クレイジーとメディスン、救済
(1)
風に乗ってその言葉は流れてきた。
「やっぱりお前、やべーよ。頭、おかしいって」
友人だと思っていた彼は実は自分のことをそんな風に思っていたのか、と一瞬は何故か客観的に、冷静に考えられたのだが、彼の顔を見た瞬間に抑えきれない憤りが湧いた。
何だ、その見下すような目は。異常者を見るような顔は。
三月の寒い夜、公園。カラカラに乾燥しきった冷たい風が頬を撫で、無慈悲に去っていく。空き缶を片手に、須賀は友人を睨みつけた。
「ああ? 何言ってんだてめえ……理解できねえ」
「いや、だからさ……」
困惑したような表情をするのにも酷く苛立つ。自分に呆れているのだということが露骨に伝わり、須賀は自分がどんどん不機嫌になっていくのが分かった。眉間に皺が寄り、視界が狭くなる。視界が赤くなる。
「お前、その、手に持ってんのさ、止めろって」
「お前もやってんじゃねえかよ。最初に分けてやるって言ったの、お前だろうが。何だよ、止めろって」
「俺、もう止めた。やべーの見ちまったから。懲りたわ」
「……」
「須賀もさ、抜け出せなくなる前に止めとけよ」
心配からの言葉が、今の須賀にとってはこれ以上とない侮辱の言葉にも聞こえた。
そして、有田が自分を嘲笑っているように見えた。口角を不自然に上げ、須賀を白い目で睥睨し、今にも唾を吐きたそうな顔つきに。
怒りで頭の中が真っ赤になって、一瞬で燃えた。
カッとなって、空き缶を相手の身体に投げつけた。
「っおい…!」
「何へらへら笑ってんだよ!」
ベンチから立ち上がり、有田の胸倉を掴み上げた。声は震えているのに、顔はまだ笑っている。暴力を振るわれそうなのにも関わらず、余裕の笑みで須賀を揶揄している。
「どうせお前も、俺のこと気持ちわりいって思ってんだろ! もうこんな不気味な奴となんか付き合えねえって! 他の奴らにも言ってんだろ!」
「ちょ、っと待てって…!」
「お前が勧めたくせに、ふざけたこと言ってんじゃねえよ! 嗤ってんな!」
「く、くる、し」
喉が圧迫され、有田が蚊の鳴くような声で呻く。顔は真っ赤だった。それでも、須賀には笑っているように見える。三日月の形をした目が、こちらを見ている。
一度離してやれば、相手は激しく咽た。咳を繰り返し、須賀から距離を取る。それが癪だったので、須賀は顔面を思い切り殴った。
「ぶっ」
地面に倒れた有田の格好は無様だったが、やはり自分を馬鹿にしているようにしか見えなくて、須賀の怒りはふつふつと煮立つ。そうやって、やられているふりをしているだけなのだ。内心ではきっと自分のことを愚直な男だと嘲笑っているに違いない。
馬乗りになって顔面をもう一度殴れば、夜の公園には悲鳴が響き渡る。
ああ、頭がくらくらする。
心地よい酩酊感を覚えつつあった頃、須賀はどこか遠くでサイレンの甲高い音が鳴り響いているのを聞いた。
気付けば、目の前には警官が一人、座っていた。紺色の制服を着て腕組みをする男は、気難しい顔をしながら須賀を監視している。その横で、もう一人の警官が電話をしている。
「……え? 学校の先生? 親じゃなくて? ……ええ、はい、須賀玄輝という高校生ですが」
須賀を訝しげに一瞥し、再び電話に集中する。その意図を知っている須賀は、居心地の悪さを感じることしか出来ない。
公園が騒がしいのに気づいた近隣住民が駆けつけ、通報したようだった。警官が駆けつけ須賀と有田の二人を取り押さえたらしいが、須賀にその記憶はない。
正直、カッとなって急に有田に殴りかかったことさえ、あれは本当に自分がやったことなのかと疑いを抱いている。
有田が、自分を愚弄しているように見えて仕方なかった。馬鹿にしているとしか思えなかった。それに対して怒りが抑えきれなくて、暴力を振るった。今、冷静に思えば、――普段はあんなに直情的ではないのだ。それに、思い出せない。有田がどんな顔で自分を見ていたのか、頭の中に浮かんでこない。
つい先刻の出来事なのに、すべてが曖昧で、漠然としている。警察官の質問に答えても、自分が本当のことを喋っているのか不安で仕方ない。
薬を、シンナーをやっているのが、根本的な原因であるとは、自分でも自覚していた。
「じゃあ、先生、取りあえず、署までお願いしますね。……はい、失礼します」
電話をし終えた警官が、眉根を寄せて須賀を見つめる。
彼は家族の連絡先を須賀に求めたが、須賀はその要求に応えることが出来なかった。親がいない訳ではない。電話番号を知らない訳ではない。ただ、電話をしても出ないと確信していたから、警察に教えても無駄だと思ったのだ。
それだったら、学校の、――担任の番号を教えた方がいい。
