をあたえることはできたものの、唇は笑みを浮かべるように歪んだ。
「いい度胸だ」
「・・・!!」
 首が仰け反るほど強く髪を掴まれ、額を机に叩きつけられる。その痛みに怯んだ瞬間、下肢を鋭い痛みが走り抜けた。
「いや、だっ!!畜生!!抜け!!・・・ぁ!」
 先ほど記憶した快感のツボを容赦なく攻めたてられる。が、拒絶反応のせいか感度が悪い。握りしめた拳は小刻みに震えていた。恐怖ではなく屈辱。
「可愛い気のねぇ野郎だ」
 雨足が・・・強くなる・・・
 腰の動きを速めると、僅かに反応を示した。
「東方にヤられてると思って喘いでみろ」
−どうして・・・
「このっ・・・!!」
 苦し紛れに吐きかけた唾が汗ばんだ頬に粘った線を描いた。
「面白いことしてくれるじゃねえか」
 唾液を拭った拳がそのまま振り下ろされる。
 唇の端が切れて、衝撃は鈍痛となり、身体に力が入らない。
「クソ・・・・!!」
 無理矢理身体を反転させられ、首筋を軽い痛みが撃つ。見下ろしてくる微笑が憎くてたまらない。
「・・・雅美!」
 ふいに過ぎった恋しい人。姿見えぬ助けを呼ぶ声。
「嫌だぁっ!!雅美っ!雅美!!」
 喘ぎ声を晒すぐらいなら、と呼び続ける彼の人。
「東方が見たら何て言うだろうな?」
 口づけようと下りてくる顔からは何とか逃れた。
 
 せめて・・・

「雅美っ!!嫌だ!!雅美・・・っ!!」

 せめて貴方にキレイなまま捧げられる箇所を・・・

「やめろ・・・雅美、雅美・・・」
 
 残させて下さい・・・

「雅美ぃーーーーーーー!!!!!!!」




 どうして貴方は来ないのですか?




「・・・・」 
 身体の中で起こった振動と共に、生温い精液の感触。突き飛ばすように解放された身。視界の端に映った亜久津はすでに背を向けていた。
「うっ・・・!」
 その背が大きくブレた。机の角に頭をぶつけたらしいが、その痛みは身体を蝕む不快感にかき消され、衝撃と共にコンクリートの床に身を投げ出した。
「おい」
 ズルズルと力無く沈んでゆく南の裸体を見つめ、無表情のまま亜久津は声を掛けた。反応はない。
「俺を見ろよ・・・」
 革靴の踵で傷の目立つ腹部を蹴って、仰向けにさせる。
「っ、げほっ・・・!」
 苦痛に歪んだ口元が正常な呼吸を求めて咳き込む。
 よく見ると、先ほど殴りつけた衝撃で出来た切り傷の出血で、灰色の床に絵の具で擦ったような紅い跡が不気味に存在感を放っていた。
「悔しいなら、殺しに来い」
 今度は腹部を踏みつけ、激しく咳き込む南の横で亜久津はタバコを揉み消した。紅い血の跡の上に。証拠を残し、挑発するように・・・




響くのは激しい雨音・・・
それは激情の唄に似た悲しい旋律・・・




「まさ・・・み・・・・」
 返事はない。東方は来なかった。目尻から堪えていた涙。傷ついた口元からは堪え続けていた嗚咽が響きだす。
「汚い・・・汚い・・・っ!」
 小さな小さな涙の水たまり。それは行き場を求めて線を描き、紅と交じり、黒い灰を揺らした。
「片付け・・・ないと。シャワー・・・」
 もうすぐ東方が来てしまう。こんな姿を見られるわけにはいかない。
「雅美・・・・」
 意地で上体を起こすも、全身を駆けめぐる痛みに再び床に身を委ねた。
「捨てないでくれ・・・」
 見られたくないこの姿。
 精液で濡れた下腹部。
 傷だらけの身体。
 せめてもの救いは絶頂に達さなかったことと・・・
「ここだけ・・・ここだけは、お前だけ」
 血で濡れた唇に震える指先で触れた。

『健、好きだ』

 まだ、言えますか?

