密室アクアリウム

(1)

 久しぶりに見る学校は、朝からの猛吹雪の中、視界を埋め尽くしそうな雪に塗れて立っていた。正面から乱暴に吹き付ける雪のせいで、まともに前が見えない。顔が痛い。

「大丈夫か」
「うっせえよ」

 大河の隣に並んで歩く犬飼は、この暴風や寒さに関わらず平然としている。油断していると、スニーカーの中に雪の塊が入った。冷たい、とは思いながらも水分が浸透してゆく靴下を無視して歩き進める。

「お前はいいよな。幽霊だから何も感じねえんだろ」
「そんなことは、ない」

 少しも顰められない顔でそんなことを言われても信じる気にはならない。

 校門の先へ抜けると、犬飼の姿がすうっと消えた。同時に年明けの生徒たちの賑わいも聞こえてくる。新鮮な感じがした。
 他人の顔を見るのは本当に久しぶりだった。年末に絡まれて喧嘩をした他校の生徒や、実家に帰って家族に会ったこと以外は。
 結局、冬休み前のあの日、風呂場の一件があった後は、一度も学校に行かなかったのだ。

 教室に入ると、遠慮なく突き刺さる大勢の視線。静まり返る、教室の見えない空気。
 それらを綺麗に無視して、大河は自分の席へ座った。そっぽを向いても刺さる複数の視線は痛いくらいに、本当に遠慮がない。

「何で来たんだよ……」
「休み明けも休んでくれれば良かったのに。てか、朝から登校?」
「気持ち悪いんだけど」

 そんな潜められた陰口が大河の耳に飛び込んでくる。教室の前の方で固まる集団を見遣ると、表情を硬直させて口を噤んだ。
 予想はしていた。彼らは大河が欠席を続ける理由を勝手に憶測し、新年も休んでくれればいいと考えているに違いないと、分かっていた。

 けれど、学校に来るしかないと思っていた。ずっと欠席して、変に話のネタにされるのも嫌だった。

「はよー! 新年明けましておめどうございまーす!!」

 痺れるような寒さの朝から高いテンションで教室に入ってきたのは宇佐美だった。重たかた教室の雰囲気が一気にガラリと変化した。

「ぶはっ、お前、頭真っ白になってんぞ」
「マジかー! ……うわ、すげー雪」

 宇佐美がニット帽を引き抜くと、被っていた大量の雪が床に落ちた。雪は室内の温かさで溶けて水になってしまう。

「ちょっとー、こんなとこに落とさないでよ。玄関で払ってきてよ」
「わりーわりー。気付かなかった」
「こんなに吹雪いてるんだから気付かない訳ないでしょうが」
「許してよ。今年もヨロシク」

 調子のいい宇佐美に呆れた女子が、各々の会話に戻ってゆく。
 ようやく年が明けたのだと実感した。冬休みのほとんどの時間を自宅のアパートで一人(二人だろうか)で過ごした大河は、あまりにも静か過ぎて、こんなに普段と変化がないのに本当に年が変わったんだろうかと感じる部分もあった。正月のテレビ番組も見ても、新年だという感覚はなかなか得られなかった。
 自分以外の誰かの声を聞いて年を越した感覚が掴めたなんて、皮肉だ。

 宇佐美の登場で一層騒がしくなった教室は大河にとってやはり居心地が悪い。早くSHRが始まらないかと時計を気にすると、偶然にも宇佐美と目があった。

「……」

 相手はニコリと笑ったが、大河は無視して机に突っ伏した。
 柏木が入ってきたのは、大河が船を漕ぎ出してから間もない頃だった。

「はいあけおめー。HRやんぞ」
「えー、にしきんもう来ちゃったし」
「えーじゃない宇佐美。今日から早速授業だ。休みボケの奴らは置いてくぞー」

 相変わらずのかったるい調子の担任の言葉に覚醒させられた大河が顔を上げると、柏木は驚愕の表情をしてみせた。大河の存在に気が付いたのだろう。
 簡単に出席の確認をした柏木は「一時間目は集会だから廊下に並んどけよ」と言うと出席簿をぶら下げて出て行った。


 柏木に呼ばれたのは四時間目が終わって、学校に来た時の癖で屋上へ向かおうとした時だった。そういえば外は豪雪だったことを思い出してどうしようか悩んでいると、教室の前方の扉から柏木が顔を出した。

「仲宗根、ちょっと来てくれるか」

 昼食を手にして柏木のあとをついて行くことにした。冬休み前、あれだけ無断欠席していたのだ、何かしらのお咎めがあるだろうとは踏んでいた。

「失礼します」とぼそっと口から出して職員室に足を踏み入れると、四方から冷めた視線が突き刺さる。手のつけようがない問題児を見る目には前々から慣れていた。

「大河、こっち」

 柏木は自分のデスクには向かわず、職員室に入って左側にある印刷室へ入った。彼に続いて中に入るが、印刷機械が慌ただしく働いているだけで二人の他に誰もいない。

「まあ、座れ」

 長いデスクの横にある丸椅子に腰かけると、柏木が突然、束になったA4用紙を差し出した。休んでいた分のプリント……ではない。ましてや冬休みの課題でもない。一番上に書かれた文字を見て、大河は眉間に皺を寄せた。

「何だよ、これ」
「見りゃあ分かるだろ? 後期中間考査追試願」

 お前、何一つ受けてないだろ、と咎めるような口調で柏木が言う。プリントの枚数を数えると、全部で九枚あった。つまり、九教科の追試を受けなければならないのだ。

「マジかよ……面倒くせえ」
「面倒くさいじゃ済まないっての。受けなきゃ単位なくすぞ。そしたら進級できないよ」
「テストより出席日数の方で進級やべえんじぇねえの」
「分かってんなら授業受けろよな……これは、ハンコ押してくるだけでいいから。校長とか教頭とか教科担任には俺が貰いに行くから」

 複数の先生たちに印を貰いに走る、通称“スタンプラリー”は生徒がやるものだが、大河の場合、九枚あるのだ。校長や教頭は一回で済むだろうが、九人の教科担任のもとへ行かなければならない。柏木はそれに同情して、省いてくれるようだ。

「まず、受けてくれ。頼むから」

 柏木の願いは切実だった。仕方なく首肯すると、笑顔で「土日返上な」と言われた。
 立ち上がって帰ろうとしたが、「まだ話あるんだけど」と引き止められ、もう一度、腰を落ち着ける。

「もう、大丈夫なのか」

 唐突すぎて一瞬、意図を汲み取れないでいたが、去年のことだと分かった。

「お前が休んでる間、一応、体調不良ってことにしといたけど」

 柏木が両手を組んで、下から覗き込んで大河を見る。心配しているのがあからさまで、教室にいる時と同じように居心地が悪い。

「何があったか知らないけどな、お前がまた学校に来てくれて嬉しいよ。まあ、無理はするなよ」
「だったら、追試免除しろよ」
「それは話が別だっての」

 柏木は笑って立ち上がる。飯だ飯、と言いながら印刷室から出て行った。大河も昼食を持って外に出た。

39/96 過程

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