密室アクアリウム

(4)

 自宅から最寄の駅まで向かうのに、否が応でも公園の前を通らなければならない。既に大量のウサギの死体は片づけられている筈だが、決して遠くない過去にそれらが生命を持って存在していたのだと考えるだけで悪寒がした。蘇って、また追いかけてくるのではないかと。

 しかし必要以上に警戒する心配はなかった。犬飼も一緒だったからだ。
 数日経っても、駅に着いても、電車に乗っても、学校の中に入っても、犬飼が姿を消すことはなかった。
 そのことをいつの間にか鬱陶しいだとか目障りだとか感じなくなってきている自分に大河は気づいた。
 寧ろ、隣にいるだけで安心する。犬飼がいれば不可解な事象も起こらないし、ウサギも現れない。安堵するのは命の保障があると知っているからということもあるが、それ以外の理由もあるような気がしてならない。具体的に何か、と問われれば答えられる自信はないが。

 教室でも犬飼は大河の前の席――つまり自分の席に座っていた。長い間、空席だった机。誰かの背中で目の前が埋められるというのも新鮮だ。
 もう勉強する必要はないというのに、犬飼は生きていた頃のように真面目に授業を受けているらしかった。流石にノートまでは取らないが、黙って教師の話を聞いている。そんな犬飼に影響されたのか、大河は自分でも気持ち悪いと感じながらも、少しずつ黒板に書いてある内容を書き写すようになった。

 昼休みに柏木に呼び出しを食らった。
 思い当たる節はいくつかあった。考査の結果、進級できるのか、それから宇佐美とのこと。

「ちょっと宇佐美のことで話があるんだ」

 昼休みだというのに多くの教師が昼食を取らずに仕事に励んでいる職員室の隣の印刷室。いるのは柏木と大河と、それから犬飼。用意されていた椅子に座った大河を、柏木は神妙な面持ちで見た。
 やはり、この話題だった。

「あれから宇佐美と、会ったりしたか」
「いや……全く。会いたくなかったし」
「まあ、そうだよな」

 柏木は心底困った様子で重苦しい溜息を吐いた。もうお手上げ、と前髪を掻き揚げた。

「停学期間も終わったたのに宇佐美が学校に来ない。原因は今回の仲宗根とのことだと思うか?」
「それしか、ないんじゃねえの」
「だとしても、何でだろう。きっかけがそうだとしても。あいつ、ケータイも家電も出ないんだよ」
「親は?家にいんだろ」
「平日の夜も土日も家に行ってみたんだが鍵かかっててな……電気も点いてないし。親御さんのケータイにかけても忙しいので後でこちらからかけます、で終わりだし」

 宇佐美が故意に接触を避けているばかりでなく、親の不都合もあり連絡が取れていないようだった。
 この間の、追試の時の事件が原因だろう。しかし、真実を知っているのは教師二名のみで表向きは喧嘩ということになっているし、悪いのは仲宗根大河だという暗黙の了解も既に学年中にある。学校に登校してきても誰も宇佐美を責めないのに、来られない理由など何処にあるものか。

「頼みがあるんだが」

 申し訳ないんだけど、と柏木が前置きをする。

「仲宗根からも連絡を取ってみてくれないか」
「俺が?」
「被害者のお前に頼むのは非常識だし、本当は担任の俺が解決しなきゃいけないんだろうけど、情けないことに俺だけじゃどうにもできなくて。どうか頼まれて欲しい」

 正直、宇佐美の顔を見るのはおろか連絡を取ることさえ抵抗はあるが、大河にも彼に確認したいことがあった。大河が持っていたはずの手紙と、伊織のことだ。前に廊下で伊織と会った時、最後に「路人くん」と零していた。彼女が言うには手紙は既に宇佐美の手に渡ったらしく、おそらく追試の時に取ったのだろう。可能性として、もしかするとそれも宇佐美の不登校に関係しているかもしれない。
 
 連絡を取るだけだ。どうせ、メールで学校来いとだけ送るだけだ。それでもし宇佐美が学校に来るようになってしまっても大河にとって居心地は悪いが、柏木には何かと普段から面倒をかけている。断るのは少し気が引けた。

「分かった。俺からも連絡してみる」
「本当か。ありがとう、助かるよ仲宗根」

 大河が宇佐美と接触して事が良い方に転がるかどうかは分からない。けれど少しでも柏木の気持ちが晴れるなら動いてみてもいいかと思った。

「あと、この間のこと……聞いてもいいか」
「……追試の時のことか?」
「宇佐美とどんなトラブルがあってあんなことになったんだ? ……あ、いや話したくないんならいいんだけど」

 あの後に面談をしたが、至るまでの過程や理由は伝えていなかった。宇佐美も口を割らなかったようだし、大河も自分の体面上、他人に話せる内容ではない。
 これまでテーブルに腰掛けてほぼ空気と化していた犬飼が反応を見せた。「何だ、トラブルって」と大河に尋ねる。そういえば犬飼には宇佐美とのことで詳しい話をしていなかった。

「教える必要があるのかよ」
「ちゃんと把握しておきたいんだ。これから何か起きる前に解決したいし」

 宇佐美とのこと――藤川を不登校にさせるという仕事を達成することが出来ず、追試での事件は起こった。何故、大河が宇佐美の言う通りに動いているのかというと、弱みを握られたから。その弱みは、音楽室で行為を見られたことだった。
 教えるとなると、一から話すことになるだろう。柏木に知られる訳にはいかない。歪曲して教えるにしても、咄嗟に嘘など思いつかない。

「あいつとのことは話したくない」

 低く告げると柏木は「そっか。まあ、無理強いはしたくないからな。わかった」と少し残念そうだった。
 しかし問題は犬飼だった。犬飼にはきっと伝えなければならないだろう。何があったのか絶対に訊いてくると、大河には分かっていた。

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