密室アクアリウム

(2)

 部屋の時計は零時より少し前を示していた。
 父と母を妹は、近所にある神社に初詣に出かけた。毎年、深夜に初詣に行くのが恒例のようだったが、大河は辞退した。この寒い真夜中に外に出たいとは思わなかった。

 大河なりに思うところはいくつかあった。しかしそれをいちいち考えるような気力もなく、半ばぼーっとしているようなものだった。
 窓硝子に、大河の背後に犬飼が立っているのが見えて振り返った。

「仲、悪いのか」
「あ?」
「家族と」

 犬飼がそんなことを尋ねるとは思わなかった。大河の、かなり個人的なことだ。
 彼の無表情に何か見出せないかと見つめてみるが、やはりそれは無理だった。身体の後ろの床に腕を突いて、犬飼を見上げる。フローリングの感触は冷たい。

「俺にはそう見えた」

 別に仲が悪い訳ではない。と思う。ただ少し、捻じ曲がっているだけだ。そしてその関係は、別段珍しいものではない。

「見てたのか。下に来るなって言ったのに」
「両親が嫌いか?」
「いや。嫌いじゃねえよ」

 かつては嫌いだった。今は嫌いではないが、きっと家族としては馴染めない。その程度だろう。

「じゃあ、仲良くすればいい」

 そう簡単に言うな。大河は犬飼を下から睨みつける。
 すぐに出来るものじゃないし、したいとは思っていない。

 普段の、大河がいない時はあそこまで鬱々とした雰囲気ではないだろう。いつの間にか異質となってしまった大河が輪を乱しているのだ。

 正直、今回の帰省は断りたかった。
 休み前の大河の様子を見て柏木が何かしら伝えているのではと予感していたし、色んなことが大河の周辺に起こっていて、特に風呂場で殺されそうになった件なんかもあって――実家に戻って何も起こらないと断言できる根拠はなかった。

 もし何かあった時に、たとえ気持ちが疎遠になりつつあるとしても、血の繋がりがある人たちに弱音を漏らしてしまうのでは、と危惧もしていた。
 そうなった時に自分は耐えられるのだろうか。

「親父は俺を軽蔑してる。ろくでもねえ息子だって、いや息子だと思ってるかも怪しいけどよ……見てたんなら分かるだろ。妹もそうだ」

 母は、父も母も心配していると言っていたが、父は心配というより大河のことを恥だと思っているだろう。

「お袋は、俺を腫れ物みてえに扱うし。中学の時に一度、キレて殴ったことがあるからな……怯えてんじゃねえのか。俺だけが馴染めないんじゃない、あっちも俺のことを避けてる」

 正月だけは何も警戒せずに、何も憂えずに、通常通りの平和な時間を送れるんじゃないかと少しは思ったが、無理だった。実家に帰ると息が詰まる。

 一人でいるのが一番楽だということを再確認した。そして、家族は今の微妙な関係のままで構わないと諦観さえする。

「……」

 犬飼は黙って大河の話を聞いていた。熱心な視線が降りかかるのに気づき、自然と床の細かい傷を見下ろしていた顔を上げた。
 どうして犬飼にこんな話をしているのだろう。……することが出来たのだろう。

「寂しいのか」
「……は?」

 犬飼はしゃがみ込んで大河に目線を合わせた。しなやかな腕が伸び、大河の頬へ手が触れる。

「家族に戻りたいんじゃないか」

 今の大河の話で、どうしたらその結論が出てくるのか。犬飼の思考回路が読めない。
 呼吸ひとつ分の間の後、大河は相手の手を振り払って立ち上がった。

「アホか。何でそうなるんだよ……別にいらねえし」

 家族とか、もう諦めてるし。

 大晦日だからと言って新年を迎えるのを黙って待つ謂われはなく、大河はベッドに潜り込もうとする。強い力で引かれたのは、その時だった。

「っ、な、に……すんだよ!」

 三人が出かけていてよかったと思う。床の上に派手に転んだ音はきっと階下にも響いていた。
 突然のことで受け身も取れなかったため、背中を打ちつけた。仰向けに寝転んだ上には、犬飼が顔の横に腕を突いて大河を見下ろしていた。

「……何だよ」

 一番最初――本当に、犬飼が死ぬ前の一番最初は、大人しい奴だと思っていたが、いつからかその勝手な第一印象は覆されていた。犬飼は案外に勝手で強引だ。

 いつも予想外の行動に出るから大河は何の準備も出来ていない。じっと見つめる犬飼の黒い瞳は何を訴えようとしているのか。
 大河が黙っていると、不意に抱き締められた。

「な」
「寂しいから」
「……、ああ?」
「俺が寂しいから、こうした」
「……」
 
 意味が分からない。

「俺にはもう家族がいないから分からないけど」

 いないというか、会えないだけだろうが、自分が死んだことを何とも思っていないような犬飼の顔を見ていると、どう言葉を返せばいいのか困惑する。

「分かんねえけど、お前が家族いらないって言うのは寂しい」

 犬飼の口から「寂しい」という感情を表現する言葉が出たことに、大河は驚いていた。顔は見えないが、その主張通りに情けない表情を浮かべているのだろうか。
 何故か、気になる。

「何でお前が寂しいんだよ……訳わかんね」
「思ったことを口にしただけだ」
「てめえ、今日は妙にお喋りだな。つか、重いからどけ」

 伸し掛かる幽霊の重力を押し退けると、犬飼は素直に退けてくれた。表情がいつも通りの無だったことに安堵した。

「寝る。今度は邪魔すんなよ、絶対」

 犬飼を通り抜けて、今度こそベッドに潜り込む。暖房で温まった部屋の空気とは違い、中は布の冷たさがあった。
 犬飼に背を向けて目を瞑ると、大河の安眠を邪魔するなという言葉を理解したのか、していないのか「仲宗根」と呼ばれた。

「ああ?」
「寂しくなったら、俺に吐き出せばいい。全部」
「……」
「……そうすれば楽だろ」

 今日のこいつは本当によく喋ると思っていると、後ろから髪の毛をくしゃりと掻き撫でられた。大河は黙ってその意図不明の行為を甘受していた。

 こいつに、犬飼に弱音を吐くことなんか、二度とはしない。してたまるか。
 そう心に強く決めながら大河は無理矢理に眠りに沈もうとしたが、頭を撫でる手の平があまりにもリアルで温かかったから、暫くの間は年が変わるまで時計の針の音を聞いていた。




...後半はやっつけ仕事でした(おい しかも正月にあまり関係ない内容になってしまいました。反省。皆さまにとって2012年が素晴らしい年でありますように!!
2012.01.01 dirty pool

38/96 皮下心情の本音

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