密室アクアリウム

(15)

 良かったら家に上がっていかないかという犬飼の母親の言葉に甘え、少しの間お邪魔することにした。父親も弟も出かけているようで、家には彼女しかいなかった。

「あの子の友達が来るのは久しぶりね」

 友達、なのかは大河にも分からないが、母親が嬉しそうに笑うのでそういうことにしておいた。生前の犬飼のことはほとんど知らないのに、家に上がって友人として遺族と話をするのは奇妙な感じがする。

 屋根や外壁がトタン作りの家は古く見えたが、中はこざっぱりとして綺麗だった。家具も新しいものではないが、よく片付いており、落ち着きを感じる。何故か懐かしい雰囲気がした。
 座敷にある仏壇で拝ませてもらったが、遺影の中でも犬飼は無表情だった。「孝弘の笑った写真を探すのはとても難しいのよね。そもそも写真に映りたがらないし」と溜め息を吐く気持ちも分かる。

「笑顔の写真なんて小さい頃のものしか……そういえば君、名前は何て」
「……仲宗根です」

 居間のテーブルの前に座った大河にお茶を出してくれた母親は、頬に手を当てて「仲宗根、仲宗根……」と繰り返す。そのまま彼女は引き出しを漁り、アルバムを持って来た。

「高校のお友達よね? こんな遠いところまでわざわざありがとう」
「あっちで一人暮らししてて、実家がこっちなんで、実家に顏出すついでにと思って墓に」
「そうなの。孝弘とまったくタイプの違う友達で……なんというかびっくりしたわ」

 確かに、優等生然とした息子に、金髪で強面のいかにも不良という感じの友人がいたら驚きもするだろう。驚くどころか、息子は虐められているのではと心配する親が多いかもしれない。

「最近の写真は……修学旅行かしら。担任の先生がくれたものだけれど」

 一日目の寺社仏閣巡り。二日目の自主研修。三日目のテーマパーク。四日目のお土産探し。数は少ないながらも、全日程の写真がある。だがどの写真でも犬飼は笑っていなかった。嫌そうな顔もしなければ楽しそうな顔もしない。
 その本人は墓の前で消えて以降、姿を見せない。あの時浮かんだ予感通り、いるべき場所へ帰ってしまったのではないか。不安をお茶と一緒に飲み下す。

「これが最後の写真になっちゃったわ……」

 向かいに腰を下ろした母親がしんみりと呟く。息子を亡くしてさほど月日も経っていない。俯いた彼女の目元にうっすらとクマが見て取れた。

「高校ではどんな感じだった?」
「いぬ……孝弘ですか」

 犬飼の下の名前はまだ舌に馴染まない。どうしても「孝弘」というイメージがないから、声に出してみると違和感が拭えない。

「あんまり家で学校のこと話してくれなかったの」

 大河も、学校での犬飼を知らない。知っているのは、死んで、ずっと自分の隣にいる犬飼の姿だ。

「……静かな奴でした」

 寡黙で、自分の感情を見せない。大河も、最初は不気味でたまらなかったが、今は何を考えているのか何となく感じ取れるようになった。
 ただ言葉が少ないだけなのだと大河には思えた。何も考えていない訳でも感情がない訳でもない。声で表現しないだけなのだ。

「家でもそうだったわ」
「俺もあまり喋る方じゃないんで、ちょうど良かった」
「仲宗根君が一番仲良く?」
「多分、そうだと」

 他人の交友関係に興味のない大河でも、犬飼が特定の誰かと親しくしているのは見たことがなかった。

「いつも一緒にいました」

 朝起きてから、登校中も、授業中も、昼休みも、下校も、夕飯も。俺は寝るから、と大河が寝室に引っ込むまで一時も離れることはない。客観的に考えると酷く精神を疲弊させそうなことだ。家族でも恋人でも、こんなに同じ時間を共有したりしない。
 隣にいない今、心はそわそわしている。それだけ隣にいるのが当たり前になっていた。

「それで、俺を……助けてくれた」
「助ける?」
「課題とか。勉強まったく駄目なんで」

 いつも一緒にいたのも、大河を守るためだった。
 風呂場でウサギに沈められ溺れていたところを。公園で殴り殺されそうだったところを。犬飼は助けてくれた。彼がいなければ大河は無惨に呆気なく死んでいた。

「あいつがいなかったら、俺は駄目になってた」

 息子が勉強を教えてやらなければ目の前の不良は留年していた、と受け取っているのだろう。「あの子が人の役に立っていたみたいで嬉しいわ」と口元の皺を深くする。

「感謝してもしきれないぐらい……孝弘は、俺のことを考えてくれてる」

 熱いお茶の入ったマグカップを両手で包むと、冷たい手にじんわりと温もりが伝ってくる。

78/96 融解

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