気乗りはしなかったが、警察が執拗に迫るので、何者の番号であるのかも言わずに教えた。
「おい、家族の電話番号と言っただろうが。話はちゃんと聞いていたのか」
やはり、呆れたように、異常者を見るような目で、須賀を見る。最初から須賀を見下しきっているこの男は、自分を同じ人間だと思えないらしい。
だって、不良だ。社会に害をなす、クズだ。民間の治安を守る彼らの中では、須賀などそういう認識でしかない。最初から、まともに、対等に話をする気などない。それは、須賀も承知の上だ。
「もう一度訊くが、どうして殴ったりなんかしたんだ」
「もう一度言うけどよ、ムカついたからだって」
「それじゃあ分からないだろうが! ふざけないで真面目に答えろ」
警官が苛立ったように、スチールの机を拳で叩く。「警官」が怒鳴れば不良の気も小さくなるだろうと思っているのが、酷く不愉快だ。須賀の中で小さな靄が生まれた。
「今の高校生は、理由もないのにムカついたからと言って人を殴るんだな」
「いやー、ゆとりのせいですかねえ」
「短絡的な考えで人を殴って、捕まって、馬鹿馬鹿しいと思わんのか」
もう一人の警官が、苦笑とも、嘲笑ともつかない、乾いた笑い声を上げる。
警官も、家族も、学校の連中も、誰も彼も侮蔑を込めた視線で、須賀を見るのだ。指を差して、かさかさと嗤うのだ。
瞬間的な不快感と憤りに、須賀は机を蹴り上げた。安物の軽々しい空虚な音が室内に響いた途端、警官二人の表情が強張って、次いでガタガタと姦しい音が鳴る。頬に熱い衝撃が走った。
「何だ今のはぁ! 舐めてんのかお前!」
勢い立ち上がった男が須賀の胸倉を掴み、頬を拳で殴った。その勢いで後ろによろめくのも許さず、男が須賀を解放する気配はない。怒りに染まったその顔を、ただ黙って見ているしかないのが、すごく嫌だと思った。唾を飛ばしながら、男が怒鳴る。
「どうしてお前らクズはそうやって社会に盾突こうとするんだ! 人様に迷惑をかけて何が楽しいんだ、まったく理解できない、一体どういう思考回路をしてる」
「……おっさん、手ぇ離せよ。きたねえから触んなよ」
「……!」
「どうせクズなんだよ。クズの考えることなんかまともな人間に理解できる筈ねえんだから、怒鳴るだけ無駄だろ。あと息くせえ」
須賀は当然のことを言ったまでで、挑発する気はさらさらない。……が、男は首まで真っ赤に染めて、ブルブルと震えた。血管がぶち切れて死ぬんじゃないかと思うくらい怒りに打ち震えていたが、突然何かに気づいたように目を丸くした。
何を悟ったのか。須賀は不意に目の前が暗くなったような気がして、身体を硬直させた。
「お前……」
警官が何かを言おうとする。まずい、と身構えるが、何かが起こる前に、部屋のドアが開いて女性警官が声を掛けた。
「あの、遠藤さんという方がお見えに」
目を向けると、女性警官の後に見覚えのある男が佇んでいた。
「……、…」
警官は慌てて手を離し、「こちらへどうぞ」と先程とは随分と色の違う声で席を勧め、自分も座る。遠藤は神妙な面持ちで腰を落ち着かせたが、須賀は苦虫を噛み潰したような表情しか出来なかった。渋々とパイプ椅子に座り直すと、隣の遠藤が顔を向けた。
「須賀、一体何をしたんだ?」
「……ただ」
「お友達と喧嘩して、怪我させてしまったんですよ、先生。相手は今、病院にいます」
何だか悪意が込められているように感じるのは、須賀が当事者であるからだろうか。警官は事実として述べているだけなのに、須賀には必要以上に酷く糾弾されているように聞こえてならない。それを、遠藤がどう感じるのかも不安だった。
この男にまで見捨てられたら、俺は終わりだと。
隣から視線を感じながら、それにどういった意図が込められているのか、探る。
「それにしても先生、思ったより早かったですね」
「ええ、偶然にも近所のコンビニにいたものですから。急に電話がかかってきて驚きましたけれど」
「ああー……来ていただいて申し訳ないんですがね、本当は親御さんに来て欲しかったんですよ。ですから今日は……本人を連れて、お引き取り願いますか」
「え、他に何も……何か書かなきゃならないとか、ないんですか」
「後日、本人と親御さんにまた来ていただきますので」
「はあ……」
「すいませんね」
そうして警官が、急かすように立ち上がる。早く帰れと言っているように。
須賀も、こんな窮屈な場所に一分一秒も長くいたくない。率先して立ち上がり、出口に向かう。背中に冷たい視線が突き刺さっているのを振り返り、一瞥をくれて立ち去った。
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