密室アクアリウム

(7)

「起きてたのかよ」やら「どこ連れてくんだよ」やらの焦燥の滲む声を背に受けながら大河は宇佐美を連れて教室を出た。

「いきなり何? どしたの」

 態度を崩さず冷静に尋ねる宇佐美に無性に腹が立った。どうしたもこうしたもない。苛立ちの原因は宇佐美だということを本人は熟知しているだろうに。

「……何?」

 痛い痛いという宇佐美の腕を引っ張り連れてきたのは二階のトイレだった。問答無用で個室に押し込み、鍵を掛ける。

「なあ、俺に何の用。絞められちゃったりとかする系?」
「……」
「やだー怖ーい、ヤンキーみたい」

 この状況での至って平常の様子は逆に気味が悪かった。口元に笑みさえ浮かべている。尋常でない気配に嫌悪を感じたが、大河は既に決めていた。

「ゲス野郎……やればいいんだろうが、やれば!」

 もはや投げやりだった。
 宇佐美の肩を押し、乱暴に便座に座らせる。大河自身もしゃがみ、相手の膝を持って割り開いた。
 上目で窺うと驚くでもなく慄くでもなく、ただ大河の行動の先を眺めていた。悔しさで顔が歪む。
 どうして俺が、こんなことを。

 恐る恐るボトムのジッパーに手を掛け、ゆっくりと下ろす。下着の中から宇佐美のものを取り出し顔を近づけると独特の臭いが鼻を刺す。一瞬躊躇った。けれどもう引き返せないところまでしてしまっている。思い切って口に含むと嫌悪は更に増した。

「ん……、っ」

 吐き出しそうになるのを必死に堪え、舌を動かした。唇で薄い皮膚を吸いつつ、亀頭を舐める。無心で動かしていると体積は徐々に大きくなり、硬度も増す。咥えているのが辛い。口の端から唾液か、それとも別の液か、零れてゆくのが分かる。一度吐き出し、血管の浮いた表面を舐める。

「だらだら舐めてるだけじゃいけないんだけど」
「ぐ、ぅっ」

 後頭部を掴んだ手が股間に押し付ける。嘔吐の感覚が込み上げるがそれに耐え、宇佐美の性器を頬の内側に擦りつけた。
 下手くそ、と罵る声に頭の奥が熱くなった。当然だ。男のものをしゃぶった経験など一度もない。まさかこんな日が訪れるとは思ってもみなかった。

「ふ……、っむ、ぅ」

 口内にじんわりと苦い先走りが広がる。粘ついた液が粘膜に擦れるのに顔を顰めて過ごしながら、本当にここまでする必要はあったのかと疑った。
 こんな最低の屈辱を受けてまで庇いたいものなのだろうか、体裁は? そこまでする価値はあるのか。

「っ……だんだん、よくなってきたね」

 宇佐美の苦しげな声が頭頂部に降りかかる。熱っぽい声音に、虚しくなった。 
 もう終わりにしたいと思い先端を吸い上げると、宇佐美が高い声を上げる。

「やばい、いく」

 最大まで膨れ上がった相手の熱塊を口から吐き出す。つもりでいたが、両手で頭を固定されてそれは叶わなかった。

「……っ!」

 口内に熱い迸りを感じ、大河は目を大きく見開いた。瞬間、広がる青臭い味と臭い。

「ん、うう……!」
「だめだめ、このまま」

 身の毛がよだつ程恐ろしい嫌悪。目尻に生温かい液体の存在を感じ、固く目を閉じると零れるのが分かった。宇佐美の膝を砕く勢いでぎりぎりと強く掴む。

「飲んで」

 鼻を摘まれれば軽い混乱に陥った。呼吸を妨げられて息苦しくなり、相手のものを咥えたまま咽ると僅かに開いた隙間から精液が零れ落ち、膝上に落ちた。飲み下そうとした訳ではないのに喉の奥へ粘ついた液体が下りてゆく。

「う、ぇ……っ、げほっ」

 頭を押さえつける力が消えると同時に、大河は即座に口内に溜まった精液を吐き出した。暗い色のタイルの上に白濁が落とされ鈍い光を作る。
 最悪の更に下をゆく最悪。こびりつく臭いが、舌触りが、味が嫌で咳き込んでいると髪の毛を鷲掴みにされ上を向かされた。「シャッターチャンス」という無邪気な声と共に鳴り響く、電子的なシャッター音。一瞬、何をされているのか理解できなかった。

 喉の奥にこびりつく絶望はまだ拭えない。腹の奥から出る咳がようやく静まった頃、大河は宇佐美の手から携帯電話を引っ手繰った。バキリ、と無機質な音がシャッター音の代わりに大河の手の中で鳴る。

「嘘だろ……普通、壊すかよ」
「宇佐美、てめえ……」

 ディスプレイに大きなヒビが入り電源の落ちた携帯電話を床に叩き付け、宇佐美の胸倉を掴み上げると薄汚れた壁に押し付けた。煩わしそうに歪められた表情がこれ以上となく卑劣で憎らしいものに見えた。
 壊されてもなお自分のした行為を悪びれた様子もない宇佐美に、屈辱の入り混じった憤りが沸々と煮立つのを感じる。

「写真あるからって調子乗ってんじゃねえぞ!」

 怒りに任せ怒号すると、宇佐美が普段の朗らかな笑顔からは想像できない、人を完全に見下しきった笑みを浮かべて大河を蔑むように見た。

「何言ってんの? 俺をトイレに連れて来てフェラ始めたのは仲宗根じゃん」
「てめえが、やれって言ったんだろうが! 何のつもりか知らねえけどな、わざわざ脅して……!」
「脅したつもりはねーんだけどなー。まさか本当にやってくれるとは思ってなかったけど」

 最低だ、この男は。データの詰まった携帯電話をチラつかせて、コケにするのもいい加減にしろという話だ。
 こいつの本性をクラスの前で公表してやりたい。周囲が思うような、好感度の高い男ではない。人を暇潰しのための玩具にするような奴だ。間違っても周囲に好かれるような奴ではない、本当は。

「クソ……これで、俺に構うのはやめるんだろうな」
「俺、そんなこと一言も言ってないよ」
「まだ何かさせる気かよ。最低だな、てめえ……」
「最近つまんねーんだもん。ちょっと虐めてた奴が学校来なくなっちゃって」

 大河は純粋な嫌悪と軽蔑を乗せた表情で宇佐美を見た。常に周囲が賑やかな宇佐美の朗らかな人柄は偽りであることを確信した。

「だから今度は俺か。お前の遊びに付き合わされてる訳か」
「うん……てか、そろそろ離してくんない。息臭いし」
「てめえの精液だろうが!」

 クソ、と悪態を吐いて乱暴に宇佐美を解放した。乱れた襟元を整えた彼は床に落ちた携帯電話を拾うと鍵を開け、個室の外に出る。

「早く戻んないと心配されっから、俺行くわ。じゃーね」

 いかにも「すっきりしました」という顔で颯爽と去ってゆく。それに反比例して、大河の心情は晴れやかでない。真っ黒な雲が一面を覆い、光が差すのを妨げる。
 最悪、という二文字では形容できないほどに、最悪だった。

「…クソっ!」

 壁に拳を叩き付けると冷たい温度が接触した部位から伝わり、心までも冷やす。木枯しが吹いて乾燥しきった感情は荒野のように穏やかではない。
 悔しくて悲しくて、虚ろだ。

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