密室アクアリウム

(10)

「俺と伊織は幼馴染なんだ。小学校から、ずっと一緒」

 家も近所で昔はよく一緒に遊んだらしいが、成長するにつれお互い別の友達と遊ぶようになった。もともと人見知りであまり明るくない性格の伊織は、一人でいる姿を見かけるのも少なくなかったらしい。
 ピアノの得意な伊織の演奏を、中学や高校でも宇佐美はよく聴きに行っていた。昔のように遊ばなくなっても、宇佐美は伊織のことを幼馴染として大切に思っていたようだ。

「一年の時、伊織から告白されたんだ」
「……振ったんだろ?」
「うん。好きには好きだったんだけど、彼女としては見れなくて、ごめんって」
「その後の話は伊織から少し聞いた。誰かが言い触らしたって」

 宇佐美はコーラを飲み乾すと、余った氷をガリガリ噛みながら忌々しそうに「藤川が」と口にした。

「藤川が言い触らしたんだ」

 以前――試験の時も、藤川の名を口にする時は親の仇を憎むような恐ろしさだった。宇佐美が彼を嫌っているのはこれが理由なのか。

「伊織は少し変わった奴だったから、それまでもからかわれたりはしてたみたいなんだけど、伊織を虐め始めたのは藤川だ。伊織と同じクラスだった」

 伊織と藤川は同じクラスだった。具体的に何をされたのかは言わなかったが、クラス全体が彼女に対して酷いものだったらしい。

「藤川は一応、友達だ。いっつも誰かを虐めてて、誰か新しい標的を見つけたってのは知ってたけど、俺は二人とは違うクラスだったから的が伊織だと思わなかった。……知ったのは、伊織が死んでから」

 悔しさや悲しみに耐えているのが、大河にまざまざと伝わってきた。もう中身のないグラスを持つ手が震えていた。外側について水滴が垂れ、テーブルに溜まりを作る。宇佐美から感情が吐露される度に大きくなっていくようだった。

「伊織が屋上から落ちて……学校は原因を探ったけど教師はいじめの現場を見てないし、虐めてた連中は誰も名乗り上げなかった。それに伊織は家庭にも少し問題を抱えていたから、いじめという理由が消された」
「……どうしてお前は、言わなかったんだ?」

 藤川が虐めていたと知っていたのなら、学校に訴えればよかったのに。痛いところを突いてしまったのか、宇佐美はまた黙ってしまった。

「藤川に……釘を刺されたんだよ。絶対に言うなって」
「……」
「俺は藤川が怖かった……だから学校に言う勇気がなかった」

 当時のことを思い出しているのか、最後は声に痰が絡んでいた。
 話を深く掘り下げていくのは酷だとは思いつつも、話がしたいと言ったのは宇佐美自身だ。少なからず大河に関わる話だろうから、最後まで話を聞かなければならない。尋ねるのは億劫だったが、仕方がなかった。

「そもそも何で藤川は、伊織が振られたことを知ってんだ。お前が教えたのか」
「……そうだよ。俺があいつに言ったんだ。そんなことで虐めるなんて、思わないだろ……」

 俺のせいだ、俺のせいで伊織が……と涙混じりに、蚊の鳴くような声で宇佐美が呟く。いつもは自信たっぷりで調子の良い彼の弱弱しい姿を見るのは初めてだった。

「……だから、伊織はお前に手紙を書いたんだろ」
「……っ」

 私が死んだのは路人くんのせいじゃない。彼女はそう伝えた筈だ。

「ずっと後悔してたんだ……俺が言わなければって。そしたらこんなことにはならなかったのにって……それで、藤川に復讐することを思いついた」
「それに俺を使おうと思ったのか」
「……ごめん。俺は伊織が死んだ後、ずっと藤川についていじめの加担してた。協力するふりをして、いつか苦しませてやろうと思ってた」
「藤川は逆のこと言ってた。藤川が、お前に加担してるって」
「あいつならそう言うかもしれない」

