密室アクアリウム

(8)

「動揺してるのは分かるがな、物に当たるなよ」

 正面に座る柏木の顔には呆れと疲労と、そして純粋な心配の色が浮かんでいる。大河はそっぽを向いて視界の端で担任の姿を捉えると、知らないふりをして頬杖を突いた。

 怖気づいてトイレから駆け足で立ち去った男子生徒が柏木に報告でもしたのか、床に散らばる破片を放置してトイレから出た途端、急いで駆けつけた担任に捕まえられた。
 問答無用で保健室に連行された挙句、今は生徒指導室で説教兼個人面談を受けている。大河はいつにも増して眉間に深い皺を刻み、不機嫌オーラを放っていた。

「聞いてるか? 俺の話」
「聞いてねえ」
「ったく……。犬飼が亡くなって悲しいんだろうが、学校の物を――」
「んな訳あるかっ」

 大河は噛み付くように言った。
 悲しい?誰が?
 ろくに話もしなかったクラスメイトだ。人とはずれている自分だ。彼に関して知っている事は一つもない、寡黙で不気味な男の死を、どうして悲嘆すると言うのだろう。

「じゃあ何で鏡を殴ったんだ?」
「……」

 言える筈がない。幻覚を見て、本能的にそれを視界から消すべく鏡を破壊したのだと。
 ついに危険な薬にまで手を出したのかと疑われるかもしれない。

 柏木は深い溜め息を吐いた。

「突然の事で、皆ショックを受けて疲れてんだ。お前が今何かやらかしたら、また不安がるだろ」

 大河は柏木の目と鼻が少し赤くなっている事に気づいた。
 柏木も、可愛い教え子が亡くなって今すぐにでも泣き出したいに違いない。でもそれが出来ないのは、彼が教師だからだ。柏木は生徒のメンタルを支えなければならない。

「それに、俺はお前が心配なんだよ。問題児でも俺の可愛い生徒の一人だ。自分を傷つけるのは止めなさい」

 柏木の視線が、包帯が巻かれた大河の右手に向けられている。大河はそっとそれをテーブルの下に隠した。

「心配? 俺にはそんなもん必要ねえ。するなら他の奴にしろよ」
「そうやって人の好意を突っぱねるな。もっと素直になれ」
「十分。……話はこれだけか?」

 これ以上柏木と話しても時間が無駄に過ぎて行くだけだと判断した大河は、椅子から立ち上がり指導室から立ち去ろうとする。柏木が「仲宗根」と呼び止めた。

「喧嘩も程々にな。気をつけて帰れよ」
「余計なお世話だ」

 ピシャリと戸を閉めると、柏木の微苦笑も見えなくなった。

14/96 兆候

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