密室アクアリウム

(9)

 きっと今日も何かある。そう予感して登校したが、大河の思った通りになったのは昼休みだった。
 絶えず湿った雪が降り注ぐ中、屋上へと続く扉の前のスペースで昼食を取るのが自然と日課になっていた。一枚隔てた先は屋外で、僅かな隙間から冷たい風が遠慮なしに吹き込んでくるが、だからといって人の多い教室で食べる気にはなれなかった。

 四時間目終了後、いつもの場所へ向かおうと腰を上げると、騒がしい教室を一瞬で静寂に変化させる出来事があった。
 宇佐美に話し掛けられた。

「話あるんだけどさ、ちょっと来てくんね?」

 わざわざ大河の目の前まで来てにこやかに話す宇佐美の声を聞いた生徒たちは「あいつ仲宗根に話し掛けたぞ」という怪訝やら心配やらを含んだ視線で見守っている。教室内の熱がゆっくりと冷めゆく気配に居心地の悪い思いをしたのは大河だけだった。
 しかし簡単に宇佐美の言う事を聞くのは癪だ。

「場所変えなきゃ話せねえのかよ」

 先日の出来事が頭を過り、嫌な予感しかしなかったのだ。また、何かしろとか下らない要求をしてくるに違いない。
 強気な態度で見下ろして睨むが、相手は困惑したような苦笑を浮かべて胸の前で手を振っただけだった。

「いやいや、そういう訳じゃないんだけど。つか、俺は別にここで話しても構わないんだけどさ……仲宗根が嫌なんじゃないかって」
「……」

 止むを得ず「分かった」と了承する。不都合に追い込まれるのは大河だけのようで、宇佐美について行かない理由はなかった。
 中途半端に緊迫した雰囲気の教室を二人で抜け出し、大人しく連れられて行ったのは二階特別棟の地学室だった。授業で使用されたらしいプロジェクターが出しっ放しになっており、黒板もスクリーンに隠されている。

 宇佐美が前列の椅子に座り、その隣の椅子を手で叩いたのを見て大河は渋々とその通りにした。

「今度は何だよ……もうあんなことは、絶対しねえからな」

 トイレでのあれは実にショックな出来事だった。自分から行動を起こしたと言っても、宇佐美の脅迫に屈して仕方なくそうしたに過ぎない。本当は今、宇佐美と二人きりでいるのもなるべく避けたいことだった。

「別に俺も毎日好んで男にしゃぶらせるような変態じゃねーし。今日はさ、これこれ」
 
 やや不貞腐れたような声で宇佐美が制服のポケットから取り出したのは、携帯電話だった。大河が壊したものは修理に出したのか水色ではなく、シンプルな黒だ。
 慣れない動作でデータフォルダを開くと、一枚の画像を大河に見せた。写真だ。カラオケ店かどこか、男子生徒三人がカメラ目線でポーズを決めて映っている。そのうちの一人は宇佐美だった。あとの二人は知らない。まったく見覚えがないのでクラスメイトでもなかった。

「この真ん中の奴、F組の藤川っていうんだけど、知ってる?」
「知らねえよ。見たことねえし」

 宇佐美が中央の人物を人差し指で叩く。髪の毛をワックスで躍らせた、薄い眉と大きめの鼻が特徴の男だった。宇佐美はノートを貸してくれと頼むかのような気楽さで言った。

「こいつ、学校に来れないようにしてくんね」
「……ああ? 何で」

 その「何で」にはどうして来れないようにするのかと、どうして大河がという分かりきった愚問の二つ意味が込められていたが、宇佐美は「それは言えない」と曖昧に濁した。大河はむっとする。

「俺にやれって言うのに理由も教えねえのかよ」
「別に仲宗根は知らなくてもいいことだし。教えなくてもやってくれるっしょ」
「まだやるとは言ってねえ」

 学校に来られなくする、とは、宇佐美はこの藤川という奴に何かしらの因縁があるのだろう。気に入らないのであればそう言えばいいし、大河に秘密にする必要はない筈だ。ただ、言いたくないという気持ちがなければの話だが。

「……来れなくするって、どうやってだ」
「えー……それは仲宗根のお好きなようにどうぞ。俺を真似て写真で脅すなり、ボコボコに殴るなり。俺は何でもいいよ」
「投げやりだな」
「藤川の顔見ずに済むんならそれでいいし。で、やってくれんだろ?」
「……俺がそいつに手を出すきっかけがない。喧嘩売られた訳でもねえんだ」

 何とか理由をつけて強情に拒むと、宇佐美が呆れたように嘆息した。どうせやらざるを得ないのだから早く諦めて了承すればいいのにとでも言いたそうな目で、斜め下から見上げてくる。パチン、と携帯電話を折りたたむ軽い音。

「じゃーさ、俺に頼まれたとでも言えばいいんでない」
「言っていいのかよ」
「別にー。あっちは、は? 何で? って思うかもしんないけど、訳分かんないままおっかない不良にボコられんのも悪くないね」
「……」

 宇佐美の声にはおよそ愉悦というものは含まれておらず、早く話を切り上げたそうな気怠さで、いい加減に頭を掻いた。そして大河の答えを求める。

 何の因果もない人間を理由なしに突然殴るという行為はしたことがない。今までのは全て売られた喧嘩だった。流石の大河でも、罪のない人間に暴力を振るうのは気が引ける。
 しかし、宇佐美の要求を拒絶できる術は、今の大河にはなかった。もし断ったとしたら彼に酷い目に遭わされるのは目に見えている。不承不承に「分かったよ」と呟くしか選択肢はなかった。

「そ。じゃ、Fの藤川だから。間違えんなよ……っつってもなあ。んー、一応写メ送っとくからアド教えて」

 一度立ち上がった宇佐美がもう一度腰を落ち着けて、しまった携帯電話を再度取り出す。すかすかの電話帳に宇佐美の名が登録されるのは正直嫌だったが、仕方なく大河はアドレスを教えた。

「ほいじゃー、頼むよ。来れなくするだけでいいんだから、殺したりすんなよ?」
「する訳ねえだろ」
「だよね。捕まるもんね」

 冗談を言いながら宇佐美を地学室を後にする。念を押した横顔は、口元は笑っていても目元に皺が寄って苦々しい表情になっていた。

「……面倒くせ」

 F組の藤川を、何らかの方法で、学校に来れないようにする。何故。
 自分が何に加担されているのか知らないまま宇佐美の言う通りに行動するのは得体が知れず気持ちが悪かったが、引き受けてしまった以上、彼の頼みを無視する訳にはいかなかった。今は宇佐美の犬同然なのだから。

 地学室を立ち去ろうとすると、携帯電話が鳴る。開くと早速、宇佐美からメールが届いていた。添付されているのはさっきも見せられた写真。本文には「やったら連絡して!」ふざけているのかハートの絵文字までご丁寧につけて。

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