密室アクアリウム

(2)

 徐々に晴れ間が増え、空を見れば清々しい青が広がる日が多くなってきた。さすがに地面には雪が残り歩道を高くしているが、日光でやわらかくなった雪が校舎の屋根から時折落ちる。窓の外には、上から雪解け水が落ちてくるのが見えた。

「あ、仲宗根ー」

 昼休み、廊下で柏木に呼び止められるた。教室に授業の資料を運ぶ途中なのか、小脇に教科書とプリントを抱えている。

「父さん母さんと進路の話はしてるか?」
「してねえ」
「正直だな」

 柏木に指摘されなければ、そのまま忘れているところだった。先日、実家まで戻ったが、進路に関するプリントを置いてきただけで、話どころか顏を会わせすらしていなかった。
 柏木が呆れ顔で詰め寄ってくる。

「締め切り後にかなり遅れて出すのいつもお前なんだから、早めに話しとけよ。電話でも何でもいいから、とにかく親と会話しろ、会話。お前が何を考えてんのかちゃんと伝えろ」
「……ああ」
「もう二年の終わりなんだから、もうちょっと真面目に考えてくれてもいいんだぞ」

 執拗に説かれると閉口してしまう。真面目に、と言われても就職や進学に対して明確なイメージを持てない。実感が湧かず、ぼんやりしてしまう。

「っと、宇佐美お前もなー」
「へ?」

 ちょうど通り過ぎようとしていた宇佐美が立ち止まる。隣を歩いていた友人らしき生徒も一緒に止まる。

「え? にしきん何?」
「進路相談用紙。お前、提出物とかいつもギリギリで出すから、余裕持ってな」
「うぃーす」

 それだけ告げると、柏木はそそくさと教室の中に入ってしまう。ふいに、宇佐美と目が合う。

「仲宗根、進路どうすんの?」

 ややあって宇佐美が口を開くと、宇佐美の隣を歩いていた生徒が一瞬で顔を引き攣らせた。

「う、宇佐美。俺行ってるから」

 しどろもどろに言うと、そのまま進行方向へ去って行く。仲宗根に話しかけるとか大丈夫かよ、と小声で聞こえてきた。

「仲宗根に話しかけても大丈夫だよなあ」
「いいのかよ」
「何が?」
「俺ら喧嘩して停学喰らったことになってんだろうが。それに、俺なんかと話してたら」

 以前教室で話しかけられた時も、周囲からの怪訝な視線を痛いほど感じた。何故、わざわざ、あの仲宗根大河に声をかけるのかと。大河自身はもはや周囲にどう思われようと構わないが、自分といることで宇佐美が変に思われるのではないか。不都合が生じるかもしれないのに、どうして自ら話しかけるのか、大河には理解できない。

「いいんだよ別に。っていうか仲宗根、悪いやつじゃねーじゃん」

 宇佐美が唇の端を引いて笑う。先日のようなしおらしい態度はどこにも見えない。

「あいつのこと救ってくれたし。今も俺のこと心配してくれたし」
「心配はしてねえよ」
「そうかい。まあ、いいよ俺のことは。それで仲宗根、進路どうすんの?」

 宇佐美に教える義理はないが、教えない理由もない。大河は無愛想に「就職」と一言呟く。

「へえ、何すんの?」
「さあ。そこまでは考えてねえ」

 自分が何をしたいのか分からない。そもそも、やりたいことがあるのかどうかも分からない。

「働ければどこでもいい」
「うん……でもサービス業以外にしたほういいと思うよ」

 知ってるという意志を込めて睨みつけると、宇佐美は笑った。

「そういうお前はどうすんだよ」
「俺は……東京の大学かな。大学行きながら、やりたいこと探そうと思って。モラトリアムってやつ。親に申し訳ねーから、奨学金借りながらだけど」

 でも二年の今の時期に、はっきり将来これやりたいって決めてる奴なんかそんなにいねーよなーと宇佐美がぼやく。
 何もやりたいことがなく、何となく就職し、何となく働き、何となく生きる。今までも、何もかもどうでもいいと思いながら、何となく生きてきた。

(……来週末、帰るか)

 実家に置き去りにしてきた資料を思い出す。両親からの連絡はない。お前の好きにしろと、思っているのかもしれない。それなら、それでいい。別に大河が一人で決めてしまっても構わない。ただ、柏木は会話をしろと言った。
 自分が何を考えているのか伝える。これからどうしたいのか、正直わからない。
 それでもいい。とにかく何か――話してみようと、まるで自分ではないような思いを抱いたのだ。

90/96 水槽

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