「見るな・・・見ないでくれ・・・」
 床を拭いて、シャワーを浴びて・・・やることは思い浮かぶのに・・・・


「畜生・・・」
−もう、身体が動かない。


 深い深い闇のソコ
 落ちて墜ちて崩れ堕ちて・・・
 それでも彼の人の手が恋しい。
 差し出された手を掴むように、暗闇の中に崩れ落ちる意識



「雅美・・・・・・」


 助けて・・・・・・・



 雨足が気紛れに歩みを緩めた。それは僅かな哀れみ・・・




「今日はレギュラーだけ早めに集合なんだって?何で?」
 霧雨の中、面倒だからと傘をたたんだままの千石が、前を歩く東方に問いかけた。
「亜久津が抜けたシングルス2を誰にするか、レギュラーの推薦を取るんだってさ」
 同じく、歩くのに邪魔だと傘をささない東方。
「で、それで何で壇君がいるんですか?」
 サングラスのレンズが濡れるから、と律儀に黒いそれを頭の上に納める室町。
「壇のデータも推薦基準に入れるって健が言ってた」
「雅美ちゃんて、本当に健君好きだよねー」
「なっ・・・!」
 紅くなりながらも否定はしない東方の姿に一同が爆笑する。皆が笑い疲れた頃、目の前に古めかしい部室の扉が現れた。
「南の奴『遅い!!』って怒りだすかもね」
 誰かが呟くのを耳にしながら、先頭を歩いていた東方がドアノブに手をかける。
「健、いるか?」
 静まりかえった室内。
「あれ?南来てないの?」
 東方の肩口から千石がヒョイと顔を出した。
「・・・?」
 独特の異臭が東方の鼻をついた。生臭い、男特有のアノ臭い・・・嫌な予感が背筋に線を引いた。
「健!何処だ?!」
 半ば怒鳴りながら室内に足を踏み入れる。強くなる異臭。
「・・・!!!」
「何これ・・・」
 机の下に横たわる身体が全員の視界を凍りつかせた。
 上半身は裸。膝元までずり下がり、足のラインが分からなくなる程ぐずついたズボン。肌のあちこちには擦り傷と鬱血。いつもキレイに形作られている髪はグシャグシャ。
「健!!」
 裏返った声で叫びながら、南の身体を陰から抱えだし、その背を膝に乗せる。
「健、大丈夫か?!」
 東方は脱いだ自らの上着を夏だというのに冷えきった身体に掛け、ズボンを整えてやった。されるがままの南は何の反応も示さない。
「健・・・健!!」
 半狂乱になりながら動かない肩を揺さぶる。
「ま・・・さ・・・?」
 僅かに開いた歯列から、掠れた声が響いた。東方の姿を確認すると、全てを拒絶するように意識を手放し、埃にまみれた床に腕がダラリと投げ出された。
「何でだ?!・・・誰がこんな??!!」
「東方さん、これ・・・」
「亜久津のタバコだよ」
 おずおずと室町が差し出したタバコの吸い殻。それをロクに見もせずに千石が説明を付け加える。
「・・・・・・」
 無言のまま立ち上がり、腕に抱えた南の身体を部員用の長椅子に横たえる。
「誰か、俺のカバンからタオル取って濡らして来てくれないか?」
 南以外の人間に背を向けたまま、静かに命令に似た頼み事を落とす。壇が慌ててタオルを数枚取り出し、シャワー室へと走った。
−どうして・・・
「何でだ?」
 誰に言うでもなく紡いだ言の葉。
「東方・・・」
「何でだよ?」
−どうして今日に限って傍にいなかった?
 笑っていたから・・・何も疑うことなく、幸せの日々を共に過ごせると信じていたから。
−どうして・・・こいつが何をした?
 また今日も笑って下らない話をして、時々殴られて・・・
「南、痛そう・・・」
 横から伸びてきた千石の掌。それが南の頬に触れる前、本能的に叩き落としていた。
「触らないでくれ!頼むから・・・今俺以外がこいつに触れるのは耐えられない!!」
「あの、東方先輩・・・タオル持ってきました」
 バツが悪そうな顔をした千石に謝ることもせず、壇が持ってきたタオルを無言で受け取る。安っぽい布地が僅かに暖かい。気を利かせて湯で濡らしてくれたらしい。
「東方、ゴメン」
「いや、俺も悪かった」
 振り返らずに謝罪の言葉を発し、南の身体を拭う。柔らかく白い布地は薄黒く汚れていく・・・
−殺してやる・・・
 身体のあちこちに浮かぶ打ち身の跡と擦り傷。挑発のように一つだけつけられた吸い付いた紅い内出血。
「健・・・」


