密室アクアリウム

(21)

「やめ、……やめろって、犬飼っ」

 生理現象に逆らうことは不可能で、熱を帯びた身体は反応を示し始めていた。犬飼の顔がある位置より少し下にある熱が、頭を擡げ始める。さっきのように強く吸われるとジンと甘い痺れが下腹部に広がり、腰がビクリと震えた。
 こんなのおかしい。自分は今、致命傷を負っている。それなのに、身体は大河の意思とは無関係に、無遠慮に与えられる快感を拾ってしまう。寒いと思っていたのが嘘のように、今は熱い。

「…っい、犬飼、嫌だ……!」

 犬飼が顔を上げた。視線が交錯するが、自分の目に情欲めいたものが浮かんでいないか不安で、顔を逸らす。衣擦れと、自分の荒い息遣いだけが聞こえてきて嫌になった。

「どけよ……」

 気付かれはしないかと、不安ばかりが今の大河の胸中を占めていた。微かに身じろぎすれば中途半端に主張し始めた熱が布を擦れて、小さな悦楽を生む。そんな些細なことすらもこの距離では相手に伝わってしまうのではないか。そうしたら以前のように触れられるのではないか。そのようなことをいちいち考えてしまう。

 這い上がってくる気配に気づいた時には、顎を掴まれて強引に顔を合わせられた。苦痛だった。今、自分はどんな顔をしているのだろう。恥か、憤りか、憎しみか、欲か。

「仲宗根」

 刹那、時が止まった。それは永遠のように感じられた。
 不謹慎な感覚を押し殺すような自分の低い息遣いと、ただ一心に、無邪気な子供のようにじっと見つめてくる犬飼の視線と。今存在するのはその二つだけで、決定的な何かが介入しない限り永久に続きそうな時間だった。大河はこの居心地の悪い時間が早く過ぎ去ればいいと、それだけをひたすらに祈る。何にも気づかずに、犬飼が離れてくれることを。

 均衡を崩したのは犬飼の方だった。顔が近づいて、唇が重なった。
 もがく暇も力もなかったように思う。負傷した身体は動かすのも億劫だったし、たとえ動かせたとしても簡単に封じ込められるだろうことは予想していた。案の定、大河は何らかの抵抗を見せる前に手首をやんわりと捕えられた。

「ふ……っ」

 唇が一度離れ、今度は上唇を啄むようにされた。砂漠のように乾燥していた唇が、生温い唾液で湿る。改めて、こんな生々しい接触が出来るなんてこいつは本当に幽霊なのかと疑いたくなる。
 唇を優しく嬲られると同時に、相手の手が下着の中に入り込んでくるのが分かった。熱い中心に触れられた瞬間、身体が強張る。軽く立ち上がった性器を握り込んだ手は、ゆるゆると上下に動き始めた。

「ッ…!」

 流されてしまえば楽だろう。けれど大河は、安易に諦めてしまえる程に素直ではなかったし、理性も少なからず残っていた。残存した僅かな理性が、急にふつふつと煮えてきた。
 これは前と同じパターンだ。唇が離れるやいなや、大河は震える腹筋を叱咤した。

「お前……俺で、何がしてえんだよ…っ、からかってるつもりかよ…!」

 どうしてこんなことをするのかと。何を考えている、何が目的なのか、どういう意図があるのか。それらがまったく見えてこないから、犬飼は怖い。
 ややあって、犬飼が口を開いた。

「俺は何も考えてない」
「は……」
「何をするつもりとか、分からない」

 ごく至近距離では相手の表情は読めた。相変わらずの無表情だったが、何となく醸し出す雰囲気に違和感があった。
 目。他から光など差し込まない場所なのに、目だけが不自然にギラギラと光っているように見えた。大河と同様に、情欲で濡れている目だ。
 この男の、感情らしい感情を垣間見たのは二度目だろうか。至極人間らしいもので、犬飼には酷く不釣り合いに思えた。以前に触れた時だって、何も感じていないような冷たく黒い目で、まるで事務的だったのに。

「こうしなきゃいけないような気がして、それに従ってる。頭じゃなくて身体が」
「訳、分かんねえよ…」
「仲宗根も何も考えない方がいい。今は全部、忘れてしまえばいい」

 犬飼の声が甘い催眠のように耳元で響く。支配力を伴わない催眠で、自然と脳に入り込んできた。不快な感じではなく、逆らおうとも従おうとも思わなかったが、手で瞼の上を塞がれて、ふわふわと宙を浮くような心地よい睡魔のような、しかし睡魔ともまた違う別の何かが訪れた。下肢を触る手が動き出す。

「ん、ぁ……あ」

 既に蜜の滲んだ先端を指の腹でぐりぐりと刺激されると、鼠径部や脚の付け根に得体の知れない感覚が生まれ、びくびくと震えてしまう。そうするとまた、先端から溢れ出るような感覚がする。視界が明けると犬飼の顔が見下ろしていた。
 改めてしっかりと見ると、やはり整っているのが分かる。パーツそれぞれの形が一寸の歪みなく整えられていて、理路整然と並べられた文章のように綺麗な体裁。目つきが悪く、傷の絶えない大河とは全然違う。

「はぁ…あ、ぅう……っ」

 ボトムを膝まで下ろされ、局部が完全に外気に晒された。犬飼の手が、大河の性器をあやすように刺激する。先端から滲み出る液を竿全体に塗り込められると、蠢く手の動きが滑らかになって、ますます大河の息を乱れさせた。
 まだ自分が信じられなかった。別段、性感を増幅させるような特別な何かをした訳でもないのに、犬飼の手に触られているだけで自慰とは全然違う、泣きたくなるほどの快楽が下肢を襲う。無意識に腰が浮いてしまうのは、どうにも止められなかった。唇を噛んだ。

59/96 過程

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テーマ「人外ファンタジー」
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