 藤川に嘘をつかれていたようだ。虐めをしている張本人は藤川で、それに付き従っているのが宇佐美だったのだ。

「……俺、たまに音楽室に行くんだ。伊織はもういないのに、分かってるのに、いつもみたいにそこでピアノ弾いてるような気がして」

 伊織は宇佐美が音楽室をよく訪れることを知って、手紙を音楽室に届けて欲しいと頼んだのだろう。その通り、いつもの癖で訪れた宇佐美は、見たのだ。

「そこで、使えそうないいネタを見つけた」

 大河は不快を隠そうともせず眉間に皺を寄せた。使えそうなネタとは、自分の醜態のことだ。
 学年中で有名な不良。そこに存在するだけで皆が恐れる、凶暴な生徒と認識されている大河の弱みを握り、利用する。宇佐美自ら手を下すより、効果的な手だろう。

「脅したりなんかして、本当に申し訳ないと思ってる……」
「復讐なら自分でやれよ。人に頼らず」
「そうする」

 まだ藤川を懲らしめる気なのか。執念深いと感じつつも個人の問題だ。幼馴染が死んだのだ。許せる筈がないだろう。

「度の越えた脅しの仕方で本当にごめん。謝っても許してもらえないと思うけど、今はめっちゃ反省してる」
「当たり前だ……俺は許してねえからな。お前に振り回されて、本当に最悪だ」
「ごめん……」
 
 宇佐美にされたことは、男として矜持やら自身やらを踏みにじられるような酷いものだ。すぐに許すことは出来ないが、項垂れる宇佐美の面を見て少し溜飲が下がった気がした。宇佐美が「でも」と続ける。

「正直に言うと、仲宗根で遊んでて楽しいと感じる時もあった。男がどんな感じなのか興味あったのは嘘じゃなくて……試してみたかった」
「……」
「いや純粋な好奇心でさ……そんな顔すんなよ」
「お前、最低だな」

 大河は苦虫を噛み潰したような表情でコーラを呷った。氷がほとんど溶けてしまって味が薄くなっている。口も利きたくなくて暫く不味いコーラをちびちびと飲んでいた。
 本当は、今すぐにでも宇佐美を殴りつけて原型を留めない顔形にしてやりたいという気持ちもある。でもそんなことをしたら――伊織が悲しむのではないかと思った。

 ランチタイムの客もはけ始めた頃、再び宇佐美が話し始めた。

「仲宗根、幽霊見えるってマジ?」
「さっきそう言っただろうが」
「本当ならすげーな。霊感って本当にあるんだな」
「……怖くねえのかよ」

 大河自身、人間でないものが見える力をまだ歓迎できていない。まともなものが見えるならともかく、グロテスクなものやウサギなんかは二度と見たくない。
 宇佐美はコーラ二つ分だけの伝票を手で弄びながら、うーんと唸る。

「だって、お前にそういう力がなきゃ……伊織から手紙も受け取れなかった訳だろ。ありがたいって」

 宇佐美なら面白がるか、不気味がるかしかしないと思っていた。そうかよ、と大河は呟いておもむろにメニューを手に取った。

「え?」
「んだよ。呼び出しといてコーラだけで済ます訳じゃねえよな」
「俺の奢りですか」
「じゃなきゃ頼まねえよ」

 あ、そう……と宇佐美は乾いた笑い方をして、空のグラスを傾ける。まだ昼食を取っていない大河がメニュー表を見ている間、暫く退屈そうにしていたが、急に真剣な面持ちで言った。

「なあ、見えるってことは、話せるの?」
「まあ、……一応」
「頼みがある。伊織に伝えて欲しいんだ」

 切実な声音だった。

「本当は俺も好きだったって、お前のピアノ好きだったって、伝えて欲しい。」
「――……」

『やっぱり死ななきゃよかったなあって、今更になって思うんだ。会いたかったなあ……路人君に』
 伊織の最期の言葉。これを言った後、彼女は消えた。おそらく永遠に。
 もう伊織に会うことは二度とないだろう。

「……ああ」

 伝えたい言葉を伝えたい時にすぐに伝えなければ、後悔することもあるのだ。伝えたい相手がいなくなってしまった後では遅い。

「ありがとう、仲宗根。迷惑かける」
「本当にな」

 何故かその時、犬飼の顔が浮かんだ。それを打ち消すように咄嗟に呼び出しボタンを押す。店員がオーダーを聞きにきて、ガーリックステーキのAセットと山盛りポテトを頼むと、宇佐美の顔が絶望的な色に染まった。

73/96 融解

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