密室アクアリウム

(24)

 また、夢を見た。今度はより鮮明だった。
 小学校低学年くらいの年齢の自分の周囲に、数人の小学生がいる。場所は理科室だった。この光景をよく覚えている。実験器具の入った棚が教室の隅を固め、その脇には小魚が自在に泳ぐ水槽があった。窓越しの空は暗く、やはり雨が降っていた。

 『早くしろよ』と、隣で大河の様子を覗き込むようにしていた少年が急かす。彼はグループのリーダーで、逆らうと後で酷い目に遭わされることを重々承知していた。大河の中に、反抗という選択肢はない。周囲が暗い目で見守る中、ついに動いた。

 銀色の小さなメダカが泳ぎ回る水槽。小学生のやや肩幅より大きいくらいのその中に、一匹のウサギを入れた。
頭から逆さまに沈め、強く押し付ける。底に顔がぐいぐいと当っても、構わず押さえつけた。 
 ウサギが我武者羅に暴れ、中の少し濁った水が外に漏れ、黒い床を濡らす。少年が『うわ』と面白がった声を上げ、同時に周囲が息を呑んだ。
 
 やがてウサギの動きが完全に止まり、音もなく静かになった。手を離すと、濡れた白い身体がすうっと浮き上がってきた。
 大河の心臓は、これ以上は壊れてしまうのではないかというくらい、バクバクと激しく鼓動していた。身体を飛び越えて周囲にまで聞こえてしまうのではないかと、心配するくらい。
 ついにやってしまった、という恐怖のような焦燥のような、あるいは達成感のような、複雑に入り混じった感情。引き攣った顔で、隣の少年を見た。
 彼は『仲宗根がキミコを殺した!』とヒステリックに叫んだ。



 目が覚めた。

「っは……! ……っ、げほ…っ、は」

 途端、息を勢いよく吸い込んでしまい、咽た。
 夢の中と同じように心臓が脈打っていた。何度も深呼吸を繰り返して気分を落ち着かせようとするが、こめかみから伝った変な汗が目に入り軽い混乱を引き起こす。腕を彷徨わせると冷たい布の上を滑った。

 俺は今、どうなってる?
 目覚めたばかりの視界に、忙しなく周囲の光景を映し出す。――部屋だ。大河は今、ベッドの上で横に転がっている。肌に直接触れる布が少し居心地悪い。意識した途端、全身にとてつもない気怠さが蘇った。
 そうだ。

(俺は、あいつに――)

 犬飼にされたことを思いだして急に顔が熱くなった。右手の腫れは引けているし腹も裂けていないし血も出ていない。しかし別の箇所が熱を持ってひりひりと痛んでいる。巨大な熱を受け入れた狭いそこが。
 それなのに、身体に不快感は一切残っていなかった。精液は纏わりついていないし、中も濡れていない。まるでシャワーを浴びた後のような爽快感が教えてくれた。

「薬を塗った方がいいかもしれない」

 すぐ背後、耳元で囁かれて、大河の肩は大きく跳ねた。気配は一切感じなかった。再び騒ぎだした心臓を抑え、肩口に振り返る。そこには大河を抱いた幽霊がいた。

「て、め……っ犬飼! ……ッ…」
「無理に動くな」

 股関節や腰に走る鈍い痛み、それに憤慨を滲ませた声が聞いて分かるくらいには掠れていたことが、行為があったことを裏付けているようで、急に大河の怒りは萎んでしまった。代わりに、気まずさというものが犬飼との間に介在する。
 ……どんな顔をして見ればいいのか分からない。妙に身体が昂ぶっていたとはいえ、後を貫かれて感じてしまうなんて。男として情けないにも程がある。しかもあのまま、意識を手放してしまった。
 けれど羞恥やら後悔やらを噛み締める以上に、背中に感じる重みと温もりを必要以上に意識してしまい、自分を罵倒することも出来ない。
 何か言おうと口を開いたはいいものの、続く言葉が出てこない。無理矢理といった風に絞り出したのは、ほぼ呟きに近かった。
 
「……お前、ホモかよ」
「ああ」
「……」

 予想もしなかった即答に、何と反応を返すべきか。

「…何で俺を抱いた」
「理由が必要か?」
「必要に決まってんだろ! 納得できる訳ねえ……」

 つい先刻の出来事だ。思い出せば、頭を掻き毟りたい衝動が突き上げる。
 放っておけばよかっただろう、と思う。散々に拒絶した大河の怪我を治す必要などないし、大河を抱く理由も、どこにもない筈だ。どこにもない。
 自分自身もどうかしていたのだと思う。確かに全身、千切れそうなくらい痛かったが、身を襲う快感に抵抗することが出来なかった理由を、酷い怪我を負っていたことに求めるのは、少し無茶かもしれない。実際、痛みなどすぐに消えたのだから。

「嫌だったか」

 そんなことを尋ねる犬飼を、思い切り殴り飛ばしてやりたくなった。

「当たり前だろ、男にやられる…なんて、有り得ねえ」
「でも感じてただろ」
「てねえよ!」

 残り少ない矜持のために言い張るが、説得力も何もあったものじゃない。二度も、犬飼によって絶頂に導かれた。自分でも信じられないような声を上げていたのをこの男は確かに聴いている。

「つうか……離れろ」

 犬飼の腕がいつの間にか大河の腹部に回って、背後から抱き締めていた。以前にもこのような体勢に陥ったことがあったかもしれない。
 
 他人に、こういう風に妙に優しく触れられるのには慣れていない。まだ無邪気だった幼少時代を除いて、誰かに抱き締められたことはなかった。だからなのか、背中にぴったりと密着した安心感のある温もりに、心地よさと居心地の悪さの両方を感じている。胸がざわめいて落ち着かない。嫌だと言う大河を抱いた奴だ。

 何なんだ、と思う。大河の要求通りに姿を消したかと思えば、半ば強引に抱くし、嫌がっているのに抱き締めてくる。気まぐれなのか、何か意図があってのことなのか、或いは何も考えていないのか。本人は――そうだ、好きだから、とか何とか……言っていた気がする。さっきは流してしまったが、驚いたことに同性愛者らしい。これまで大河にしてきた数々の行為がその証拠か。
 
(そういう意味の好き……なのか……?)

 引きつつあった顔の熱が、再び戻ってきた。今、相手が何を思って寄り添っているのか、考えれば考えるほど思考がないまぜにされて身体の筋肉も緊張してくる。そんな自分が気持ち悪い。
 気持ちが勝手に浮き足立っているのは、好意を向けられた経験がないからだ。自分に言い聞かせる。別に大河が犬飼をどうこう思っている訳じゃない。犬飼は、ずっと鬱陶しいと思っていた相手だ。それは今でも変わらない……筈だ。いや。そうじゃない。

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