 誰が貴方を壊したのですか?



「千石、ちょっと健看ててくれないか?」
 清められても尚、痛々しさを残す身体から静かに離れる東方。
「ちょっと、お前が傍に居ないとダメでしょ!」
「頭冷やしたいんだ」
 扉へと向かう肩に手を掛け引き戻そうとするも、その表情に圧倒され、千石は力を抜いた。
 激しい憎悪、悲しみ、憤り、やり場の無さ・・・慕情・・・
「飲み物買ったら、すぐ戻る」
 戸惑いを抱えたまま外気に誘われるようにフラフラと出ていく東方。




 貴方に、何を言えばいいのでしょう?




「あの、やっぱりこれは亜久津先輩がやったですか?」
「だろうね。部室でタバコ吸うなんてアイツだけだし」
 洗い終えたタオルを手に、壇が千石に訪ねた。千石は当然のように言ってのける。
「でも!先輩はそんなことする人じゃないです!!」
「理由があれば、やるんじゃないの?」
 何かを知っている遠い目。返す言葉が見つからず沈黙。その中で響いた微かな呻き声。
「う・・・」
「南?!」
「南部長!!」
 意識と共に体内に蘇る痛みに表情を歪めながら、横に付いていた千石に視線を向ける。
「雅美・・・は?」
−どうして?
「今ちょっといないけど、すぐ戻るよ」
 姿が見えぬことを悟ると、必死に上体を起こす。でも痛みがそれを邪魔する。
「何処・・・だ?雅美!!」
ーどうして・・・
「ちょっと!すぐ戻ってくるから!!」
−なんで?
「嘘だ!!」
ーだって、いない・・・
「大人しくしてないと呼んで来ないよ!!寝てて!!」
−・・・来ない・・・・・・
「帰った・・・のか?俺を置いて帰ったのか?」
ー汚れたから?
「は?ちが・・・」
−汚いから・・・
「置いてかれた・・・俺が、こんなだから・・・帰った!!」
 もう何も聞きたくない。だっていないから。
 こんな身体、引き裂いてしまいたい。
「待って!落ち着いて!!飲み物買いに行っただけだから!」

−どうして?

「何で、何でいないんだよぉ!!」
 
 貴方の腕が欲しい・・・目が覚めた時には、きっと貴方がいると・・・

「誰か!!東方呼んできて!!」

 信じてたのに・・・

「置いて帰った・・・雅美・・・何処だよ?」
「南。ほら、すぐ来るから。ね?」

 もう、何も聞かせないで・・・

「・・・っく、ぅ・・・雅美・・・・・・」


 クルクルクルクル時は巡る。お前は来ない。寒い。独り・・・


 もう、何も無い・・・キレイな身体も、お前もいない・・・


「雅美・・・」



 お願いです。触れて下さい。




初夏−END−

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