密室アクアリウム

(25)

安心させようとこの体勢を取っているのか知らないが、大河は余計に落ち着かない。幽霊のくせに温かい身体、時折、項にかかる息遣いと柔らかい髪の毛の先。腹に回った、力強くもしなやかな腕。身体を休めたくてもなかなか意識が睡眠に向こうとしない。

「……これじゃ寝れねえ」

 力任せに反抗するのは無駄だということを既に学習している。威嚇のように低く訴えてみると、身体が急に反転し、光景が一変した。
 引き結ばれた唇。安定の色を示す瞳。犬飼の顔が視界一面に映り込む。それも束の間、正面からぎゅっと抱擁されて、鼻に人間の身体の感触がぶつかった。鼻腔を擽る爽やかな匂い。何故かさっきから、気分が落ち着かない。

「おい……っ」

 大河の言葉をどう解釈したのか、抱き締めたまま犬飼は大河の背中を優しく撫でた。子供をあやすような甘い所作に、反抗したかった。けれど出来なかった。
 本当は心の奥底で、犬飼が現れて助けてくれることをずっと願っていたから。こうして、何も言わず黙って抱き締めてくれることを。

「……犬飼」

 顔は相手の肩口に埋もれているから籠った声音ではあったが、自分でも不思議なほど穏やかな声だと思った。背中を撫でるたおやかな温度が、酷く安心させる。ざわめいていた胸が軽くなって、大河はおずおずと犬飼の背中に腕を回してみた。体格はほとんど変わらない。
 確かに生きているように温かいが、こんなに密着しているのに脈動というものは一切感じられなかった。何度も疑ったが、やはり死んでいるのだ。

「――お前が来てくれなきゃ、今度は確実に死んでた」
「死んでもよかったって、さっきはそう言ってた」
「……嘘に、決まってんだろ。本当に死にてえなんて思うかよ。死ぬのは……」

 どれだけ必死に逃げても追いかけてくる大勢のウサギが、自分の周囲を取り囲んでいる光景が目に浮かぶ。みな一様に大河を見て、不気味に笑う。

「怖いか」

 不意に核心を突かれた。怖いかどうかなど、そんなの決まっている。
 相手の顔を見て話したいと思ったが、有無と言わせない力と心地よさで抱擁されているため、顔を上げることは出来ない。

「お前はどうなんだ」
「……何が」
「死んだ時……つか死ぬ瞬間。怖かったのかよ」

 不躾な質問だった。大河はシーツの崩れた皺を見つめて待った。

「……さあ。分からない」
「分からないって」
「覚えていない」

 この男は、何を訊いても分からないと答える。本当に自らのことが分からないのか、それとも本心は別の所にあるのか。所詮は他人のことだから、大河が推し量ることは不可能だ。それは心得ているのに、もどかしい。大河ばかり晒されているようで、納得いかない。
 仮に自分が死ぬとしたら、一番に感じるのは恐怖だ。以前、夢で見た時は痛くて痛くて仕方なかった。背中に何度も何度も斧の刃が振り下ろされ、恐慌状態に陥る。自分の臓物が体外に出て潰れている光景は、今までに見た中で一番の悪夢だった。

 あいつに、殺されてしまうのか。
 目的は復讐、なのだろうか。二度も殺した大河を、殺そうというのか。


「……仲宗根、大丈夫だ」

 心を読まれたのかと思った。

「な、んだよ。何が」
「怯えてる」
「何で分かるんだよ」
「何となく。お前のことなら」
「……」
「絶対に死なせない。俺が守るから」

 そのために今、傍にいる、と犬飼は静かに言った。心なしか腕に籠る力が強くなったような気がした。

 どうしてそんなに自信満々に、まるで当然のことのように断言できるのだろう。根拠も何もない、あるのはたった一人の主観だけだ。
 酷く陳腐で頼りなく、信憑性のない言葉だが、犬飼が言うと絶対普遍の真理のように聞こえるのは何故だろう。心に植えつけられる安心感は快かった。
 こいつになら全てを預けてもいいんじゃないか、と。恥ずかしいけれど、今更になって思う。信じてみようと思う。

「……かっこつけてんじゃねえよ」

 落ち着かない、眠れないと言っていたこの体勢だが、今は背中を撫でられると逆に心地よい睡魔へと大河を引き摺る。大事な宝物を愛でるような所作。意識が沈み込む直前に、大河は目をこじ開けて言った。

「……ありがとな」

 何年も使っていなかった言葉は、すぐには舌に染みこまなかった。犬飼が僅かに驚くような気配を感じながら、意識を泥に落とした。




To be continued...

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